飛去来男

ゆっくり

短編

 腕はダランと力無く、またはだらしなく、背骨は弧を描く程曲がり、髪は長く不潔でボサボサ、歩く時はヨボヨボと歩き、腕は動かさない。そんな男が、今私の眼前でウロウロしている。道行く人は、その男に目をやりこそするが、関わらぬが吉と言わんばかりに目を逸らして去っていく。誰も、その男に手を貸してやろうとはしない。男は腹が減っていて、雨風が凌げる宿に入りたくて、今着ているボロボロの服よりも、綺麗なスーツが着たいと願っている。

だが、誰もその願いを叶えてはくれない。道行く人々は、誰も彼もが男を見るのに、何故手を貸さないのだろう。何故誰も可哀想と哀れみ、小銭の一つでも恵みはしないのだろう。男はそう思っているのだ。私の目の前で、何故そうも彷徨くのか、非常に目障りだと感じるが、私にはどうしようもない。定期的に窓や、透明なガラス扉越し等に見えてしまうのだから仕方がない。

 男は、女が欲しいと思っている。面が良く、白い玉肌と、それが映える紅の唇に、通った小鼻、目をぱちくりと開き、日光を反射して尚一層煌めく黒髪を持った女、そんな女のか細い腕に触れられたいと願っている。だが、道行く女達は誰一人男に見向きをしない。誰も触れようとはしないのだ。そんな事実に、男は思う。

「世の中とは、つくづく不条理だ」と、

 男は、思う。

「私は、ただ普通が欲しいのだ。それ以上の多くは望んでいない。だのに、何故群衆は私に何もくれないのだ。私よりも多くを持っている群衆は何故一つたりとも恵んではくれぬのか」

 ある時私は、通りすがりの一人の男に、話しかけた。男は何故か少し嫌そうな顔をしたが、話自体は聞いてもらえた。何の話をしたかと言うと、あの、忌まわしく見窄らしい男の話だ。誰もが嫌悪感を持つであろう男の話。私ですら嫌悪感を抱くのだから、この男もそうに違いない。その話の間も怪訝な顔をしていたので、共感してもらえたら様だ。なので、もう一つ話をした。前述していた全てを男に話た。すると男は、より嫌な顔をして私に一言言い放った。

「現実見ろよ」

と、何故私はそんなことを言われなければないらないのだろう。私は何も悪くないのに。

 私は鏡を見るのが嫌いだ。何故かと言うと、鏡の中には必ずあの見窄らしい不潔な男が映り込んでくる。あんな男は見るだけで不快だから、できれば写り込みに来ないで欲しい。何故あの男は私に固執するのだろう。私は、あの男に何もしていないのに、頼まれたって何かしてやるかとすら思う、だから尚更断言できる。私はその男に何もしていない。頼むから、私に執着しないでくれ。

 私は嫌いな男がいる。あの、見窄らしい不細工な男だ。どこ行っても、その見たくない姿を見せにくる。そんな嫌がらせをしてくる男が嫌いだ。いっそのこと、殺してやりたいとすら思ってしまう。だが残念なことに、私にはそんなことする度胸も、知恵もないのだ。

 今日、私は嫌なことを言われた。というより、聞いた。通りすがりの若い女二人組に、私は見窄らしく不潔で不細工だと、こっそり話しているのを聞いた。私はとても腹が立ったのだ。何故なら、私の嫌いな男の風体の様に私を罵ったからだ。何故そんなに酷いことができるのだろう。私は何も悪くないのに、何故私ばかり酷く言われるのだろう。もっと酷い男がいるというのに。

 ある時、私はとうとう怒り狂って怒鳴った。「いつまで私に憑いてくるんだ!!!!失せろ!この無礼者が!その見窄らしく不潔で不細工な風体を私に二度と見せるんじゃない!不愉快だ!」と、今まであの忌まわしい男に溜まっていた不満をぶち撒けてやった。思ったことを言ってやった。思う存分罵ってやった。すると摩訶不思議な事に、その男は私に全く同じことを返して来たのだ。なんと無礼で酷い奴なのだろう。なんとひどい、なんとひどい、なんとひどい。

 若い二人組の女が通り掛かりに話してる声が聞こえた。

「あぁいう男性は、ずっとあのままなのね。何にも気づけないなんて可哀想だわ」

その言葉に私は救われた。何故なら、私がなんと不運で可哀想な人間なのか、初めて解って貰えた日だからだ。

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飛去来男 ゆっくり @yukkuri016

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