君は空色の翼を休める悪魔

@himagari

君は空色の翼を休める悪魔

「やぁ、久しぶり」


 深い森の奥深く、差し込む陽の光に照らされた青空のような翼を折り畳む少女。


 その少女はその身の数十倍は太く高い木に背を向けて、地に張る根の上に腰掛けて笑っていた。


 声をかけたのは十代後半の年若い青年だ。


「お久しぶりですね、天使様」


 青年が頭を下げて少女に歩み寄る。


 天使と呼ばれ苦笑いを浮かべる少女は首に付けられている枷を揺らして立ち上がった。


 枷からは長く太い鎖が伸びていて、その鎖は大樹を一周して彼女をこの場所に縛り付けている。


「こちらが今日の分です。どうぞお召し上がりください」

 

 青年はそう言いながら手に抱えていた籠を差し出した。

 

 籠の中にはいくつかの果物とパンが入っている。


「いつも悪いね」


 少女は大きな木の根から飛び降り、着地の寸前に翼をふわりと羽ばたかせて羽のように地面に降り立った。


「いえいえ、天使様には御恩がありますから」


 そう言って微笑む青年と少女の出会いは十年ほど前になる。


「もう昔の事だ。礼も十分にもらったつもりだよ」


 青年がまだ少年だった頃、この森で迷い生死の境を彷徨っていた男の子がこの場所に辿り着いた。


 偶然その場所にいた一人の翼を持つ少女が少しの食糧を対価に一枚の羽を少年に授けると、少年はたちまち元気を取り戻した。

 

 少女が指差した方向に歩き、森を抜けて村へと帰った少年はやがて青年となった。


 成長した彼はこの森に再び訪れ、それ以降度々こうして差し入れをもってやって来る。


「私がそうしたいのですよ」


 そう言って籠の中の果物を手に取る少女に青年は笑いかける。

 

 少女はその笑顔を見ながら手に取った林檎を一つ頬張った。


「……いい出来だ」


 少女の言葉に青年は頷く。


 青年にとっても喜ばしい豊作の年で作物の出来も非常に良かった。


 この果実を食べてほしいからこそ青年は良いものを選んで持ってきたのだ。


「最近村はどうかな?」


「いやぁ、有難いことに平和なもので」


「そうかい。それは良かった」


 そう言って少女は顔を綻ばせる。


「あぁ、そういえばどうも最近になって村の付近を治める領主が変わりましてね」


 ふと思い出したように青年が手を叩いてそんな話をした。


 少女は食べかけの林檎を口から離して首を傾ける。


「そうなのか。何か問題でも?」


「いえ、今の所は特に問題もなくやらせて貰っているので、これからも何事もない事を祈るばかりです」


「……まぁ、何かあれば相談にでもくるといい」


「あはは、天使様にそう言って頂ければ心強いですよ」


 青年はそう言って笑い、手に持っていた籠を置いて森を去っていった。


 それからも青年は度々少女の元を訪れては他愛もない話をして帰って行く。

 

 果物やお菓子、時折おもちゃなどの目新しいものを持って来ることもあった。


 しかし、ある時から少しずつだがはっきりと物の質が落ち始めた。


 初めはほんの少しずつ質が落ち、量が減り、頻度が減った。


 それに伴うように青年は痩せていく。


 それだと言うのに青年は一切その話に触れる事はなかった。


 そうした日々が数年ほど続き、いよいよ少女はその事に触れる事に決めた。


「それでは、今日はこれで」


 そう言って去っていこうとする青年の背中に少女は呼びかける。


「少し待ってくれないか」


「はい、何でしょう?」


 呼び止められた青年は少女の方を振り返り首を傾げた。


 これまでも長い付き合いだったが少女が帰って行く青年を呼び止めたのは初めての事だ。


 不思議そうな表情の青年に少女は眉を顰める。


「何か、困っている事はないかい?」


 少女ははっきりとは問いかけず、少し遠回りな質問をした。

 

 それでも少女の意図は青年にも伝わる。

 

 それ程までに今の青年は数年前と比べて痩せこけていた。


「……いえ、特に何も」


 青年は少女の問いかけに数秒ほど悩んだが、いつもと同じ笑みを浮かべてそう答えた。


「……そうかい。引き止めて悪かったね」


「いえいえ、それではまた今度」


 そう言って青年は森を出ていった。


 その背を見送る少女の不安はすぐに形を帯びる事になる。


 青年はそれから一月経っても少女の元を訪れなかった。

 

 少女は次第に不安を感じるようになっていく。


 日が経つにつれ一日が数日にも感じられるほどに不安になった。


 千年もの間この場所に繋がれていた少女にとって、月に数度の青年と過ごす時間が如何程大きいものだったのか。


 そして少女の不安は最悪の形で現実へと変わる。


 青年が来なくなってから三月が経った頃、枯葉が積もる森に足音が響いた。


 その足跡に顔をあげて振り返った少女の目に映ったのは青年とは違う、幼くボロボロの女の子の姿だった。


 女の子は木に腰掛けた少女を見て固まった。


「……君は?」


 少女はこの地を初めて訪れた女の子に声をかける。


 その声に対して返ってきたのは小さな呟きだった。


「青い羽の天使さま」


 その言葉を聞いた少女は目を見開き、女の子の前に降り立った。


「君は誰だい?あの人はどこに?」


 詰め寄るように言う少女の言葉に女の子はふらつきながら夢の中の言葉のようにこう言った。


「お父さんを、たすけて」


 女の子はそれだけを言うとぷつりと糸の切れた人形のように倒れてしまう。


 少女はその小さな体を胸に抱く。


 そして背の翼を目一杯に大きく広げ、大きな翼を空に向けた。


「馬鹿野郎」


 少女は憎々しげにそう言うと、真っ直ぐに前を見据え、翼を力強く羽ばたかせた。

 

 その途端に巨大な森全体に響き渡るほどの大きな音が響き渡る。


 その音は青年の村にまで響き、その場にいた者全員が森を見た。


 そして見たのは天をつくほど大きな大樹が傾き、地に沈んでいく姿だった。


「御神木が!」


「何事だ!?」


 村中が阿鼻叫喚に包まれ、全ての人が空を見上げた時、そこには女の子を抱く一人の少女の姿があった。


「……天使様?」


 誰かがそう呟き、皆がその姿に目を凝らす。


 そしてその姿を見た者達は次々に顔色を変えていった。


「違う!あれは悪魔だ!!」


 一人の声を皮切りにその場にいた人間達が次々と悲鳴を上げていく。


 捻れて鋭く尖った二本の角。

 

 縦に裂けた金色の瞳。


 鋭く長く黒い爪。


 口元から覗く尖った大きな牙。


 足は猛禽類の鋭い鉤爪。


 そして大きな青い翼。


 少女の姿は誰がどう見ても悪魔の姿形そのものだった。


「に、逃げろ!!」


 混乱の渦に包まれた人々は逃げ惑い、その場には青年一人が残された。


 磔にされ、身動き一つ取れず項垂れる青年だけが。


 少女は逃げ惑う民衆には目もくれずに羽ばたき一つで青年の元に降り立った。


「何だ、これは」


 少女の呟く声にあれほどの阿鼻叫喚の声にピクリとも反応しなかった青年が瞼を上げて、少女に目を向ける。


「……天使様」


「ふざけるな!何なんだこのザマは!!」


 少女の怒声が村に響き渡る。


 その声に青年は申し訳なさそうに顔を歪めた。


「すみません」


「何故、こんな……こんな事に」


「天使様、私から、最後に、お願いが、あります」


 青年は少女の声に応えることはなく、ただ途切れ途切れの声だけを紡ぐ。


 青年の目は既に焦点も合わず、耳すらほとんど聞こえていなかった。


「何故だ……何故もっと早くっ」


 少女の後悔の声も、叱責も青年に届くことはない。


「その子を、どうかお願いします。母もなく、寂しい子ですが、素直ないい子です」


 青年は振り絞るように、必死に少女の目を見ながら頼み込んだ。


「どうか……天使様」


 青年はそれだけを言うと、言葉は力を失い、瞳は光を失った。


 少女の目からは悲しみが溢れ、怒りで食いしばられた牙が軋む音を鳴らす。


 少女は爪を振るい、青年を縛る縄を切る。

 

 両手に親娘を抱き、大きく翼を羽ばたかせて空の彼方へ飛び立った。


 数秒の後に天から降り注いだ巨大な光の柱が人がいなくなった村を跡形もなく消し飛ばしてしまった。


 村の跡地はその後百年草木の生えない不毛の土地となり放棄される。


 その後にとある一族がその地に訪れるとたちまち緑は生い茂り、あらゆる植物が育つ肥沃な大地になった。


「おばあちゃん、見てっ!さっき遊んでたら青い羽見つけたの!」


 街を駆け抜けた幼い少女が家の扉を勢いよく押し開き、中にいた老婆に宝物のように握りしめた羽を見せる。


「おや、それは天使様の羽だね」


 老婆は少女がの手の中にある羽を見て目を見開いて笑みを浮かべた。


「天使さま?」


「そうさ、天使様はこの国が生まれた時からずっと空の上で見守ってくれているんだよ。だからこの国では時折空から青い羽が降ってくるんだ」


「そっか!ずっとお空にいるから青くなっちゃったのかな?それじゃあ……」


 少女は再び空に飛び出し、その羽を空に翳してこう言った。


「ありがとう、空色の羽の天使さま!」


と。


 


 

 

 

 




 

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