なぜ濡れているのか?
過言
加工機が消化する際に分泌する唾液
こうして運転していると、思い出す話があるんです。
タクシーの運転手が、雨の中ずぶ濡れで立っている女を乗せる。
女は〇〇まで向かいたいと言う。
〇〇に着くといつの間にか女は消えていて、座席はぐっしょりと濡れており、ただ数束の髪の毛が残っているだけだった。
幽霊譚として、恐らく最も有名なこの話は、しかし怖い話ではありません。
運転手が、彷徨っていた幽霊を、本来あるべき場所へ送り届ける。
幽霊は運転手に危害を加えず、場合によっては感謝を述べることすらあります。
そんな、人情、人の温かみを感じさせる怪談。
私の逢った幽霊も、濡れていました。
雨は降っていませんでした。
暗い山道でしたが、車通りが少なかったのでフロントライトはハイビームにしていて、むしろ街中の夜道よりも明るいくらいでした。
言い訳になるような物は何もありませんでした。
私が運転なんてするから。
ついさっきまで元気に歩いていたその人は、
今では立派な幽霊になってしまっていました。
轢かれた瞬間に、いえ、私が轢いた瞬間と言った方が正しいです、
その瞬間、その人はぴょこりと飛び起きて、
「乗せてください」
と言いました。
その人(最も既に人ではないですが)は恐らく、死んだ次の瞬間には化けて出ていたのです。幽霊はこういう風に生まれるのかと、少し感心しました。
私から見て右から左に道を歩いているときにぶつかったので、その人の左腕はぐちゃぐちゃに絡まっています。跳ね飛ばした時に打ち所が悪かったのか、頭は半分ほどの大きさまでへこんでいます。左側のお腹もえぐれていて、何かがこぼれかけていますが、その何か、おそらく内蔵は、重力に逆らって空中で固まっているようです。
食品サンプルみたいだな、と思いました。パスタが空中に伸び、その先でフォークが固まっているみたいに、その細長い臓器は空中に留まっています。
食品サンプルの中でも、特に本物の食べ物を加工して固めたもののよう。
きっと幽霊とは、人間の加工品なのです。
乗せました。
もともと私が幽霊に加工してしまったのですから、拒否権はありません。
乗せてしばらく走ってから、乗せてどうするのだろう、と思いました。
私はその時、遠出から帰宅するところだったので、もともと家に向かって車を運転していたのですが。
その人は、乗った後も特に、目的地を教えてはくれなかったのです。
なので私は、変わらず自宅を目指し続けました。
ただ、後部座席に、人(だから人じゃない)が一人増えただけ。
「あの」
話しかけられました。
「どうしましょうか?」
……答えられません。
どういう意味でしょうか。
「どうしたらいいんでしょうか?」
ああ、なるほど。
この人は、幽霊に変えられるのは初めてだから、きっと勝手がわからないんだ。
「行きたい場所は特にありません。人生に未練もありません。うらめしい相手も、あなた以外には特にいません。憑りついたり憑り殺したり、そういうのはやり方がわかりません」
私に聞かれてもしょうがありません。私は加工された幽霊ではなく、生の人間なのですから。
「ひとまず、喉が渇きました」
幸い、さっき自販機で買ったミネラルウォーターが残っています。
飲みかけでよければと、キャップを開けてその人に渡しました。
その人は、潰れかけの口から水を飲んでいます。
飲んでいますが、ただ水がシートにこぼれているかのように、びちゃびちゃと音がするだけで、
幽霊がもう一人増えました。
ああ。
運転中なのに、後部座席を見ていた。
もう一人轢いてしまったようです。
今度は車を止めて、後部座席の空いている方に座っているそのもう一人を観察します。
今度の人は正面からぶつかったようです。
顔に当たる部分がすべて剥がれていました。
お腹はなくなっていました。胸から上の上半身は、腰の上に浮いています。こういうCMがあったな、と思いました。お腹を抜き出して、脂肪を確認する、薬かなにかのCM。
「あの……病院に向かってくれませんか?」
二人目の人がそう言います。
既に死んでいるのに?
「親が、末期がんで入院しているんです。まさか私の方が先に死ぬとは思わなかったですが……一度、会っておきたくて」
なるほど。
急いで帰宅しているわけでもなかったので、病院に向かうことにしました。
道中は、特に何もありませんでした。
会話も怪異もなく、ただ山道を走るだけでした。
そういえば、私はずっと運転していますが、どうもしっくりきません。
病院に着きました。
車を停めてもドアを開ける音がしないので振り返ると、
二人ともいなくなっていて、座席はぐっしょりと濡れており、ただ数束の髪の毛が残っているだけでした。
ああ、幽霊だ。
むしろ少し安心しました。
帰ろう。
正面に向き直る途中で、助手席が目に入りました。
病院の、病棟の窓から漏れる無機質な光が、その座席の液体に反射していました。
助手席はぐっしょりと濡れていて、数束の髪の毛が落ちていました。
彼の茶髪。
どうして忘れていたんだろう。
この車はもともと、彼が買ってきたものでした。
事故車だからと、安く買えたそうで。
疲れたからと、少しの間だけ私が運転を変わる約束だったのですが。
助手席に座っていた彼は、恐らく溶かされてしまったのでしょう。
後部座席に座っていた二人と同じように。
生だろうと加工済みだろうと関係なく消化するのでしょう。
ちょうど、貴方が座っているその席ですよ。
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