第12話:退職
次の日の朝、まだ昨日のお酒が残っていた。
頭が痛い。胸焼けもしている。
胃薬を飲んで、ダラダラとディスクに座り、パソコンのモニターを見て過ごす。会社には勤労意欲のある人はいないので、誰からも咎められることはない。43歳、4人家族の禿げ頭の課長もパソコンでゲームをしている。
清川真理に、昨日のお礼をメールにしたためて送る。
昼過ぎに返信が来た。
《前略、こちらこそ遅くまで引き止めてすみませんでした。おかげさまで、実りの多い会合となり、多くを勉強させて頂きました。心より感謝申し上げます。早速ですが、このアドレスは社内の誰でも目を通すことが出来るものですので、これからは、下記の個人アドレスにご連絡頂けたら幸いです。清川不動産、専務取締役 清川真理》
最後に新しいメールアドレスが記載されていた。
早速、登録方々、お詫びのメールを送る。
それから木戸龍一と清川真理は、時折メールのやり取りがあった。
大気も凍りつくような街には、雪化粧をした門松がいたる所で目についた。自分も洋装を新たに、化粧直しでもして出直すのかと、木戸龍一はふと思った。
暮れも押し迫った30日の仕事納めの日に、誰もいない社長室の机の上に辞表を置いた。
通常来月の1月末をもって退職となるのだが、今日限りで退職した。来年までこの問題を引きずりたくないという区切りの事もあるが、退職を決めた以上、来月末までダラダラと会社で過ごすよりも、キッパリと身を引き、次の人生を考えるべきであるという、美学を持っていた。
木戸龍一の転職先はまだ見つかっていない。
当面は簡単なアルバイトで食い繋いで行こう、不安だらけだが、この会社で終身雇用をしてもらえる見通しはゼロなので、しかたのない話だ。
今なら200円の退職金と雇用保険金が貰え、貯金も100万円程度はある。生活を極限まで切り詰めれば、1年以上は生活が出来る。
この与えられた約1年間で、再就職先を見つければよい。後は野となれ山となれ、だ。と結論を出していた。
「木戸君、ついに決心したんだね。君はまだ若いから転職も充分出来るよ……、私ね、面接、3つともダメだったんだ……」
心持ち嬉しそうに話す、43歳、4人家族の禿げ頭の課長が、一拍おいて気の毒そうな顔をした。
大きく溜息をつき両手で握手を求めてきた。大学を出てから13年間、ケンカをしながらも一緒にやってきたことのすべてが、いい思い出に変わった、ということにして握手をした。
他の社員からも悲しい目で見られた。いや、自分のことと照らし合わせ、自らを悲しんでいるのだ。あと1人、この中から希望退職者が出るからだ。
一人ひとりとの握手も力強く、そして長かった。
突然今日限りの退職だったので、お別れの花束はない。社長は仕事が終わる前に、慌てた様子で帰社した。特に来月まで引き止められることは無かった。用意していたような言葉と演技がかった表情で、労いと感謝の言葉を頂いただけであった。
その時に得意先リストを社長に手渡した。えっ、と眉を動かす。お礼状を出して頂けるのなら……、と言った。
社長は、おっ、そうだな、と頭を掻きながら受け取る。
毎年行われている、仕事納め後の忘年会はなかった。
自分のディスクを片付け、人知れずフェイドアウトするように、13年間お世話になった会社を、永遠に後にした。
木戸龍一は年末年始、実家には帰らないと決めた。
会社を辞めたことをひどく心配している両親に、一人前に食えるようになるまでは帰らない、と電話で見栄を切ってしまったのだ。
しかし勇気づけてくれる人がいた。
《本日付で会社を希望退職しました。清川専務には公私に渡り、大変お世話になりました。ありがとうございました。木戸龍一》
清川真理にメールを送ると、すぐに携帯電話が鳴った。
これから夢に向かって頑張るんでしょう、私、そういう人、すごく大好きなの、と興奮して語尾を強めて話し出し、私、いつまでも見守っているから、と応援してくれたのだ。
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