第72話:夜の浜辺、二人きり何もないはずもなく――
星空との境界線が見えぬほどの海原を前に、ソロは一人立って無言で集中していた。両の掌を合わせ、其処に設けた空間を、掌と掌を繋げる。
そういうイメージで、
「……」
雷の魔法を生む。
黄金が煌めき、掌の間で繋がりながら、過剰な魔法力の行き場を求めてあちこちへ飛び交おうとする動きを制圧する。
繋げて、留める。
シュッツから教えてもらった初歩の初歩、魔法の向上を目指した基礎トレーニングである。火から雷へ移り変わったが、この練習自体は怠っていない。
教えてもらった日から一日も欠かさずに。
あ、クリファとの一戦や徹夜が絡む戦闘、イベントはノーカウントで。
「……ふぅー」
スティラ曰く、人には生来魔法の属性に得意不得意があるらしい。火と雷は現象として近しく、さらに日常生活に根差していたためソロも使っていたが、こうして習熟してわかったが得意属性を深め始めると全然感覚が違うのだ。
火の時はじわじわレベルアップだったものが、雷にするとガンガンレベルアップしていく、みたいな感じ。もちろん、一朝一夕ではないのは変わりないが、ほんの少しでも進んでいる感覚があると気が楽になる。
しかもこの繋げる感覚を得てからの成長は、普段口も悪ければ性格も悪いスティラすらほんのり褒めるほどであった。
進んでいる実感がある。
自分にとって、これが最適である確信もある。
だが、だからこそ――
「あら、ふて寝するんじゃなかったの?」
突然声をかけられ、ソロはバツの悪そうな顔で振り向く。
其処には、
「夜中に一人抜け出して、不審者みたいよ」
夜闇でも燃えて見える紅い髪、蒼い眼のソアレ・アズゥがいた。
「……眠れなかったんだよ」
「はいはい」
先ほどは醜態をさらしてしまったこともあり、ソロの表情は曇りまくっている。それを隣に来たソアレは見つめ、ニヤリと微笑むためなお曇る。
「今もずっとやってるの?」
「まあ、たまに気が向いたらやる程度だよ。基礎は卒業したんでな」
「ふーん」
嘘ばっかり、とソアレは笑みを深めた。自分が欲に目がくらみ、オークを求めて奔走していた時も、自分が敵に敗れて倒れていた時も、きっとこの男はコツコツと積み上げていた。今の習熟を見ればわかる。
才能だけで、この速度の成長はない、と。
「雷にしたんだ?」
「したんじゃねえ。色々試した結果、一番しっくり来ただけだ」
「へえ、色々やったの」
「おうよ。そういう内容の修行だったんでな。口封じられて、魔法使わないと二進も三進もいかない環境に放り込まれ……辛かったなぁ」
「ご苦労様でございます」
「にゃろう、茶化しやがって……そんな辛い修行の日々を経て、俺は意気揚々と集合場所に向かい、そして……およよ」
「しつこいわねえ」
「はっはっは、俺は根に持つタイプだからな」
「ふーん」
けらけらと笑い、そんなこと言いながらも修行の手は止めない。最初に会った時はまともに使えなかった魔法を、もうここまで操れるようになった。
才能に驚きはある。
でも、其処に尊敬はない。
だけど努力は認めるしかない。
自分よりずっと後ろからスタートして、もうすぐ近くまで来ている。追いつかれたとは思わない。まだまだ自分の方が上だと思う。
聖剣は狡い。と、それはさておき――
「ごめんね」
「……はい⁉」
此処で初めて、ソロは驚きのあまり掌の間で留めていた雷を解放してしまった。
「ちょ、何してんのよ!?」
「あわわわわ」
あっちゃこっちゃへ暴れ散らかす雷、二人して間抜けなタップダンスを踊りながら、何とか状況が落ち着くまでしのぎ、
「驚き過ぎでしょ!」
「ソアレが謝るとは思わなくて」
「私だって謝るわよ。……たまに」
姉や父、母以外に謝ったことがあったか、ソアレは少し思い返した後、たぶんを付けておいた。少なくとも彼女の記憶にはなかったのだ。
「……もう擦れねえじゃん」
「擦るな。まあ、私も反省してるのよ。あ、でも一応言っとくと、ちゃんとシュッツから遠見の水晶の話も、塔が色んな場所に繋がっていることも聞いた上での決断だからね。それがなかったらたぶん、集合場所にいた、気がする」
「たぶんに、気がする、ね」
絶対いねーわ、とソロは心の中で思う。
良くも悪くも、大分悪いよりであるが猪突猛進なのがソアレである。ドドドドド、と思うがままに走って行く。
そんな彼女が立ち止まっていたとは思えない。
「うっさい。もちろん、謝罪だけで許してもらうつもりはないわ。このソアレ・アズゥ、その名に懸けて償うつもりよ」
「明日には忘れてそうだな」
「なんですってェ!」
瞬間湯沸かし器、すぐ髪と同じぐらい真っ赤になる。
(やっぱこいつおもしれーな)
こう、良くも悪くも感情が顔や態度に出まくる人間と言うものが、よくよく思うとソロの周りにはあまりいなかった。
「この私の、全力の償いに慄きなさい!」
(償いで慄くってどういうこっちゃ?)
燃え盛るソアレ。よくもまあこれだけ燃えて燃えて、燃え尽きぬものである。
いや、
(……ほっとくとすぐ燃え尽きるまではやる、か)
一度燃え尽きている。今度も危なかった。何処かの誰かが助けてくれなかったら、死んでいてもおかしくなかったとシュッツから聞いた。
間に合ったと思っていたが、間に合っていなかったのだ。
「ま、ほどほどにな」
「この私の辞書に、ほどほどの文字はないの」
「不良品じゃねえの、それ」
「ムキィィイイ!」
地団太を踏むほどの怒り。一度火が付くと止まらなくなる。
「さて、ソアレで遊ぶのもこの辺にしといて」
「むが⁉」
「俺、そろそろ続きをしようかな、と思うんですがどうっすかね、お嬢様」
続き、その言葉を聞き真っ赤な怒りはスッと消えて、
「ふーん、仕方ないわね。私も付き合ってあげる」
面倒なことを言い出すソアレお嬢様。
何故か喜ばれると思っているところが最高にズレている。
「いや、その、集中できないんでいいっす」
「んなーんですって⁉ と言うか私が隣にいる程度で集中切らしてどうすんのよ! それでもこの私、ソアレ・アズゥのパーティメンバーなの。自覚が足りないわ!」
「……」
その通りな部分もあり、どういうことだよ、な部分もある。
「……ハァ、お付き合いお願いしますゥ」
「ふふん、それでいいのよ、それで。仕方ないわねえ」
断ると面倒くさいので『ご厚意』を受けることにしたソロ。実際、スティラがここにいたらその程度で集中を切らすなたわけ、と怒っていたはず。
一理ある、が釈然とはしない。
「こういうの久しぶりねえ」
(……さすがにレベルたけーな)
掌中に盛る蒼き炎を見て、ソロは眼を剥く。自身が魔法を多少扱えるようになったからこそわかる、圧倒的な基礎の高さ。
生まれた時から英才教育を受けてきた者の厚み。
それが見て取れる。
「……すげーなぁ」
呆気に取られるソロの貌を見て、ソアレはソロから視線を外しほくそ笑んだ。姉はド級の天才、母は誰よりも厳しく、彼女はあまり褒められ慣れていないのだ。
特にこういった真っすぐな賛辞は。
「お、お姉様はもっとすごいわよ。この私をして、ただの基礎トレーニングも美しく見えたもの。レベチってやつね」
「へー」
姉で嬉しさを誤魔化した。
「そりゃあ俺も見たかったなぁ」
誤魔化して、誤魔化せたと思って隣を見る。
其処で、
「……あっ」
見たことのないソロの貌を――見た。羨ましさの中に滲む憧憬。憧憬と共に在る、もう一つの想いを。
「俺も負けてられんね」
「……お姉様に勝てるわけないでしょ」
「はは、そりゃそうだ」
何故だろうか、気持ちがざわざわする。いつもは敬愛する姉を想うと嬉々とするのに、今は何処か、何と言えばわからないのだけれど、嫌になる。
だけど今は、
「あらよっと」
「まあまあね」
「おっ、俺も成長したなぁ」
「褒めてないけど?」
「ソアレが俺相手にまあまあなら褒めてるだろ」
「……む⁉ どういうこと?」
隣に姉がいない。それにホッとする自分は、生まれて初めてかもしれない。それが何故かはわからない。わからない、わかりたく、ない。
そんな光景を遠目に、
「青臭いのぉ」
「そうでありますなぁ」
スティラとシュッツは彼らを見守っていた。話し言葉は聞こえないが、隣に立って魔法の修行に興じる様は、何かを思わせるものがある。
「スティラ殿、何故、某らと共に来てくださったのですか?」
「クレアのやつに置いていかれたと申したがの」
「ありえぬでしょう。あの御方ほど、魔法使いスティラ・アルティナに敬意を持っておられる方もおりますまい。その成り立ちゆえに」
「……たまに重いがのぉ。ただ、わしは見込みがあるから拾っただけ、教えただけなんじゃが……まあよい。そなたの言う通りじゃ。わし自らの意思で残った。理由は主に二つ、一つはあれがわしの弟子としてまだまだ、と言うことじゃな。戦闘への応用を求めておったからそういう試練を課したが、想定より遥かに戦闘センスそのものがずば抜けておった。あの習熟度での突破は想定外じゃった」
「弟子の育成のため、ですか」
「うむ。今のあれがわしの弟子と吹聴されてはこの超魔法使い、スティラ・アルティナの沽券にかかわる。ゆえにの」
「もう一つは?」
「……」
猫の姿のスティラは腕(前足)組みし、考え込んだ後、
「わしは人間のことなどどうでもよい。この蒼き大地が人のものでも、魔のものでも、天のものでも構わぬ。わしに害するのなら話は別じゃがの」
そう口を開き始めた。
「心得ております」
スティラは半天、人の血も混ざるが天使の血も混ざっている。本人の自認は人ではなく、同時に天使でもない。ゆえに彼女は自分を魔法使いと定義している。
それは彼女を知る者なら誰もが知っていること。
「じゃが、弟子の、わしが育てた魔法使いが絡むのなら話は別じゃ。特にわしが見込んだ、前途有望な魔法使いはのぉ」
「……」
「ルーナは見込みがあった。魔法の探究も楽しそうじゃったよ。久方ぶりに教え甲斐のある娘であった。……死んだがの」
「……申し訳ありませぬ」
「そなたに限らん。生まれた時から王族としての責を負い、優秀ゆえに期待に縛られておった。その重荷がの、あの娘を殺したのじゃ」
有望な弟子、手塩にかけて育てた魔法使い。
「……それは」
「心から、その者が望んだ結果であればわしは何も言えぬ。じゃが、自分の本音を押し殺し、誰かのまなざしによって殺されることは許せぬ。あの時、わしは自身の矜持を曲げてでも付き添うべきであった。否、何度でも言ってやるべきであった。無責任な期待を向けるだけの凡夫どもなど放っておけ。好きに生きろ、と」
それを失った。その道行を止めることが出来なかった。
いや、何処か彼女なら何とかして見せるだろう、そう思っていた自分もいる。なんやかんやと上手くやり、生き延びるのだろうと高をくくっていた。
その結果、ルーナ・アンドレイアは死んだ。
「今度は間違えぬ。育成しつつ、見定めるつもりじゃ。あの魔剣のこともあるしの」
「魔剣?」
「……何でもない。とにかく、わしはあの馬鹿弟子をルーナの二の舞にする気はない。くだらぬ道理で、くだらぬ者の言葉で、視線で、散らせはせぬ。まあ、あれの生き方ならば問題あるまいが……あれも引きずっておるからの、ルーナを」
「……そうでありますな」
「代わりとして生かされた。そう思っとる。そう思いたい。その歪な絆があれを死地に追いやる可能性がある。わしはそれを止める。例え人が滅ぼうとな」
魔法使い、そしてソロはもう自身の、魔法使いの弟子なのだ。
「超魔法使いは魔法使いの味方なのじゃ。にゃっにゃっにゃっ」
「心得ておきます」
「うむ」
偉そうに頷き、スティラは今一度夜の浜辺に並ぶ二人を見つめる。
「しっかし、まだまだじゃのぉ」
魔法を楽しそうに操る姿を見て、相好を崩すスティラ。人に対し情の欠片もないトラブルメーカーであるが、それは彼女にとってどうでもいい範囲であるから。
魔法使い、彼女の定義は定かではないが、その範疇に対してはこういう視線を向けることもある。向けぬこともある。
今は猫で、猫は気まぐれなのだ。
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