第66話:なぜか背中が重たいんじゃが?
「ぐ、うぅ」
ドボドボと闇が血のように噴き出し、その奥より剣と槍の半身が零れ出てきた。それでも止まらぬ闇の濁流を、腕を押さえながら蹲り耐える悲壮な姿。
おそらく人類最高峰であろう二人を相手に逃げられたのはこの者のおかげ。
ゆえに、
「……見せなさい」
「……?」
「動くな」
師団長、ドロリッチは自らの体、その一部で腕を包む。塞ぎながら奥へ奥へと染み込ませて、中の闇の奥にある傷へアプローチするのだ。
「魔狼の胃袋も傷つくことがあるのね」
「……本物、ではない、から」
「そりゃそうでしょ。絶滅したんだから」
「でも、母様が」
「黙りなさい」
ドロリッチの言葉は困惑する者と、その背後にこそこそと蠢く影に向けられていた。自分たちの命を救った実力者へは多少の敬意もあるが、その威を借るだけの影などに向ける敬意などない。
「あの難物が珍しいことを」
「……俺の方が重傷なんだが」
「まあ、ドラゴンの再生力に期待だな」
「……ちっ」
ボーオグルは満身創痍のサイカの隣で座り込んでいた。彼らも相当の手傷を負い、予想外の乱入者たちに敗れた者同士である。
特にサイカは超魔法使いと名乗る輩にいたぶられ、普段誇り高さから弱みを見せぬ者が横たわったまま微動だにせぬ様相を呈していた。
そんな彼らを尻目に、ドロリッチは戦闘のために吸い上げた砂や泥、それと同時にたった今吸い上げているどす黒い血の混じった闇を吐き出す。
あまり美しくない光景であるが、
「……あっ」
魔界の掃除屋とも謳われる圧倒的洗浄力は効果抜群であった。痛みが急速に収まり、何重にも巻いた布の隙間から赤い眼が驚きを浮かべる。
「オェェエエエ……ふう、すっきりした。あなた汚いわね。少し包むわよ」
「え? あっ」
さらにドロリッチは彼女の全身を包み、どうせなら他にも必ず刻まれているであろう傷を洗浄し、癒すことにした。
一か所綺麗にするも、他もやるのもさして手間は変わらないから。
それに――
「ミームス」
自分の体の中ならこの距離でも音をシャットアウトすることができるから。影の武器を自分がわざわざ奪う気も、捨てさせる気もない。
一応は同じ魔王軍、最低限の節度は守る。
ただし、
「何故私の要請を無視したの?」
咎めるべきことは咎める。
「援護よりも撤退を優先すべきと判断したまでです。あの判断のおかげで、オークこそ失いましたが被害を最小限に抑えられたと――」
「私もそんなことわかってんのよ。撤退とトレードオフって話ぐらいは。その上で要請していたの。わかる? あの男にはそれだけの価値があった。化け物じみた魔法使い、剣士、実際に化け物になった半天、あの完成された連中よりも、あの男の方が怖い。たかが師団長四体、割のいい取引が出来たはずなの」
「……そ、それは」
「あなたが命を賭せていたらね。少なくとも私は死ぬ気で要請したつもりよ」
この場全員が死んでもお釣りがくる、それがドロリッチの見立てであった。掃除屋と下に見られるスライム族出身でありながら、創意工夫と研鑽の果て取り立てられた自負、それが贔屓目なしにあの男の将来的な危険度を見出していた。
「それほどには思えなかったがな」
「単純な腕力自慢じゃそうでしょうね」
「……棘しかない。スライム族だと言うのに」
正直、ボーオグルはドロリッチの言う危険度に関してはよくわからなかった。魔法使い二人、そしてあの剣士がヤバいのは十二分に伝わったが、もう一人に関してはサイカの一撃を相殺した時がピークで、それ以降は小細工で戦っていた印象しかない。まあ彼には周りをしっかり見る余裕などなかったのだが。
「安心しろ。あの雄は俺が責任もって片付ける」
「そのザマでよくそんな強気なことが言えるわね。感心するわ」
「ふっ」
((こいつ、褒められていると思っている!?))
ポジティブドラゴンサイカのあまりのポジティブっぷりに驚愕するドロリッチとボーオグル。やはりドラゴンは魔物の中で少しずれているのかもしれない。
「雄の名を聞いたか?」
「ええ」
「聞かせろ。俺の獲物の名を」
闘争心漲る眼であるが、先ほどから残念ながら寝返り一つ打てていない。
まあ、隠すほどではないため、
「タダノソロ」
ドロリッチは聞いたままの名を答える。
「……人の雄は変わった名を付けるのだな。だが、奇異であるがなかなか趣深い響きではある。気に入ったぞ」
「我が対戦相手もキシムスチャン、という名であったからな。魔界とは名づけの理自体が異なるのかもしれん」
色々と勘違いが錯綜する中、
「……すぅ」
ドロリッチの中が気持ちよく、多くの膿んだ傷が癒されたこともあり眠りにつく者への興味は、
「あの化け物みたいな半天は何て名前だったの?」
「デブだ」
「え?」
「あれはデブで充分だ。いずれ必ず、八つ裂きにしてくれる」
「……あ、そう」
あまりなかった。
○
「シュッツ殿!」
「む?」
住民と瓦礫の撤去に勤しんでいたシュッツの下へ、議場の警備を任されていた若き戦士の一人が息を切らせてやってきた。
その背には、
「そ、ソアレ様!」
自分が仕えるべき主の一人、ソアレ・アズゥがいた。
「申し訳ない。我々を守り重傷を」
「むう」
全身を雷撃に焼かれ、今すぐにでも治療が必要な状況である。だが、今は見ての通り都市全体が破壊されており、都市機能も当然停止している。
何処へ連れて行けば医者がいるのかもわからない。
むしろ、この場合は加護を求めて教会へ行くべきか。それも正直、慰め程度であろう。それほどの重傷である。
「……そんな、ソアレさん」
騒ぎを聞きつけ近づいてきた色黒ボンボンも絶句する状態。自らを省みずに他者を守ろうとするのは姉譲り、姉妹揃って難儀な気質である。
「医者は?」
「道すがら心当たりは当たったのですが……」
「……そうであったか」
都市をぶっ飛ばしたのはスティラであるが、人的被害に関しては彼女らが到来する前に、魔物の襲来を聞きつけ自主避難した者たちが大半である。
都市からの脱出を図ろうとして、自ら魔物の群れに接近してしまい死期を早める。今回、都市に留まった者、避難が遅れた者の大半は生きたが、我先にと逃げようとした者たちは命を落としてしまった。
皮肉な構図があった。
おそらく彼の心当たりも――
「誰か! 治療できるものはおらぬか!?」
シュッツの叫びも空しく、最前線とも言える場所には医者などいなかった。顔見知りの自警団や冒険者たちは心配そうにしているが、手を挙げる者はいない。
どうすべきか、そう思っていたところ、
「レオナ、治療して差し上げなさいな」
金髪ドリルの令嬢とそのパーティが近づいてきた。
「いいのぉ? せっかく宝箱から手に入れたのに」
「……」
「ふふ、了解」
そして、その中の一人であるドエロい恰好をした魔女が、わざわざ胸の谷間から小瓶を取り出す。小瓶には小さく女神のロゴが描かれている。
つまりこれは――
「ガ・タオ・ハイレン」
宝箱から引き当てた女神印のポーションである。それとドスケベな恰好をした、レオナと呼ばれた魔女は世にも珍しき癒しの魔法を使う。
女神教、癒しは加護の専売特許と言われているが、極稀に卓越した魔法使いであれば魔法に癒しの力を持たせることができるのだ。
女神のポーション(銀箱産)と癒しの水魔法の重ね技。
「はい、元通り」
それは見る見るとソアレの全身火傷を癒し、その美しき体から傷跡すら消していく。どう考えても後遺症は残るであろう負傷であったにもかかわらず――
「感謝いたす」
「必要ありませんわ。わたくしたちの分も無理をさせてしまった。全てはわたくしの弱さが招いたことですもの。ゆえに、これを貸し借りとする気もありませんわ」
双頭の金髪ドリルをはためかせ、
「行きますわよ」
「はぁい」
「お嬢、あのポーションは売って路銀にするって――」
「おだまり!」
「す、すいません!」
恩に着せることなく颯爽と去っていく。これが高貴な者の在り方と言わんばかりに。シュッツはその背に、深く頭を下げ続けていた。
「むにゃ」
そんなシュッツの思いも知らず、痛みの消えたソアレは気楽な寝顔を浮かべていた。まあ、苦悶に顔を歪めるよりかは、ね。いいことだから――
○
「よぉ、元気か」
「おう」
こう見えて結構ギリギリだったが、そんな状況であってもソロはもう一度港の方に戻り、ヴァイスを回収しに来ていた。
声をかけないとずっと地面に寝転がっているだろうし、周りの迷惑になる前に回収する。それが腐れ縁の役回りと言うものであろう。
「くんくん、ヤニの匂いがする」
「気のせいだ」
「くれ」
「俺のも隠し持っていたラスいちだったんだよ」
「……」
「そんな目をしてもない物はないぞ」
「……ちっ」
媚びるような視線も、芝居も十秒も持たなかった。
「じゃ、とりあえずとっつぁんのとこ行くか」
ソロがさっさと合流しようぜ、とヴァイスに伝えるも――
「……」
不動。
「動けよ。で、何だその眼は?」
「……」
「お、俺の方が身長も体重も下なんだぞ」
「……」
「おい、蹴るな。わかった、わかったって。ったく、俺も疲れてるってのに」
交渉の結果、ソロがヴァイスをおんぶすることになった。なかなかシュールな光景である。だって、背負われている方が大きいのだから。しかもわざわざなけなしの魔法力を使い、雷の『道』を自分とヴァイスの十字架に繋げ、引きずっている様は棺桶を引きずりながら歩む、何処かのゲーム画面のようにも見えた。
(……重い)
『それ言ったら殴られそうだな』
(だろーね)
おんぶしている方は苦悶の表情であるが、おんぶされている方はご満悦の様子。足をぶらぶら、絶対歩けるだろ、とツッコミたくなる元気の良さであった。
「ソロ」
「おん?」
「あいつの墓、作ったのか?」
あいつ、さすがに誰のことを指しているのかぐらいはわかる。
「まあな。しょぼいけどさ」
「別にいいだろ。オレらみたいなのに墓があるだけ上等だ」
「そらそうだ」
「旅終わったら墓参りでもするか」
「珍しい提案だこと。その心は?」
「シスターとして全力で昇天させてやる。どうせあいつ、しがみついてるだろ」
「縁起でもないこと言うな馬鹿たれ」
苦笑しながらソロは歩む。自分より大きな女の子を背負って。
「ま、墓参りはしようぜ」
「魔王っての、あの化け物に倒してもらおうぜ。それで終わりだろ」
「師匠か? あー、無理だろ。人助けとか柄じゃねえもん。当てにすべきじゃないし、するだけ無駄だ。魔法のことしか興味ねーんだよ、あの人」
「……面倒くせーな」
「誰かが魔王を倒すまではゆるゆる旅しなきゃだな」
「テメエが?」
「それこそ柄じゃねー」
二人は勇者ソロの想像を笑い飛ばす。ありえねー、と。
「そういやソアレお嬢様は元気か?」
「……さあ」
「さあって……あいつも無茶するからなぁ。向き合い過ぎるんだよな。逃げ癖塗れの俺の爪の垢をよ、煎じて飲ませてやるべきだと思わね?」
「……」
「おいおい、ここは汚いから死ねって返すとこだろ」
何故か急に、背中の重さが増した気がする。
「お嬢のこと、よく理解してんだな」
「そりゃ、あいつほどわかりやすいのはいねーだろ」
「……」
「おい、腹を殴るな。お前さんのはシャレにならねえ! なんで殴るの? どすどす重い音してるよ? 泣くよ、俺。それより吐くよ?」
何故かはよくわからない。
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