第58話:彼方より

 雷光の裁きを一身に受け、ソアレ・アズゥが倒れる。

 それを見て、

「絶対に死なせるなよ!」

「おう!」

 守られた戦士たちがすでに格付けをとうの昔に終えた、全員がかりでも絶対に勝てない相手であるサイカへ今一度立ち向かう。

「俺の獲物を奪う気か? 人間の雄ども」

 殺気を込めたひと睨み。蛇に睨まれた蛙ならぬ、竜に睨まれた人。先ほどはただそれだけで圧倒し、彼らの戦意は砕けたはず。

 しかし、

「もちろん!」

「……ほう」

 今度は微塵も揺らがない。ただ一人すら。その変わりようにサイカは少し興味を抱く。たかが人間、その思いは少し前、倒れ伏す勇者が燃やして曲げたから。

 自分に突っ込んできた二人を拳で叩き伏せ、

「相応の覚悟はあるか?」

 サイカは問う。

「それも、もちろん、だ!」

 人間の雄の中では少しは手応えがあった者、かつては戦士として戦場に赴き、シュッツらと刃を交えた議員がサイカの拳に剣をぶつける。

「ガ・タオ・スパーダ!」

「……」

 男の魔法発動と同時に、後列からも魔法が放たれた。圧倒し、心をへし折った時には見られなかった連携である。

 決して一人ひとり強くはない。

 取るに足らぬ存在であることに変わりはない。

 だが、サイカはあえて彼らの誘いに乗る。目くらましの魔法連打、見え見えの狙いを理解しながら、一人の戦士がソアレを奪還するのを見逃した。

 ただ一人が一人を救い出し、

「感謝するよ」

「何の話だ?」

 残り全員が死兵と化す。

「今から全員、俺に殺されるのだぞ?」

 その暗黙の覚悟があったから見逃した。されど、その覚悟が揺らぎ、翻し、逃げる者が出てくることも考えていた。

 だが、

「あの子に英雄の、ジブラルタルと同じ才覚を見た。ならば、安いものだとも。俺たちでは代わりにもなるまいが……全力で戦わせてもらう!」

「……そうか。ふっ、人間の雄も存外捨てたものではなかったな」

 やはり誰一人、退くそぶりは見せなかった。力を、誇りを重んじる魔物とて生存本能に抗えず醜態をさらす者がいる中で、なかなかに骨がある。

 本来、ドラゴンは自らが獲物、宝と認めたものを奪われると怒り狂うものである。事実、睨みつけた時は本当に怒りが沸き立っていた。

 今もドラゴンの本能が怒りを掻き立てている。

 が、今回は律しよう。

 目の前の人間どもがそうしているのだから。

「そちらも漢だな。魔物にしておくには惜しい」

「ふん、下等生物どもが」

 霊長たる自分が醜態をさらすわけにはいかない。

 サイカは笑みを浮かべながら、

「何を勘違いしているか知らんが……俺は雌だ。そんなことも見てわからんか」

 相手を打ち倒すための構えを取った。

 その威風堂々とした姿を見て、

「……それは大変な勘違いを。失礼した、お嬢さん」

 女と判断する者はあまりいない、と思う。

「雌より優れた雄などいない。ひとつ賢くなったな。霊長たるドラゴンの、雌とはつまり生物の頂点と言える」

 ただ本人は自分を誰よりも女(雌)らしいと思っている模様。

「存分に力を振るえ。そして誇りと共に、死ね」

「行くぞ!」

「おう!」

 ソアレに守られた彼らは、彼女の立ち居振る舞いに彼らの英雄、その片鱗を見た。それゆえに命を賭し、今度は自分たちが守る。

 いつか彼女はきっと人の英雄になる。

 ならば、自分たちの命など安いものだ、と。


     ○


「もう一体、自分たちの中で最も強い魔物が潜んでいる」

 ボーオグルのその一言がシュッツの動きを止めた。剛の魔物による力の差を感じながら、それでも己と渡り合う武人への敬意による暴露。北の戦場にてルーナと共に活躍した数少ない英雄の一角、それも含めた剛の者を集め処理するための仕掛けなのだ、と彼が暴露した。必死に抗う者たち、彼らの覚悟すら利用するやり口。

 そもそも彼ら三体、全員が今回の姑息なやり口を好いていなかった。正面から力で捻じ伏せてこその魔物、種族のスペック差があると言うのに何故こちらが策を仕掛けて、相手を罠にハメる必要があるのか。

 理解が出来なかった。

 確かに人間にも強い者がいる。それは今回の襲撃でも多少なりとも感じたことであったが、それでも自分たちが優れているという自負に変わりはない。

 人間の中で突出した者たちで、ようやく自分たちと戦える。

 そんな差がありながら――

「……理解してなお、それでも戦う手を止めぬ、か」

 少しずつこちらへ近づく人間に生まれし化け物。停止したのは僅かな間、其処で考え、理解した上で、それでも堂々と戦い抜く。

 魔物の価値観、今の自分たちよりもよほど魔の、強き者であろう。

「……」

 シュッツもまた知己の武人、男の意思を汲む。わかっていたことであった。ルーナが自らの身を顧みず戦うように、彼もまた臆すことなく剣を振るう。

 それが英傑と言うもの。

「善意、感謝する」

「うむ」

「されど、某らは馬鹿であったらしい」

 自分は英傑にあらず。どうしても最後の一線、全体の利益を考えてしまう。撤退して損耗を減らすのもまた指揮官の務めであったから。

 騎士団長としての、皆を率いる者としての賢しさが今も自分にはある。

 しかし、時に『正しさ』が枷となることもあるだろう。かつてルーナを、騎士の皆を切り捨てて逃げた。希望を守った。

 あの時はまだ騎士団の一員で、ルーナの部下としての立場があったから。

 でも、今は違うだろう、と。

「馬鹿であらねば、ならぬのだろう!」

「……そうか。ならば、此処からは全身全霊で御相手しよう。貴公らへの敬意、その全てをこの拳に込めさせてもらう」

 ただ一人の、シュッツ・アイゼンバーンとして何を選ぶか。根無し草となった自分は何がしたいのか。

 その想いと共に――


「鋼鉄よ、万難を排せ! メガ・シュタール・リーゼッ!」


 自身の限界、最高魔法であるそれを重ねがけした。限界を超えた負荷が、全身に襲い掛かる。黒金の巨人、その中に仁王立つシュッツの眼から、鼻から血がこぼれ出る。しかし、格上相手に無理せず戦おうと言うのが烏滸がましい話。

 限界の一つや二つ、超えて初めて立つ瀬があると言うもの。

 歪に、サイズを増す鋼鉄。

 それを見て、

「良き気迫、我もまた全力で応えようぞッ!」

 『牛鬼』、ボーオグルは都市全体に響き渡るような咆哮と共に拳を振り上げる。

 歪なる黒金の巨人もまた全力で握り締めた拳を振り上げ、

「「ウォラァ!」」

 これまた都市全体に轟く、拳の衝突を奏でた。

 鋼鉄が歪み、ひび割れ、砕ける。

 されど、

「死力を尽くせ! 立てよ、俺ッ!」

 都度修復し、幾度でも足掻く。


     ○


「流れて潰せ! タオ・ガデューカ!」

 水の蛇が寸でのところで魔物を阻み、押し流していく。

「あ、ありがとうございます」

「……感謝などしなくていい。される、価値も僕にはない」

 唇を噛み締めながら、ヴァイスに全てを押し付けて外壁近くの援護に回ろうとする自警団の面々。その顔は一様に暗く、無力感に苛まれていた。

 民から感謝を向けられる価値もない。

 力が足りない。思慮も足りない。危機感も足りなかった。

 だから今、自分たちが守るべき首都は陥落しかけているのだ。

「くそ、スケルトンの群れが来たぞ!」

「頭をしっかり潰せ! そうしないと再生し続けるぞ!」

 レッド・オーガによって崩れた壁から続々と魔物が乗り込んでくる。少しでも防がねば収拾がつかないから、冒険者たちすら必死にケアしている。

 が、もはや完全な決壊は時間の問題。

「若!」

「……なんだよ、あれは」

 不死性を持つ骨の魔物であるスケルトンの群れ、その奥より外壁をゆうに超えるような巨大な、彼らの王にも見える巨大なスケルトンが近づいてきていた。

 あれが外壁にとりつき、さらに壁を打ち崩せば全てが終わる。

「絶対に、近づけさせない! 行くぞ、みんな!」

「お、おう!」

 英雄ジブラルタルの血が自分にも流れているはずなのに、こんな体たらく。情けない、あまりにも、情けない。

 せめて必死にやらねば、示しがつかず、顔向けも出来ない。

 きっと今、彼女たちは必死に戦っているはずだから――


     ○


「……」

「……さて、どうしたものかしらね」

 自分の流儀ではない戦い方で完膚なきまでに叩きのめし、言葉すら発することが出来なくなったところで水の檻に捕らえた。

 ドロリッチ対ヴァイスの勝負は、ドロリッチに軍配が上がっていた。

 普段ならこのまま吸収してしまう。薄味であってもスライム族の本能が、掃除屋の、スカベンジャーとしての性質が、その選択を彼女に取らせる。

 が、

「たぶん、『天水』様の好みなのよね、この子。魔物より魔物らしいし」

 殺さずに連れて帰りたい欲がむくむくと湧き上がっていた。狂暴な、闘争の獣は自分たちの軍、そしてその王たる『天水』の好みに合致する。

 種族は関係ない。闘争には不向きなスライム族である自分すら取り立ててくれた女傑である。ならば、きっと気に入る。

 何よりも自分が気に入った。

「ま、別にいいでしょ。人間一匹持ち帰っても……そもそも襲撃するまでが契約で、その先は私には関係ないし」

 お持ち帰り、それがいい、そうしよう。

 そう決めたら元々海の底よりも暗く塗り潰された気分であったドロリッチの機嫌も大きく向上した。

 こういう向こう見ずな馬鹿者こそ、我が軍に相応しい。

 自分たちが鍛えて立派な魔物にしてあげよう、そうしよう。

「……」

 そう考えていた。

 そんなことばかり考えていたから、ドロリッチは見逃してしまう。水の檻の中、ボロボロの敗北者である彼女が、少し微笑んだところを。


     ○


「……」

 上機嫌で腕を組むサイカは議場のテラスより、都市での攻防を眺めていた。思っていたよりも骨があるのは、どうやら今ほど戦っていた者たちばかりではない。その奮闘に、窮地に見せる人の牙に、彼女は心地よさを覚えていた。

 人の中にも魔が潜む。

 総崩れとなり、一部を除き歯応えもなかった北の戦場で見せた醜態も人。この地で最後の、ギリギリの粘りを見せる姿もまた人。

 彼女は少しだけ理解する。

 人間を。

 其処に――

「かの者が来たら、よろしくお願いしますよ。サイカ殿」

「……ちっ」

 影が現れ、せっかくの高揚が台無しと成る。

「言われずとも承知している」

「ですが、人ひとりを逃がされておりましたのでね。ボーオグル殿も、ドロリッチ殿も、何やら妙な行動を取っておられますし」

「……貴様は何も感じぬのか?」

 サイカは背後の影を、その先で物言わぬ躯となった戦士たちを見つめる。誰一人、最後の一人となってなお牙を、剣をこちらへ向け続けた。あの奮闘を『見て』いただろうに、それで何も感じぬのであれば――

「はい?」

「だから、小娘の力を借りねば何も出来んのだ。惰弱な影め」

 魔物の風上にも置けぬ存在だ、と彼女は目する。

 その嘲るような眼が、

「……」

 影の眼にも敵意を、殺意を浮かべさせた。

「おい、誰に牙を剥くつもりだ?」

 その殺意に反応し、サイカは影を睨みつける。

「……わ、私の方が、今は強い」

「外付けの力を借りてな。が、今俺の目の前にいる貴様には、あれが備わっているように見えぬがな」

「ぐ、ぬ」

「さっさと消えろ。俺は今、貴様と言葉を交わす気分では――」

 影を追いやるような言葉を吐く途中、サイカは言葉を詰まらせた。その眼は影ではなく、遠くを見つめている。

 遠く、彼方の――

「……馬鹿な」

 空を。

「……?」

 影はサイカの様子をいぶかしむ。少なくとも今、影の探知範囲には何もない。全て計算通り、想定通りに事が運んでいる。

 北の戦場で暴れた数少ない人間の英傑、その一人も連れた。

 何の計算違いもないはず。

「全員聞け!」

 バチ、雷が、繋げる力が――

「む?」

 今にも鋼鉄を圧し潰しかけているボーオグルに、

「げ、バレた」

 こっそりとお持ち帰りしようとしているドロリッチに、

「……来る」

 そして影が支配するこの場最大戦力にサイカの意思を飛ばす。

「二つだ! 俺たちに匹敵する力が、二つ近づいてくる!」

 空の彼方を見据えるサイカ、その眼は鋭く、先ほどまで浮かべていた余裕の表情も失せている。ドラゴンの才媛、その貌は影もあまり見たことがない。

「何も感じんぞ?」

「私も。ってか、サイカの探知能力にだけ引っかかる距離なら、そもそも今警戒すべき相手じゃないでしょ。何日待つつもり?」

 ボーオグル、ドロリッチは何をそんなに慌てているのか、と疑問符を浮かべる。自分たちの中で最大距離の探知能力を持つサイカにしか引っかからぬのなら、それはもう戦場とは遠くかけ離れた、何の関係もない相手である。

 そんな者のためにわざわざ警戒を発する意味は――

「俺の最大速度よりも、速い」

「「「ッ⁉」」」

 ボーオグル、ドロリッチ、そして影もまた驚愕した。魔物の中でも圧倒的性能を、平均的にどの種よりも強いドラゴンの中でもサイカの最高速はトップクラスである。それを上回る者となれば、魔物の中にもほとんどいない。

 そんな化け物が、人間の支配する土地であるアスールにいるはずがないのだ。

「いや、待て」

 サイカはさらに目を見開く。

「もう一つ、急に膨れ上がった。……三つだ!」

 彼方より来る何か。

 それが完璧なる計算を、想定を狂わせる。


     ○


 全身にやけどを負い、満身創痍のソアレは小さく、

「……遅い、わよ」

 微笑む。


     ○


 大空の彼方、

「ったく、俺を置いてくからこんな目に合うんだ。反省しろ反省!」

 雄々しく空を駆ける機械仕掛けのドラゴンの背に一人の男がいた。空を駆けるドラゴンは雲を切り裂きながら、凄まじい速さで飛翔し続ける。翼の羽ばたき、はもはや飾り。背中に搭載された四つのバーニアが火を噴き、殺人的な加速を巨躯にもたらす。世界最速、少なくともアスールならば誰一人並ぶ者などいない速さである。

 そんな中、男が腰の剣を抜き放つ。

「さて、俺たちのありがたみってやつを教えてやろうぜ、相棒」

 掲げるは聖剣っぽいの。

『合点でい!』

 握るは勇者、っぽくない男である。

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