第57話:どこもかしこも絶体絶命
「ラァ!」
調子は悪くない。むしろ、自分史上最高に動けているような気もする。よく動ける。よく見える。それで――
「ふふ」
「……っ」
相手を捉えることも出来ないのなら、それは己の地力が圧倒的に足りないと言うこと。『魔樹』のクリファによる聖都侵略、その際彼女は強者と戦う機会がなかった。強者を知る機会すらなかった。
しかもかの地を攻めたのは生粋の魔物ではなく、元天使であった。
ゆえに、これが初見であるのだ。
「残念。当たらないわね」
「……ちィ」
生粋の、闘争の獣たる魔物の強者との戦いは。
『千変万化』その呼び名に恥じぬ無形の戦い。ヴァイスの攻撃があれきり、一度として当たらない。無効にされるのではない。
ただただ、触れさせてすらもらえないのだ。
時に体を歪ませ、時に曲げ、時に穴を空け、時に上半身部分を下半身部分に収納し、ヒットボックスを絞る。
当てさせない。本来無効である攻撃を有効にした。そんなヴァイスの不条理な成長を、ドロリッチは当てさせないことで完封する。
これが彼女の、本来の戦い方。魔法を帯びぬ攻撃をスライム族にしてくる輩など魔界にはいない。ゆえに、彼女らも普通は回避する。むしろ、その無形による回避能力こそがスライム族の、その中でも優れた資質を持つドロリッチの強み。
それは今、存分に見せつけた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「あらら、お疲れ様。まだやる?」
「はぁ……あたりめ―だろ。殺すぞ」
「あらそ」
それでも心は折れない。その気の強さは彼女好み、ひいては自らの主である『天水』や他の魔物たちもそそられるだろう。
それでこそ、戦うに値する。
退屈かつ気が向かぬ諍いに巻き込まれ、海の底まで落ちていたモチベーションがみるみると回復していく。
「じゃ、さらに絶望させちゃおうかな」
「あ?」
自分らしくなく、あまり好みの戦い方ではないが、今回は自分をその気にさせた相手に敬意を表し、あちら側で戦ってやる。
そのために、
「メガ・タオ・プレシオン」
ドロリッチは魔法を唱えた。
その瞬間、彼女の体が一瞬縮まったように見えた。ただ、水と言うものは一般的に圧縮することが出来ないものであり、圧縮できぬ液体であるから水であるのだ。
その大前提が今、魔法の力で崩れた。
水は縮む。
するとどうなるか――
「お待たせ」
ただの氷の結晶構造とは異なる結晶体、それが今のドロリッチの状態であった。海の底、紺碧が如し色合いに、肉弾戦を行うための無駄のないフォルム。
これが彼女の持つ、『千変万化』とは別ベクトルの最強魔法。
「先手どうぞ。安心しなさい。避けないから」
無形を捨てた、何人をも寄せ付けぬ有形である。
「オオッ!」
十字架を全力で叩きつけるヴァイス。相手を殺す気で、粉砕するつもりで打った。だと言うのに、その身は微塵も揺らぐことがない。
氷のように固くも、冷たくもないのに、それなのに何も響かない。届かない。不思議な感触を前に、ヴァイスは理解した。
「おい、ボンボンども」
ヴァイスはちらりと背後でどう立ち回れば、どう援護すべきか、と迷う自警団の面々を見て、
「逃げろ。オレは勝てねえ」
「なっ」
自らの敗北を告げる。
「でも」
「いいから失せろ! 他にやること、あるだろーが」
「は、はい!」
ヴァイスの剣幕に押され、彼らは立ち去った。それはただ、剣幕に怯えたわけではない。そうさせた自分たちの弱さと、
「じゃ、続きやろうぜ」
「ふふ。ほんといいわね。そそるじゃない」
負けても自分がやる、その強い覚悟を汲んだから。
戦うことに迷いはない。相手が殴り合ってくれるのなら自分もそうするまで。今、勝てないのなら、次の瞬間勝てるよう成長するだけ。
生きるために戦ってきた。
「「ウラァ!」」
今この時も、そうするのみ。
○
「あっ」
決壊の時、それは唐突に、突然訪れた。
何とか自警団や半分山師の冒険者たちが支えていた外壁が突破されたのだ。元々、首都であるがナーウィスは防衛を、戦闘を考慮して構築されていない。交易に特化し、物流を滞りなく、最適に回せるよう突き詰めていた。
長く持つ壁ではない。
それでも、そんな壁でも失われると――
「もうダメだ。おしまいだぁ」
「魔物が都市に入ってくるぞ! 何とか水際で防げ!」
「ちくしょー! もう何とでもなれ!」
人は恐慌状態に陥ってしまう。戦う心得と覚悟を持つ自警団、それとなんやかんやで自分の命を賭し、一発当てに来た冒険者たちは、むしろ後のない状況に肝が据わり始めていたが、哀しいかな都市内にいた民の心が折れてしまった。
弱り目に祟り目、そんなところに魔物が押し寄せてくる。
何とか、何とか死に物狂いで押しとどめようとするも、結局戦いは数だと言わんばかりに魔物がその防衛網を抜け、
「助けて」
「キシャア!」
戦えぬ者に、魔物の牙が突き立った。
○
(……いかん)
自警団も冒険者たちも最善を尽くしている。だが、あまりにも手が足りない。あまりにも力が足りない。
それは自分も同じ、とシュッツは顔を歪める。
「どうしたァ!」
「ぐ、ぬ」
気迫の粘り、そう聞くとよく聞こえるが、要はずっと勝ち目がないだけである。相手の方が強い。ボーオグルの方が力、速さ、サイズ、全て上である。
殴り合いの技量ですら互角。
情けない話である。
外壁が突破され、都市内に彼ら以外の魔物を侵入させてしまった。戦うために作られておらず、戦う力も足りていない状況。
此処からはもう、地獄絵図しかない。
「まだ諦めぬのか? それとも希望の到来に期待しているのか?」
「だとしたら、なんだ!?」
巨体同士、拳がぶつかる。鉄は歪み、牛鬼は笑顔で揺らがず。
気合では、気迫では埋まらぬものがある。
「見事な粘りであった。最初の一撃を交わした時点で、貴様は我に及ばぬと気づいていただろうに。それでも諦めず、此処まで打ち合った」
ボーオグルの理知的な言葉。
戦いの最中、狂ったように殴りかかってくる一方で、其処から一歩離れると師団長でも屈指の冷静さと深慮を持つ。
まあ、他が脳味噌筋肉なだけなのだが――
「それゆえに伝えよう。絶望的な事実を……せめてもの手向けだ」
「……っ」
彼の語る絶望的真実。それがシュッツの動きを、拳を止めた。
○
その光景を、
「おい!」
誰よりも素早く、誰よりも多く敵を討ち、人々を救いながら驀進するシュラは首都のど真ん中で立ち尽くす知己の姿を見てツッコミを入れる。
お前が鼓舞せずしてどうする、と。
その巨体が諦めてしまえば、もう戦場はどうにも立ち行かなくなる。あと少しで自分が到着する。あともう一粘り、お前なら出来るだろう。
どうした『鉄騎士』、と。
だが、そんなことはシュッツも当然理解している。シュッツがそのことに思い至らぬと考えるほど、シュラはシュッツと言う男を安く見ていなかった。
自分より弱くとも、その心根に関しては自分に伍するものがある。
ゆえに――
「……俺に来るな、と伝えるためか?」
シュラはあの停止に、そういう意味を見出した。
来るな、罠である、と。
「なるほど。理解した。が――」
次の瞬間には再び動き出す。シュラ・ソーズメンの辞書に後退はない。今、窮地に陥る民を見捨てる、保身など生まれる前に破り捨てた。
それでも刻む。
あの男が諦める、それぐらいの何かがあるのだと。
○
「母様」
「何故立ち尽くしているのかしらねえ。あの木偶の坊は」
影は立ち尽くす相手に、手を出すことなく停止しているボーオグルに対し、大きな苛立ちを覚えていた。何処までもこちらを舐めた連中である。
都市で戦い、敵を誘い出すことすら満足にできない。
しかもそのせいか、一瞬こちらへ近づく敵の気配が停止していた。何かを感じ取ったのか、それともただの偶然か。
とにかくせっかく、多くを血祭りにあげられる祭りである。
この前の人間の死もまた餌。彼ら三師団長の存在も餌。大物を釣り上げ、自らが武功を打ち立てるための――
「来る」
「ええ、勝ちましょう。あなたなら出来るわ」
「……たぶん、無理」
珍しく弱気を浮かべる『我が子』に、
「自信を持ちなさい」
影は優しく声をかける。
だが、
「……」
やはり声掛けも届かない。影は妙に思う。もう、近づきつつある最強の敵は捕捉している。あれと戦うことは少し前から伝えていた。
今更ナーバスになる理由などないはずなのに――
○
「ガ・ブリッツ――」
「ッ⁉」
雷光の如し、鋭い踏み込みからの――
「ラッシュ」
雷をまとった拳、
「ラッシュ」
蹴り、
「ラッシュ」
さらに拳、疾風迅雷、怒涛の連続攻撃によりソアレは受けが間に合わず被弾してしまう。此処まで何とかしのいできた、素晴らしき気勢が崩れる。
それを名残惜しみながらも、
「ラッシュ」
その拳がソアレの剣を打ち砕く。聖都でもらった暫定の武器であったが、此処までの旅を共にしてきて多少の愛着もあった。
しかし、相手は魔王軍師団長。その中でも最強格の存在。
「ラッシュ」
そんなものでは止まらない。
「がぁ!?」
最後は崩拳、独特な打法と共にソアレの意思を刈り取った。彼女の全身に雷が走り、気力ではどうしようもない状態となる。
倒れ伏す彼女を見下ろしながら、
「よく戦った。が、これで終わりだ」
『雷光』のサイカは口を開く。
「メガ・ブリッツ・エウリュディケ」
その一言共に身体が発光し、
「なっ」
残っていた戦士たちを拡散する光が、雷光が飲み込む。議場ごと消し飛ばすかのような広範囲の破壊。
それは全てを奪う。
「アズゥ・プロク・ファールッ!」
はずだった。
「なんと」
蒼き炎が広がり、残っていた戦士たちを守ったのだ。サイカは大きく目を見開く。確実に意識は刈り取った。
それでもなお、ソアレ・アズゥは命を守るために魔法を唱えた。
何処までも逆境に強い。
「見事だ、人の雌」
ソアレは唇を噛みながら、再び膝を屈する。それも仕方がないこと。
「自分だけを守ることも出来たろうにな」
皆を守るために、自分の身を削ることは当然なのだ。最愛の姉なら迷わない。自分も迷わずにやって見せる。
その覚悟ゆえに立ち上がり、その覚悟ゆえに再び倒れる。
「だが、やはり終わりだった」
救いはない。
不屈の勇者は今、雷光を受け倒れたのだから。
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