第56話:可能性の獣たち
「が、ぎぃ」
「……」
圧倒的であった。
魔王軍師団長、『雷光』のサイカ。その雷光の如し束ねた長い髪を、まるで尾のように振り回しながら、卓越した武芸でソアレの剣を完全に封殺し、的確な拳打を叩き込む。しかもその拳は雷をまとい、打ち込む度にソアレの身を削る。
三体の師団長、その中で最強。
其処に偽りはなく、実際に他二体と異なりドラゴンの本領すら見せていない。魔物としてまだ底に余裕がある。
満身創痍、膝を屈するソアレに対しサイカは今なお無傷。
勝負にもなっていない。
「し、信じられん」
マレ・タルタルーガ共和国がかつてアンドレイア王国率いる北大陸連合軍と衝突した際、従軍経験のある議員が驚愕していた。
自身も敗れた、手も足も出なかったサイカの強さに――
「どうなっているんだ、あの子は」
ではない。
「まだ、まだァ」
満身創痍の体で、震える膝を叱咤しながら立ち上がり、気焔と共に蒼き炎を吐く。ソアレ・アズゥ、その底力に驚愕していたのだ。
それは、
(どうなっている?)
対峙するサイカも同じこと。
ようやく現れた面白い相手であったことに間違いはない。少しは楽しめる、その通りに楽しんだ。ただ、哀しいかなそれは人間の中で、という話。
正直、此処まで本気は微塵も出していない。
だが、
「アズゥ・プロクゥ・ソード」
囁くように唱えた呪文と共に蒼き炎が幾度目か、また燃え盛る。何度打ちのめしたか。何度力の差を見せつけたか。
「アズゥ・レヴァー」
その度に倒れ、立ち上がり、
「私は、負けないッ!」
その度に強さを増す。
「……っ」
その度に温度が跳ね上がる。
サイカはその鋭い踏み込みに、力強い剣技に、何よりもドラゴンである自らの『鱗』を通し、熱を伝えてくる彼女の魔法に目を見張る。
最初の彼女は何だったのか、と思うほどの爆発的成長。
「ああああああああああ!」
「……ぐっ」
逆境での底力。彼女の本領は其処に在る。
かつて『魔樹』のクリファが丹精込めて作り上げた、至高のオークであるカース・オークを焼いたのはソロではなく、彼女である。
最終的には千近い敵を単騎突破し、見事奇跡を成し遂げた。
それが炎髪碧眼の戦乙女、ソアレ・アズゥである。
炎の如し連続攻撃。寿命をも火にくべるような激烈な勢いである。まだ対応できる。冷静に、確実に、自らの武で応対していく。
ただ、この先どうなるか。
このまま打ち倒し、立ち上がり、さらに火勢を増してきた場合――
(……可能性に、この俺が怯えているのか? 相手は、魔物でも天使でもなく人間だぞ? 我らの愛しき蒼の天を奪った、憎き女神の創った欠陥品、のはず)
果たして今のように対応できるか。
よもや負けることなどないだろうが、それでも『もしや』を思わせる何かがあった。強い眼である。紅き髪をたなびかせ、蒼き眼が爛々と輝く。
可能性。
今ならばまだ――
「……」
人間如きに魔法など使うつもりはなかった。徒手のみで充分、それすら過ぎたるもの。そもそも自分たちが出張ること自体、乗り気ではなかった。
しかし今、
「……惜しいな」
「何がァ⁉」
「いや、ただそう思っただけだ」
燃え盛る相手に胸躍る己がいた。この戦いに、人間相手に楽しみを見出しつつあった。そのことにサイカは驚き、小さく微笑む。
自らは会ったことのない主君を想う。
自らの御許に辿り着いた人の、勇者の力を認めたという竜王。もしかするとこういう気持ちであったのかもしれない。
なればこそ惜しい。
○
ようやく追いついた色黒ボンボンたちが目撃した光景は、最初と変わることなくただひたすらに無意味な攻撃を続けるヴァイスの姿であった。魔法無き攻撃はスライム族には通じない。物理攻撃無効、哀しいほどに空回っている。
「援護します!」
色黒ボンボンは腰の剣を、
「覇海剣カンドゥ、僕に力を貸してくれ!」
引き抜いて地面に突き立てる。すると、そのひび割れから水が溢れ、彼の周囲をうねるように伸び上がる。
「タオ・ガデューカ!」
水の蛇がヴァイスと対峙するドロリッチへ向かう。
が、
「なぁに、これ」
「なっ!?」
その蛇はドロリッチを前に停止し、彼女がしっしと追い払うと引き返してそのまま主の下へ、魔法を操っていたボンボンを襲う。
「わ、若様」
「くそ、魔法のレベルが」
魔法のレベルが相手に対し低く、その上同系統であるため魔法の支配権を奪われ、自分の攻撃を自分で受ける羽目になってしまった。
援護したいが、彼らの得意魔法は全て水系統。
そして哀しいかな、叔父の形見である覇海剣カンドゥで底上げしたボンボン以上の使い手はいない。その時点で役に立たないのは自明であった。
情けないが、これはもう相手が強過ぎるだけ。
そう、
「……あれ?」
相手は強く、魔法を奪われる自分たちよりもさらに相性の悪いヴァイスでは勝負が成立するわけもない。そのはずであるのに、ヴァイスはいまだ健在であり、元気にぶんぶん十字架を振り回している。
無論、物理攻撃無効ゆえ意味はない。
ないのだが――
「この、馬鹿力が!」
ドロリッチが得意とする水の魔法による拘束。こちらもヴァイスには効果がなく、体のどの部位を捕まえても力ずくで跳ねのけてくる。
ならば全身を水で捕らえ、力を発揮できなくしてやる、と魔法を打つも、他は意に介さぬ癖に、致命となる魔法だけはしっかり回避してくるのだ。
(馬鹿なのか賢いのか、わからないわね)
野性の嗅覚。
長年培ってきた喧嘩の経験値と生まれ持った感性が生む、直感を超える何か。ただでさえ勘がよく捕らえ辛いのに、その上馬鹿力と来た。
スペックが人間離れしている。
魔物と言われても師団長であるドロリッチをして信じて、認めてしまいそうなほどの膂力を持つ。
それでも魔法がないのは致命的。
魔法のない相手にスライム族が負ける要素はない。
思ったよりも面倒くさい相手であるが、結局相手に有効打がない以上、自らの勝利が揺らぐことはない。
だって、
「……っ」
相手の攻撃が効かない、はずだから。
さっきまでと同じぶん回し、避ける必要がないから当たった。当然痛みは皆無で、何の意味もない。そうなるはずだった。
しかし、攻撃された箇所に、僅かな、ほんの虫刺され程度の刺激があった。
(……ありえない)
相手が魔法を行使していない以上、それは絶対にありえない話である。単純な物理攻撃は自分に通らない。それは絶対的な種族の特権。
でも、
「オオッ!」
「……これ、は」
攻撃される度に、僅かに痛みが走る。千回、万回殴られたところでこんな痛み、大した問題ではないが、そもそも痛みがあること自体がおかしな話。相手が魔法を使っているかどうかなど魔物であれば赤子でもわかること。
ヴァイスは使っていない。
使うそぶりすら見せていない。
「そういうこと……成りかけは初めて見るわね」
ドロリッチは意味深につぶやく。そんなの関係ねえ、とばかりにヴァイスは咆哮と共に力任せに十字架をぶん回す。
「……ちっ」
じわりと滲む、痛み。
「カンドゥ?」
女神が打ち鍛えた魔剣である覇海剣カンドゥ、それがかすかに反応した。使い手のみに示されたその反応は、
「同類? あれが今、そう成りつつあるのか?」
ヴァイスの振るう十字架へ向けられていた。
魔とは力、ゆえに魔物とは力ある者たちを指す。なれば魔剣とはそのまま、力ある剣を、武器を指すのだ。
「魔剣に」
力ある者が数多の敵を屠り、血で濡らし此処まで来た。強大な力を持つ魔物、ドロリッチに幾度も叩きつけ、ある種打ち鍛えてもいた。
ただ、
(そんな簡単に魔剣化が進行するなら、世の中はそんなのに溢れてるっての)
ドロリッチが考えている通り、普通の武器が魔剣化することなど稀も稀。十年二十年ではなく、百年単位で使い続け、ようやく魔の兆しが浮かぶ程度。
そんなものに期待するより、女神が魔剣として造った武器を探す方が効率的。
魔剣化とはそういうもの。
たかが人間が少し使った程度で、成り上がるようなものじゃない。
しかし現に今、ヴァイスの十字架には兆しが浮かんでいる。だからこそ、自分にわずかながらでもダメージを通せているのだ。
「もっと、もっとだ!」
「……」
「加護を、寄越せェ!」
加護。女神の奇跡と呼ばれている聖職者にのみ許された力であるが、その実ギミックに関してはよくわかっていない。と言うよりも女神教の皆さまが神の業に疑問を抱くこと、それを暴くことを禁じているから、そうなっている。
祈り、願い、その結果奇跡が舞い降りる。
疑わず、ただひたすらに信じるのみ。信仰の力なのだ、と。
「……へえ」
本当のところは何もわからない。少なくともヴァイスに信仰心は欠片もない。されど彼女は今、誰よりも多くの加護を集めている。
自らの十字架に、そして――
「捕まえたァ!」
「ぐっ」
彼女自身に。
十字架の一撃をドロリッチが回避した瞬間を見計らい、ヴァイスは素手で彼女を掴む。この手も魔法を使っていない以上、本来はすり抜けられる。
でも、すり抜けられない。
「ラァ!」
力ずくで、思い切りぶん投げる。掴まれたことに驚きはない。どういう理屈かはわからない。少なくともドロリッチには。
ただ、
「そういうのもあるのね」
取るに足らぬ人間が今、自らの得物と自らをも魔剣化し、彼女の敵と成った。
「勉強になったわ」
それだけで充分。
投げられたドロリッチは立ち上がり、
「名前、聞いておくわ」
「ヴァイス」
「そう、覚えた」
遊び気分を消し、敵を見据える。
「魔王軍師団長、『千変万化』のドロリッチ。覚えておきなさい」
「……っ」
「貴女を殺す者の名よ」
妖艶なる形無き魔性が嬉しそうに微笑む。
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