第53話:凪ときどき大嵐

「待たせたわね、愛しい子」

 影が盛り上がり、

「母様」

 全身の輪郭すらわからぬほどに着込んだ謎の存在に巻き付く。巻き付きながら、それは狼のような形を取った。

 どす黒く――

「身体はもう大丈夫?」

「うん……もう平気」

 思ったよりも大きな手傷を負い、万全の状態ではないが嘘でも虚勢を張り、出来ると言い切る。まるで親に強がる子どものように。

「そう、さすが私の娘ね」

「……別に、ふつう」

 影が色濃く、

「準備は?」

「大丈夫、ボクの代わりに、グリーン・ゴブリンたちがやってくれた」

「隠密をさせたら魔物でも指折り……いい指示よ。それならあとは待つだけで充分。すぐに私たちの手駒が来るから、それが始まりの合図」

「……てごま?」

「そう、手駒。私たち親子の覇道にとって、路傍の石。でも、まだあなたも成長途中だから、今だけは師団長たちを立てること。いいわね?」

「うん、わかった」

「いい子いい子」

 首都の片隅にて蠢き始めた。


     ○


 そんなことなど露知らず、

「本当にお嬢でも働ける職場があったんだな」

「うっさい」

 馬車代捻出のため労働に勤しむ聖庁太鼓判の勇者ご一行は、マレ・タルタルーガ共和国の首都ナーウィスにて日々見回り業務を都市から業務委託されている自警団の一員として、その主な任務である都市内外の見回りを行っていた。

 現在は都市の外を回っている。

 ちなみになぜ軍ではなく自警団なのかと言うと、彼ら共和国は原則として常備軍を用意しておらず、争いの度に各地域から戦士や兵士を募り、臨時に軍を形成しているのだ。国庫を少しでも圧迫させぬための策であり、元老院に大き過ぎる力を与えぬための措置でもある。なので軍に所属していた者も今は軍属ではない。

「ソアレさんはとても役立っていますよ」

「ほら見なさい!」

「お世辞だろ?」

「ムキー!」

「あ、あはは」

 会話に混ざる少年はソアレに仕事を教えてくれた元老院議長の息子であり、首都と地元の二つを股にかける自警団の部隊長として働く彼も普段は自警団の一員であり政治家見習いである。ちなみに彼は英雄ジブラルタルの甥っ子に当たる。

 腰には遺品として発見された覇海剣カンドゥがあった。

 なお、筋骨隆々の英雄と比べ、細身で柔らかな雰囲気をまとっていた。その辺は叔父ではなく、父に似たのだろう。

「と言うか、ヴァイスだって役に立ってないでしょ!」

「オロは稼いだぜ?」

「稼いで博打に全部ぶっこんで、負けたら意味ないのよ! ってか、シスターとして得たものを、博打にぶっこむのがそもそもの――」

「勝ってたら二階建ての馬車が買えたぞ」

「負けたの!」

 たらればの極致、この女は本気でそう思っているのだから質が悪い。基本的に困ったら暴力で奪い取ってきた人生であり、多少改心したところでお金に対する考え方はそうそう変わらない。彼女からすれば叩けば出てくるもの。今回こそ真面目(当社比)に稼いだものであるが、それとて躊躇なくフルBET出来るのだ。

 ある意味博徒に向いている。現状ただのカモだが。

「つか、見回りって暇だな」

「平和が一番よ。私は心を入れ替えたの」

「よく言うぜ自警団の仕事をそこの色黒ボンボンに紹介されなかったら、自暴自棄になって身売りしようとしていたやつがよ」

「……そ、それはもう、言わないで」

「ひひひ」

 最近、仲を深めた結果パワーバランスが完全にヴァイスへ傾き、お嬢様への河合刈りが横行する由々しき事態となっていた。

 シュッツは同世代の友人が出来て大喜びであるが。

 ちなみにヴァイスは自警団に所属していないし、ソアレのように協力者として臨時的に雇われているわけでもない。なら何故ここにいるのか、金稼ぎに飽きて暇だったから、である。良くも悪くも個人主義者、自由が過ぎる。

 根っこの部分ではこの辺、ソロとも一緒である。

「だ、駄目ですよ、ソアレさん。身売りなんて……も、もしよろしければ」

「しないから。もう絶対しません!」

「……そ、そう言う話じゃ」

 色黒ボンボン、隙を突こうとするも話を聞かぬソアレの前に轟沈。赤面して慌てている彼女に、回りくどい言い回しなど通じない。

 何せ普通の言葉すら通じないのだから――

 ちなみに色黒ボンボンと言われているが、このマレ・タルタルーガは半分くらい海洋都市が所属しており、そのため彼ぐらいの色黒は珍しくない。

 子どもの時から日焼けするんだから仕方がないね。

 そんな感じで何事もなければ自警団の仕事はまったりとしたもの。周囲にも特に異常な様子はない。

 ない、


「なあ」

「なに? もう弄らないでよ。仕事中よ、仕事中」

「何かさっきからちょくちょく、枝が地面に刺さってるんだけど何かのマークか? 妙な匂いがして、気持ち悪ぃ感じがするんだが」

「え、そんなのあった?」


 はずだった。

「ほら、あそこにもあるぞ」

「……よく見えないわね。ただ枯れ枝が落ちただけじゃないの?」

「私もそう思いますけど」

 部隊長のみならず、自警団の面々も普通の景色だと言い切る。ただ、ヴァイスはよく知らない他人の普通より、自分の感性の方を信じる生き物であった。

 ゆえに見回りルートから外れて、よく見つけたなと思うぐらい遠くへ駆けていく。仕方ないなぁ、とソアレは皆に頭を下げてからヴァイスを追った。

 近づいてもただの枯れ枝にしか見えない。

 しかし、

「おい、お嬢」

「どうしたの?」

 先行していたヴァイスが枯れ枝を握り、引っ張ることで事態が急転する。

「抜けねえ」

「深く刺さってるってこと?」

「オレが抜けねえって言ってんだ」

「……っ⁉」

 ヴァイスが、背中に背負う鉄製の十字架を片手で、魔法を一切使うことなく振り回す彼女の化け物じみた力で、こんな小さな枝が抜けないはずがない。

 ただ地面に突き立っているわけじゃない。

 ソアレは即座に、地面に耳を付けた。

 そして、

「……空間がある。それほど大きくないけど」

 最悪の現実が、

「アズゥ・プロク・スィーク」

 彼女の魔法であらわと成る。

 一つ、二つ、十、二十、多くはない。多くはないが――

「地下に生命反応があるわ。数は……二十と少し」

「魔物か」

「もちろん」

 これが何十、何百と在るのなら、その分地下に魔物がいるのなら、この小型のオークが首都の外円を、大きく囲むように植えられているのだとすれば。

「これと同じのがあった場所、ヴァイスは覚えているのよね」

「まあな。なんか癪に障ったから頭に入ってる」

「ふふ、野生の嗅覚ね。こういう時は本当に頼もしいわ」

 オークには出入り口が初めから存在するもの。オークはもっと大きなものであること。その認識と、さりげなく自然と同化させるような佇まいであること。

 何よりもおそらく、いくつかの見回りルートをこれを植えたものはある程度把握し、大胆不敵にも首都の目と鼻の先に敵は陣を敷いていたのだ。

 当然狙いは――

「一番足の速い私が元老院にこのことを伝える。ヴァイスは他のみんなと出来る限り処理しつつ、もし敵が一斉に動き出した場合はナーウィスに退いて」

「なんでだ?」

「相手がのんびりと駆除を待ってくれるのなら全部潰していけばいいけどね。こういうことする奴が、そんな間抜けをすると思う? 少ししたら敵が動き出す。数は未知数、おそらく都市防衛の形になるはず」

「ろーじょーってやつだな」

「その通り。理解した?」

「おう」

「じゃ、あとはよろしく!」

 蒼き炎を湛え、全力疾走でナーウィスの方へ向かうソアレ。少し離れたところにいる自警団はどういうことだ、となっている。

 話は理解した。口で説明することもできる。

 でも、

「面倒くせえ。加護よ、在れ!」

 面倒くさいから口ではなく行動で示す。

 先ほど抜けなかった枯れ枝の如し、小型のオーク。それを再び掴み、今度は女神を信仰する女神教の、聖職者の特権である加護を使い、全力で引く。

「ハァァァアア」

 すると、

「アアアアアラァァァアッ!」

 先ほどは動かなかった枯れ枝が一気に動き出した。地面をひっくり返しながら、土の下から小さな枯れ枝に不釣り合いな、なかなか立派な根が、否、反転しているからこちらは枝葉と言うべきか、それが出てくる。

 中の魔物ごと――

「なっ!?」

 そのとんでもない光景にようやく自警団の皆は状況を理解した。

「ニン、ゲン、コロ――」

「死ね」

 それと同時に引っこ抜いた小型オークによって創られた魔物とヴァイスが交戦し、自分が派遣されていた教会でギった愛用の十字架、元は女神の剣とは言えあくまでレプリカ、それも危険がないようにと鋭利に作られていない。

 ただの鉄の塊、当てても打撃にしかならぬそれを当て、本来膂力で劣るはずの魔物を、加護ありとは言え一撃で粉砕した。

 そのままシスターとは思えぬ暴を振り撒いていく。

 自警団の皆もなし崩し的に参戦。それほど強くはなく、戦闘自体はすぐに終わった。たった一本、取り除いただけであるが。

「ど、どうなっているんですか?」

「ろーじょーだ」

「へ?」

「ちっ、馬鹿が。察しろ」

「???」

 戦闘を挟んだのが致命的。自警団の皆とこの場の魔物を駆逐した時には、何となく印象深かった単語しか残らなかった。

 馬鹿は自分である。野生の勘以外は学相当、ヴァイスです。


     ○


「あら、バレたみたいね」

「そうなの?」

 策を看破されたと言うのに、それにまとわりつく狼の形をした影は余裕の笑みを浮かべていた。だって、もうとっくに遅いのだ。

 全ての段取りは終わっている。

 それに今回は『堕天』のおかげで大駒を揃えることが出来た。

 この時点で負けはない。ありえない。

 何せ、

「さあ、合図をしましょう」

「……あっ」

「丁度、来た」

 人間如きには上等すぎる戦力を揃えたから。

 それらが来た。

 最初は港、海より大きなタコの魔物、クラーケンが現れマレ・タルタルーガが誇る栄光の艦隊を、その大きな足でひっくり返していく。

 風に乗れば、魔法を使えば、海上を滑るように走るアスールの海の王も、魔界より現れた海の女王率いる海魔軍団の前には無力。

 それを預かるは――

「もーう、一番乗りなの? トカゲども遅過ぎ~」

 四天王『天水』直下、魔王軍師団長『千変万化』のドロリッチ。スライム族と言う力に満ち満ちた魔物ではないが――

「マレ・タルタルーガが艦隊を、舐めるなよォ!」

 船をもぶち抜く大砲が直撃する。マストをへし折られ、今にも沈みそうな船からの一撃である。最強の海軍、その意地と共に砲手が放ったそれは、

「薄い魔力で……何かした?」

 彼女の半身を吹き飛ばす。

 だが、

「なっ」

 物理攻撃をすべて無効化する種族であり、魔法が及ばぬ以上砲手が何をしても、ほんの少しのダメージも通らない。

 すぐさま元の形を取り戻し、

「ガ・タオ・ケルカァ」

 彼女はあざ笑うような笑みを浮かべ、戯れに魔法を放った。

「あ、ひ、あ、ごぼ、ぼぼぼぼぼぼぼ」

 水の牢獄、それに囚われた哀れなる囚人と化した砲手は、彼女の操る水の中で溺れ、藻掻き、そして死に至る。

「やはり劣等種。こんなの削る意味、本当にあるのかしらね」

 魔王軍、接岸していた艦隊を蹂躙して上陸。

 これで海に逃げ場はない。

 次いで――

「ちっ、武功を焦る売女が」

「そう言うな。我々は力を競い合う生き物、誉を求めるのは当然のこと。まあ、すまぬな。俺を此処まで運ぶのは難儀であっただろう」

「貴公一体ならさして飛行に支障はない」

「はは、強がるな。天翔ける雷光の速さを知らぬ俺ではない」

「……」

「そろそろか。重りは先に行かせてもらう。では」

「ああ、武運を」

「そちらもな」

 雲より高い位置から、人が飛び降りてくる。人のような大きさの男。人よりも少し、いや、かなり大きめであるが、それでも人の枠組みには入っている。

 否、入っていた。

「我は『轟天』閣下直属、魔王軍師団長『牛鬼』ボーオグル」

 突如それは一気に巨大化し、大質量の化け物と成る。

 頭は牛、体は鬼。

 その体躯、優に二十メートルを超える。

 それが空から落ちてきて、ナーウィスのど真ん中に降り立ったのだ。その着地だけで、周辺が引っ繰り返るほどの衝撃が起きる。

 しかし当然、とんでもない高所からの落下にもかかわらず、

「我こそはと思う者は来い。どれだけ矮小であろうと、全力で御相手しよう!」

 無傷。

 この怪物一体で、その辺の都市ならばすぐ更地にしてしまえるだろう。

 大きさとは強さ。それを全身で示す。

 最後に、

「なんだ、あれ?」

 大空より降り立つは、真っ青な空から降り注ぐ稲光であった。

 美しき黄色い閃光は元老院が今まさに議会を行う議場へ突っ込み、威風堂々単身人間の巣、中枢であろう場所に降り立つ。

「真の四天王たる『竜魔大征』殿と共に在りし、俺の名は魔王軍師団長『雷光』のサイカ。種族として差があり過ぎるゆえ、この姿にて御相手しよう」

 黄色い長い髪を束ね、金に近い色合いのスーツを着こなす魔物は権力のど真ん中で仁王立つ。来るなら来い、と。

 来ぬのなら、

「手合わせする気がないのなら……今すぐ全員殺すが?」

 殺す。

 各四天王が誇る精鋭が今、マレ・タルタルーガ、その首都ナーウィスに襲来した。彼らだけでも大戦力である。

 その上、小型オークの件もある。

 凪の時間は終わった。海と共に生きてきた国家へ、大嵐が吹き荒れる。

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