第52話:人類の敵

 最も恐ろしい人類の敵は欲望である。

 後年、ソアレ・アズゥはそう語る。

「つまり、欲望が悪かったのよ。浅ましきは人の心、この高貴で純粋、およそ欲望とは無縁なこの私ですら飲み込まれてしまう。恐ろしい敵ね」

「「……」」

 言い訳をつらつら述べる彼女を、シュッツとヴァイスは白い目で見つめていた。なお、ヴァイスは宣言通り頃合いを見計らい合流してきた。本人にどうやってこちらの居場所がわかったのか、と聞いたらただ一言「勘」とだけ返ってきた。

 この型破りなシスターを凡人の物差しで測ろうとしたのが間違いなのかもしれない、とシュッツはしみじみ思ったそうな。

「一獲千金と言う甘い夢、それに飲み込まれてしまったのはこの私、ソアレ・アズゥ一生の不覚よ。認めましょう。ただ、それもこれも私たちの根本的な貧しさがよくないと思うの。なので、此処は本道に立ち返りお金を稼ぎましょう」

「そ、ソアレ様が、ですか?」

「なに? 何か文句あるの、シュッツ」

「い、いえ」

 いや、それは無理だろ、とはさすがに言えぬ忠臣シュッツ。

「馬車の修理費、そして出来れば今後の旅費、あと出来たら私のおニューの剣」

「「……」」

「じょ、冗談よ。これ、王族ジョークだから」

「お嬢、もう王族じゃねえじゃん」

「ムキー!」

 ヴァイスのド正論を受けて顔を真っ赤にするソアレ。シュッツはため息をつきながら、最近ソアレで遊ぶことを覚えたヴァイスを恨めし気に睨む。

 当然ヴァイスはしてやったり、ケタケタ嬉しそうに笑う。

 何だかんだ仲は良好、なのだろうか。

 ソアレが怒りの突進をかますも、それを片腕で受け止めて笑いながら酒を飲むヴァイス。手を伸ばしても、届かない。

 だってヴァイスの方が手足が長いから。ソアレも女性の中ではむしろ身長が高い方であるのだが、さすがに相手が悪過ぎた。

 最終的に、

「と、とにかく稼ぐの! 汗水流して働いて、それで得たオロで私たちは旅を再開する。と言うか、馬車無しで……来た道戻りたい人?」

「「……」」

 ゼーハー肩で息をしながらソアレが引き下がり、皆に根本的なことを問う。そう、忘れてはいけない。自分たちは来た道を戻らねばならないのだ。

 だって一人、追放して置き去りにしちゃったから。

 回収しないとあの男が泣いちゃう可能性がある。

「じゃ、そう言うことだから」

「……ま、まあ某は構いませぬが」

「オレもそれでいい」

「決まりね。バリバリ稼ぐわよ!」

 ソアレ・アズゥ、大国の王族と超名門の間に生まれた生粋のお嬢様である。当然、働いたことなど一度もない。

 一度もないのである。

 ただの、一度も。

 それでこの自信、羨ましいほどにポジティブ思考。

 なお、この時の様子は後日、幕間で明かされる、かもしれない。


     ○


 お嬢様の社会勉強編が始まったことなど露知らず――

「よいしょォ!」

 今日も今日とて試練其の三、騎士ムスちゃんとの死闘に精を出すソロであった。たった今、突き出すは騎士ムスちゃんが地面に生やしてくれた武器の一つ、無銘の槍であった。槍など使ったことはない割に、そこそこ器用に扱えている。

 ただ、それを選んだ理由は騎士ムスちゃんの大矛に対抗するため、などと言う真っ当な考えではない。

 ぬすっとはまっすぐ行かぬもの。

「……?」

 突きは騎士ムスちゃんの遥か手前で停止し、其処からソロは薙ぎ払う姿勢を見せた。ただ、どんなに勢いよく振っても騎士ムスちゃんへは届かない。

 届かない場所で振ったのだ。

 何のために――

「繋がれ、ブリッツ・ガッセ!」

 巻き上げ、跳ね上げしは地面に突き立つ剣や槍の数々。

 それらと騎士ムスちゃんの間に、薄く輝く『道』が現れ双方を結びつける。

「……っ」

 そして武器の数々が飛翔し、それぞれの『道』を伝って騎士ムスちゃんを急襲する。ついでとばかりに、

「貫け、ブリッツ・クリス!」

 槍もぶん投げる。この男、石でも槍でもとにかく投げがち。

 圧倒的物量、されど、

「甘い」

 その全てを騎士ムスちゃんの大矛が、大剣が、大槍が打ち砕き、『道』の到達を完全阻止する。圧倒的膂力、圧倒的速度、圧倒的技量。

 およそ戦士にとって必要なすべてを搭載した最強の番人、それが騎士ムスちゃんである。この程度の浅知恵で、この程度の魔法で、倒せると思っては――

「抜き足差し足忍び足、っと」

「ッ⁉」

 思っては、いない。ソロにとってそれらは端から陽動、大攻勢の傍ら自らは足音を消しながら、トロの下へ近づいていたのだ。

「あ、バレちった」

 騎士ムスちゃんは全速力で駆け戻る。

 しかし、

「内なる輝き、グロウ・アップ」

「なっ!?」

 黄金の雷がソロの全身を迸り、彼の歩みを加速させる。ルーナが得意とした身体能力活性魔法。主に神経系を加速、動員させることで筋力、反応速度、速力そのものを跳ね上げる。難しい術理である。

 肉体に働き掛ける魔法は難しく、ガ級でも上位の難易度と言える。

 それを彼は、『お手本』をイメージして、トレースした。

 これで相手は追いつけない。

 自分の勝ち、それを確信する。

「ギガ・シュタール・アヴィオンッ!」

 だが、

「はい!?」

 ガチャガチャと騎士ムスちゃんの体が組み換わり、空気抵抗を削った流線型のフォルムと成る。そして、背中の大筒二箇所より、火が噴き出し――

 音の壁を突破、空間が爆発したような衝撃波と共に、

「これは最終試練、そのレベルでの突破は認めません」

 騎士ムスちゃんがソロとトロの間に割って入る。音の壁を突破した加速、至極当然であるがただ移動するだけでもとんでもない衝撃が、エネルギーが発生する。

「ぶべっ!?」

 ソロ、音の到達より前にぶっ飛ぶ。

『相棒っ!』

 あと少し、騎士ムスちゃんの手により引き裂かれた悲劇のヒロイン、トロは切なさ全開で叫ぶ。まあ、ソロにしか聞こえていないのだが。

 惜しかった。

 惜しいところまで詰め寄られた。

 それを何とか跳ね除けたのだ。

「……へっ」

 人間誰しも緩む。

「騎士ムスッ!」

 その大声によって、

「っ⁉」

 騎士ムスちゃんは全力で背後に振り向き、大矛をぶん投げる。油断も隙も無い。あれだけの手を打っておきながら、秘策の肉体活性も使いながら、それでも届かぬ場合の保険をかけていたのだ。

 トロと結んだ『道』、それを伝うはひと振りの剣。

 大きく迂回させ、自分すら囮にそれを到達させようとした。要はあの台座からトロを抜けば何でもいい。ならば、自分が引き抜く必要もない。

 剣をぶつけてぶっ飛ばし、それで台座から抜けても勝ち。

 裏の裏、さらに裏をかいた。

 のに、

「……」

 騎士ムスちゃんの投擲した大矛がギリギリでその剣を粉砕した。さすがに中の人も嫌な汗がだらだらと流れ出る。

 何しろ、

「あー、師匠そりゃあないっすよ! 俺めっちゃ段取り考えてきたのに」

「たわけ。確かにイイ線いっておったが、まだまだ魔法のキレがイマ二つ。この超魔法使いの弟子を名乗るにはまだ早い。その親心がわからぬとはのぉ」

「ずーるずーるずーる!」

「ええき、煩いわい! さっさと実力で引き抜かんか!」

「知恵も実力だろうが。ケチケチデブ師匠が」

「あ?」

「何も言ってないデース」

 猫師匠スティラの言葉がなければ完全にやられていたから。信じ難い話である。この程度の魔法、それをこうも上手く重ねられるだけで、自分が翻弄されている。

 スティラの言う通り魔法はまだまだ。

 一部、ガ級相当の魔法を操ることは出来ても、それが安定しているとは言えない。ましてやメガ級など二歩も三歩も手前。

 ギガ級ともなれば遥か彼方。

 同じ第三段階に至ったルーナも、その時点ではギガ級の魔法に到達はしていなかったが、それでもあらゆるスペックがソロよりも遥かに上であった。

 しかし、

(くく、あの騎士ムスちゃんに出し抜くとはのぉ。何というバトルセンスか)

 スティラの見立てではバトルセンス、その一点に関してのみソロの方が頭一つ、下手すると二つは上であった。と言うよりも、この男ほど魔法の扱い方、重ね方、創意工夫が光る者を、スティラは知らない。

 本来なら勝負にもならぬ相手。その差を知恵と工夫で埋め、想定よりもずっと低いレベルで上手く戦っている。これはさすがに想定外であった。

 スティラ、騎士ムスちゃん、双方にとっても。

(ルーナの時とは条件が違う。あの時はどんな手段を使っても一本取る、つまり勝負に勝つことが勝利条件とした。ゆえに長引いたが……おそらくこの条件であってもルーナは倒そうとしたはず。実に趣深い、こうも違うかのぉ)

 似た条件であるがゆえ、浮き彫りになる二人の違い。より大きな力を得るため、自らを磨くために真正面から挑み続けたルーナは正しい。

 しかし、勝利のために何でもするソロもまた正しいのだ。

 そのために魔法の力を上げるだけでなく、スティラや騎士ムスちゃんすら驚くような使い方を捻り出してくるのだから面白い。

「ちぇ、まあいいや。次何やろうかなぁ」

「……」

 現に速度でも圧倒的に勝る騎士ムスちゃんは日を追うごとに少しずつ台座周りでしか動けなくなっていた。台座を離れて、守るべきものから離れるリスクを取らせない。何をしてくるかわからない怖さがソロに主導権を与えていた。

 それに、

(成長し、学び、一度は捨てたもの。過去を振り返り、取り戻した『それ』が目に浮かんでおる。怖いほどに、のお)

 日常生活と勝負所、自らのルーツと在り方を思い出した彼は上手く使いこなしていた。対峙する者には嫌と言うほどわかるだろう。

 眼の奥に潜む鋭利な牙が――


     ○


 赤茶けた大地。草木も生えぬ世界を見下ろす切り立った場所に、その雄はただ一人腕を組んで立っていた。

 その雄が薄く微笑む。

「閣下、どうされましたか?」

「……少し気配がした」

「気配、ですか?」

 その雄の真紅の、たてがみのような髪を持ち、体表を薄く覆う黄金の毛並みは気高さをありありと示す。

 ただ、其処に立つだけで多種多様を圧倒するオーラがある。

「まだ薄いがな」

「は、はぁ」

 哂うは百獣の王、魔王軍四天王が一角『轟天』。

 強き雄は、同種の気配を嗅ぎ取る。遠く、世界を隔てた先から――

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