第51話:わしの名は。
「シュッツか! はは、クビになったと聞いたぞ!」
「笑うでない。その通りであるが」
「あの忠義者がなぁ。まあ王も人の子、過ちもあるだろう。どうだ、うちに来ないか? 今なら島も付けるぞ」
「行かぬ行かぬ」
ソアレは改めてアンドレイア王国が誇る『鉄騎士』シュッツ・アイゼンバーンの顔の広さに驚いていた。何処へ行ってもそれなりの立場の者であれば知らぬ者はいないし、戦士上がりの議員などとは昔馴染みのような扱いとなる。
此処、マレ・タルタルーガはかつてアンドレイアと争っていた敵国であり、シュッツに味方を殺された者もいるだろう。その逆もまたしかり。
されど、彼らの間にその影は見えない。
それが戦士の矜持であるのだろうか、彼女にはよくわからない世界である。
「議長に会っていくか?」
「確かジブラルタル殿とは御兄弟であったか?」
「そう。あの男に似ることなく穏やかな人物だぞ。その分、元老院ではなかなか腹の底を見せぬ怖い人物ではあるが」
「叶うのならご挨拶だけでも」
「あいわかった」
そして、あっという間に共和国であるこの国のトップ、元老院議長にまでつなげてしまう辺り、自国でも高い評価であったが他国の評価はさらに高いのだと知る。
戦士として突き抜けて強いわけではないが、それ以外の部分や長き戦歴などで高い評価を受けているのだろう。
「参りましょうか、ソアレ様」
「ええ」
ルーナが団長に就任する際、本人は引退するつもりであったが王や貴族たち、何よりも同僚の騎士やルーナ本人の願いもあって彼は現役続行となった。
ルーナの補佐として騎士団に残った。
ただ、その結果――
「どうされましたか?」
「いえ、久しぶりにこういう場所でしょ? 少し堅苦しくて」
「ふはは、わかりますぞ。某も未だ慣れませぬ」
「そうなの?」
「無作法者ゆえ」
快活に笑う彼から影を感じない。だけど、そんなわけがないのだ。あの姉が申し訳ないことをした、とこぼしていたように、絶対的だった王と騎士の関係性が揺らいでしまうほどに、アンドレイアは彼に負い目がある。
恨みっこなし、影を感じぬ彼らの間にも何かしらはあるのだろう。
それを飲み込み笑える。
もしかしたらそれを大人と言うのかもしれない。
○
ソロは「ううむ」と考えこんでいた。如何にして試練其の三を突破するか、を。
「にゃば、にゃぼぼぼぼぼぼおお!?」
ちなみに試練其の三の制限時間を越えると強制退場、あの扉から塔へ戻り、また扉を潜ってポツンと一軒家へ戻ってきていた。
そう、塔は間にあったのだ。世界と世界を繋ぐ、その狭間に塔がある。ソロが塔だと思っていたこの景色は、おそらくはアスールのどこかに存在する秘境なのだろう。便利な塔があるものだなぁ、とソロはしみじみ思う。
しみじみ思いながら、
「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
猫師匠を川で洗濯していた。先ほど師匠秘蔵のはちみつを使ってパンを焼き、大変美味しくいただいたのだが、何処からともなく天の声が聞こえてきたのだ。
猫ちゃん、もう一週間はお風呂に入ってないですよ、と。
どぶ底生まれ、どぶ底育ちのソロでも二日、三日ぐらいしか空けずに水浴びしている。それでもソアレからは不潔だから毎日水浴びしろとどやされたほど。
ヴァイスでさえ水があったら毎日入ると言っていた。
自分も改めねば、と改心したのが追放される前、聖都での決戦前の話である。
そんなソロをも超える逸材が此処にいたのだ。
「わ、わしを殺す気か!?」
「この浅瀬じゃ死なねえっすよ」
「わしは死ぬんじゃ! せめてぬくい温度にまであっためてから、優しく洗うべきじゃろうが! それをいきなり川へ突っ込みよって!」
「それ温泉ってやつ? 俺入ったことねー」
「風呂じゃ!」
「……何か違うんすか、それ」
「……ひ、貧民がァ」
汚れを落とせれば何でもいい。わざわざ水を温めるひと手間が必要な理由すらこの男にはわからない模様。これはヴァイスも同じ。
ちなみにソアレはわかりきった答えであったため問うこともしなかった。
風呂を知る貌ではなかったのだ。
「さっさと丸洗いしちまいましょうよ」
「わ、わしを衣服のように扱うでない!」
「優しく洗ってるじゃないすか」
「何処がじゃ!?」
猫師匠、このままでは風呂でさえ嫌いなのに、冷たい川の水で全身丸洗いされてしまう。そんなことは人道的に許されないと怒るも、
「……?」
弟子の無垢な眼を見て、その悪意なきまなこに何も言えなくなる。善意十割、怒りの猫パンチはさすがに引っ込んでしまう。
なれば、
「致し方なし……にゃぶぶぶぶぶぶ」
とうとうこの日が来た。来てしまったのだ。
「わ、わしが良いと言うまで水につけるな!」
「一生良いって言わないじゃないすか、師匠は」
「……い、一旦、ちょびっとだけ待て。よいな、絶対じゃぞ、絶対にわしを――」
ピコンと閃いたソロは、
「にゃばばばばばばばばばば!」
水につけろ、そう言う意図だと判断した。
絶対押すなよ理論は此処アスールにも存在していたのだ。不思議だなぁ。
「ふにゃあッ!」
「へぶっ!?」
怒りの鉄拳、猫パンチがソロの鼻っ面に炸裂した。
倒れ込むソロ。その眼には何故、が浮かんでいた。何故もへちまもない、しばくぞガキが、と叫びそうになるが猫師匠はぐっとこらえる。
今は何を置いても告げるが先決。
「そなたはわしをただの猫と思っとるじゃろうが、実は超凄い猫なのじゃ」
「そりゃあしゃべるんだからそうでしょ」
「今こそ明かそう。わしの名は超魔法使いスティラ・アルティナ! 変身魔法で猫に化けた、偉大なる魔法使いじゃ。どうじゃ、驚いたか? 振舞いを改める気になったか? わしをもっと敬う気になったじゃろ?」
どどん、と明かされた新事実。
ただ、
「いや、たぶんそうだなとは思ってたっすよ」
ソロは普通に察していた。
「にゃんで!?」
「だって師匠しか師匠してないじゃないすか。ってか、妙に偉そうだし」
「……わしをスティラ・アルティナと知って、この扱いじゃったの?」
「うす」
「にゃんと言うことじゃ……信じられん。齢三百じゃぞ。めっちゃ年長であり、数々の伝説を残し、世界で最も著名な魔法使いにも選ばれたわしが……これ?」
「続けていいっすか?」
「ま、待て。話し合おうぞ。きっとわしらはわかりあえ――」
猫師匠改め超魔法使いスティラ・アルティナの悲鳴が響き渡る。いちいちこのわがままな師匠の言うことなんて聞いてられん、とソロはしっかり丸洗いした。
なお、
「にゃッ!」
「甘い!」
「にゃんとォ!?」
「ふっふ、俺に二度同じ技は効かないんすよ」
「……その設定、危ういのぉ」
猫パンチは二度も通じず、わしわしがしがし、どぶ底育ちの力強い丸洗いを受け、超魔法使いの絶叫がポツンと一軒家付近にしばらく轟き続けたとさ。
めでたしめでたし。
○
「ねえねえ。私たちって下等生物どもとこんな睨み合いするために、わざわざ派遣されたの? ねえ、教えてくれない? 絶滅危惧種のドラゴンさーん」
北の戦場、着実に人間側が砦を築き、二次侵攻への備えをしている中、その対岸では一切の動きを許されず苛立つ魔物たちがいた。
その中でも、
「殺されたいのか? 清掃動物風情が」
「……その清掃動物に版図で劣るトカゲがよくしゃべるじゃない」
「「……」」
軍団長『黒天』の下、師団長である魔物たちは殺伐としていた。
「やめておけ。軍の協定で私闘及び共食いは禁じられている。腹が減るだけだ」
三者の中で最もガタイの大きい男が仲介し、二者は睨み合いつつも引き下がる。いずれも人と同じような姿をしている。
正しく言えば女神と同じような、だが。
「だが、フェルニグ殿の意図は気になる。別に人間如き、戦略的に戦う必要がないのであれば構わぬが、それならそうと指示が欲しいところだ」
「その通りね。そちらの大将から連絡はないの?」
グラマラスな、妖艶な雰囲気の女性が問う。
「……フェルニグ殿は戦線を離脱する。指示は追って、とのことだ」
「あらら。おめめイタイイタイで離脱とかダッサ」
「……っ」
黄色の髪の男は唇を噛む。尊敬していた、信頼もしていた、あの女神にすら喰らいついた、侠気には子供心に胸躍ったものである。
しかし今、自分たちは彼の行動により足止めを喰らっていた。
「たかが片目で怯む御仁ではなかろう。まあ、待てばいい。人間どもが張りぼてを築いているようだが、いざ戦いとなれば粉微塵に粉砕するまで」
「わかっている。俺があの御方の分まで働く」
「出来るの?」
「貴様よりはな。協定に守られているからと言って過ぎた口を叩くな。俺と貴様では格が違う。それに相性もな。天地が引っ繰り返っても勝てんぞ」
「……ちっ」
事実である。この軍における師団長筆頭はこの男なのだ。『黒天』が自身の副官につけたドラゴンの俊英。ドラゴンだからと怯む気はないが、魔法の相性が悪いのはどうしようもない。力比べ以前の問題。まあ、それとて種族的に――
「お三方、失礼いたしますよ」
そんな殺伐とした中、最も大きな男の影からどろりと浮かび上がる。
「げえ、ミームス」
「影風情が今更何の用だ?」
その反応に影、ミームスは笑顔を浮かべたまま、口の中では歯を食いしばる。同格なのだ、同じ師団長である。
だと言うのに彼らは露骨に自分を下に見る。
あの『堕天』配下と言うこともあるが、それ以上に自分の――
「やめておけ、今は仲間だろうに。それで、何用だ? てっきり『堕天』殿の軍は戦線を離れ、別任務に就いていると思っていたが」
「その通りです。そして、その任務中に色々とありまして……お三方のお力をお借りしたい、と。如何でしょうか?」
「断る」
「冗談でしょ?」
「話次第だな」
二者が即拒絶。大きな男のみ話を聞く姿勢を見せるのも、やはりよほどの内容でなければ動きはすまい。そもそも彼らは本来軍団が違うのだ。
掲げる四天王が、王が違う。
今こうして並んでいることが奇跡に近い。
されど、
「我が主、『堕天』様の命でございます」
「「「っ」」」
魔王を支えし四つの王、その一角の命令であれば無下には出来ない。心の中でどう思おうが、此処は魔王軍であるのだから。
「拒否権はありません」
「「「……」」」
三者の眼が、敵意が突き立つ。だが、影にとって、ミームスにとって、それはとても心地よいものであった。格下と見ていた者に振舞わされる気分はどうか。
その心中を思うだけで、影の心は踊る。
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