第45話:逃げられぬ悪夢

 銀色の閃光が華麗に舞う。あれで天使の片翅を譲り受けたり、魔剣トロールのブーストなどを受けていないのだから驚嘆するしかない。

 大きな背中である。

 私に任せろ、背中がそう言っている。

「……そうか、そうだよな」

 夢。

 違う、彼女の代わりに自分が生き延び、旅をしながら人助け、天使の協力を得て聖都のみんなを救う。それが夢だったのだ。

 ただの盗人が世界を救うために旅をする勇者になるなど、くだらない冗談でしかない。勇者と言うのはああやって、そう生まれついた者が、その宿命を背負った者が、誰かのために切り拓いた道を勇者と呼ぶのだ。

「頑張れ、ルーナ」

 凡人の自分はその背中に声をかけるだけ。

 先ほどは手を握った気もするが、あんなにも強い相手をどう支えると言うのだ。どう並んで戦えと言うのか。

 気づけばソロは立ち尽くしていた。

 ただ、眺めていた。

 銀色の閃光が黒き龍と渡り合い、そしていつか勝利してくれると信じて。期待を込めた眼、すがるようなまなざし。

 突然、その場に姿見が現れる。

 其処に映るは、

「……あっ」

 かつて自分がそうじゃないだろ、と偉そうに言ったソアレ・アズゥが姉に向け、姉を想う眼そのもので、それに気づいたソロの表情が歪む。

 同族嫌悪、同じ人物に目を焼かれた者同士。

 その弱さが映り、その気づきと同時に姿見が砕けた。

 そして、


「どうして?」


 孤軍奮闘していたはずのルーナが龍の炎に呑まれながら、こちらへ近づいてくる。力強き輝きは失せ、燃え盛る獄炎の中で苦しみ、ただただ手を伸ばす。

 ソロの方へ、その眼は――

「私を残して逃げたの?」

 弱く、ソロを憎むような色が浮かぶ。

 彼女の断末魔、其処からソロは目と耳を防ぎ、


「は!?」


 目を覚ます(逃げ出した)。

 背中に汗が滲む。外を見るとすっかり夜になっており、外にいたはずの自分は家の中に横たわっていた。

「なんじゃ、もう起きたのか」

 猫様はベッドに。

「……今のは、夢?」

 自分は床に。

 普段なら待遇が悪い、家の中に入れるならベッドまで運んでくれよ、と愚痴の一つでもこぼすところだが、生憎今は全くそんな気分にもなれなかった。

 突き付けられた。

 自分の矛盾を、弱さを、脆さを、目を背けていたこと、全部。

「魔法とはイメージじゃ。しかしの、妄想とは違う。現実に、そのイメージを具現化して初めて魔法となる。その現象を知るのが第一、第二は起こせると信ずること。絶対的な自信こそが、魔法の核となるのじゃ」

「……」

「己を知り、己を信じ、己を貫く者こそが魔法使いへと至る」

 ゆえに試練其の二は、

「そなたはまどろみの中、如何なる自分を見たかの? にゃにゃにゃ」

 自分そのものと向き合うことになる。

 誰にでもある目を背けたくなる後悔や弱さ、それらを突き付けられることで。

「今後、眠る度にそなたは夢を見る。それが如何なるものかはわしも知らぬこと。そなたのことは自身が一番よく知っておろう? まあ、忘れておることもあろうし、悪いことばかりではないぞ。にゃはは」

「……悪趣味な修行だな」

「悪趣味になるのはそなた自身のせいじゃ。そして、それだけのものを抱えながら普段は陽気に振舞う図太さも、くく、相当なもんじゃがな」

「……っ」

 ソロは猫様を睨みつける。その眼は鋭く、獰猛な、敵を見据えるもの。

 だが、其処に浮かぶ弱さを見逃すほどぽっちゃり猫様は盲目ではない。

「今後は眠る度、そなたは夢を見る。打ち勝つか、飲み込むか、とかく次の段階に至る備えが出来れば自然と夢は消える。それまでは存分に夢を見よ」

「……眠る、度……あれ、そう言えば」

 ソロは喉をさする。起きた場所は塔の内部、強制的に言葉を失う場所であるにもかかわらず、ソロは先ほどから言葉を発していた。

「今更気づいたか。もう封印は必要あるまい。その段階は過ぎた。が、日常は極力、詠唱せずに魔法と戯れることを推奨しようぞ。詠唱が必要なほど過酷な環境でも、強力な敵がおるわけでもないしの。楽は、容易に感覚を腐らせる。刻むがよい」

 言葉を取り戻したソロは立ち上がり、夜の狩りにでも出かけたか。その後ろ姿を目で追った後、欠伸を一つして猫様は目を瞑る。

 どうせ今宵はもう、見るべきものは何もないから――


     ○


「あら、眠たそうにして」

「まあ、二回目は大体こうなるの。睡眠を忌避し、とにかく動き回って起き続けようとする。くく、それでは何の解決にもならんのじゃがなぁ」

「でも、そうなる。三人とも」

 水晶に映るソロは一晩過ぎ、すでに昼間に差し掛かる中、ただの一度も眠ろうとしていなかった。夢中で狩りをしたり、野山を駆け回ったり、元気に日々を過ごしているから眠らないのだ、と自分と他者に言い訳しながら。

「哀れよのぉ。なまじ、強く立ち回れてしまう分、痛々しさは増すばかり」

「一人はギブアップ。もう一人は乗り切りましたが、さて――」

 才に満ち溢れた二人。

 その内一人は試練其の二を諦め、その後も塔で学び最高傑作と称されるも、最後は魔法の真理に至る資格はないと自認し塔を去った。

 もう一人は幾度も向き合い、何度も悪夢にうなされながら乗り越え、試練其の三も突破し見事巣立っていった。

 三人目はどうなるか。

「心はなかなか、鍛えられませんからねえ」

 今はまだ何とも言えない。

 ただ、

「む、うっかり睡魔に負けよったわ」

「楽しそうですねえ」

「にゃっにゃっにゃっ」

 人は眠らずにはいられない。ゆえに夢からも逃げることは出来ない。


     ○


 ソロはクソみたいな立地の、クソみたいなサイズの、それでも一応一軒家の前に立っていた。この旅を始める前、盗みを失敗してムショ行きになる前、彼はここに住んでいた。元はふらふら流れ者、自分一人なら家など要らなかった。

 一人なら――

「……マジで、悪趣味だな」

 必要なかった家。その敷居をまたぐ。狭い家である。すぐ目に入る。

 嫌でも、

「あ、兄貴。おかえりなさい」

 自分を慕う妹分の姿が目に入った。笑顔で、元気そうに、まるで主人の帰りを待つ女房のような雰囲気で、二つの足で立っていた。

「……あ、ああああああ、ああああああああああああああッ!」

 ソロは絶叫した。悲鳴にも近い、叫び。

「ど、どうしたんすか? また拾い食いでもしたんすか?」

「起きろよ、早く、早く、起きてくれよぉ」

 自分を傷つける。叩いても、つねっても、痛みを感じない。だって、此処は夢だから。何も変わらない。視界から消えてくれない。

「痛いんすか、兄貴」

「……ああ」

 ソロは諦めて、薄ら笑いを浮かべながら立ち上がる。その足はふらふらと、力なく動く。この家に一つしかないベッド、その近くの木窓は開いていた。

 きっと、ずっと――ソロが家を出て捕まり、戻ってきた時にも開いていたから。

 そして、

「薬、効いたんだな」

「んもー、兄貴いつの話してんすか。もう元気いっぱいっすよ」

「そうか、はは、そういう、設定か」

 木窓のそばには自分が手に入れようと手を伸ばした、普段路上でしか盗みを働かない男がようやく見つけたお上品な薬屋の棚にあった小瓶、

「……そっか」

 それがちょこんと置かれていた。

「……」

 あの時手に入れられなかった小瓶にソロは触れる。

「今日は一段と変な兄貴っすねえ。なんか作りますか?」

「おう、そうだな。適当に頼むわ」

「あいあいさー」

 腕まくりをして手狭な台所へ向かう妹分の後姿を眺めてから、ソロは何も言わずにその小瓶を握り潰した。粉々に、大事な商売道具の左手で。

 血がしたたる。でも、痛みは感じない。

「……どうせ夢なんだろ?」

 男はただ――嗤う。


     ○


 魔王城、四天王『堕天』アモルエルの研究エリアにて、

「お取込み中、失礼いたします」

 どどりと、この場に並ぶ装置が作る影が膨らみ、それが何かの形を象る。

「おんやぁ、どうかしましたかぁ? ミームス」

 その影はアモルエルの口からミームスと呼ばれる。

「先日、少々手違いがありとある人間と交戦いたしました」

「ほうほう。あの子と君がいて、報告が必要な結果になった、と?」

「はっ。勝利はしましたが、こちらも相当深い傷を与えられ、今は種蒔きを他に任せた状態で、療養に当たらせております」

 俄かには信じ難いが、憑いていた者が言うのだから間違いはない。それに少し前に『天界大将』の力を借りたとてクリファが、その前はフェルニグが手負いとなった。性能差から人間のことはあまり気にしていなかったが――

「使えなくなった?」

「いえ、回復さえ済めば使用に問題ございません。此度、こちらに参ったのは、少しばかり人間を間引いては如何か、とのご提案にございます」

「むふ、面白そうですねえ。構いませんよ、お好きに暴れても。人間がどうなろうと計画に支障はないですし」

「ははっ。つきましては『黒天』が遊ばせている各四天王直属の――」

「ああ、そうですね。このまま使わずに帰したら逆に文句を言われそうですし、くっく、せっかくなら使ってあげるのが思いやりと言うもの」

「では?」

「私から話を通しておきますから、私の名で招集していいですよ。移動に関しては、まあ君たちなら其処はどうとでもなりますかぁ」

「ありがとうございます。些末なことにお手を煩わせ申し訳ありません。あとのことはこのミームスが、責任を持ってオークの生息域拡大のため、大地に散らばる小石(人間)を取り除いて参りましょう」

「よろしくで~す」

 影が沈み込み、自然な状態に戻る。それを一瞥することもなく、最も重要な研究に専念する。ただ、頭の片隅には置いておく。

 自分の部下が間引きの必要を求めたこと、は。

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