第46話:誰にでも意外な一面ってあるんだなぁ

 世界を駆け巡った凶報。

 南大陸の大国、マレ・タルタルーガ共和国の英雄『海侠』のジブラルタルが正体不明の魔物と交戦し命を落とした、という報せである。

 人間を代表する英傑が亡くなったことも大きいが、それ以上に大きな意味を持ったのは彼が交戦した位置、つまり地理的な部分である。

 今更ながらアスールの形状は最も陸地面積の大きな北大陸が東に伸びつつデンと構え、陸地面積こそ北大陸の半分にも満たないが南大陸があり、其処から西側へ広く海洋に島々が分布する、そのような形になっている。

 参考までに自称世界の中心であるアンドレイア王国は北大陸では南寄りであり、全体で見ると一応中心と言えなくない位置にある。なお、アンドレイアサイドでは自分たちの土地を北大陸とは呼ばずアスール呼びし、南の方は南大陸と呼ぶ。逆もまたしかり、南北大陸呼びは実は蔑称で、どちらもアスールの中心はこっち、と固く信じているため、南北の溝は海溝の如く深いとされる。

 余談である。

 で、その地理の何が問題かと言うと、魔王軍の襲来は北の戦場、アスールの北側、つまり北大陸の出来事であったのだ。さすがに人類存亡の危機であり、がっつり好敵手(かつては幾度も戦争をした)である南大陸側も兵士は送っていたが、それでも民からすると少し他人事な部分もあった。

 それが今回、南大陸で魔物と戦闘が発生したことにより、南大陸の者たちからすると他人事ではなくなり、北大陸の者たちからしても其処まで魔物が広がったのか、という戦慄が走っていた。

 のは、国のえらいさんの話。

 現在、北大陸では空前のオークラッシュ、すなわち魔の木が生み出す構造物内に発生する宝箱を求め、様々な人が奔走している。

 返り討ちに合い死ぬ者も少なくない、と言うかかなり多いものの、全体として見れば北大陸でのオーク発見数はほんの少し減少傾向にあった。

 そこで今回の事件、夢追い人はピンときた。

「シュッツ! すぐにソロを回収して南大陸へ赴くわよ!」

 豊饒の大地(未発見のオーク)は南にあり、と。

「……そちらへ向かうのはやぶさかではありませんが」

「目端の利く者はもう、南大陸へ向かっているらしいわ。このビッグウェーブ、乗り遅れるわけにはいかないでしょ。あ、もちろん民のためよ。当然だけど」

「……」

 絶対自分の武器が欲しいだけじゃん、とシュッツは白い眼を向ける。ヴァイスは机の上で腕を組みながらすやすや眠っている。

 すでに酒を飲み過ぎたためである。

「な、何よその眼」

「いえ、何も……南へ行くのはやぶさかではありませぬ。信じ難い話ですが、あのジブラルタルが戦死したと言うのなら危機が迫っている可能性が高いでしょう。某にとっても知らぬ間柄ではなく、詳細を知りたいところではあります」

 かつて戦争で争ったこともあれば、痛み分けの和睦、その宴でともに酒を酌み交わしたこともある。

 その強さはかつての敵国であった自分たちが一番よく理解している。ルーナが生まれる前は北のシュラ、南のジブラルタルなどと並び称された英傑。

 その訃報はルーナの死と並ぶ、大きな出来事であった。

「ただ、ソロを回収することは出来ませぬ」

「なんでよ? 一旦修行を中断しておたから、ごほん、民をちょちょいと救ってまた戻ればいいじゃない?」

「かつて、陛下がスティラ様にお誕生日くらいはお祝いしたいから修行を一時中断してほしい、と願い出ました」

「……どうなったの?」

「陛下は負傷、城に穴が空きました。丁度、ソアレ様はまだアズゥ家の方で養育されておられた頃ですのでご存じないと思われますが」

「……お父さまって、その、王様よね?」

「はっ。しかし、魔法使いには関係がない、と。金は出せ、口は出すな、とは彼女の弁でございます」

「……最強過ぎるでしょ、色々と」

「ゆえに中断はそれなりの覚悟を要するかと。しかし、ソアレ様が望むのなら――」

「じゃ、置いて行きましょ」

「……ひどい」

 あまりにも素早い決断。彼女はきっと王の才能もあるに違いない。刹那に彼女は判断したのだ。大切な仲間か、それとも助けを待つかもしれぬ民か(お宝)、を。

「民のため、断腸の想いでの決断よ!」

 その眼はお宝でギラギラと輝いていた。

「ま、まあ、その、確かスティラ様は遠見の水晶をお持ちでしたし、こちらの動向を掴むことは可能でしょう。其処まで俗世に興味があるかはさておき」

「それって大丈夫ってことよね?」

「お、おそらくは。でも、その、合流予定の街の宿にでも言付けぐらいは――」

「遠い。これはもう速さ勝負。非情になりなさい、シュッツ」

 たぶん大丈夫ならもう躊躇う必要はない。旅は臨機応変、夢追い人がひしめき合う北大陸を脱出し、まだ多くが到達していない南大陸へ先んじる。

 今は早いことが全てを置いて優先されるのだ。

「シュッツ、此処が稼ぎ時よ」

「稼ぎ時って言ってしまっておる」

「へそくりを出しなさい。早馬を使いましょ」

(……何故、今日に限って、酒場に来られたのか。いつものように酒臭い、煙たい場所が嫌だから、と宿で休んでおられたら、こんなことには――)

「金」

「……ぎょいぃ」

 シュッツ、泣きながら三周りは歳の離れた少女にカツアゲされる。


     ○


 激動の世界とは裏腹に塔の中は静謐に満ちていた。

 その理由は、

「もう限界であろう? そろそろ観念したらどうじゃ?」

 ソロが最低限の食料と飲み水を確保した後、家の隅に微動だにせず座り込んでいたから。眼の下に刻まれた濃い隈は三日三晩寝ていない証。

「あの悪趣味な夢は魔法の修行に何の関係があんだ?」

 睨みつけるまなざしに、普段の陽気さは欠片もない。

 敵意のみが浮かぶ。

 猫様はため息をつき、

「別に逃げたければ逃げてよいぞ。わしに言えばいつでもこの塔から出してやろう。なに、手間が省けてむしろ助かるわい」

 無情の眼を向ける。

「……俺は何の関係があるって聞いて――」

「わしは必要なことはすべて伝えておる。それで足りぬのなら、考えが足らんか、向き合おうとしていないか、どちらかじゃろ。何度でも言う。逃げたければ逃げよ、去りたければ去れ。見込みのない者に費やす時間ほど、無意味なものはない」

「……っ」

「わしは寝る。眠たくなったからの。にゃにゃにゃ」

 猫様はこれ見よがしにベッドの上でいびきをかき始めた。ソロは睨む気力も薄れ、床をじっと見つめる。視界が揺らぐ、景色がぼやける。

 気力体力の限界。

 それでも――


「何故ともに戦ってくれなかった?」

「兄貴ぃ、明日は何するっすか?」

「どうして?」

「おかえりなさいっす」

「私を置いて行かないでくれ!」

「今日は何を――」


「はっ!? はっ、はっ、はっ、はっ」

 睡魔に呑まれると待ち受けるは悪夢。後悔が押し寄せる。コントロールできず、悪夢に振り回され続ける。

 体調はとっくにボロボロ、腹痛からの吐き気に頭痛、体調不良のフルコースのような状態で、もはや睡魔とは別に気絶も繰り返すようになる。

 その度に悪夢を見る。

「……柄じゃねえ。俺じゃ、ねえ。そうだよ、俺なんかじゃ、そう、わかってるって。あの時さ、俺は死ねばよかったってんだろ? 出来たさ、そりゃあ出来たよ。死ねたよ。でも、思いつかなかったんだ。それは嘘じゃない。嘘じゃ、ない」

 夢と現、もはやその境界線が薄れ――

「逃げたんじゃ、ない。俺は、助けようと、して、でも、仕方ないだろ、届かなかったんだ。俺の手じゃ、だから、そんな眼で、俺を見ないでくれ」

 嘘じゃない。

 その時その時、必死だった。だけど、気づかなかったし、出来なかった。

 それは嘘じゃない。嘘じゃない、何度も念じる。

「世話の焼ける小僧じゃのお」

 その言葉は現か、それとも夢か――

 ソロは見慣れぬ景色の中に立っていた。いや、見たことがないわけではない。この白い城自体は見覚えがある。

 アンドレイア王国の、お城。

 でも、この悪夢の連鎖の中では初めてのことである。何せ、自分にはほとんど関係がない、シュッツがバチクソ殴られていた記憶しかない。

 それものど元過ぎれば何とやら、今は特に思うところなどない。

 なのに、何故――

「……おかあさま」

 荘厳なる白き城、その片隅で少女が一人膝を抱え泣いていた。手入れの行き届いた銀色の髪、ふわふわのお姫様のような恰好。

 いや、違う。ような、ではなく彼女はお姫様なのだ。

「どういうことだ?」

 近くでソロが言葉を放つが、少女に反応はない。ただ、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、泣きじゃくっていた。

 声だけは、それだけは抑え込みながら。

「おかあ、さまぁ」

「……そうか、確か、ルーナとソアレは腹違いで、母親が違う。こんなちびの時に、母親が死んでいた、ってことか」

 ソロは少女の隣に座り込み、そのらしくない表情を見つめる。泣く姿など、あの背中からは想像もつかなかった。

 ルーナ・アンドレイアはこんな表情で泣くのだ。

「……っ」

 場面が切り替わる。

 同じ城ではあるが――

「姫様、もう少しで弟君か妹君か、お生まれになりますね」

「……うるさい」

「え?」

「いや、なんでもない。稽古の続きだ」

 ソアレとやり合った場所、其処で騎士と剣を打ち合う姿はもう、あの時出会ったルーナの姿に重なる部分があった。

 でも、ソロは聞き逃さなかった。見逃さなかった。

「……なんでだ?」

 溺愛していた、実際彼女からも大事な妹がいると聞いた。其処に嘘があったとは思えない。しかし、間違いなく今、彼女は嫌悪の色を浮かべていた。

 生まれてくる者に対して――また場面が切り替わる。

 それは豪奢な、石の、おそらくは墓。ソロはあまり墓というもの自体になじみがないのだが、何となくそんな気がした。

 その墓を前に、

「みんな、もう、新しいお義母様のことばかり。誰もお母様のことなんて、考えてもいない。忘れている。許せない。大嫌い」

 誰もいないことをいいことに、彼女は現状の不満をぶちまける。

「アズゥ家が名門だから。うちが、名門じゃなかったから。みんな、喜んでいる。男の子だったら後継者の誕生だって、みんな、大嫌い」

「……」

 想像もしていなかった。

「死んじゃえば、いいのに」

 短い間でも隙が微塵も見えない、完璧超人に見えたルーナ・アンドレイアにもこういう一面があったのだ。そう、あの嘘っぱちの約束をする時に見せた、あの貌もそうだった。そりゃあ、あんな短期間で全部わかるわけがない。

 でも、

「おかあさまぁ」

「……そっか、これがお前の、後悔か」

 人には様々な貌がある。完璧超人の貌の下、其処にはただの人の貌があった。

 普通に嫉妬し、普通に怒り、憎み、

「ルーナ、あなたの妹です。仲良くしてあげてくださいね」

「あ、は、はい」

「あぶぅ」

「あら、笑った。ふふ、わかるのね、お姉ちゃんのことが」

「……っ」

 小さな手に握られたこと。無垢な手に指を掴まれて、すがるような手触りを受けて、少し前まで死ねと願っていた少女はもう、後悔していた。

 自分はなんと恥ずかしいことを考えていたのだろうか、と。

「はは、可愛らしいもんだね」

 ソロは苦笑する。可愛らしい後悔、溺愛していたのは可愛がっていた部分も大きいが、ほんの少しだけこの時の後悔も、負い目がそうさせていた部分もあるのだろう。こんなことを悔いるとは、なんと潔癖で可愛らしいことか。

 これも想像できなかった。

 修行し、勉強し、皆から天才だ、神童だと褒め称えられる日々。誰が見ても完璧な大活躍、されどその裏には血のにじむような努力があった。

 その努力を誰も見ていないところで積み上げる。

 天才を演じるために。

 皆が期待する存在と成るために。

「は、は、は」

「……そりゃ、そうだよな」

 努力なしでどうしてあの華麗な剣技が披露できようか。努力なしでどうしてあの凄まじい魔法が扱えようか。

 確かに彼女は天才だったのかもしれない。だけど、それ以上に努力家だった。血が滲む思いを、吐き出しそうになりながら、それでも積み重ねる。

 その理由は、

「よくやった、ルーナ! さすが我が娘だ!」

「姫様がおられる限り我が国は安泰ですな」

「我ら騎士一同、姫様に付き従う所存であります」

 皆の期待。

 その重圧、まなざしが重みと化し、双肩を圧し潰そうとする。

「だ、大丈夫か?」

「大丈夫ではないわい。常にギリギリじゃった。見ての通り、の」

「し、師匠」

「誰が師匠じゃ。ほれ、きちんと見届けよ。ルーナ・アンドレイアの悪夢を、あの小娘にとってはの、この日常こそが悪夢であったのじゃ」

 突然現れた猫様の言う通り、彼女が皆の期待に応える度に、さらに期待が膨らんでいく無間地獄。彼女は外側では笑顔を振りまき、完璧超人を演じる。

 でも、裏側では一人、苦しみ、藻掻き、時に重圧に耐えかね吐いていた。

 そう、あの時、ほんの少し零れた弱さこそが――

「……クソが、なんだよ、超格好いいじゃねえか」

 彼女の本質であり、それでもなお彼女は強くあろうとした。それは亡き母のためか、愛する妹のためか、それとも高貴に生まれついた者の責務か。

 そればかりは彼女にしかわからない。

 されど彼女は満身創痍でただ一人歩む。

 たどたどしい足取りで、それでも力強く、血反吐吐きながら、進む。

「そなたがおれば、あの娘の苦悩も少しは和らいだやもしれぬのぉ」

「なんでだよ?」

「この姿を、そなたは格好いいと思ったのじゃろ?」

「そりゃ、誰でもそう思うだろ。生まれついての完璧超人よりもさ、よほどすげーよ。かっけーよ。女々しい自分が、情けなくて笑えてくるぜ」

 ソロはもう一つのルーナを目に焼き付ける。自然と涙がこぼれてきた。情けない自分に対する怒りと、一人戦う彼女への敬意。

 それが胸を焼く。心を焼く。

「……そうか」

 ソロが格好いいと言った『弱さ』をルーナは恥じていた。それと向き合い、自分を見据えることを恐れるほどに。だからこそ、皆が求める自分ではない、この光景は彼女にとって悪夢であったのだ。

「もう充分だ。ありがとよ、師匠、ルーナ」

「誰にも言うでないぞ。個人情報漏洩じゃからの」

「言わねえよ」

 最後にただ一人、唇を噛み締めながら前を見据える彼女を目に焼き付け、


「おはようございます!」


 ソロは目を覚ます。

 そして、

「おやすみなさい!」

 すぐさま目を閉じた。もう逃げない。あれだけ気合いの入った姿を見せられて、女々しい姿など見せられようか。

 弱音はもう、彼女ほどに努力を積むまで言わぬと決めた。

 たぶん、きっと、ちょっと自信がないけれど――

「ぐぅ」

 特技、即入眠。

 そんな阿呆な姿を見つめながら、

「くっく、少し見てみたかったのぉ。あの強情な娘とこの阿呆が、支え合いながら二人並び立つところを……実に、惜しい」

 猫様は満面の笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る