幕間:ソロ②
「おやぁ、やはり信心が足りないと牌が寄らんなぁ」
「……勝負は靴を履くまでわからんさ」
「スカしてももうハコは目前だぜぇ」
ソロの点棒は千点と百点棒が少々、リーチは何とかできる状況にまで叩き落されていた。最初のアガリ以降、狙い撃ちされているかのようにソロだけが満遍なく毟り取られ、今に至る。
当然、
(……サマだよな、そりゃ)
イカサマである。此処まで露骨に狙い撃ちされたなら馬鹿でもわかる。
おそらくは、
(四人目……俺の背後にいる店員、こいつがカベ役、か)
四人目がいる。通し、と言うイカサマは通常打ち手同士が何らかのサインをやり取りして、互いの牌を効率的にやり取りするコンビ打ちなどとも呼ばれるものだが、此処に打ち手以外のカベ役を介すことでより高精度に盤面を操作することが出来る。カベ役が局で勝つ打ち子へ他二人がアシストできるようにすることも出来るし、ソロの当たり牌を通せば全員強気で押せる。
玄人ぶった一見、どでかいレートで楽に勝たせるわけがないと思ったが、此処まで思い切ったやり口で、賭場ぐるみで来られたのなら仕方がない。
(正当防衛ってことで)
ソロは笑みを浮かべる。
それを見て、
「おいおい、オーラスだぜ。あとがないのに余裕だなぁ」
「くっちゃくっちゃくっちゃ(気でも狂ったか?)」
「ドドドドドドドド」
三人が三人、独特な煽り方をしてきた。特に口ではなく足で煽ってきた貧乏ゆすり野郎は、逆に面白いからびっくりする。
どちらにせよ、
「お前さんらは神を信じるか?」
「あ?」
「くっちゃ(信じてるに決まってんだろうがボケカス)」
「ドドド」
「俺は信じていない。何故なら――」
ソロは自身の左腕を彼らにかざし、
「神はこいつに宿るからだ」
其処に神が宿ると言った。打ち手の三人だけではなく、大勝負を見学している客やカベ役の店員も大爆笑。
よくぞ、ここまで吹いた、と。
「プロク」
煙草に火をつけ、
「さあて、神様の言う通り、とな。捲るぜ」
紫煙を吐きながらソロは左手を解禁した。凄まじい勢いで山を積み上げていく。今までの比ではない、とてつもない速さに彼らはぎょっとする。
「……何の真似だい?」
「利き腕が左なんだよ。勝負どころにゃ、こいつを出すと決めている」
「はっ、意味ねえ。麻雀は早く積むゲームじゃねえよ」
「そらそうだ」
大金を失う一歩手前、本来余裕などあるはずがないと言うのに、自信満々のソロに不気味さを感じながらも、彼らには絶対に勝利する自信があった。
負ける理由がないのだ。
自分たちには賭場公認の四人目がいるのだから――
しかしその四人目が眼を剥く。
「ダブルリーチ」
親のダブルリーチ、初っ端から大きな手が来た。ただ、彼らは鉄壁である。当たり牌は出ない。そう、
「ツモ、一発」
「は?」
ツモ、以外は。
「ダブリーイッパツツモついでにタンピン……親のインパチ(18000)」
「ぐ、お」
「ほれほれ、上がってきたァ。ガンガン行くぞ」
反撃開始。
「リーチ」
「くっちゃァ⁉」
「ツモォ!」
「ドド⁉」
怒涛の連荘。三人の貌が真っ青になっていく。ありえないのだ。麻雀は運のゲーム、連荘になることはある。あるが、こんな早上がりが連荘などありえない。
しかも全部がツモ。
ハコ寸前だった男が、一気に大捲りをかましてきた。
だが、三人よりも驚いているのは――
「あ、ああ」
「店員さん。火ィくれや」
「は、はい」
カベ役の店員であった。後ろで見ている。だからわかる。この男はイカサマをしている。配牌がツモっていないのにどんどん変化しているのだ。
おそらくは山と交換している。
要は積み込みである。だから、現場を抑えればいい。店員の権限があるのだ。現行犯なら如何様にでも出来る。
バックの組織に流せば奴隷の出来上がり。
ただ、
「ロン」
「だ、ダマ⁉ くっ、お、おい! サマしてんじゃねえ! 店員、何処に目ェつけてんだ! さっさとそいつをとっ捕まえろよ!」
「あ、えと、その」
「証拠、あんのか?」
証拠がない。配牌と違うのはわかる。でも、其処から何がどうやって牌が整理され、テンパイまで持ち込まれているのか、それがわからない。
だって、交換しているところも見えなければ、牌を積む際も妙な挙動は一切ないのだ。だから、捕まえられない。咎められない。
今のなんて直前までイーシャンテンだったのに、リーダー格の男がその牌を振った瞬間には、それが当たり牌へと変貌していた。
まるで魔法でも見ているような信じ難い光景。
「因縁付けてくんなら……現行犯で捕まえてみな」
「ぐっ」
もはやバレバレの目配せ。しかし、彼らにはどうすることも出来ない。
何故なら、
(今日のこいつが絶好調、だからだッ!)
本日、ソロの左腕が絶好調であるから。別にソロは難しいことなど何もしていない。左手で山を積む際、左手の繊細な感覚で盲牌し、超スピードで赤ドラなどの牌を選び自分の山に積み込んでいるだけ、である。
配牌も盤面を見ながら、自分が集めた牌と適宜交換しているだけ。その手捌きがあまりにも速く、巧みであるため目で追えていないのだ。
この場全員が、見ているのに見えていない。
これが地元の雀荘をすべて理由不明のイカサマで出禁になった男、自称黄金の左腕を持つ男の真骨頂である。誰も彼を止められない。
刹那の邂逅で財布の中のお札の種類まで的確に判別できる男である。ならば、盲牌など赤子の手をひねるようなもの。
むしろ、
(何処に何の牌を積んだのか、それを覚えるのがしんどいんだよなぁ)
そちらの方が難しい。実際、入れ替えの際はちょびっと間違えている。でも、間違えたらまた入れ替えたらいい。
調子のいい時は、何度やろうと常人では視認すら出来ないから。
何人をも寄せ付けぬ神速のイカサマ。
「さて、仕上げだ」
(う、嘘だろ。こんな、全員綺麗に……ハコ寸前。悪夢だ、何が起きている? 何をどうしたら、こんなことが)
「言ったろ。神が宿ってる、ってなァ」
止められない。唖然と、愕然と、ただ眺めるより他はない。
「くっちゃくっちゃちゃ!」
「あ? え? ……あっ」
最後の最後、リーダー格の男はクチャラーからの指摘を受け、ようやく気付く。そう、さっきからソロは一度も、自分の山を彼らに触らせていない。
つまり、この男は賽の目すら操作している、と言うこと。
そう、絶好調のソロ、その左手は、
「ゾロ目は縁起イイね。12,だ」
「あ、ああ」
賽の目を操る。たまに失敗するのはご愛敬、それに多少失敗したところでどうにでもなる。結局、半分でも山が残れば十分やれる。
この仕上げはさすがに気を遣ったが――
(く、くそ配牌。今度こそ、見抜いて――)
「店員さん」
「え?」
「そんなに凝視してると……さすがにバレちまうぞ」
「っ⁉」
刹那の隙、さすがにこの大技は凝視されるとバレる。何せ右手が介在する必要があり、どうしても速さはそちら準拠と成る。
それでも速いが、念には念を、石橋を渡る気持ちで相手を揺さぶり、動揺させ、一瞬視線を揺らぎ、外させた。
其処で決める。
「は、早くひとつ目を切りやがれ」
「切る牌がねえ」
「……は?」
「終わりだ」
秘技、燕返し。
十四のアガリ配牌を山へ仕込み、それを手牌と全部交換する大技である。何処かの世界ではイカサマの芸術とまで称される至高の絶技。
バレずに行うのは困難なれど、
「天和」
天運なくば成せぬ神の御業を人為的に成すことが出来る。
これぞ役満也。
「御無礼」
「ひ、ひぃ!?」
紫煙を吐きながら、
「まだやるかい?」
ドスの利いた声でソロは挑発する。いくらでもやってやる。全部俺が勝つ。まだやる気があるのなら、かかってこい、と。
「勘弁してください!」
ソロ、
「おう」
大勝利、一発出禁。
〇
ソロは勝利の景気付けに適当な酒場に入って酒を飲んでいた。勝つ額だけを考えるなら、それこそもっとじっくり、じわじわと勝つべきだったが、どうせ明日には発つ街であるし、少しぐらいは無茶も良いだろ、とああやって勝った。
イカサマにはイカサマを。
イカサマ相手じゃなくてもイカサマで勝つ。
これがソロの流儀である。
「ういー……回ってきたなぁ。もう一杯!」
「お客さん、潰れちゃいますよ」
「潰れなぁい!」
かなり酒が回ってきたのか、大分いい感じに仕上がってきたソロ。バーテンも心配するも、ソロは上機嫌におかわりを連打する。
其処に、
「景気のいい御仁だね。一曲如何かな?」
リュートを担いだ中性的な見た目の吟遊詩人がソロへ声をかけてきた。普段なら吟遊詩人の曲に金を払うなどしないが、
「んー、じゃあ、ガーっと気分の上がるやつ頼むわ」
お財布から一万オロ札を出して、吟遊詩人に手渡す。
「剛毅だね」
「あぶく銭ってやつ。んじゃ、好きに歌ってくれ」
「承知いたしました」
酒場にはこうした流しの吟遊詩人がよくいる。流れ者もいれば、ある程度謳う場所を定めた者もおり、上手い下手も含めて玉石混交。
今回の吟遊詩人は、
(歌は抜群に上手いな。素人だけど、さすがにこれだけ上手いとわかる。でも、全然テンションが上がる曲じゃねえ。まあ、いい、けど――)
歌は上手いが客の要望に応える気は皆無の、何処か子守唄のような曲調で音を紡ぐ。オーダー違反だが、元々さほど期待していなかったので聞き入る。
聞き入りながら、うとうとと睡魔が押し寄せる。
夢、幻、其処には昔の自分がいた。
「……」
親も兄弟もいない。物心ついた時からずっと一人で、あまり群れることなく生きてきた。今の名前も、そう、ひとりぼっち(ソロ)と揶揄されていた呼び名を自分の名前としただけ。本来はナナシである。
一匹狼と言えば聞こえはいいが、ただあぶれ者であっただけ。だけど、一人でも生き抜いてきたスキル、特に左手には矜持があった。
これ一本で生き抜く。周りの連中が冬の寒さや飢えでバタバタ死んでいく中、それでも自分は生き抜いた。
それが狼の眼となる。
危ない橋も何度も渡った。今日みたいな鉄火場など生ぬるい、左手一本、こいつを買われて色んな勧誘を受けたが全部蹴っ飛ばした。
それで近づけなくなった街もある。
一人で生きてきた。一人だけで良いと思っていた。
あの頃は誇り高く、孤高であったはず。
「お父さん、お母さん」
「……」
羨ましいと思ったことなんて――ない。
ないのに、
「馬鹿か? 学べよ。力向けたら力が返ってくんだよ」
「……殺すぞ」
なんで自分は――
「アニキぃ!」
「アニキって呼ぶなぁ。俺はソロなんだよ、出てけ!」
「でも自分、行く場所ないっす」
「……」
なんで自分は、それに徹さなかったのか、それが――
「アニキ、ごめん、なさい」
「……」
それがずっと、心に棘のように突き立ち、疼く。
ただ、それだけの記憶。
それを――
「美声が過ぎたかな? 君を泣かしてしまったみたいだ」
「……うるせえ。酒を飲み過ぎただけだ」
ほんの少しだけ思い出した。
「あー、興が削げた。河岸変えて飲み直す!」
「そうかい。では、また何処かで。寂しがり屋の……ひとりぼっち君」
「……おい、こら――」
客の悪口を言うな、と噛みつこうとしたが、吟遊詩人と目が合い、其処に浮かぶ色を見て、何故かそんな気が失せた。
「何か?」
「いや、ま、もう会うことはないだろ。俺はどうせ、流れ者だしな」
どうせ流れ者。地元なんて言っても今までで一番長居しただけ。寄る辺を失い前科も得た。さすがに潮時、この旅は次の流れる場所を探す旅、とも言える。
自分が碌な奴じゃないことは、それこそ自分が一番よく知っているから。
そんなソロが去っていく後姿を見送り、
「また会うさ。女神様の思し召しだよ、ソロ」
ポロン、とリュートを奏で、酒場の誰も気づかぬうちに吟遊詩人の姿も夢幻の如く消え失せていた。
酒場を出たソロは湿っぽくなった気分を一気に上げるため、
「お兄さん、女の子の店どう? カワイ子ちゃん揃ってるよぉ!」
「ほぉ……ひっひ、一丁パーッとやるかぁ!」
「さっすがぁ!」
女の子がお酒を注いでくれたり、お話をしてくれたりするお店に吸い込まれていく。キャッチのお兄さんに唆されるままに――
〇
翌日、
「とっつぁん」
早朝、宿も兼ねた酒場の一階で朝食をとっていたシュッツの前に、
「……服だけ買って。あとで返すから」
パンツ一丁となったソロが帰ってきた。
「……なんでそうなるのだ?」
「俺にもわからん」
酒で全部記憶が飛んだソロには、なぜか裸になってゴミ捨て場に逆さまで埋まっていたことしかわからなかった。
麻雀で勝ったことも、吟遊詩人も、女の子の店(ぼったくり)も、何一つ覚えていない。おどろきもものきである。
「この……バッカモン!」
「ごべぇん!」
『オイラがいればなー、そんなこともなかったのになー』
(ごべぇん!)
この後、馬鹿みたいに怒られた後、服だけは街中の質屋を探し回りシュッツが買い戻してくれた。しばらくソロ活動が禁止させられたことは言うまでもない。
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