第8話:ぬすっとVSおひめさま①

「ぅ、ぅぅ」

 ベッドの上ですすり泣くは大国アンドレイアの王女、ソアレ・アンドレイアである。姉の奮戦、そして事の顛末をシュッツから告げられた後、ずっとこの調子なのだ。それをおいたわしや、とシュッツは見つめていた。

 その間、

(いたたまれねえ)

『なー』

 ソロとトロは何とも言えない表情で立ち尽くすしかなかった。肉親が死ぬ、その痛みが全く、これぽっちも理解出来ぬわけではないが、それでも赤の他人であるソロたちが彼女の悲しみに何かを言える立場ではない。

 同情は安い。

 慰めはもっと安っぽい。

 そもそもどぶ育ちにそんな文化はない。肉親がいる方が珍しいから。

「な、なあ、とっつぁん。俺、外出てようか?」

「某と共におらねば不審者として捕まってしまうぞ」

「……おっふ」

 少女の悲しみが落ち着くまで待たねばならない。ソロはあまり涙が好きではない。水分が抜けるし、疲れるし、何よりも何の意味もないから。

 泣くよりも笑って前を向きたい性質である。

 それが例え、大事な人を失った渦中であっても――

「……」

「落ち着かれましたか、姫様」

「……ええ、少しは」

「それはよかった」

 ようやく落ち着いたようで、泣きはらした目をこすりながらソアレは、

「ねえ、シュッツ」

「何でしょうか?」

「……シュッツは、お姉様の遺体を確認して、いないのよね?」

 それを口にした。

 シュッツは困り顔を浮かべる。

「え、ええ。ですが、状況的にも生存は絶望的であると――」

「でも、お姉様よ! 国一番の勇士、ルーナ・アンドレイアなら、きっと生きているわ。いつだって誰よりも強くて、優しくて、でも、たまにほら、悪戯をすることもあったでしょ? 私を驚かせようとして……きっと今回もそうよ。絶対!」

「ひ、姫様」

 おろおろとするシュッツとは対照的に、ソアレの瞳には見る見ると生気が戻ってくる。力強さが戻ってきた。

「お姉様は誰も悲しませないもの。お姉様は――」

 そんな姿を見て、

「あほくさ」

 ソロは喉元にせりあがる言葉を止められなかった。

 それが、

「ソロ!」

「何ですって?」

 例え猛火に油を注ぐこととなっても。

「現場にいたとっつぁんが生きてないって言ってんだ。死んだに決まってんだろ? お前さ、ドラゴン見たことあんの?」

「……不敬ね」

 ソアレの眼がソロを見据える。あの王と同じ、本来視界にも映らぬものを見る眼、蔑む視線、珍しくもない。

 珍しかったのは、そうじゃない人だから。

「大体人が死ぬなんて珍しくもねえだろうに。あのおっさんもあんたもぐだぐだぐだぐだと……マジでくだらねえ。なんかすげえ戦争が今も続いてんだろ? それならそっちのこと考えていた方がよっぽど有意義だろうにな。王族だしさ」

 魔の木の件もある。嘆き悲しむ余裕なんてどこにもないはず。

「ソロよ、肉親の死とはそう易々と拭えるものではないのだ」

「だから知らねえって言ってんだろ。こちとら物心ついた時から天涯孤独のおひとり様だ。理解できないしする気もないね。下賤の民はな、泣こうが喚こうが、自分の足で、手で、明日のメシを確保しねえと今度はこっちが死ぬんだよ」

 ソロは左手に力を入れ、掲げる。

「悲しめば同情してもらえる。メシも寝床も誰かが用意してくれる。……気楽な生き物だぜ、王族ってのは」

 生まれが違う。生き方が違う。

「姫様、この者は――」

「黙りなさい、シュッツ」

「姫様!」

 考え方が違う。

 だから、これが当たり前なのかもしれない。

「不敬の報い。その身で償いなさい」

 衝突。

 ソアレは手袋を脱ぎ、それをソロへ投げつける。どぶ底生まれのどぶ育ちでもそれが意味することぐらいは知っていた。

『へへ、まあこうなるよな』

 決闘である。


     〇


 王宮に併設された修練場には現在三人の人間がいた。

 一人はしぶしぶ立会いを務めることになったシュッツ。

 もう一人はどぶ底生まれどぶ育ち視点では豪奢な恰好であるが、先ほどのドレスと比べたら動きやすくなったソアレである。

 最後の一人は静かに天井を見上げ、

(……言い過ぎたかもしれん)

『手遅れでござい』

(……今からとっつぁんに仲を取り持ってはもらえないかな?)

『ギラッギラの眼、首刎ね飛ばす気満々だよ。諦めな』

(……なんで俺は、余計なことを)

 余計な言葉で面倒ごとに発展したことを早速悔いていた。シュッツからはそれ見たことか、と刺すような視線が飛んでくるも後の祭り。

『お姫様の言葉なんざ適当に流しときゃ、今頃この息苦しい王宮からおさらばできていたのになぁ。ま、おさらばして何処に行くのかも知らんけど』

(それだよなぁ。結局、これからどうするんだろ?)

『とっつぁんに腹案があるんじゃね? それもこれもここを切り抜けなきゃ、だけどな。ケケケ』

(……ハァ、それだよなぁ)

 ソロはため息を重ねた。自業自得、いくら悔いても吐いた言葉は引っ込まない。相手はやる気満々、こちらはどんどんやる気がしぼんでくる。

 ぶち撒かねばよかった、油など。

「準備はいいかしら?」

(全然よくねえ)

「ま、名も無き貴方が準備できてなくても関係ないけれど」

(性格もよくねえな、こいつ)

 相手の性格の悪さでちょっとだけやる気が上がるも、やはり根本的にこの決闘が無意味過ぎてから元気も湧き出してこない。

(ってかドレスの時とは印象違うよな?)

『結構やるよ、オイラの見立てだと』

(……昨今のお姫様ってのは強くないと駄目なのか?)

『さらわれて敵中で助けを待つ時代じゃないってことだ』

(そうかい。……ちなみにトロ助様)

『おん?』

(手伝ってくれるよね? 相棒のピンチだし)

『そりゃあ手伝うけど、なんかやる気が削がれる言い方だよなぁ。相棒感が薄いってか、よそよそしいって言うか』

(やるぜ相棒!)

『なんだかなぁ』

 剣も魔法も素人に毛が生えた程度のソロが独力では話にならない、気もした。その辺の嗅覚はストリート生活で培ったものがあるのだ。

 ならば、喧嘩を吹っ掛ける前にそれを発揮するべきであるが。

「じゃ、来なさい」

 相も変わらずゴミムシを見る眼。今更、その眼をやめろという気もないし、何ならくよくよした後、あのクソみたいな元気の出し方よりもナンボかマシである。

「なら、遠慮なく!」

 たん、と軽快に相手との距離を詰めるソロ。魔法の修行と並行して剣もトロ流を学んでいる。シュッツも頼んでいないのに教えてくれている。

 其処に魔剣セイン・トロールの力が乗れば――

「……っ」

 相手の想像を超える速度となる。

(うむ、やはり速い)

 歴戦の騎士シュッツが舌を巻くほどの速さ。もちろんルーナと比べると兎と亀ほどにも差はあるが、速さだけは並の騎士以上の水準にある。

 何よりも、

「よし、背を取った!」

 旋回性能。小回りの巧みさに関しては手心を加えていたとはいえ、シュッツも目を回すほどのものがあった。

 ただ、

「で?」

 相手はルーナ・アンドレイアの妹、ソアレ・アンドレイアである。仲のいい姉妹は追いかけっこなどの遊びによく興じていた。

 神速を誇る姉もまた、よく妹の背中を取り驚かせていたのだ。

 この程度の速さで見失うほど甘くはない。

「うっ」

 ぎゅるんと振り返り、身体を入れ替えながら後退と同時に剣を横薙ぎに払う。トロが受けてくれねば、素早い抜き打ちに対応できなかっただろう。

『目がいい』

(みたいだな)

 目の良い相手は苦手である。スリが難しくなるから。

「士ッ!」

 素早い連撃、かわすのも難儀、受けるのも簡単ではない。思ったよりもずっといい剣士である。王宮にひきこもるお姫様、ではない。

『悲報だ相棒』

(勝てない?)

『いや、何とかなる。でも、寸止めは厳しい。想像より速くて強いわ』

 さすが魔剣様、今のソロを使っても見事に使って勝ち切ることは何とかできる。しかし何とか、と言うのが難儀なところ。

 相手もかなりの剣術を、速さを持つ。

 この高速戦闘で上手く寸止めできるのか、三百年イメージトレーニングを重ねてきた魔剣もちょっぴり自信がない。

 相手が魔物や、多少斬られたぐらい屁でもないシュッツ相手とも違う。

 顔にでも傷が残れば――

(……我に策あり)

『なんやて⁉』

(上手く戦ってくれ。俺は俺でやるさ)

『合点だ!』

 妙案を思いついたソロ。相手が女の子だから、相手があのルーナの妹だから、あと打算的に王宮で王族を斬ったらヤバそうだから、以上の理由からソロは不殺を敢行する。相手は殺す気であり、魔剣込みの自分とさほど変わらぬ力量を持つ。

 それでもソロには勝算があった。

(む、少し速さが落ちたか。だが、それでも剣技はソロが上。聖剣の加護の素晴らしさよ。くるくると曲芸のような見たことのない型だが……やはり見事である)

 シュッツは三百年のイメージトレーニングによる成果を見て驚嘆し、称賛していた。そしてそれは――

(こ、こんなみすぼらしい男に、私の、アズゥの剣が!)

 ソアレもまた同じであった。敬愛する姉が戦争に行くと知り、自分もいつか姉と肩を並べるため、母方の実家であるアズゥ家で研鑽を積んだ。

 その技術よりも上。それがソアレには許せなかった。

 苗字を持たぬ、根無し草如きに――それが高貴なる者の偏見に満ちた普通の考えであった。彼女はソロの剣がトロのおかげと知らぬがゆえに。

(それにこの男、引き足が速過ぎる!)

 旋回性能も高いが、引き足、つまりバック走の速さも騎士の水準から見ても頭抜けていた。左右と後ろへの高速移動、これは――

『相棒の、ストリート育ちの強みだ』

 逃げに特化した移動技術が体に染みつき、筋肉もまた用途にそぐう付き方をしていたのだ。トロはただ、その武器を上手く操っているだけ。

 操っているからこそわかる。

 この男は捕まらぬことに長けた凄腕の盗人である、と。

 何よりも――

「ひ、姫様!?」

「なに⁉ 今、少し余裕が――」

「あれが、その、ばいん、と!」

「ばいん?」

 盗人ソロが持つ最上級の武器が、


「うっわ、でっか」


 トロを持つ手とは逆、自称黄金の左腕。

 それが、

「……え? あ、ちょ、な、なんで!? ボタンは⁉」

 ソアレの服、その胸元のボタンを、

「こちらでございます、お姫様」

「は、はあああああああ⁉」

 知らぬ間にかすめ取っていた。其処に内蔵していたでっかいあれ、服で、ボタンで抑え込んでいたのに、その封印をソロが解いてしまった。

 もちろん肌着はしっかり着用しているので色々と見えないよ。

「俺の勝ちだ」

 ドン、とキメ顔のソロ。

『いよ、相棒! 世界一!』

(よせやい)

 やっていることはただのセクハラである。

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