第6話:この木なんの木
一人の少年が森の中を走っていた。必死な形相で、後ろを何度も振り返り、怯えながらも駆け抜ける。
しかし、背後から何かも迫り来る。
「ひ、ひ、いやだ、いやだ」
顔には恐怖が浮かぶ。
「だれか……」
「ギギ」
影が、木々の間をすり抜け少年の下へ――
「助けてぇ!」
背中に暴力の気配を感じながら少年は叫んだ。
その瞬間、
「行け、トロ助!」
『相棒を――』
何かが少年の横を高速で通り過ぎる。
そして、
「ギギャッ⁉」
『――投げるんじゃねえ!』
少年の背後にまで迫っていた影に突き立った。
「的中! どーよとっつぁん、俺の剣術は」
「けん、じゅつ?」
少年の前に二人の男が現れる。一人は見るからに大きく、強そうな騎士。もう一人はなんと言うか、あんまり戦いには役立たない雰囲気の男であった。
「だが、好判断であったぞ、ソロよ」
「ま、ざっとこんなもんよ。大丈夫かチビガキ」
「言葉が汚い」
少年は差し伸べられた手を取る。黒髪の男はにんまりと笑みを浮かべ、少年を引き上げて立ち上がらせた。
そのまま肩をポンと叩き、倒れ伏した影の方へ向かう。
「で、なんだこのチビで不細工な生き物は? この辺の猿はこんなのなん?」
影に突き立った何か、よく見るとやんごとない感じの聖なる感じが溢れる剣を引き抜きながら、戦いとは縁遠い黒髪の男、ソロは奇妙な死体を見つめ首をひねる。
『んなわけねえだろバーカ』
「そんなわけあるまい」
「んだと⁉ 舐めた口ききやがって!」
「え、某そんなこと言った?」
「あ、こっちの話っす」
普段は心の声で会話をしているが、ソロはトロの罵倒に耐え切れず口に出してしまった。反省しながらも、
『いで、おい、今剣を納める前に蹴っただろ?』
(さあねえ。馬鹿なんで知りましぇぇん)
『野郎』
しっかり煽り返し、バチバチに心の中で睨み合いに発展する。心の中で睨み合い、というのが言葉として正しいのかはわからない。
「これは鬼種、ゴブリン(小鬼)であるな」
「え、魔物なん? でも、ここから北の戦場ってすげえ遠いと思うけど……北上してるけど大陸の南寄りだろ、現在地って」
「うむ。しかし……少年よ」
「は、はい」
騎士の大男、シュッツが少年に声をかける。
「この魔物、もしや貴殿の住んでいるところを襲ったのではあるまいか?」
「う、うん。いきなり現れて、大人たちが戦って、それで、怖くて」
「逃げたことを責めなどせぬ。悪しきは魔物なり。しかし、頼みがある。某らを貴殿の住んでおるところまで案内してくれぬか?」
「助けてくれるの?」
「間に合えば、であるが」
「お、おれ、急ぐよ!」
「いや、それには及ばぬ」
シュッツは両手を掲げ、
「駆けよ鉄騎、『ガ・シュタール・アウト』!」
魔法を発動する。彼が得手とする鉄の魔法、それが彼を中心に大きく、これまた奇妙な形へと変形した。
鉄の馬、と呼ぶには足回りが武骨過ぎる。
戦車、と言う名が相応しい重厚な見た目と成った。
「ソロ、少年と共に乗れィ」
「お、おう」
『魔法ってなんでもありダナー』
「すげー」
鉄の重戦車、キャタピラでがりがりと地面を抉り、勢いよく加速した。
「なあとっつぁん」
「なんであるか?」
「これで普段移動できないの?」
「精神力を物凄く消耗する。長距離は無理である。あととんでもなく目立つ」
「……そう」
らくちんな旅になるかも、と言うソロの夢は破れる。
〇
「ギ?」
ドルルン、と爆音と共に木々をへし折って、一つの鉄塊がゴブリンの跋扈する集落へ飛び込んだ。傷だらけの村人は唖然と、
「ギィィィイ⁉」
その足で踏み潰されるゴブリンたちは混乱し始めた。
「行くぜトロ助!」
『合点でい!』
戦車から魔剣を引き抜いたソロが飛び出す。人を襲うゴブリンに向けて突っ込み、華麗な剣技で断ち切っていく。
「あ、あの人もすごいんだ」
なお、
(らくちんらくちん)
『相棒もちーっとは動いておくれよ。動かないものを動かすより、一緒に動いてくれた方が凄く簡単なんだけどなー』
(俺が逆に動いたら?)
『逆にしんどいけど』
(なら、とりまお任せで)
『ケェ』
活躍してそうに見えるソロであるが、まだまだトロにお任せの方が強いため、現在は完全にトロ任せの操り人形であった。
「そんなに数は多くないか?」
『まあ、何とでもなる数と質って感じかな。ゆーて女神謹製、魔剣セイン・トロール様だしな。こんなモブ相手楽勝よ楽勝』
「でも――」
ソロとトロのタッグならどうとでもなる。無論、戦車状態で暴れ散らかすシュッツも余裕だろう。でも、普通の人だとそうはいかない。
死体が目に入る。悲惨な、獣に食い散らかされたような残骸。
「ギャギ!」
「……ちっ」
ソロ(トロ)が剣で最後の一匹のゴブリンの首を刎ね、そのままくるくると回転させて剣を納めた。
(トロ助の剣ってなんかやたら回転させるよな)
『映えるっしょ?』
(……映えかよ)
ソロはため息をつきながら周囲を見渡す。惨劇の傍ら、何とか生き延びている者たちもいる。怪我を負い、倒れ伏し、今にも息絶えそうな者も――
「……」
別に魔物の襲来がなくとも獣に襲われ、命を散らす者はいる。凶作により飢えて死ぬ者もいれば、戦争に巻き込まれて死ぬ者もいるだろう。
だけど、
「……父ちゃん、母ちゃん!」
あの光景は少し堪えた。
「よくやったぞ、ソロよ。これ以上を望むのは傲慢である」
「……わかってるよ、とっつぁん」
自分は魔剣を手にしただけの一般人で、そもそも誰がどうしたって間に合わなかった。それでも少し思う。
ルーナならもっと早くここについていた。
そうしたら一人か二人は、死なずに済んだ、怪我をせずに済んだ者がいたのかもしれない、と。
そう思わざるを得ない。
「あの、騎士様」
「む、怪我をしておるのなら動かぬ方が――」
「何人か連れ去られたのです。あちらの方に……助けを願えぬでしょうか?」
「……心得た」
シュッツはソロへ目配せする。
参るぞ、と。
「……」
遺体を前に嘆き悲しむ少年を一瞥した後、ソロはシュッツと共に集落を出る。
魔物が訪れた方向、つまり、そちらに敵がいるはず。
連れ去らわれた人々も――生きていれば、だが。
〇
「ゴブリンどもは徒歩であった。巣は遠くあるまい」
「巣?」
「そうだ。すぐにわかる。三百年前と今の魔王軍は異なる。彼奴らの狡猾さは、周到さ、悪辣なる侵略方法が、な」
シュッツの眼が先の『黒天』を対峙していた時よりも、怒りに満ち溢れていた。それは違うだろう、とその眼は言う。
戦争は百歩許し認める。
蒼き大地アスールを狙う、それは理解できる。
だが、戦争にもルールがある。戦いを覚悟する者同士がしのぎを削り、戦士や勇士たちが命を落とす。それは仕方がない。
それは――
「やはりか……見よ、あれが敵の巣、である」
「……あの枯れた木が?」
開けた場所に伸びる一本の木。他が青々と葉を茂らせる中、その木だけはただの一枚の葉すらつけていなかった。
「枯れておるのではない。あれは根の一部である」
「根? 根っこが天に伸びてんの?」
「うむ」
天を衝く根。であれば――
「ゆえに本体は地下へ伸びる。あれは地の底を衝く魔の木、コモン・オーク」
幹、本体は地の底へ伸びるのだ。
「……嫌な予感しかしねえけど」
「木の大きさを見るに根差したばかり。敵の数は大したことあるまい。さらに巨大化し、厄介な拠点となる前に……内部から打ち滅ぼそうぞ」
「お、おう。どうやって?」
「地下へ潜る」
「……穴でも掘るのか?」
「馬鹿もん。魔物どもが通る穴、道があろう」
「あ、なるほど」
シュッツとソロは敵の足跡を探り、地下への道を発見する。
ただし、
「狭い」
とてつもなく狭い道であった。
「致し方なし。だが、これは成長途中の証」
「……さいでっか」
狭い通路は幾重にも折り返し、徐々に地下へと向かっていく。シュッツの見立て通り、敵とは全然遭遇せぬまま進めてしまう。
唯一の難点は狭いこと。特にシュッツは大柄ゆえ壁にゴリゴリぶつかっている。まあこの男、細かいことは気にしないのか削りながら進んでいるが――
そんな中、
『何なんだ、こりゃ』
トロはソロに伝わらぬよう、さらに内側の心の中で疑問符を浮かべていた。
『あの脳筋魔王がこんなもん、用意するわけがない。三百年の間に何があったんだ? この感じ……間違いねえ。天地は真逆だが――』
トロの焦燥を知る由もなく、二人は奥へ奥へ、下へ下へと進んでいく。
そして、彼らは到達した。
「……なんだ、これ」
「魔の木、オークの葉が、『花』が咲き、生い茂る空間。中枢である」
二人の到来を察知し、
「ギギ!」
少数のゴブリンがこちらへ向かってきた。ソロが剣を抜こうとするも、
「シュタール・リンク」
シュッツが素早く魔法を唱え、空中に鉄の手を生み出す。
「クラップ」
「ギャ」
大きな左掌がゴブリンをすべて圧し潰した。容赦のない攻撃にソロは息を呑む。普段暑苦しいが温厚で、自分のようなどぶ鼠相手にも折り目正しい男が、
「……」
憎悪を湛えた眼で、敵意に満ちた眼で敵を睨んでいたから。
「おそらくあのドラゴンの群れが種をばら撒いて行ったのだろう。進路的にも合致する。今までは北の戦地から下っても一国跨いだ程度にしか確認できなかったが……此度の魔王軍はここまでやるのだ。戦士だけではなく、民をも巻き込んで――」
「種、木、それってつまりよ」
「見たままだ、ソロよ。地に根差し、周辺の魔力を養分として成長する魔の木オーク、地に聳える木に生えるは大きな葉と、無数の花、いや――」
花、その子房の中に、
「……魔物の成る木ってか。冗談きついぜ」
まだ生まれる前のゴブリンたちがいた。未成熟の、より醜悪なる姿で。
そして葉の上にはより多くの血が出るよう、身体を裂かれた状態で絶命した、連れ去られたであろう人々が設置されていた。
流れ出る血は葉が吸収し、葉脈を伝い枝へ、幹へと吸われていく。
周辺の土地から魔力を奪い成長し、血によって成る実の質を上げる。これが魔王軍の侵略兵器、魔の木オークシリーズである。
「生存者はおらぬ。あとは某が処理しよう」
「あ、ああ」
ソロは『黒天』と対峙したあの大きな姿を思い浮かべ、あの状態なら今の木をへし折る程度できるだろう、と考えた。
ただ、嫌でも想像してしまう。
「なあ、とっつぁん。このオークっての、もっとデカくなるのか?」
「うむ。デカくなる。それにもっと別の種を生むオークもある。某らも戦地から南下し、あの村へ赴く中で幾度か遭遇した。随分、北での話であったがな」
さらに多くなり、花も増え、しかもあの翼竜たちみたいなもっと強くて厄介な魔物が生まれたら、それが生まれ続ける拠点が世界中に散らばれば――
「……」
北での戦争、その結果を待たず世界は滅びることになろう。平和ボケし、自分たちは関係ないと傍観を決め込む者たちを飲み込んで。
ソロは顔をしかめながら道を逆走し上を目指す。
「なあ、トロ助」
『ん?』
「結構ヤバそうだしさ、もうそろそろ女神さまが降臨されたりとか――」
『ねえよ。世界が滅びる寸前まで、あの女はてこ入れなんてしない』
「……なんでだよ」
『神様ってのはそういうもんだ。勘違いするなよ、別に人間だけが女神の造物じゃない。オイラも、魔物たちも、等しく創造神様の作り給うた存在だ』
「……」
『観測者なんてろくでもねえ。期待するもんじゃねえさ』
そしてソロが脱出し、少しして――
「鋼鉄よ、万難を排せ! 『メガ・シュタール・リーゼ』!」
シュッツが巨人と化し、魔の木コモン・オークを捻り潰した。圧巻の光景であったが、ソロの目にそれが希望とは映らなかった。
魔王軍は種を蒔くだけ、それだけで敵は各地に拠点を得る。存在する限り、敵を無尽蔵に生み出す、最悪の巣によって。
『……生命の大樹、天使を生むセフィロトを模した逆さまの木。命を操る術理を魔物は持たない。天使の、ごく一部だけ……側近が堕ちたってことか』
トロはまたソロに読み取れぬ内側で思う。
絶望の上塗り、今度の魔王軍は前回のそれとはまるで異なる。それをかつての魔王軍、その陣容を知る魔剣は理解した。
今はまだ、契約者に語る必要はない。語ったところで意味がない。
そういう時が来るのかも、今はまだわからぬのだ。
二人と一本は集落の者に状況を告げ、再びアンドレイア王国を目指し歩き始めた。その足取りは、重く、口数も少しばかり減る。
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