第5話:レベルアップだ? 甘えるな!

「これより我らはアンドレイア王国へ向かう」

「……おう」

 あの村から、『黒天』率いる翼竜軍団から、逃げ延びること一日。敵の追撃がないことを確認し、シュッツはソロへ目的地を告げた。

 着の身着のまま、馬すらも連れずに逃げ延びた彼らには何もない。大きな町に出るまでは徒歩での移動となる。

 青き大地アスールは広い。

 そして大国アンドレイア王国は遠い。

「……ほ、本当に只のぬすっとなのか?」

「凄腕の、と言い換えてもいいぜ」

「……悪行を何故に誇るのだ?」

 道中暇なので色々と話した。いつまでも勇者です、と言うのも通じないと思ったので、逃走仲間となったシュッツにはかいつまんで説明しておく。

 自分がただのぬすっとであること。

「であれば、あの剣の腕は」

「聖剣の力なんだな、これが。自慢じゃないが包丁以外、使ったことねえぜ」

「……姫様ぁ」

 剣がまるっきり素人であること。

 ただ、この剣が聖剣セイントロールではなく、魔剣セイン・トロール、正しくは魔剣トロール、と言う名の剣であることは伏せておく。

 せめて武器ぐらいは嘘ではなかった、としておかねば――

「そ、そんなに肩を落とすなよ、とっつぁん」

「……」

「町着いたら酒おごるからさ」

「……オロはあるのか?」

「んなもん現地でしゃっと調達するさ」

「ならぬ! 騎士が犯罪の片棒など担げるか!」

「お堅いねえ」

 ショックで寝込んでしまいそうだったから。ただでさえ住んでいた世界が、環境が違い過ぎてこうも噛み合わない。

 ソロの緩さとシュッツの堅さ、気質は水と油であろう。

『なあなあ、そろそろバックレようぜ』

(お前はそればっかりだな、トロ助)

『あのドラゴンは魔物の中で強い方だけどさぁ。それでもあれより強い奴はいるんだぜ? しかもそれなりに……人間じゃ勝てないって』

(……女神さまの降臨待ち?)

『それが賢い奴の立ち回りってもんよ』

(……まあ、そりゃあそうだけどさぁ)

 トロはいつでも逃げることばかり。まあ、ソロとしてもあんな化け物を間近で見たのだ。頑張れば勝てる、とは正直もう思えない。

 普段の彼なら、一目散に逃げているだろう。

 俺知らね、と。

 だけど――

(約束、したからなぁ)

『嘘だろ? あっちも期待なんかしてねえって』

(……そんなこと、わかってるけど)

 嘘をついた。盛大な、お調子者の戯言。そんなこと自分も、そして相手もきっとわかっている。それでも、あの嘘で彼女が笑ってくれたのは本当で――

「……どうしたら、強くなれるのかな?」

 ソロはぽつりとつぶやいた。夜、野営にて焚火を囲みながら。

『馬鹿!』

(へ?)

 つぶやいてしまった。

「……某、感激であるッ!」

 つい一人のつもりで、あろうことかこの男の前で。

「ただのぬすっと、期待はすまい。それが重荷となる、と某は思っておった」

(その通りだけど)

『その通りだぞ』

「しかァし、心の中には燃えるものがあったのだな!」

(……いや、その)

『契約者は抜けてんなぁ』

 『鉄騎士』シュッツは感激の涙を流していた。敬愛する姫騎士、ルーナが体を張って守った嘘つき勇者が、本物になろうとしているのだ。

 少なくともシュッツはそう解釈した。

「某に何でも聞くがよい。これでも騎士としてそれなりに名は通っておる。こと、戦いのことであれば、何でも答えよう」

 目がギラッギラと情熱に輝いていた。

 ちょっと言ってみただけです、という言い訳は通じそうにない。

「……じゃあ、その、俺はどうしたら強くなれると思う?」

「実戦であるな!」

 即答。

「……実戦を積んだら、強くなれるの?」

「無論!」

『契約者よ、ちょっとコーチ代えた方が良いぞ』

 トロのツッコミ、それを聞き流しつつソロの頭の中にピコン、とひらめく。実戦、実際に戦うのは怖い。怖いが――

(トロ助にぶん投げりゃいいよな)

『おい、振出しに戻ってんぞ』

 経験値を積むだけでいいならトロに任せればいい。

「弱めの敵と戦う、とかでもいいの?」

「最初はそれがよかろう」

「なら、それを続けたら……俺めっちゃ強くなれるんじゃ⁉」

 ソロ、会心の閃き。雑魚をトロに無限狩りしてもらう。それで実戦経験を積み、めっちゃ強くなって――

「ん? それでは意味がないぞ」

「……なぜに?」

 実戦経験を積む、強くなる、積む、強くなる、積む、強くなる。

 言われた通りの攻略法、レベルアップ法である。

「実戦経験とは慣れであり、負荷である。如何に修練を積もうと、殺傷の経験なくば十全に力を発揮できぬ。それゆえに最初の内は雑魚相手でもよい経験となろう。が、それが習慣となった時点で無意味、得られるものは何もない」

『当たり前だろうが。頭おままごとかよ』

「……え、じゃあ、強くなるには?」

「強敵との死闘! それのみが戦士を本物の戦士と磨き上げるのだ! 生きるか死ぬか、その戦いを潜り抜けた者は化けるッ! お次はさらに強き者との死闘! それは筋肉も同じ、限界を超え続けねば成長など訪れぬ! マッスル!」

 自らの筋肉を誇示するシュッツ。

「……」

 ソロは唖然茫然阿鼻叫喚、簡単に強くなれるじゃん、と思っていたのに、目の前の熱血漢が提示したのは地獄のような道筋であった。

「あの、ぼく、ちょっと、遠慮、しちゃおうかなぁ」

「遠慮は無用! 某が責任を持ち、いっぱしの戦士へと育て上げよう! そしてソロ殿は姫様の意志を継ぎ、勇者として……くぅ!」

「あうあう」

 感涙するシュッツ。今更、冗談だっぴ、やる気いないいないばぁっ、とは言えない。というか言えるわけがない。

 最初の稽古では勝利させてもらったが、魔物との戦いを見る限りあの時はかなり手を抜いていた。手抜きと言うよりも殺さぬよう心掛けていた、か。

 たぶん、本気だと自分よりも強い。

 嘘でーす、と言ったら魔物との実戦を前に殺されかねない。

『正解』

(ぴえん)

 トロもソロの好判断に太鼓判を押す。

 万事休す、である。

「あ、あのぉ」

「む、なんであるか?」

 ソロはため息をつき、問うた。


     〇


 早朝、ソロはむくりと起き上がりこそこそと野営の場を離れた。

『お、ようやく逃げる気になったか』

「……」

 少し離れたところで座り込み、

『おいおい。まさか、やめろよ。キャラじゃねえだろ』

 トロのツッコミも聞き流し、

「……プロク」

 両手をかざし、その狭間に小さな火を生み出す。そのまま眉間にしわを寄せながらそれを維持、出来る限り火勢を強めようとする。

 このような種火を起こしたり、軒先を湿らせたり、自分を扇ぐ――は消耗の方が激しくなるので誰もやらないが、生活に使う魔法はほとんどの者が使える。大体は必要に駆られて、ソロも幼少の頃寒さをしのぐため火起こしは覚えた。

 だが――

≪魔法を戦闘魔法にまで練り上げるには長い習熟が必要だ。こればかりは近道などない。日々の修練、その先に成果は芽生える≫

 その先を覚えようとは思わなかった。必要だとも思わなかった。

 でも、今は――

『らしくねえよ。ずっと逃げてきただろ? わかるんだよ、オイラ契約したから』

(煩い。集中してんだよ)

『今から何したってさ、徒労だぜ? 本当に勇者、なれると思ってんの?』

(無理)

『即答かよ。なら、なんで……?』

 ソロは両の手の狭間で、小さく燃えるばかりで一向に大きくならぬ、大きくなる気配もない炎を見つめ、顔をしかめた。

 無意味、徒労、柄じゃない、器じゃない。

 そんなことわかっている。

 自分が一番わかっているのだ。

 一人で生きてきた。一人分すら大変だった。誰かを助けようと思ったことはあっても、助けられたことなんて一度もない。

 ずっと空回ってばかり、積み重ねたのはスリの技術だけ。

 他には何もない。

 それが自分である。それがちんけなぬすっと、ソロという人間である。


「……俺が聞きてえよ」


 だけど、頭からルーナの笑顔が、誰よりも強くて、格好良くて、あんな大きなドラゴンに勝てるんじゃないか、って思わせたあの子の儚い、弱弱しい笑顔が頭から離れない。左手に残る小さな少女の、他愛ない願いの感触も――消えない。

 消えないし、逃げられない。

 その、様々に折り重なった感情がトロへ流れてくる。

 契約者だから、わかってしまった。

 だから――

『あー、くそ。選ぶ相手を間違えたぜ』

「……悪いな」

『気にすんな、一蓮托生ってやつだ。やれるとこまでいこうや、相棒』

「……相棒?」

『いつまでも契約者って仰々しいだろ?』

「ちょっと距離詰め過ぎじゃね?」

『そっちはトロ助って呼んでんだからいいだろ! 嫌ならそっちも助外せ!』

「……じゃあ相棒でいいや」

『あにをォ』

 魔剣トロールは彼を、ただの嘘つきを相棒にしようと決めた。本当は逃避行の乗り物にしようと思っていただけだが、乗りかかった船。

 行くところまで行ってみよう。

『ちなみに、一応言っとくと相棒のレベル上げ自体は無意味じゃねえよ。オイラの力は契約者の潜在能力を一定まで引き出す、だ。無課金の場合な』

「前も言ってたけど、その課金ってなんだよ?」

『今は必要ナッシング。とりあえず体も魔法も鍛えてくれたら、その分オイラが出せる力も上がるから。日進月歩、相棒自身が強くなればなるほど、その分だけ天井が上がると思っていい。なんで、まあ、頑張れば?』

「へいへい」

 それきりソロは自身の魔法を高める修行に戻る。シュッツの言っていた基礎訓練、魔法の持久力、出力を上げるものである。

 魔法使いも、騎士も、皆幼少からこの基礎訓練を積み重ねて、より高等な、高出力でドデカい魔法を扱うことが出来るようになった。

 近道はない。

 其処まで世の中甘くはない。

「け、結構、きついな、これ」

『フレーフレー』

 血の滲むような努力のみが、その者を才能の天井に連れて行ってくれる。人の多くは才能の扉を開く前にその努力を放棄する。天井に辿り着く者などほとんどいない。才能を嘆く者の大半は、扉を開くことすら放り投げた者ばかり。

 才能を嘆く資格すら持たない。

 十年賭し、二十年賭し、全ては其処から――

 その様子を、

「……」

 物陰からシュッツが見つめていた。てっきり逃げるのだと思っていた。それならそれでいいと、むしろそちらの方がいいかもしれない、とすら思っていた。

 だけど、彼はその道を選ばなかった。

 この先、今日の日を、その選択を悔やむ日が来るかもしれない。戦場は優しくない。魔物相手ならばなおのこと。

 地獄のような景色が付きまとう。

 それでもシュッツは、

「……なれば、某も腹を括ろう」

 ソロが抗う道を選んでくれたこと、それが嬉しかった。

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