第4話:嘘から始まる

 炎が落ちた。

 何が起きたのかわからず、だけど咄嗟に自慢の左腕が掴んだはずだった。何でも盗んでしまう、黄金の左腕。

 確かに掴んでいた。

「……は?」

 焼き切れた少女の、腕だけを。

 その先は――何もない。瞬滅の焔、いつの間にか外へ飛び出していたのか、吹き飛ばされたのか、自分以外は炎しか映らない。

 地獄絵図が其処に広がっていた。

「な、なんで、何が、起きて」

『逃げるぜ、契約者』

 いつの間にか握られていた、おそらくは勝手に右手を動かし、以前のシュッツとの戦闘のように自分を操り離脱したのだろう。

 魔剣セイン・トロール、その強制力がさらに身体を動かす。

 だが、

「ま、待てよ。この子、探そうぜ。逃げる前にさ。どっかに、吹っ飛んだんだ。もしかしたら、手当てしてやりゃどうにかなるかも」

 ソロは剣の強制力に抗う。

 右手が引っ張り、身体が抵抗するといういびつな状況。

『もう死んだ』

「適当、言うなよ」

 わかっている。めちゃくちゃ言っているのは自分の方なのだと。あの子が生きているわけがない。だって、手が焼き切れるような炎を浴びたのだ。

 魔剣に救われた自分と違って――

「勇者殿!」

 炎を払いのけながら『鉄騎士』シュッツがソロたちの前に現れる。以前のように魔法で強化した状態なのだろう。ごつい見た目となっていた。

「よくぞ無事であった!」

「……ど、どうなってんだよ、とっつぁん! 説明を――」

「その余裕は……ない!」

 シュッツは剣を引き抜き、それを空へと向けた。強烈な衝突音、空より舞い降りてきた化け物の爪と剣が重なっていた。

「なっ!?」

 ソロは空を見上げる。其処には地上の炎に照らされ、てらてらと輝く鱗をまとい、蝙蝠の翼を持ち、鷲の脚を持つトカゲのような化け物の姿があった。

 それらと、

「水天咲け! 『ガ・タオ・スパーダ』!」

「絶風昂れ! 『ガ・ティフォン・ランサ』!」

「蒼焔嘶け! 『アズゥ・プロク・アルクス』!」

 ルーナの護衛、取り巻きとしか認識していなかった騎士たちが魔法を操り、空と言う絶対的な地の利を持つ化け物たちと戦いを繰り広げていた。

 凄絶な表情で、怒りを眼に宿し――

「キシャアッ!」

「某を、侮るなッ!」

 シュッツもまた対峙する怪物、翼竜の翼をひっつかみ、力ずくで地面に叩きつけた。剛力、からの――

「去ねィ! 『ガ・シュタール・レヒト』!」

 体全体を覆っていた黒鉄の鎧が、右腕に集まり人間二人分ほどの拳と化す。それを全力で地に落ちた翼竜へ叩きつけた。

「キャッ――」

 断末魔すらも圧し潰す超重の一撃。

「す、すげえ」

 先日の立会とはまるで違う、実戦でのシュッツはソロの眼には恐ろしく大きく、強く見えた。それに他の騎士たちも優勢に映る。

『さっさとケツ捲るぞ』

(何言ってんだよ、トロ助。この人らなら勝てるだろ)

『馬鹿たれ。こんなもんただの――』

 話の途中、ソロの体が急速で動き出す。

 それと同時に、

「ぬ、お!?」

 シュッツの巨大な鉄の塊と化した右腕が砕け散る。

「おお、的を外したかァ」

 腹の底に響くような低音、地鳴りのような言葉が響き渡る。

 その声の主は炎の奥より尾を伸ばし、シュッツの剛腕をただの一撃で破壊したのだ。その巨躯、その威容、ソロはごくりとつばを飲み込む。

 素人目に見ても、

「何処ぞで見た鉄くずだな、オイ」

「……四天王直属、『黒天』のフェルニグ」

 桁が違った。

「あ、ああ」

 心底、怖気が走る。これはソロにとって初めての経験であった。ただ其処に在るだけで、生物としての格の違いに圧倒されてしまう、と言うのは。

 漆黒の竜鱗に覆われた巨躯はその辺に飛び回る怪物たちとは一線を画していた。雄々しき角は捻じれ、天を衝く。毛は地獄の劫火が如く燃え盛る。

 ただ、真紅の眼だけは何故か一つしか開かれていなかった。

「鋼鉄よ、万難を排せ! 『メガ・シュタール』!」

 シュッツの鎧が以前より盛り上がり、より大きな鋼鉄の塊と化す。だが、それでも黒龍の身の丈、その半分にも及ばない。

 勝てるわけがない。

「とっつぁん!」

 それでもシュッツは躊躇うことなく黒龍へ向かい駆け出した。超重量の地鳴りと共に、それを嘲笑いながら、取るに足らぬと見下ろす黒龍、フェルニグ。

 欠伸をするかのような動作で、口腔より劫火を吐き出す。

 それに対し正面から、

「ぬう!」

 受け止めるシュッツ。どろどろと、見る見るうちに鉄の巌が溶けて、崩れていく。手も足も出ない。あんなにも大きくて強そうなのに――

「今であるッ!」

 シュッツの眼がちらりと背後のソロを見据える。魔剣、いや、聖剣を手にした勇者への期待、なのだろうか。

 だけど、ソロは身動き一つできない。

 だって敵うわけがないから。

 心がぽきりとへし折れていた。

 当然、

『……』

 トロも戦う気などなかった。今のソロが敵う相手ではないから。例え、如何なる『犠牲』を払おうとも、ソロが持つ価値では足りない。

 だから提案すら、交渉すらしない。

「俺は、ただのぬすっとなんだよ。そんな目で、見ないで、くれよ」

 震えて、怖くて、身動き一つ、出来ない。

 騎士たちと同じように、知り合いになった村人を、あの子を殺された怒りはある。許せない、とも思う。

 だけど、それでも身体が動かないのだ。

(トロ助、お前に任せたら勝てるのか?)

『オイラに任せてたら、一生勝てねえな。わかったろ、これが魔王の軍勢だ。この化け物よりも強い奴が最低でも四体、その上に魔王が君臨している』

(……人間は、そんなやつらに――)

『勝てねえよ。だから、場末のオイラみたいなのにも縋るんだろ? 一縷の可能性、希望ってやつだ。儚く、すぐ壊れちまうけど』

 人間は勝てない。

 ようやく騎士の、そしてルーナの必死さが理解できた。こんなもの女神に祈るしかない。人の手でどうこうできるわけが、ない。

「……あれ?」

『ようやく気付いたか。とっくに、スタンバってるよ』

 フェルニグの背後、銀色の輝きが天を衝く。

「あ?」

「……さすがですな」

 真打、


「ギガァ・ブリッツゥ・ブゥレイドォッ!」


 登場。

「が、ァァァアア!」

 巨大な銀の雷、それが象るは美しき剣。

 姫騎士、ルーナ・アンドレイア。その必殺の一撃がフェルニグを捉えた。あの巨躯を圧し、押し、あまねく攻撃を撥ね退ける黒龍の鱗を、断つ。

「輝けェェェエエッ!」

 ソロはその姿に、希望を見た。勇者とは、彼女のような人物を言うのだろう。人類の希望、最強の守り手。

 人智を超越したドラゴンを、押しのける。

「は、ハハハハハ! ようやく見つけたぞォ! 人間の女ァ!」

 だが、断ち切るには至らない。

「ここは人の領域、失せよトカゲの親玉」

「……相変わらず不敬な女だ。だが、許そう。霊長とは寛大ゆえに」

 銀の髪をたなびかせ、フェルニグと向き合い、張り合う。それが他の人間に出来るだろうか。彼女以外、誰が出来ると言うのか。

「内なる輝き……『グロウ・アップ』」

 銀の稲妻が、彼女の全身に迸る。

 そして、

「しかァし、我が眼を奪ったことは許さんッ!」

 バチリ、と言う音のみを残し、その場からルーナが消えた。落雷、のような音の連続、わかるのは音と共に、あの巨躯が揺らぐ姿のみ。

 勝てるかもしれない。

 希望がソロの目に宿る。

「その鈍らが、魔剣トロールかァ?」

「……如何にも。貴様を討つ、剣だッ!」

「ハッハ! 当代の魔王は臆病者だな。こんなもんにビビるなんてなァ!」

「ほざけ!」

 しかし、

「……いかん。やはり、通じぬか」

 融解寸前、ほぼ全壊の鎧から這い出てきたシュッツは顔をしかめていた。

 前回、魔王軍との最前線での戦いはこれより多くの犠牲は出たか、もう少し攻撃が通っていた。やはり、あの戦いで失った剣よりも格の落ちる武器。

 あれでは勝てない。勝ち切れない。

 大国が威信を賭け用意した女神の祝福を受けた名剣であった。それでも片目を奪い、折れてしまった。

 竜の力に、ルーナの力に、耐え切れなかったのだ。

 今の剣はそれよりも格の落ちる剣、あれでは前回ほどにも戦えない。

「勇者殿、いや、ソロ殿。その剣を、姫様にお貸しくだされ! 今のままではジリ貧、されど聖剣の力があれば戦局を変えられるやもしれぬ!」

「そ、そうか! わかった!」

 その手があったか、とソロはすぐさま手放そうとした。

 だが、

『出来ねえよ。オイラ、今の契約者が死なないと、次の契約できないから』

「へ? だって、前解除するぞって、俺を脅して――」

『あれ、嘘』

「は?」

 その提案をトロが否定する。

「何をしておるのだ? 早く、あれでも無理をされておるのだぞ!」

 トロの声が聞こえないシュッツは焦りながら、ソロを急かす。ソロの目には優勢に見えるが、この騎士はそう思っていないらしい。

「ちが、その、剣が、契約者は、一人だって」

「……何を申して、剣が話すわけ、なかろうが!」

「話すんだよ! それに、その、もし譲るなら、俺が、死なないと、駄目、だって。いや、まあ、俺が死ねば、譲れるんだけどさ」

 ソロは真っすぐ、正直に話した。自分が死ねば、どうにかなるかもしれない。今度は嘘をつかず、本当のことだけを語る。

「……冗談、では、ない、のか」

 シュッツは愕然と、顔を歪めた。きっと今、必死に考えているのだろう。

『殺されるぜ、契約者』

 ソロを殺すべきか、否かを。

(……死にたくねえよ。でも、どう考えたって、俺じゃねえだろ)

 ソロは周囲の景色を見る。そして、いつの間にか離していた女の子の腕の感触を、今一度噛み締めた。強く、強く――

 それしかない。

『……そうかい』

 それが一番いい方法である。

「……すまぬ」

 迷う暇さえない。シュッツは剣を振り上げ、自らの手で――


「私は神出鬼没で、地獄耳だと言いましたよ」


 その剣を閃光のごとく現れたルーナが寸前で止めた。

「シュッツ、それが騎士のやることですか」

「し、しかし」

「剣を納めなさい。私を、失望させるな」

「……御意」

 主君であるルーナの怒りに、シュッツは歯を食いしばりながら剣を納めた。

「おい、何処に消えたァ⁉」

 フェルニグは目で追い切れていなかったのだろう、ルーナの姿を探していた。隻眼の死角を突いて、一旦姿をくらましたルーナの作戦勝ちである。

 戦闘の中、ほんの少しだけ出来た時間、

「参りました。ドラゴンの航続距離を、大事な眼を奪われた怒りを、執念を甘く見ました。その結果が、このザマです」

 ルーナは笑みを浮かべ、ソロへ語り掛ける。

「全ては私の責任です」

 真っすぐ、輝ける眼が、視線が重なる。

「あれは私が倒します。これでも国一番の勇士、必ずや勝利してみせましょう」

「あ、ああ。あんたなら出来るよ。あんたじゃなきゃ――」

 ルーナはソロの額に、額を合わせる。

「ですので――」

 視界にはルーナの眼だけ。ルーナもそうだろう。他の誰にも見えない。見せられない、国一番の勇士として戦い続けてきた勇者の、

「嘘、続けてくれませんか?」

 弱さが瞳に揺らぐ。

「……」

「出来る限りで、構いませんので」

 小さな、弱弱しい声。

「……俺じゃ、無理だよ」

「……そう、ですよね。わかって、います」

 年相応の、彼女も人間なのだ。如何なる勇士も、勇者も、その奥には弱さがある。それをソロは見た。見てしまった。

「ご安心を。もう、大丈夫ですから」

 額が離れた時には、もう彼女は勇士の、勇者の仮面を被っていた。

 強く、気高く、美しく――

「シュッツ、彼を守り安全な場所へ連れ出しなさい」

「……後生です。何卒、最後までお供を――」

「私は勝つと言いましたよ?」

「……御意ィ」

 民を守る命令を出し、颯爽と身をひるがえす。

 きっとその貌は雄々しく、まさに勇者、と言う顔つきなのだろう。

 だから――


「お、俺に任せとけ! 俺は、聖剣に選ばれた勇者様だからな!」


 ソロは嘘をついた。

 一世一代の、ドデカい大嘘を。

 それを聞き、

「……ありがとう」

 振り返ったルーナは嬉しそうにはにかんだ。年相応の、女の子のような笑みを。ソロはきっと、生涯この日を、彼女を忘れない。

 誰よりも輝き、

「輝きよ、天を衝け。『ギガ・ブリッツ・ブレイド』!」

 誰がどう見たって勇者な彼女のことを。

「其処にいたかァ!」

「輝けェェェエエ!」

 銀の稲妻が天を衝く。

 その隙に、

「失敬」

 シュッツがソロを抱え、逆方向へ駆け出した。姫を守るべき騎士が、誰よりも先んじて戦場を離れる。ソロは直視できなかった。

 血が滲むほどに歯を食いしばり、それでも敬愛する姫の命令に従う忠義の騎士を。自分がトロと契約していなければ、ここに来なければ、もしかしたら――

 そう考えると心が軋む。

「ニゲルナ ニンゲン」

「ちっ!」

 先ほどの翼竜より、一回りは大きい、黒龍の眷属であるドラゴンたちが襲い来る。ソロを抱えながら、交戦することは不可能。

「と、とっつぁん!」

「……」

 だが、シュッツは撤退の脚を緩めなかった。ただの一度も振り返らず、ひたすらに走る。その背を――

「勇者殿、ご武運を!」

「シュッツ殿もお元気で!」

 他の騎士たちが守ると信じていたから。共に多くの戦場を駆けた。その分、多くの絶望を味わった、盟友たち。

「「我らもすぐお供いたす」」

 先の戦いでも多くを失った。

 心身ともに傷だらけ。

 それでも――

「来いやァ! 爬虫類どもォ!」

「駆除してやるよ!」

 それだからこそ、騎士たちは奮起するのだ。先に去った友に恥じぬためにも。何よりも国には守るべき者たちがいる。

 そのために剣を振るう。

 最後のひと時まで――

「……いずれ、某も参る。しばし、待っておれ」

 誰よりも残りたかったであろう忠義の騎士と、

「……何も、出来ない。嘘しか、つけねえ」

 稀代の大嘘つきが激闘の戦場を後にする。

 これは嘘から始まる物語。

 嘘つきが、嘘をつき通す物語である。


     〇


「前より歯応えがなかったなァ、女ァ」

 『黒天』のフェルニグは対峙する人影へ声をかける。だが、その人影は微動だにしない。何故ならば――

「つまらん。帰るぞ」

 その人影は、炭化した亡骸であったから。

 溶けた剣を落とし、炭と化した身体も、崩れて落ちる。

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