第2話:嘘つきは泥棒の始まり

 早速窮したソロ。自業自得なので何も言えない。

「……?」

 どう見ても勇者っぽいルーナは手を差し出したまま小首をかしげる。握り返すのを待っているのだろう。だが、ソロにその手を握ることなどできない。

 だって世界なんて救いたくないから。

 もっと言うと戦いたくないから。

『だから言っただろー。さっさとバックレろって』

(仕方ないだろ。あんなにちやほやされたのは生まれて初めてだったんだから)

 この手を握り返せば後戻りできなくなる。とりあえず握って、あとは逃げ出すことも考えたが、どうにも目の前の相手から逃げ出せる気がしない。

 永久就職、結婚よりも厳しい誓いになる、そんな気がした。

「お待ちくだされ、姫様!」

 そんな気まずい沈黙を裂く形で一人の騎士が集会場の中に入ってきた。凛としたルーナとはまた別の圧を持つ騎士である。鎧もごついが、体はもっとごつい。と言うか厚い。こんなのに殴られたら死んじゃうなぁ、とソロはしみじみ思った。

「某にはこの男、とても勇者には見えませぬ」

 その通り過ぎて反論する気も起きないソロ。

「不敬ですよ、シュッツ」

「その手を握られる前に、まずは某が勇者殿の御力を確認いたす」

「……ふむ。確かに技前は知りたいですね。よろしいですか、勇者殿」

 よろしいわけがないだろ、と言いたいところだが、騎士の疑いのまなざしはともかく、ルーナと村人たちの期待のまなざしはきつい。

 そもそも断る理由が思いつかない。

(腹痛、頭痛なら……いや、無理だ。どぶ底生まれのどぶ育ちの底辺直感が告げている。あの騎士より、目の前のお嬢様の方が誤魔化せねえ)

『正解だよ。下手な嘘は通じねー』

(聖剣、ここから助かる方法は?)

『……しゃーねーなー。一応、お前さんはオイラの契約者だからな。お嬢ちゃんならいざ知らず、こっちのデカブツならどうにかなるだろ』

(せ、聖剣様様やで、ほんま)

『崇め奉れ!』

(へへ~)

 ソロは心の中で聖剣に頭を下げる。ここに来て主従は完全に逆転していた。どぶ底生まれのどぶ育ち、底辺に抱えるべき矜持などないのだ。

 必要なら仇の靴だって舐めるぜ。


     ○


 表に出ると先ほどの騎士以外にもぞろぞろと騎士っぽいお歴々が雁首並べていた。その眼は全員、敵を見るようなもの。

『こりゃあアウェーだな』

(俺、そんなに恨まれることしたかな?)

『オイラをあの子が引き抜くと思ってたんだろ』

(あー、なるほど)

 自分たちの主であり、もうこれ以上ないくらい勇者感満載の彼女なら女神の祝福を受けた聖剣を引き抜き、天に選ばれるはず。

 その機会を奪った不届き者、それがソロなのだろう。

『あのお嬢ちゃんじゃオイラ抜けなかったけどな』

(俺で抜けたのに?)

『だってオイラ、戦いたくないもの。だからこんな辺鄙な場所に引っ越したわけで。と言うかそもそも、オイラ聖剣じゃないし』

(まあ戦いたくないよなぁ……えっ?)

 聞き間違いか、とソロがもう一度確認する前に、

「某の名はシュッツ・アイゼンバーン! またの名を『鉄騎士』であるッ!」

 その思考をかき消すほどの大声量で鎧も体もごつい騎士、シュッツが叫ぶ。もう見るからに強そうである。街中で見かけたら絶対に近づかない。

 とても勝てる気がしない。

 撫でられただけで骨が折れそうである。

(先に言っとくけど……俺めっちゃ喧嘩弱いからな)

『安心しろ。逃げ足と根性以外は期待してねえよ』

 自慢ではないがこのソロ、凶器の類を使用したこともない。下町で生き抜く中、彼は学んだのだ。凶器は凶器を呼ぶ、と。

 その手段を使えば、あとは死ぬまで凶器と、暴力と向き合うことになる。何度も見てきたのだ。粋がって凶器に手を染め、いつの間にか路傍に打ち捨てられた者たちを。ああはなるまい、ゆえに彼は真っ当なスリ師となった。

 真っ当、とは何か。哲学的であろう。

「勇者殿、貴殿も名乗られよ!」

「……そ、ソロです」

「苗字は!?」

「……ないっす」

 周り、特に騎士たちがざわつく。村名+名前で事足りる村人にはピンとこないが、それなりの都市圏であれば身分を判別するのに苗字は必須。ルーナやシュッツはもちろん、ここにいる騎士全員が苗字持ちである。

 そうでないと言うことは――

『見る目、さらに冷たくなったな』

(慣れたもんだ)

 どぶ底生まれのどぶ育ち、見下されることには慣れている。

「そうか! 失礼した!」

「……」

『でも、あのとっつぁんは変わらねえな。良くも悪くも』

(……だな)

 それにソロは一瞥していた。ルーナと名乗った女性も苗字のあるなしで何一つ見る目が変わらなかった、と。

 片方は疑念、片方は期待。

 だけど――

「では、参るぞ! 鋼の守り手たれ! 『ガ・シュタール・パンツァー』ッ!」

「おおっ、いきなり戦闘魔法を!」

「シュッツ殿も本気か」

 まあ無駄なことを考えている余裕はすぐ消し飛んだが。

(あ、あんなデカい魔法とか初めて見た。俺、あれと戦うの?)

『あらー、さらにごつくなっちゃってまあ』

 魔法とはこの世界に存在する魔力を用い、超常現象を起こす術理である。一応、一部の例外を除き魔力は万人に流れているものだが、戦闘に仕えるような規模の魔法を扱える者はその中でもごく一握りのみ。研究者たる魔法使いらか、戦闘魔法を扱う戦士らか、どちらにせよ一般人には縁遠い技術である。

 ソロも初めて見たが、ごつい鎧の上にさらに膨れ上がり、こいつが魔王の軍勢なんじゃないか、と言う見た目となる。

 黒光りしているのもよろしくないと思う。

「攻防備えた我が術理、とくと御覧ぜよ!」

 ドン、見た目に反し機敏な動きで鉄の塊が突っ込んできた。ソロは(あ、死んだ)と生存を諦めた。だって大きいし速いんだもの。

 だが、

『改めて自己紹介するぜ、我が契約者』

(……女神様ボク天国に行きたいです!!)

 聖剣セイントロールと名乗る剣はビビり倒す主人と対照的に、巨大な鉄の塊と化して突っ込んでくるシュッツへの怯えはなかった。

『オイラの名はセイン・トロール』

「覚悟ッ!」

 間合いが消え、眼前には大きく剣を振り被った黒鉄の姿が。すでにソロは思考を手放している。思考なしに人の体は動かない。

 しかし、

『魔剣だッ!』

 ソロの体は意思なしに――動く。

「ほう」

 それも、たった一人を除く全員の視線を置き去りにして。

「へ?」

 驚いたのはソロも同じ。利き腕とは逆、いつの間にか右腕に握られた聖剣、

(あれ、今、魔剣って)

 今更、ソロは思考が、疑問が追い付いた。

『おおよ、オイラは魔剣だ。造ったのは女神陣営だけど、本来は魔族用に打ち鍛えられた寄生型の剣ってな寸法よ』

 シュッツから距離を取り、玄人っぽく間合いを測るソロ。もちろんソロは何もしていない。ただただ、聖剣改め魔剣に身を任せているだけ。

「スピードは見事! だが、いつまでも逃げられるか!?」

 シュッツがソロを視認し、先ほどの距離を詰めた動きよりもさらに早く追いかけてきた。それに対し操られたソロは、

『三百年にも渡るイメトレの成果を見さらせ!』

 正面から打ち合って見せた。

 この激しい打ち合いには、

「おお!」

「なるほど、見事な剣技だ」

「伊達に聖剣を引き抜いたわけではない、か」

 騎士たちも感嘆の声を上げる。村人たちなどオラが村の英雄だ、とばかりに感動して応援に回っていた。つい先ほどまでは早く出て行ってほしいな、と思っていた連中にしては素晴らしい変わり身の早さである。

(……俺、寄生されてんの?)

『契約したろ?』

(……詐欺じゃん)

『まあまあ、今は無課金モードだからさ、別に体に不都合ないから』

(操られてますがな)

『なら、解除しよか? 秒で殺されると思うけど』

(へへ、仲良くしような)

 こんな呑気な会話中も、激しい剣劇が繰り広げられていた。戦闘用魔法を扱う大国の騎士相手に戦えるとは、恐るべし魔剣セイン・トロール。

(ところでさ)

『なんだね?』

(なんで聖剣を名乗ってたの?)

『そっちの方が大事にしてもらえるだろ? 元々見た目はそれっぽく作られてたし、そもそも今までちみ以外と会話したことないけど大事にしてもらったぜ。定期的に清掃もしてくれていたしな、歴代の村人たちが』

(な、なるほど)

 そもそも聖剣っぽく刺さっていただけで自分から聖剣だと主張したことはない。台座と一緒に丘の上に引っ越したら、村人が勝手に勇者が降臨されたと勘違いしただけ。初めての自己主張がソロ相手で、騙したのも彼が初めてである。

 契約してしまえばこちらのもの。すでに手遅れなのだ。

『と言うことで、今後はオイラのことをトロと呼べ』

(待った! 何故かそれはまずい気がする。セインにしないか? ってか、区切るならセイント・ロールじゃないの?)

『オイラの元の名はトロールだもん。セインは響きが良いからくっつけただけ』

(……可愛いお名前ですね)

『いたずら心を込めたって言っていたような、言われなかったような? まあとにかくよろしくな。愛称呼び、憧れてたんだよねえ』

(……さいでっか)

 聖剣セイントロール(嘘)改め魔剣セイン・トロール(自称)、愛称トロ(本人希望)。女神が作ったにしては随分と適当な造りである。

(で、勝てそう?)

『おう。そろそろかっちょよく決めるぜ』

 ソロの動きがさらに速くなり、今まで渡り合っていたシュッツが目を見開く。華麗な足捌き、そして常人ならざるスピード。

「見事である!」

 認めざるを得ない。

 目の前の男もまた、選ばれし者であるのだと。

 そう、

「其処まで」

 己が主と同じく。

「『っ⁉』」

 シュッツの対応を完全に上回った速度、そのさらに上を行く速さでルーナが二人の間に割って入り双方の剣を止める。

『やっぱこのお嬢ちゃん、強ぇなぁ』

(……はえ~)

 完全に見切っていなければできない芸当。

 どうやらこの場で魔剣持ちのソロを除けば、彼女が最強のようだ。下手をすると魔剣が本気を出したとて、今の状態ではおそらく及ばない。

「皆も納得できたでしょう。これが勇者殿の実力です」

 どうやらシュッツもこの中では相当な実力者であるのだろう。先ほどまで疑いの眼を向けていた騎士たちから、そういう視線は消えていた。

 シュッツと渡り合えるのであれば、彼もまた選ばれし者に違いない、と。

 『鉄騎士』とやらはそれなりに高名である模様。

「改めて……私と共に世界を救ってくださいますか?」

 今一度ソロへ差し出された手。

 今度は騎士たちも納得、村人たちに至っては感動でむせび泣いている。

 先ほどよりも断り辛い空気となっていた。

「……よ、よろしくお願いしますぅ」

 今は握るしかねえ、ソロは断腸の想いでその手を握り返した。

 わっ、と場が沸き立つ。

『ものは相談なんだが』

(なんだ? 今辛くて泣きそうなんだ)

『このお嬢さんは良いとこの出なんだろ?』

(もう見るからにな。それがどうした?)

『夜、行儀よく寝るんじゃないか? そういうイメージだ、お嬢ちゃんって』

(……天才だぜ、トロくん)

『様、な』

(トロ様ぁ)

 盛大に皆が盛り上がる中、ソロとトロは彼らにしかできない意思疎通を用い、悪だくみをしていた。

 一人と一本、どちらも戦争などまっぴらごめん。

 世界のことなど知ったことではない。

(『うっしっし』)

 そんな様子を、

「……」

 じっ、とルーナが見つめていたことを彼らは気づかなかった。


     ○


 早速深夜、

「『抜き足差し足忍び足』」

 少し前にこの村を訪れた時間帯を見計らい、ソロたちは脱出に動いた。昼間は騎士の眼やルーナの眼があり逃げ切れないが、皆が寝静まった今ならば行ける。

 ソロとトロ、二人の「戦いたくない」と言う想いが結集した決死の逃げである。トロの方はあれだけ強いのに不思議な話であるが――

「いやぁ、何とかなりそうだな」

『ふう。よかったぁ』

「とりあえず先立つものないから無限金策やるべ」

『仕方ない。オイラの逃げ、見せてやるぜ。あ、でもあんまり離れるなよ。オイラ、契約者と離れると動けなくなるから』

「へ、でもここまで逃げてきたんだろ?」

『ここまでしか逃げられなかったの』

「ふーん」

「何処から逃げてきたのですか?」

『そりゃあ魔王軍の倉庫から――』

「勝手に伝票を押し付けられてぶちぎれているはずの冒険者、か、ら――」

 その問いに対し一人と一本が同時に答えた。

 そう、

「『あっ』」

 どちらも答えたと言うことは、質問者は別であったと言うこと。

 その質問者とは、

「そして、こんな夜更けに何処へ行こうとしているのか、も」

 いつの間にやらソロの背後で一緒に歩いていたルーナであった。この歩いていた、と言うのが恐ろしい。気配も足音もまるでなかったのだ。

 ソロがトロとの会話を口に出してしまうぐらいには――

「あ、あのですね」

「我々は少々話し合う必要がありそうです」

「そ、そうですねえ」

「目を見て話しましょうか、ソロ殿」

 真っすぐと、射竦めるは傑物の眼光。蛇に睨まれた蛙とはこのこと、ソロはもう全力でやるしかなかった。

「へ、へい。お嬢様のおっしゃる通りでやんす」

 指紋が摩擦ですり減るほどの高速の揉み手を。

 揉み手しながら下手に出るソロであったが、その内心は――

(トロ助テメエ! 完全にバレバレじゃねえか!)

『と、トロ助⁉ なんだそのオサレじゃない呼び方は! オイラは断固講義するぞ! そもそもオイラの提案を飲んだのはそっちで――』

 先ほどまで仲良くしていたのに今は責任のなすりつけ合いをしていた。

 気の合う友人、この場合は同じ穴の狢か。

 まあとりあえず、

「先に申しておきますが……私は嘘が嫌いです」

 詰んだ。


 勇者からは逃げられない。無事回り込まれましたとさ。

 めでたしめでたし。

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