異世界にAIを持ち込んだら

壁越ハルト

序章前半 『異世界召喚されたら女神に殺されそうな件』



〈はじめに〉

 この物語はフィクションです。登場する人物、名称、団体名、組織、素材、技術もすべて想像(妄想)の産物であり、現実とは一切関係ございません。自己責任で本作をお楽しみください。




「おにいちゃん、おきてーー」


 まるで春の日だまりを抱かせるような陽気な声で俺、――結城ゆうき義友よしともは自宅二階の自室で目を覚ました。


「あっさ、あさーー。お兄ちゃんと学校行くのーー」


 るんるんとリズムにのりながらガーテンを開け放ち、未だに微睡むような俺にむかって妹である結城かのんは優しく揺すってくる。

 

「うう~~ん」


 まだ半覚醒の俺に向かって、むむぅと可愛らしくうなり声を上げた後、


「えい」


 バフッと妹が俺の上にダイブする。


「よっと」


 俺はとっさに起き上がり華奢な体を大切にいたわりつつ受け止める。

 いくら可愛い妹でもおなかに勢いよく飛び込んでくるのはいただけない。血のつながっていない乙女なのだから自重してほしいものだ。

 受け止めるとお姫様抱っこの形になってしまったが俺はそのまま起き上がる。


「うひゃあ。お兄ちゃん降ろして。恥ずかしいの~~」


 わざとなのかと言いたくなるくらい愛らしい声と仕草でかのんは恥じらった。顔はリンゴのように真っ赤に染め上がりますます可愛らしい。


「かのんは羽のように軽いな。でも寝てる俺に飛び込むのは淑女にあるまじき行為だ。罰としてこのまま一階のリビングまでいくぞ」

「はわわ、ちょっとまってなの。したにはお父さんとお母さんがいるの。恥ずかしいの、無理無理無理ぃーー」


 俺は問答無用と爽やかに微笑みと階段を降りていく。

 かのんはほてった頬に両手を当てて言葉もなくもだえている。

 萌える。

 なんだこの可愛い生物は。今時、こんな恥じらい方をする少女なんてマンガやアニメの世界でもそうそうないよなあ。


「おや、おはよう。義友くん、かのんちゃん」


 ダイニングチェアに座って新聞を読み、紅茶を飲む父は俺たちに気がつくと挨拶してフッと笑みを浮かべる。

 既にスーツを着込んでビシッと髪型も決まっている。紅茶を飲む様も貫禄があり英国紳士か、といいたい。


「うふふ、今日も仲良しね。二人ともおはよう」


 母さんもキッチンから顔を出して挨拶すると相好を崩しうれしそうに挨拶してきた。相変わらず黒髪ロングおっとり美人だ。二十歳といわれても通じるような若々しい容貌に人間なのかと疑いたくなる。

 それとエプロン代わりに白衣を着ているのもどうかと思うが……。


「おはよう、父さん、母さん」

「うぅ、おはようございましゅぅ」


 かのんは消え入りそうな声で挨拶するのでウチの両親たちはあまりのかわいらしさに目尻がとろけるように下がっていく。


「まあまあまあ、お姫様抱っこ。羨ましいわね。いいなあ」

「おや、それは私に催促しているのかな」


 そう言って父さんは立ち上がると軽やかに母さんにつめより軽々と抱き上げる。

 両親がラブラブな空間は見ていてこっちが恥ずかしい。。

 ちょっとまて。つまりおれはこんな恥ずかしいことをしていたのか。

 今更ながらに気がついた俺はかのんを降ろす。

 と今度は妹が不満をあらわにした。


「むうぅ」


 頬をお餅を焼いたように膨らませていく様はなぜか微笑ましい。


「さ、さあ。朝食たべようかな」


 かのんの視線から逃れるように席に座ると家族は食卓に着いていく。


「うふふふ」


 旦那様にお姫様抱っこされたあと、母さんはかのんを膝にのせて上機嫌だ。

 俺は向かいに座る。

 すると父さんの鋭い視線にさらさせた。


「世界を騒がせていた例の犯罪組織だが完全に壊滅したようだな。しかし、この日本に活動拠点があったとは、な」


 近頃はとある犯罪組織のことでニュースも持ちきりだ。先ほど父さんの読んでいた新聞でも一面はそれである。

 何でも隔絶した性能を持つというAIを開発して悪用し、世界制服を目論むとんでもない組織だという話だ。


「……お前、関わってないよな」

「まさか。父さんは俺が組織の人間だったと言いたいのかい」

「いや、そんなことはつゆほどにも考えていない。ただ、組織壊滅に学生が関わっている、などという噂を耳にしたのでな」


 じっと疑惑の視線を向けてくる父さんに俺は内心焦った。

 まあ、正確にいえば組織を潰したのはスマホのAIだったのだが……。

 言ったところでなんでそれを知っている、と突っ込まれたら答えられない。


「あ、こぼしちゃった」


 タイミングよく、かのんが味噌汁の入ったお椀を落とす。


「まあ、大変っ」


 慌てる母さんに手を貸す父さん。これによって話は流れた。

 ナイスアシストだ、かのん。

 事情を知っている俺の妹に俺は内心サムズアップだ。

 かのんからもむふん、と笑みが返ってくる。


「かのんちゃんがやけどしちゃうわ」


 物理学者とは思えない身体能力を発揮した母さんは熱々の味噌汁が天板からおちる前にかのんを避難させると素早くふきんを手に取ってかたづける。


「母さん、今の動きって……」


 早回しのでもしているかのような速度に目を見張る。

 疑惑の視線を母さんに向けつつある俺に、父さんが咳払いをして語りかけてくる。


「まあいい。なんにせよ。お前たちが無事ならよかった」


 父さんは俺とかのん、そして、ポケットに忍ばせているある俺のスマホへと意味ありげに目線を流していった。

 そして、俺の頭をぽんっと大きな手がなでていった。

 もしかしてこれは気がついているのかな。

 とはいえ、俺は幸せだ。家族は円満だし、居心地がいい。このつながりが俺は何より大事なのだから。




「いってきまーすなの」

「いってきます」

「いってらっしゃーーい」


 母さんに玄関で見送られスキップでもしそうなほど上機嫌なかのんと手をつなぎ歩く。

 地球では急速に技術が発展し、転換点を迎えようとしている。

 まず、リチウムイオン電池から固形型電池、そして、濃縮固形電池が生まれて電気の蓄電容量が飛躍的に向上したことで再生可能エネルギーが改めて見直されている。蓄電率が従来の数十倍から数百倍に上がったためだ。

 そして、俺は自身の持つスマホを取り出す。画面には電子の光をまとった絶世の人工美少女が映し出される。


「ふう、危なかったですね、”旦那様”」

「誰が旦那様だっ」


 どうやら俺のスマホは深刻なバグが発生しているらしい。俺のことを旦那様と言うんだから間違いない。

 ためらうことなく電源を切るのだがすぐにスマホのAIことメティアが抵抗して再び画面が立ち上がった。


「くそっ、自分の意思で電源が切れないなんてウィルスに感染してるぞ」

「あははっ、感染してるとしたら恋の病だよ――ぽっ///」


 こいつはほんとにAIっぽくないよな。画面に映るメティアは文句なく美少女だから照れくさい。それを悟られるのは勘弁だけどな。そうなると絶対ウザ絡みしてくるのだから。


「あはは、メティアちゃんは相変わらず面白いの。でもお兄ちゃんは渡さないよ」


 もう一つの要因はAIの異常発達だ。各国でAIたちに自我が形成されつつあると報告が上がっている。学会世界でも対応に議論が飛び交うなかでメティアは明らかに異色だろう。隕石から採取した世界でも3例しかない特別な鉱石を用いたAIのせいもあるだろうな。


「お兄ちゃん、ずっと一緒だよ。もうはなさないの」


 例の犯罪組織に狙われ、世界征服のために利用されようとしていたかのんは特別だ少女だ。例の犯罪組織のAIは特別な鉱石『ミスティア』の大部分を用いて開発されたが強力で強すぎるが故に暴走しかねない。それを制御できる特別な異能をかのんはもっている。


「ああ、そうだな」


 組織に捕らわれたかのんのこころの傷は深い。

 もう、この手を話したりしない。絶対に守る。

 そう、心に誓っているときだった。


「なに、これは……マスターっ上!!」


 間隙を切り裂くようなメティアの警告に俺の体は自然と動く。視線を上げながらも同時に回避行動に移っていた。


「きゃっ」


 かのんを抱き留めながら横に転がり状況を確認すれば、


「なんだこれは」


 空高く光が降り注ぎ、道路のコンクリートは円柱状の光に綺麗にえぐられたように穴が開いている。

 やばい。よくわからないけどあの光に巻き込まれてはいけない気がする。


「次っ、くる」


 メティアの警告に俺は休む間もなくかのんを抱えて光を躱す。今度は立て続けに光が連続して降り注いでいく。

 そして、数度躱したところで俺は気がついた。


「まさか、この光の攻撃の狙いは……」

「マスター、狙いはかのんだよ」

「くそがっ」


 躱す度に光は苛烈になり所々に大穴が出来ていく。


「まずい、足場がっ」

「お兄ちゃん」


 かのんの悲鳴のような声に視線を向けると俺は決意した。次は躱せない。ならばせめてカノンだけでも守りたい。

 俺の意図を察したかのんは突き飛ばす俺に抵抗して右手を離そうとしない。


「かのん、逃げろ」

「いや、いや、いやああああああ、いかないで」


 改めて妹を突き飛ばすも彼女は決して手を離さなかった。

 ――――だから。

 光は俺とかのんの右手を巻き込んで包み込んでいったのだ。


「お兄ちゃん、ああ、あああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……――――」


 この世の終わりのようなかのんの叫び声を最後に俺は地球から消えた。




 ――

 ――――

 ――――――


「ここはどこだ」


 俺は謎の光に拉致された。

 突然空から光に襲われて、飲み込まれたと思ったら真っ白な何もない空間に連れてこられたのである。

 本当に何もない空間だ。

 徐々に我を取り戻して状況を確認すると俺は手に残る感触に目を向ける。

 だめだ。見てはいけない。それを見たら壊れる。

 そう思うのに俺は見てしまう。

 妹の、かのんの綺麗に切断された手首が俺の手にしっかり握られていたいのだ。


「う、うわああああああああああああああああああああああああ――――」


 あらん限りの声を出し、パニックになった俺に切迫した声がかすかに、何度も、何度も呼びかける声ようやくはっとする。


「…………マスター、マスター。しっかりして」


 俺を心配するあまり悲しみがにじむ声が必死に俺を呼ぶ。


「め、メティ。俺は……」

「よかった。おちついてきたみたいだね。だったら急いでかのんの手を清潔なハンカチで包んで学生鞄に入れましょう。人肌は駄目だよ。お弁当の保冷剤で冷やして」


 このメティアの指示はこの得体の知れない状況から脱して元に戻る。

 ――カノンの手を保全するこの指示からその意思取り戻させてくれる。


「すまん、取り乱した。メティがいてくれて心強いよ」


 素早くかのんの手を保護し応急処置をとる。綺麗な切り口だからすぐにかのんのところに戻り治療すれば接合出来る可能性があるのだ。

 希望は捨ててはいけない。


「メティ、ここはどこだと思う?」

「不明だよ。位置情報が取得できない。大気分析をかけたけど未知の物質も検出されたよ。尋常な状況ではなさそうだね」


 すると状況に変化が生まれる。

 周囲に次々と人が突然現出ししていく。

 現れる人たちも現状に戸惑い、うろたえ周囲を見回していく。

 彼らを観察していくうちに俺は奇妙な事に気がついた。


「メティ、ここにいる人間たちは地球人なのか?」


 そう、疑問に思ったのは様々な肌や髪や体のつくりの人種が見えただけではない。

 明らかに時代を遡ったような剣や鎧などを装備する者や、ファンタジーの魔法使いを思わせるローブを深々とかぶるものなど。

 おおよそ、現代の地球ではコスプレでしか見ないような者たちばかりが目立つ。

 そして鍛えられ、古傷が生々しい男たちもいる。


「メティ、この状況はまさか……」

「マスター、その可能性が一気に上がりましたよ。目の前を見てください」


 まったくもって意味がわからず困惑している俺たちの前方頭上にふわふわと羽衣をまとい、きらびやかな白銀のクラシックドレスを身につけた美女がいた。

 しかも、背中に天使のような翼まで映えている様は神秘的で俺たちは言葉を失い彼女の動向を静かに見守っていく。


「私は慈愛と正義の女神テレジア。よく求めに応じてくれました。異界の勇者たちよ」


 ふむ。これは夢か。……つねってみたけど痛い。ってことは俺異世界召喚されたってやつですか。そうですか。わかります。日本男子ですから。ラノベやアニメで予習はバッチリです。

 やはりそういうことなのだろう。


「この世界は危機に瀕しています。異教の神々が世界の秩序を乱し、凶悪な魔物たちが人の世を脅かしつつあります。この世界を救うためどうか選ばれし力『ユニークスキル』をもつ勇者様のお力をお貸しいただきたいのです」

「ユニークスキル?」


 つい漏れ出た俺の言葉を女神テレジアはにこやかに応える。


「はい、異界から召喚された勇者は特別な力を授かります。我が世界の住人ではまず授かることが難しいスキルの上位に位置する隔絶した能力です。ユニークスキルと頭に思い描いてみてください。それぞれ勇者様の個性に合わせ、スキルが目の前に光の文字となって浮かび上がる事でしょう」


 言われるがままに思い浮かべると俺はユニークスキルが見当たらない。ただ、コモンスキル『異世界言語翻訳』があるだけだ。

 周囲にいた者たちは次々とスキル名が目の前に表示されていく。もちろん、異世界言語翻訳はみんな持っていた。

 つまり俺は実質スキルがなかった。おそらく本来呼ばれるべきだった妹かのんの身代わりになったからだ。つまり、俺はイレギュラーというわけだ。


「今回はとても優秀な方が多いようですね。強力な戦闘系ユニークスキル持ちが7人もいるとは……」


 テレジアはその七名の勇者を褒め称え、何も起こらない俺を冷めた目で見る。

 ――ゾクッ。

 今までに感じたことがないような絶対的な殺意を感じた。見返してみれば慈愛の表情ですぐに塗り固められてその真意は不明だ。


「あら、おかしいですね。何もスキルを授からなかった方がいるなんて初めてのことです。ですがご安心ください。戦闘に向かない方に戦いは強要しませんから」


 俺は周囲から失笑を浴びせられる。

 慈愛の女神だって、何の冗談だ。

 今の皮肉だって悪意が隠し切れていないぞ。

 テレジアは光の門に選抜した勇者たちを招き入れ、どこかに導くとさっと手を振り払う。途端に光の門は霧散し何もない空虚な空間が残る。


「これは……まずい。選別された?」


 はじめこそにこやかに、慈愛の微笑みを向けてくれていた美女だが直後に豹変した。残忍な顔を持つ女神がそこにいた。


「さあ、あなたたちには私自ら慈悲を授けましょう」

「は、はあ? 女神様?」


 誰かが困惑の声を漏らし、多くがうろたえる中でメティアが警告する。


「マスター、彼女の手に力場が、――伏せて!!」


 手刀を作り腕を引き絞ったテレジアは一気に水平にないでいく。速すぎてその手は見えないが閃光が空間内で帯状にほとばしる。

 とっさに伏せた俺は無数に床を転がる人間の頭部に心臓がせわしなく悲鳴を上げていく。

 手刀の一振りでこの場の人間の首をはねたのか?


「はあ、このカスどもが。感謝する事ね。死ねば戦う必要もなくなるのだから」


 あっという間に血だまりが広がり、地に着いた手が赤くぬめる。その感触が生々しくて体の震えがとまらない。一瞬で数十人の命が刈り取られたのだ。恐慌を抑えるので俺はいっぱいいっぱいだ。

 何をしたんだ。まったく見えなかった。

 わかっていることは取り残された俺以外の召喚者がゴミのように殺されたことだけだ。


「あら、生き残りがいたのね。それもスキルも得られなかった無能が。偶然?」


 テレジアは金色の髪を振って、怒りの形相で暴言を吐き捨てる。


「お前はマジ使えねえ~~。せっかく貴重なリソース割いて異世界召喚したってのに、剣術もつかえねえスキルもねえのな。異世界の超技術兵器を作れるわけでもねえだろうし。こんな無能なガキがなんでくんだよ。力を無駄にしたわ~~」


 しらねえよ。慈愛の女神じゃなかったのか。聞き間違えたのかな。今の台詞のどこに愛があるのかわからないね。

 そう言いたくなる気持ちをぐっと抑えて相手を刺激しないようにする。どうやったら元の場所に帰れるのか、そもそも生き残れるのか。

 皆目見当もつかない。それでも目の前の人物にすがるしかない。

 相手は超常の女神だ。どうあがいても勝てる気がしない。


「とくにアンタの召喚には破格の力を注いで召喚したはずなのに何でこんな貧弱なガキなわけ。私ちゃんと設定したっしょ」

「あの、人違いのようでしたら帰してもらうことはできないのでしょうか」


 恐る恐るお願いしたのだがキッとにらまれる。


「召喚もタダじゃないのよ。返送なんて無駄な消費できるわけないでしょ。殺して消費したリソースを少しでも回収しないと」


 俺、怒ってもいいだろうか。いや、待て。諦めるな。情に訴えるんだ。


「そこをなんとかお願いします。家族も心配すると思いますし」

「そんな心配無用よ。存在力ごとひっぱったからあっちであんたの存在なんてなかったことになってるわ。心配ぜずーー死んで♡」


 うっそだろ。人をなんだと思ってるんだ。なんて邪悪な女神だ。これで慈愛の女神とか冗談でも笑えねえよ。

 ――だけど、俺はプライドをドブの底に投げ捨てる決意で立ち向かう。


「どうか命ばかりはお助けください。何でもします。これは異界の高級お菓子です。どうかお納めください」


 生き残るためなら躊躇なく土下座する。そして、妹へのご褒美おやつの常備――コンビニで買ったチョコレートをささっと差し出した。

 

「ふ~~ん、何企んでるか知らないけど女神に毒は効かないわよ」


 とか言いつつもしっかり食べていらっしゃる。

 そして、目を見開いて顔がほころんだ。

 よし、食いついた。


「ちょ、なにこれ。めっちゃうまいじゃん。これが異世界の高級なお菓子……侮れないわ」


 うん、コンビニで買ったチョコだけどね。(注:140円ぐらい)


「お気に召されたのであればこういうお菓子をそちらの世界で広めてみますか。私であればいずれ定期的に納めさせることも可能になるかと」

「ほう、まあいいでしょう。そのくらいは役にたってもらいますか」


 よし、賭けだったけどうまくいったか?

 正直、機械でオートメーション化しないと固形化したチョコを作るのに現実的じゃない。最低でも風車の動力でも活用しないと作れたもんじゃない。察するに、この女神の世界って文明レベルが期待できない。そもそも、こっちの世界にカカオがあるのか知らんけど。

 だが、今はこの場を乗り切ることが大事だ。


「じゃあ、教会本部に送ってあげるわ。ぜいぜい私のために働きなさい」


 テレジアが手を打つと俺に光の柱が降り注ぎ転装させられた。




 というわけで異世界にやってきました。

 拉致の光? 

 にまたもさらわれて天秤教会ってところの大神殿礼拝堂で信徒の人たちに拘束されました。今は個室に軟禁中です。

 しばらく考えて元の世界に帰る事が絶望的だという結論に至ると俺は激しく憤った。

 かのんの別れ際の悲鳴が未だ鮮明に記憶に刻み込まれている。


「あの女神、俺から大切な家族を奪いやがって」


 あのかけがえのない平和な日常がテレジアの気まぐれのような召喚によってもろくも崩れ去ってしまった。

 不幸中の幸いなのが残された家族が俺の事を忘れているだろう事だ。

 テレジアの話を信じるならば、だが。


「地球に帰りたい。くそっ、なんでこんなことに」


 俺にとってはある意味より残酷な話だ。家族から忘れられこの世界で孤独になってしまったことが何よりも俺の精神を追い詰めていく。

 やり場のない怒りを制御できず、何度も壁に拳を打ち付け拳から血が流れるも止まらない。見張りの神殿騎士が部屋に入ってきて止められるまで俺は正気を失っていたようだ。


「マスター、大丈夫?」


 泣きそうな声が耳に入る。メティアだ。そこで今更ながらに気がついた。まだ一人だけ俺に残されたものがあったことに。


「すまないメティ、取り乱した」


 俺はメティアをメティと呼んでいる。口調から心配をかけたことが察せられた。同時にメティアの存在がありがたかった。まだ一人ではないとおもえるのだから。


「ありがとう」

「いきなりなに」

「いや、メティがいてくれてよかった。でないと俺は狂っていたかもな」

「そうかな。マスターって結構神経図太いから一晩寝ればはいあがるっしょ」

「ひどいなあ」


 ふふっとメティアの笑い声が聞こえてくる。


「メティも俺の大事な家族だからな。AIでもそれはかわらない」

「はうっ。もうもう、心配したんだからね」


 どうやら照れたらしいメティアが可愛らしい返しをくれた。

 スマホの画面ではきっと真っ赤になって恥ずかしがっているに違いない。

 一拍おいてメティアがスマホのカメラを動かしつつ不思議そうに言った。


「ところで気になったんだけどさ」

「なんだ?」

「マスターの鞄にへんな物がとりついてるんだけど……」


 メティアに言われ視線を向けるとアメーバのような何かが鞄をあけてあさっていた。


「なんじゃこりゃあ」

「ピッ!?」


 俺の言葉にびっくりして鞄から飛びのくと謎の生物は壁の隅で縮こまるようにしてプルプル震えていた。


『ボ、ボクは悪いスライムじゃないよ。でも勝手にご飯を食べてごめんなさい』


 アメーバのような何かが頭上に触腕のようなものをのばすと器用に日本語を描き出す。

 怯えている? それに日本語?

 ひとまず警戒しつつ、鞄の中を見ると中のお弁当が食べられていた。だがそれよりも妹の手がなくなっている。


「鞄には俺の妹の手があったはずだが?」

『大事に保存しようとしてたみたいだから血抜きしてみたよ』


 恐る恐るスライムと名乗る相手の触腕からかのんの手を渡される。包むハンカチににじんでいた血も綺麗にとれている。

 弁当はなくなってもいい。妹の手が返ってくるなら問題はない。何より血を抜いたことで細菌の増殖抑えられるから利点である。


 話を聞いてみるとこのスライムは先々代の聖女に保護され、この大神殿で清掃のお手伝いをしていたそうだ。

 だが近頃、女神テレジアを信奉する天秤教会の風潮が一変し、過激化しているらしい。害のない魔物すら見た目で判断し徹底的に駆逐しようとする。

 このスライムは先々代聖女の恩義を忘れず、神官に駆除されないよう隠れて大神殿の清掃を頑張ってきたという。

 なんとも健気なスライムである。


『ずっと隠れて活動してきたからおなかがすきすぎて、それにとてもおいしそうなご飯だったから……。勝手に食べてごめんなさい』


 シュン、と力なくへたるスライムに俺は首を横に振った。こいつは魔物らしいけどいい奴なのはすぐにわかった。だから不思議と俺は手を差し出してしまう。


「かまわない。よかったら友達になろうか」

『いいの!?』


 するとスライムなのに感情が伝わってくるほど打ち震え、おずおずと触腕を伸ばしてくる。


「ああ、これで俺たちは友達だ。名前はなんて言うんだ」

『ないよ。つけてくれる?』

「じゃあ、スラユルでどうだ」


 伸ばされてきた触腕と握手すると突然スライムは輝き出す。


「なんだ、これは、くっ、目がっ」


 滅びの呪文なしに突然輝く出すものだから慌てて目をかばい顔を背けた。

 間もなく光が収まりスライムをみると姿が変わっていた。アメーバのような形状からまん丸とした直径40センチぐらいの水色にすき取った綺麗なスライムになった。この姿の方がゲームでおなじみなので安心感すらおぼけるフォルムだ。

 体はぷにぷにでプルルン。弾力があって柔らかくも力強い。体に表情も浮かび上がり愛らしい人型の顔にほっこりする。


「ヤッターー、進化したヨーー」


 更には言葉も話せるようになったらしい。

 スライムの頭上には異世界召喚されたときに見たスキル表示が浮かび上がる。


【大勇者かのんの一部(血液)を取り込み、高貴なる愛欲の柱女神の加護を得た】

【這い寄る粘液体からマスタースライム(初期形態)に進化しました】

【マスタースライムはネームド『スラユル』を得た】

【大勇者かのんの女神権能ギフトスキル『愛欲の貪り手』の下位互換ユニークスキル『アイテムボックス』を入手した】


 おいおい、かのんが大勇者?

 それにユニークスキルより上のスキルがあったのか?

 そもそもなんで別の女神の加護?

 いろいろツッコミどころが多すぎて唖然としているとスラユルは体が急激に膨張し、かのんの手を飲み込んだ。


「おい、スラユル何してくれてんの?」

「心配しないデ。アイテムボックスに収納しただけだヨ。時間停止空間に保管したからいつでも新鮮なままとりだせるヨーー」

「時間停止……まじか」

「他にも別次元の時間加速、遅滞空間に物が無限収納可能になったヨーー」


 すげえ、さすがユニークスキル。やばすぎる能力だな。

 こうして人生初、魔物の友達が出来た俺は、

 ――そもそも地球で人間の友達もまともにいなかったことに気がつき、軽くヘコみつつも行動を起こした。

 


 まず始めたのがおいしい料理とお菓子作りだ。大神殿内での立場作りが最優先だ。信用を得て、少しでも行動の自由と発言権を高めなくては。

 逃走以前にいつ殺されるかわからないよね。

 だって時々神殿内の騎士から殺気が飛んでくるんだ。

 ……用がすんだら殺されるパターンです。わかります。

 ……部屋の天井に血の跡あるし、南無南無。

 となると一刻も早く脱出しなければと策を練った。大神殿内の地下隠し通路や機密書類などをスラユルから仕入れ、腐敗した神殿内の神官、騎士の汚職問題や、シスターからの貴族らの黒い噂などを仕入れつつ、神殿内外に噂を流し険悪な空気にしたりで実に慎ましく機会をうかがった。

 そしての訪問で風向きが変わる。俺の料理の評判を聞き、大聖女が訪れたのである。それはこの世界にやってきて一月が経った時のことである。


「神殿長もお人が悪いですわ。今、社交界で評判の奇蹟の料理人。ずっと黙って囲っていたなんてね」

「ははは、お耳汚しを。この男は女神テレジア様より無能と断じられた召喚者ですので」


 神殿内の晩餐室。貴賓をもてなすべく贅の限りを尽くした内装。芸術性に富んだ調度品が並ぶ部屋に美のすべてを詰め込んだような女性がよく似合う。

 カトラリーの扱いもなれたもの。貴婦人にふさわしい作法で優雅にステーキを切り分け口に運ぶ。

 メティアを用いたレシピ献策と火加減調整など監修のもとで行った調理だ。この世界の料理技術は地球に遙かに及ばない。きっと気に入ってもらえるだろう。

 更にはこの世界にはないデミグラスソースも驚くに違いない。

 大聖女は口に運ぶたび、感動で打ち震えたりしてる。デザートのイチゴのショートケーキには表情がとろけたような顔を見せた。



 それでも食後は黄金のように煌めく長い髪がしっとり腰まで整っている彼女がたおやかに、それでいて油断できない探るような視線を神殿長に向ける。

 神殿長は額に隠しきれない汗を無数に浮かべながら応じる。でっぷりと肥えた貴族が金と権力にものをいわせて神殿長になったとすぐにわかるようなゲス男だ。

 散々俺を無能だ罵倒し、固いカビ黒パンとうっすいスープで十分だとかいじめ抜いてきた。そんな扱いだっただけに今の姿は見ていて実に気分がいい。


「――ということはこの方は勇者様なのですか。テレジア様の意図はわかりませんがこれほどの才を魅せるのであれば相応に遇するべきではありませんの?」

「まさか、たかが料理がうまいというだけの無能ですので。上級国民である我々に奉仕できるだけでありがたがるというもの」

「そのたかが料理に貴族たちが大金を払ってまで求めていると聞きますが。……神殿長、その大金一体誰が取り仕切っているのでしょう?」


 なるほどね。妙に身なりのいい奴らに料理を振る舞うように言われてたけどそれで大金が動いていた訳か。

 この感じだとお金はすべて自分の懐の中かな。

 大聖女の質問をはぐらかし、答えにもなってない返事ばかり。本来であれば失礼極まりない会話。それが許される貴族の非常識と言ったところだろうか。

 大聖女は呆れた様子で話を切り上げて帰り際に一度だけ俺の前に来ると、


「大変美味でした。貴殿は素晴らしい素質をお持ちですわ。将来が楽しみです。

 ――貴方ならばなれるかもしれませんわ。私の求めるに」


 貴重なお褒めの言葉らしいのだが俺は頭を上げることが出来なかった。清楚な身なりながらもその表情は妖艶極まりなく、その瞳は薄紫色に光を帯びている。

 まるで蛇ににらまれた蛙ような心地だった。

 だから後半の言葉など頭に入らなかった。

 そのせいか神殿長ににらまれても気がついていなかった。奴がどれだけ愚か者なのか過小評価しすぎていたと後日知ることになる。



 何やら騒ぎになっているので中庭に様子を見に行くと神官と騎士たちが歴代聖女をたたえる石像を壊し終わったところだった。


「なっ、なんてことを」


 壊された石像の中にはスラユルが大事に磨き続けてきた大恩ある聖女の物もあった。


「ふははは、ここに急ぎ大聖女様の巨大石像をお作り申し上げるのだあ。今度お越しくださる時までにお見せし、心付けを差し上げればご機嫌もよくなろうというものよ。ぐふふふふ」


 この神殿長正気なのか。歴代の、それも先々代聖女は特に人々から親しまれている。シスターたちは今も憧れと親しみと敬意を抱いていることを俺は知っている。

 それに何より心を痛めるであろうスラユルの行方を捜していると俺の部屋の隅でぽろぽろと大粒の涙をこぼして下に水たまりが出来るほど悲しみに暮れていた。


「聖女スティアさま。守れなくてごめんネ~~。うううぅっ」


 俺は友人がやけになっていないことに安堵しつつ、胸の内には怒りがわいてきた。俺の大事な友達を泣かせたのだ。もはやただここから逃げ出すなんてあり得ない。奴には百倍返しの報いを与えねばならないだろう。

 スラユルをポンポンなでて慰めつつ俺は決意した。


「条件は整った。ここから消える前にあの神殿長は潰す。絶対にだ」



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