第9話 蟲毒

「あーあーあーせっかく小花こばなは人間のまま安らかに死ねたのに、余計な真似しくさりやがってよお」


 うつろは発生させた地蜘蛛じぐもの糸で小花を縛り付けた。腰を抜かした良平りょうへいを見下ろし、


「小花を長く〝式神の器〟として保たせるために、黒木家くろきけが用意した慰め役……だと思ってたんだけど。まさか本気で小花が好きだったの? 最悪」

「しょ、蝕神しょくがみさま、小花は、」

「気安く呼ぶなよ、愚図ぐずが。もうお前の手に負える女じゃないよ」


 ゴミ屑を見るような目つきで吐き捨てたあと、ぎらぎら睨みつける小花に虚は視線を向けた。


「〝式神の器〟になる女がニ、三年で使えなくなるのはもったないない。だから、そばに男を置いて女の精神がなるべく保つように慰めさせる。人間は飴と鞭を与えたほうが長持ちするし──女を利用するなら恋心に限るからな。小花は思惑通り、まんまとその手に乗せられたわけだけれど──少し、頑張りすぎたな」

 

 蜘蛛の糸を引きちぎろうと小花は足掻く。猫の瞳、犬の遠吠え、狐の尻尾。いくつもの魔性が、小花の負の感情に呼応して爆発寸前だった。


管狐くだぎつね蛇神へびがみならまだしも、犬神いぬがみ猫鬼びょうき蟲毒こどく。同族を喰い合わせて器に残った最後の一匹が強力な呪詛になる式神。その蟲毒すら、〝小花〟の器に入れて〝。いわば、今の小花は蟲毒の中の蟲毒。呪詛の王みたいなもんさ。オレですら喰われちまうよ」


 小花から噴出する邪気が、草木を枯れさせる。虚は足元に落ちた菊花を冷たく見下ろした。


「それでも、小花の身体は人間のものだった。なにより、小花自身が安らかに眠りたいと願っていた。だから、人間のまま死なせてやろうと思ったのに。煽るんだもんなあ。考えなしの大馬鹿野郎がよ」

「そんな……僕はただ、本当に小花のために……」

「あーはいはい。悪気がないのは分かるよ。小花と共依存になるように、黒木家で刷り込まれたんだろ? 洗脳だよ洗脳。あんたも難儀だね。ま、男にゃ同情しねえけど」


 良平は言葉を失う。

 小花の目が、ぎょろり、と虚を捕らえた。カタカタと歯を鳴らし。


「虚……虚も結局、わたしのこと、騙してたんだ! 一目惚れなんて、嘘ばっかり!」

「一目でやばいと思ったのは本当だけどね。オレは祟り神と言えど、神様だからさ。悩なしで人間を喰いつくすだけのあやかしじゃねえんだ。祀られれば黒木家にんげんを守らねばならない。どんなに不本意でもな」

「そうなんだ、そうなんだ、ひどいな、ひどいな。わたし、虚が好きだったのに! 信じていたのに! ちゃんと、恋をしてたのに! 皆でわたしを騙すんだ。皆で私の恋心を利用するんだ。そんなやつら死んじゃえ、死んじゃえ」


 蜘蛛の糸が憎悪の炎で燃え尽き、地蜘蛛じぐもはあっという間に蒸発した。小花はぎょろぎょろと目をあちこちに動かし、虚を指差した。


「──死んで詫びろ」


 がぶり、と犬神いぬがみが、猫鬼びょうきが、管狐くだぎつねが喰らいつく。虚の腐った左半身にかぶりついた式神はそのまま朽ちたが、虚の左腕も骨がむき出しになる。それでも、虚は抵抗せず、歩みを進め、小花に両手を広げた。


「何言ってんだ、小花。裏切ったのはそっちだろ? オレは絶対に石室ここから出るなって言ったよ? なのに昔の男と会ってたなんてひどいじゃないか」 


 思わぬことを指摘され、小花の瞳が揺らいだ。小さな蛇の集合体になっていた毛先が普段の枯色かれいろに戻る。


「オレの目を盗んで逢引なんかしやがって。責められる立場かよ」

「そっ……それは、で、でも、う、虚、私のこと好きじゃないんでしょ!」

「はあ? 一目惚れだけが恋じゃねえだろ。一緒にいるうちに好きになったじゃだめなの? むしろ一目惚れより深い愛じゃない?」

「えっ」

「結構態度で示してたと思うんだけどなあ。足りなかったんならそう言えよ。わかんねえだろ」

「え、え……」


 しゅん、と小花は一瞬しょぼくれたが、すぐにぎょろ、と目を剥き。


「調子のいいこと言わないで! もうだまされないから! そういって良平さんのことかばってるじゃない!」

「オレだって助けたかねえよ。でも、こんなやつでも黒木家の者。氏子は守らねえと。小花、お前だって黒木家の。数少ない──オレが守る者のひとりだ。そうだろ?」


 虚は小花の身体を躊躇なく抱きしめた。いつものように腐食した左手が毛先をくと、小花の髪色が戻った。目や口、耳。異形化した患部を蛆虫うじむしたちが喰らう。何度燃やされても、何度潰されても必死に喰らい続けていた。


「確かにオレは黒木家に被害が出ないよう、人間が死なないよう──小花が大災厄にならないように、邪気を喰い、穢れをろするつもりだった。でも、愛してるって言ったのは嘘じゃないよ」

「うそ、うそ、そんなの信じられるわけないでしょ!」

「うそなもんか。約束しただろ? 生まれかわったらオレと添い遂げて欲しいと」

「……っ! それこそ、都合のいい嘘じゃない! そんな未来あるわけないじゃない!! どこにそんな確証があるって──」


 小花の顎をとらえ、虚はその唇を問答無用で塞いだ。むぐ、と小花は目を見開いた。直接、邪気を喰らって鎮める気だと気づいた小花が激しく抵抗したが、虚は小花の後頭部を押さえこんで、より一層口づけた。あまりに深い口づけに目をまわしかけて──小花は、気づく。口からあふれでる邪気は垂れ流しのまま。唇の端から泥のように伝い落ちていた。


 虚は、小花の邪気を喰わなかった。ただ、唇を合わせていた。恋い慕うように。愛し合うように。恋人同士の睦言のように。硬直した小花から、ゆっくりと唇を離し、熱っぽい吐息を吐く。


「……はは、大人しくなった。やっぱり可愛いね小花ちゃんは。人間のまま死なすのも愛かなと思ったけど、やっぱり惜しいや」

「う、うつろ、な、なに、なにす、」

「ねえ、可愛い〝小花〟ちゃんのままでいてよ。今の小花は蟲毒の中の蟲毒。強力な神霊に匹敵する力がある。オレだって敵わないくらいの、この地を焼け野原にできるほどの力だ」


 でもね、と虚は小花の瞳を見つめた。


「いくら力が神霊並みでも。人間の身体はやっぱり持たない。このままだと魔性に乗っ取られて小花ちゃんは消えちまう。誰かれ構わず呪いを振りまく、呪詛の災害になる。そんなの哀しいだろ? だからさ」


 蛆虫が喰らった患部から、異形化が溶ける。そして、人間に戻った部分から小花の身体は限界を迎えて崩れていく。


「お前に身体をやるよ。好きな男を信じ続けて、すりきれて──化け物になってしまうくらい頑張ったその精神に見合うだけの。痛みにも喘ぐこともない。誰にも揺さぶられることのない強い身体を」

「……え」

「蛆虫だらけの死体でよければ。黄泉返よみがえって──末永くオレのそばにいてくれないか」

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