第29話 さあ、何とでござんす?
「もしそうでしたら(私が文芸を、和歌や小説をするならばということだ)、いかがですか?さきほどのお礼代わりに相聞でも致したいのですが。自分のことを胸の奥まで判ってもらえることほど嬉しいことはありません。ほんの少しでもお返しして差し上げたい。しかしとは云っても 若輩の私の身ではあなたのことを聞く術もありません。もし和歌でもお詠みいただけるなら、あなたのことを少しでもわかってあげられる気がするのです。御存知かどうか…僭越ながら私も歌塾で師範代をしている身ですので…さあ、何とでござんす?ほほほ」。名作「たけくらべ」の中の、みどりが信如へ心中で迫る折りの名決めゼリフまで使っていただいたりして。まあ、それこそ本当に‘何と’いうことを思いつく人なのだろう。御存知も何も、小説はもとより、私が和歌を始めたのは一にも二にも彼女、一葉の和歌を見たからなのだ。今でも相当数の彼女の和歌を諳んじている。まさに師匠と思うその人と相聞歌を為すなど…それこそ至福の至りなのだが、しかし「はたやはた」でもある。名人とド素人が将棋を指すようなものだからだ。痛し痒しなのだが、しかしここはもう清水の舞台からと思ってやるほかはない。意を決めて「いや、光栄です。私はいままであなたの和歌を手本にしてやって来た者ですから…その師匠に私こそ大僭越なのですが…」と云って暫し黙考し、どうにか一首をひねり出した。彼女が余所衣を脱いでくれたことに感謝しつつ、その誘いとなってくれたものをこそ、私はこう詠んだのだ。「をのこやも我(わが)泣きごとを云ひもぞするもばら受けなむ尚泣けよかし、君」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます