掌編四題

尾八原ジュージ

地図に描かれた絵

 街の地図は、どの家庭にもあるべきものだ。地図に描かれた絵は毎日ぐにゃぐにゃと形を変え、わたしたちはそれに従って出かける支度をする。今日、地図の絵は1/500のアメフラシになっていて、お母さんは登校するわたしと弟に傘を持たせた。

 小学校の校庭には、地図にあったとおり、巨大なアメフラシがじわじわと伸縮を繰り返しながら、紫色の液体を吐いていた。蒸発した液体は紫色の雲となり、雨を降らせている。

「姉ちゃん姉ちゃん、あの子カサがないねぇ」

 弟が校庭の向こう側を指さした。

 小さな男の子がひとり、黄色い帽子とランドセルカバーを雨に濡らしながらとぼとぼと歩いている。

 傘を忘れるなんて、あの子の家にはきっと地図がないのだろう。近いうち、先生から保護者へ、地図を買うよう通達があるに違いない――とわたしは考える。

「ぼくのカサ、あの子に貸してくる」

 弟はそう言ってパッと駆け出す。が、すぐに戻ってくる。小さな顔が青くなっている。

「どうしたの?」

「あの子、影がなかった」

 見ると小さな男の子は、いつの間にか立ち止まってこちらを睨みつけている。

 わたしは弟を抱きかかえる。

 他の生徒たちも先生たちも、いつのまにかまるで背景のように周囲を通りすぎるだけの影になっている。わたしたちは音のない世界に、たった三人で取り残される。

 頭がキインと痛くなり、わたしは目を閉じる。


「佐藤さん」

 先生の声が聞こえた。

 はっと気づいて目を開けるとそこは学校の校庭で、担任の先生が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。腕の中にいたはずの、弟の姿はなかった。

 その日から弟は消えてしまい、なのに父も母も先生も友達もそれに気づかない。まるで弟なんか最初からどこにもなかったみたいな世界が始まって、あの子を探しているのはわたしだけだ。

 あの男の子が校庭にいたはずの時間帯、地図の絵がアメフラシから鬼の影に変わっていたという噂を聞いたが、本当かどうかはわからない。ただああいうものが出るなら、アメフラシよりも優先して教えてほしかった。

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