働く鳥
鳥木野 望
第1羽ホトトギス
男は真っ白な消毒の臭いと言い表しがたいケミカルな臭いの染みついた病室のベットに横たわっていた。どの薬の副作用か忘れてしまったが、男は一日に数時間しか意識を保っていられない。その貴重な時間である昼の間に男はじっと動かずに窓の外を眺め続けていた。外には枯れている木が見えたが、それが何という木であるかは男には分からなっかった。眺め続けているとその木の枝に一匹の鳥が停まった。その鳥は男の長い人生でも見たことがなく、自然に目が惹かれた。しばらく観察していると副作用とは関係なく眠気に襲われた。なされるがままその眠気を受け入れようとした瞬間のことだった。「ホホホ、ヘキョヘキョ」部屋に鳴き声が聞こえてきた。「ふ、間の抜けた鳴き声だな」男が掠れた声でつぶやく。その鳴き声はゆっくりと繰り返される。部屋の中に聞こえてくる声は止まることなく繰り返される。すでに閉じ切った瞼に思考も徐々に重くなっていく、完全に意識を失う前に男は小さな違和感を感じた。人の顔見えた。男は少し速くなり始めた鼓動に動かされるように、顔だけを外に向けた。そこにいた小さな鳥は米俵ほどまで大きくなっていた。それよりも異質なことは首から上が羽毛が徐々に抜け落ちていき、その下からは鳥肌とは思えない綺麗な肌が見えていた。「ヒッ」全身が硬直し汗が吹き出した、その瞬間それと”目が合った”。
「ゴゥー」男の黒く塗られた脳内に音が入り込み、微かに意識が浮かび始めた。重たい瞼を持ち上げると、そこは変わらず暗闇だった。不思議なことに男はベットに横になって寝たはずだったが。目を覚ますと椅子に座っていた。徐々に瞳が暗闇に馴染んできた、どうやら男は車の後部座席に座っているようだった。運転席のほうを窺うと若いスーツ姿の女性ががハンドルを握っていた。
「あの、ごめんなさい」
どうもおかしな状況に陥っていると感じ取った男は少々の焦りを抱きながら、運転席に座っている何者かに声をかけた。
「はい、ああどうも、起きましたか?」
その者の声は車内にやけに響いて聞こえた。
「もうしばらく目的地まで時間があるので、どうぞお寛ぎになってください」
その丁寧な言葉使いと雰囲気に、私はまるで自分がタクシーに乗っているような気になってきた。
「目的地とはどこですか?それに私はなぜ寝ている間に勝手に車に乗せられているのでしょうか?」
「十和田 寿彦(とわだ としひこ)さんですよね?52年間大変お疲れさまでした。貴方の肉体はすべての機能が停止したのを確認しました。これから向かう場所は"一つの町"と言われています。予め言わせてもらいますが、車内で暴れたりしないでくださいね。それから質問は一つの町の人に聞いてください」
私は死んだらしい。そのことにはあまり思うことはない死ぬのも薬で眠り続ける生活もたいした違いはないだろう。しかし死んだというのに意識があるとは私の生前の思想から思えば突拍子のない話だった。得体のしれない物は恐ろしい。いま私は私自身が恐ろしい。自分とは何だったのかと不安になってくる。私が俯き黙っていると、ふと運転手の彼女が横目でこちらを窺っているのが分かった。
「もし、よかったら到着まで時間があるので後ろのテレビでも付けましょうか?」
どうやら気を使って話しかけてくれたようだ。よく見ると天井に収納されたテレビがついているタイプの車だった。
「いえ、大丈夫です。もう少し状況を整理しようと思っています」
私がそういうと、運転席の彼女が小さくため息をついたのが聞こえた。なぜだろうか?そこまでテレビを見なかったのが嫌だったのだろうか?たしかに送り届ける側からしたら、おとなしくテレビでも見ていてくれたほうがいろいろ楽なのだろう……ん?テレビ?一体なにを見れるというんだ?死後の世界で。
「ああ、お迎えするのが決まってから、十和田さんの人生をいい感じに見やすく編集し走馬灯を作成したんです。私が担当する方には毎回専用の走馬灯をおつくりしているのですが、皆様それどころではないご様子で……あまり見ていただけないのです」
「走馬灯ですか、しかし私の人生を改めて冷静に映像としてみるというのはあまり気が進みません。覚えていたくなくて忘れている記憶も多分にある気がします」
「はあ、そうなんですね。ではやはりこのような状況でなくとも、走馬灯は見たくない物なんですかね?ああ、なんか私ずっと空回ってたかも」
そういう彼女の声は徐々に暗くなっていった。彼女の声は相変わらずしつこく車内に、脳内に、響く。
「それでしたら、どこか見たい記憶だけピックアップして流しますか?どんな場面がいいですか?」
私は走馬灯と聞いてから頭の中を占めていたある出来事について考える。もう一度だけ…もう一度だけ味わいたい。
「なら、一つだけ2020年の4月8日の午後6時頃から見れますか?」
「ええ、分かりました。その日は十和田さんがちょうど還暦を迎えた日でしたね」
私は少し腰を持ち上げ手を伸ばして収納されているテレビを引き出すボタンを押した。すぐにテレビが青い画面に代わる。私は心が騒がしくなるのを抑え込むように全身に力を入れて、映像がつくのを待った。……しかし映像はしばらく待てど流れてこない。
「あの、映像始まらないのですが」
「え?そんなはずは無いのですが……映してるはずですよ?」
彼女がこちらに顔を向けた時だった、唐突に画面が変わり映像が流れ始めた。私はとあるアパートの駐車場に停めた車の中に隠れていた、手には60センチほどの竹やりを握り、ある男の姿を鼻息を荒くして探していた、すると駐車場に一台の軽自動車が入ってきて私の車から一つ空けた左に駐車しドアが開く。男が下りてくるのに合わせて、私はドアから飛び出して狙いなど一切定めずに男に槍を構え全力で突進した。「カッツン」槍が空を切り男の乗ってきた車に当たった。
映像が終わり、画面が再び青くなる。
「え!!?」
彼女が前で大きな声を出した。しかし私はそれどころではなかった。男が私はたしかにあの忌々しい男を殺したはず。あまりの混乱で身体が震えてきた。何かに八つ当たりしないと気が済まないほどだった。
ドゴンッ
「なんで殺せてないんですか?今消えましたよあいつ」
「分かりません。ただ、このタイプのイレギュラーは大抵他のヤツのせいなのであまり気にしないようにしてます。ただもし過去が過去では無くなってしまっているなら一度戻る必要がありますね、このままでは貴方を一つの町に連れていくことができなくなってしまいます。」
彼女がゆっくりと振り返ってきた。その瞬間私は急に眠くなってきた。そしてまただ、また私はあのおぞましい姿を見た。
目を覚ますと、自分の部屋にいた。部屋の中はごちゃごちゃと物が散乱していた。そしてその一角では段ボールが敷かれ、その上にのこぎりとナイフで尖らされた竹やりが置いてあった。そうだ今から私はあの男を殺す気だ。
「十和田さん、ここは10月28日の朝です。時間がありませんから、すぐに向かう準備をしてください。」
玄関のドアの前にスーツ姿の女がいた。正面から見るのは初めてだがおそらく運転席の彼女だろう。
「どういう状況ですか。なんで私は過去に来たんですか?」
「詳しい事や推測を省いて簡潔に言うと、あなたの過去が変わってしまっています。直ちに治さないと、一つの町に連れていくことができなくなってしまいます。もっと結果だけ言うならあなた自身が消滅します」
衝撃の事実を告げられたが、彼女の焦ったような語り口調のせいで質問ができなかった。私はベットから眠気を我慢し無理やり起き上がり、洗面所に向かい顔を洗う。水垢だらけで白くなっている鏡には、三十代のころ自分が写っていた。髪の毛は艶がなく、顔も酷く血色が悪い。二十年前、急に妻に出ていかれ、ほとんど何も考えずに生きてきた。急にすべてが馬鹿らしくなり、それまで長く勤めていた会社をやめて、自宅から徒歩三分で行けるビルの清掃のバイトを始め、子供の将来用にしてた貯金を使いながらなんとか生活を送っていた。私は寝巻のまま竹槍を引きずり買い置きの段ボールに入ったお茶を二つ脇に抱え玄関で待つ彼女のもとに向かう。車のカギは靴箱の上が定位置だ。
「お待たせしました。行きましょう。あ、これ良かったらお茶どうぞ」
彼女が小さくお礼を言いお茶を受け取ると、こちらを不思議そうな顔で見る。
「それ、隠さないでいいんですか?」
竹槍を指さしている。
「ああ、問題ないです。罪は自覚し罰はすべて受け入れます。なので隠す必要はないんです。」
彼女は首をかしげていた。
「罰を受け入れる。そうですか……ではいきましょう」
そして私はまたあの場所であの男を待ち構えていた、車を止めると助手席に乗っていた彼女は「邪魔の邪魔をしてきます」と訳の分からないことを言い降りて行った。しばらくして車が一つ空けた左に停まり、男が降りてくる。槍は男の腹部に刺さり、勢いから男が後ろの車体にぶつかり地面に倒れた。大きな声で悲鳴とも怒声とも分からない声を上げた。私は興奮から動悸を激しくし、その場に蹲ってしまった。
「十和田さん戻りますよ」
彼女の声が上のほうから聞こえてきた。
目を開けるとまた暗い車の中に戻ってきていた。テレビの画面には救急車に運ばれる男と警官二人に取り押さえられている私が映っていた。
「ふう、これで大丈夫ですね。では十和田さん降りましょう。着きました一つの町です」
そう言うとすぐに彼女は車から降りて行った。私もそれに続こうとしてふと今まで考えてこなかった、不安が浮かび上がった。質問をするなと最初に言われていたが、そもそも一つの町とはなんだ?疑心が次々に生まれてきて窓から外を窺おうとして気づいた。車内が暗いことから外が見えないのも夜だからだと勝手に思い込んでいた。しかし窓に鼻が触れる程顔を近づけても一切外が見えないことは少しおかしかった。
「逃げよう」
私は助手席と運転席の間から前に乗り出し運転席へと収まった。運転席にはハンドルとアクセルペダルとブレーキペダルがあるのみで他には何もついていなかった。
「一体何してるんですか?」
ドアが勢いよく空けられ腕をつかまれ物凄い力で引きずり降ろされた。上から無表情の彼女が私を見下ろしていた。外は真っ白な地面と灰色の空が広がる広い空間だった。
「凄いですね。ここでは、そういった行動はあまり起こせないようになっているのですが。先ほどの定まっていない過去といい、本格的にきな臭い感じがしてきましたね。まあいいです。一つの町はあれです。あなたの疑問や全ての説明は門番がしてくれます。行きますよ」
私はよろよろと起き上がりながら彼女の向く方へと視線を向けると。50mほど先に巨大な白を基調とした壁があった。その巨大な壁は縦にも横にも終わりが見えず、ところどころに長方形や四角のカラフルな色の部分がある。まるでその部分だけつぎはぎしているみたいだった。
彼女が壁に向かい前を歩きだした。
私は先ほどの経験からおとなしく彼女の後をついていく。
「十和田さん。なぜ山田慧を殺したのですか?動機は分かります。しかしあなたの記憶をどれだけ探っても、あなたの思考も感情も読み取ることはできません。できれば詳しく教えていただけませんか?私個人的にあの殺人はとても良いものだと思っているんですよ」
「殺されかけたんだ。あいつは俺の首を絞め殺そうとしてきた。意識が落ちる瞬間私は明確に死を感じていた、あの恐ろしい感覚はいつまで経っても忘れられなかった。だから奴のことを探し出して殺さないとまずいと思ったんだ。トラウマでパニックになるたび後で怒りが湧いてくるんだ、あいつさえいなければと」
還暦の日は休日の土曜日だった。私は夕方から珍しく外食をした。市内巡回バスに乗り駅前の飲み屋街にある牛丼屋に向かった最近の牛丼屋にはビールが置いてあることに少し驚きつつ、一杯飲みながら久しぶりのおいしい晩餐を楽しんだ。いい気分で店から出て歩いていると、急にすれ違った20代くらいの青年に肩をつかまれた。なにか物凄い形相でこちらに怒鳴ってきた。しかし酔っているのか呂律が回ってなく何を言っているか私には分からなかった。そしてついには肩を掴んで離そうとしない奴と取っ組み合いになってしまった。しかし私もほんの少しだけ酔っていることもあって態勢をくずして倒れてしまった。それから男が上に乗っかり両手で首を絞めてきた。やがて私は気を失った。どうやら数分から十分ほど気を失っていたらしく目を覚ますと警察と救急隊が私を取り囲んでいた。どうやら巡回中の警官に発見され救急隊を呼ばれたらしい。幸い命に別状もなく、後遺症も残らなかった。しかし心は別だった。襟が首に触れるだけでパニックになるようになり、冬でも夏でも関係なく私はタンクトップしか着れなくなってしまった。必然的にバイトも続けられなくなった。
「ふむ、トラウマに対しての怒りが動機だったんですね。自分の息子でも殺されそうになったら殺す。しかも」
今、なんて、意味が分からないことを。
「は?なんだって?息子なんか殺してない。だいたい息子なんて小学生の頃には妻と共に出て行ってしまったきりだ。人づてだが妻と息子は実家の他県に引っ越したらしいし、第一あいつみたいな人間が息子なはずがないだろう!」
訳の分からないことを言われたせいか急に頭痛がしてきた。彼女は進んでいた足を止め意外そうな顔をし、こちらに近づいてきた。
「ああ、そういえば忘れているんでしたね。これから先にち受けることを受け入れられるように、罪を意識し"罰"を受け入れられるように、一から説明しますね。もう気づいたと思いますが、山田はあなたの妻の旧姓です。貴方のだらしない生活態度と何かあった時にすぐに物に八つ当たりする癖に愛想を尽き出て行ってから、実家の北海道に帰っていました。しかし大人になった慧さんは就職後に配属された場所が生まれた地である町だったんです、そういえば面白ポイントなんですが、貴方の行った牛丼屋とは別の牛丼チェーンで夕食を食べた後の帰り道でしたね。自宅のアパートに向かう途中、長く会っていなかった父の顔を見つけて声をかけたんです。しかし貴方は酩酊状態でその声が聞こえてなかったみたいですね。無視されたと思った慧さんは貴方の肩を掴み呼びかけました。そこからはあなたの言っていた通りですよ、取っ組み合いからヒートアップして気絶まで持ってかれたって感じですね。それでバイトを辞め、駅前で毎日張って慧さんの家を突き止め、準備はすでにしてあった為すぐに実行に移しました。殺した後、十和田さんは犯行現場に残り続けましたね、死体の横でお茶を飲みながら誰かが発見し警察に通報するまで待っていました。自首するのがめんどくさかったんですよね。なんどか警察に電話しようとして止めてますね。」
「違う!それはただ昔から電話が苦手なだけだ。電話をかけようとすると緊張で胸が苦しくなるんだ!」
「ええ、そうだったんですね。私は人間の思考も感情もまだまだ理解できてなかったみたいですね。それはお詫びします。では続けますね。警察に逮捕され拘留中の取り調べで担当官から被害者が息子の十和田慧だったことを知ります。当たり前ですがかなりのショックを受けたようで拘留中に暴れまわり果ては自分の頭を壁にぶつけ始め自殺未遂。その後、大学病院で治療を受け目を覚ますときにはいくつかの後遺症が残り記憶喪失状態でした。まあここまででいいでしょう。そういえば面白ポイントなんですが、貴方の死因って他殺ですよ。慧さんって結構モテたんですね。一人暮らしを始めてからすぐに彼女を作ってましたね。であなたが入院した病院はその彼女の職場です。貴方が薬で就寝中にナイフ持ってグサッって殺してましたね」
私はすべて思い出した。いや私の知らない衝撃の事実なども多分に含まれていたが、そんなことはどうでもよかった。そうだ私は息子を殺してしまったのだ。出ていかれてから一度も会えずに、いや会おうともせずに愛していたなどとは口が裂けても言えないが、あの小さかった頃の息子の顔が何度もよみがえってきた。泣き出してしまった私に彼女の手が肩に触れる。
「十和田さん、行きましょう。歩けますか?」
彼女が手を取り先へとひっぱていく。やがて私は大きな白い壁にドアノブが付いてる部分にたどり着いた。つなぎ目はなく扉には見えなかった。
「十和田さん、ここが人が人のために創った地獄です。そちらのドアから入ってください。無いとは思いますが拒否は許されません。」
私はあの事実を告げられてから徐々に考えていた。ここが死後の世界ならやはり向かう先は地獄だろう。足は震え声は出なかったが、歩みは止まらなった。そして私はドアノブを捻ると白いドアが現れ開く。
「十和田さん、死後の世界に選ばれたのは、慧さんではなくあなたですよ。うまくやればその街ですばらしい生活を手に入れることも可能でしょう。幸運を祈ってます」
彼女は出会いから最後までなにを言っているのか分からない部分があったが、それは仕方のない事だった。赤茶色の羽毛に覆われた大きな一羽の鳥がこちらに向かい鳴く。それはあの病室で何度も聞いた鳴き声だった。
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