男装して仮面舞踏会に参加したら、好みの美少女が女装した婚約者だった
槙村まき
本編
男物の正装をして鮮やか赤い髪を黒いカツラの中に隠して、仮面を付ければ、私はどこからどう見ても男に見えるだろう。こういう時だけ長身で産まれた自分に感謝することができる。
鏡の前で自分の姿を見てため息を吐く。
仮面を付けていても惹きつける赤色の瞳が魅力的で、これならどの女性もうっとりと見惚れること間違いなし。
本当は仮面舞踏会になんて参加したくはなかったのだけれど、唯一の友人に一緒に行ってほしいと頼まれてしまい断れなかったのだ。彼女は婚約者との仲がうまくいっていないらしく、仮面舞踏会で羽目を外したいと口にしていた。
貴族の仮面舞踏会なんて不道徳な集まりでしかない。そこに友人をひとりだけ向かわせるのは気が引けたので、私も一緒に行くことになった。
私はいろいろな意味で目立つ容姿をしている。女性にしては高めの身長もそうだけれど、とくに一番目立つのは血のように艶やかな赤い髪。
その髪を隠すついでに男装をしてみたら思いのほか似合ってしまったので、私はこの格好で参加することにした。
◇
仮面舞踏会は身分を隠して参加することができる。舞踏会に知り合いがいても知らないふりをするのが暗黙のルールで、家格もよっぽどのことがない限り憂慮することはない。ただ私の家門の場合、そのよっぽどに当てはまることもあり、姿を隠す必要があった。
そうだというのに――。
「ねえねえ、アモネ。あの人はどぉう?」
「名前を呼ばないで」
友人はその暗黙のルールを知ってか知らずか、平気で私の名前を呼んできた。
アモネという名前を聞いたら、貴族なら誰もがスカーレット家の長女を思い浮かべるだろう。それほど、アモネ・スカーレットという私の名前は、いろいろな意味でとても有名なのだ。
「ごめんね、アモネぇ……あ、ほんとごめん!」
そう言って、エマは自分の口を掌で被った。
エマとの付き合いはそれなりに長く、その行動に他意がないのはわかっている。ため息を吐きたくなってしまうけれど、その天然が混じった人懐っこい性格にはいままで何度も救われてきた。だからついつい許してしまう。
「……もういいよ。それよりもあいつはダメ。遊ぶにしてはまじめすぎるわ。それよりもあそこにいる男の方が軽く遊ぶのに慣れていて、後腐れがなくていいんじゃない?」
「でも、鍛えてなさそうな体しているし、筋肉がなきゃ嫌なの」
エマは婚約者とはうまくいっていないらしい。伯爵家の令嬢にしては言葉が砕けていたり、貴族には似つかわしくコロコロ変わる笑顔をしているのは、エマが愛されて育ったことが関係しているとか。
貴族として当然の教育は受けているはずなのに、彼女の態度が気に入らないのか、エマの婚約者はことあるごとに彼女の行動を窘める。エマはそんな婚約者が嫌だから、もう遊んでやる! とこぶしを握り締めて宣言をしたのがつい約一週間前のことだった。
貴族の結婚は政略結婚が主で、それはエマも私も同じだった。親に決められた相手と婚約して、よくよくは結婚をする。だから政略結婚にはもともと愛なんて必要はなく、貴族の多くは成人をしたらこういう仮面舞踏会などで素性を隠して、一夜限りの関係を持つことがある。
貴族の――特に令嬢は貞操を大事だとされているが、それは建前に過ぎない。要は表向き純潔が保てていればそれでいいのだ。……まあ、それでも本当にバレたら大変なことになるから、こうして仮面などで素性を隠すのだけれどね。
「はあ、正直アモ――あなたがいちばん魅了的過ぎて、他の男が霞むのよー」
エマには男装して参加するとは伝えていなかった。だから私の邸に迎えに来た時、エマは開口一番「超イケメン! 超好み!」と言っていた。そのイケメンが私だと知ると驚いていたけれど、「これなら大丈夫そうね」と安堵していたのはどんな意味なのだろうか。やっぱり本来の私の髪色は目立つからとか……いや、エマはそういうの気にしないだろうけれど。
「じゃあ、あたしはあっち行ってるねー」
名残惜し気にしながらも、私がいると他の男が寄って来ないことに気づいたのだろう、エマは手を振りながら去っていた。こういうところもあまり貴族っぽくない。
エマも離れて行ったし、どうしようかと会場内を見渡していると、ふと会場内の片隅に目を奪われてしまった。
仮面舞踏会は素性を隠さなければいけないので、他の夜会に比べると会場内の照明は暗くなっている。
そんな暗い会場でもひときわ輝くホワイトブロンド。
腰ほどまで伸びたホワイトブロンドは軽くウェーブを描いていて、彼女が動く度に通り過ぎていく男女が足を止めて見入っている。
「あの髪色は……ッ」
いや、ホワイトブロンドは特別珍しい髪色ではない。エマもあそこまで精巧ではないが、白よりの金髪をしている。私の婚約者もホワイトブロンドだ。
私はたぶん目を奪われていた。
ホワイトブロンドの少女は男性が付けるような飾りっ気のない黒いシンプルな仮面を付けていた。
そんな彼女の金色の瞳と目が合った瞬間、胸が高鳴った。
彼女は何か言おうと口を開いたが、その前に別の男に声を掛けられる。
距離があるから何を話しているのかはわからないが、少女は迷惑そうに眉を顰めている。男はそれに気づかずにぺちゃくちゃと話しかけていて、しまいにはまどろっこしいとばかりに少女の腕を掴もうとしていた。
「おい、何をしているんだ」
気づいたら私の足は動いていて、少女に言い寄っていた男の腕を掴んでいた。
男は私の鋭い赤い瞳に怖気づいたのか一歩たじろぐ。
「いくら仮面舞踏会だからと言っても、レディに無理やり迫るのは美しくないな」
「……ッ、おまえには関係ないだろ!」
男は吐き捨てると、去って行った。
私はため息を吐く。それからホワイトブロンドの少女に視線を向けた。
また、金色の瞳とバッチリと視線が合った。
「大丈夫? 君みたいなお嬢様がこんなところにいたら、変な男の餌食になるだけだよ。だからもう帰ったほうがいい」
改めて向かい合ってみてわかる。彼女は仮面舞踏会に慣れていない。それどころかこういう人が多いところも慣れていないんじゃないだろうか? 変な男に騙されないか心配だ。
それに本当に成人しているのかも危うい。ハルジオン王国お貴族たちは十六歳になったらデビュタントを済ませて晴れて成人として社交界に足を踏み入れることができるが、彼女の姿は夜会でもお茶会でも一度も目にしたことがない。もしかしたら私みたいにカツラを被ったりしているのかもしれないけれど、こんな綺麗な顔立ちの美少女がいたら覚えていてもおかしくはないだろう。
……それにしても、なんでこんなに胸が高鳴るんだろう。
「……お兄さんは、お優しいんですね」
その声が彼女から発せられたものだと気づいたのは、数秒経ってからだった。
少女にしては声が低く、声変わり前の少年のようでもある。
どこか囁くように話しているからか、いまいちに耳に残りにくい。
「お兄さんは、よく仮面舞踏会に参加されるのですか?」
「いや、今回が初めてだ。友人の付き添いできてね」
男性の話し方ってこんな感じで良いのだろうか。なんだかよくわからなくなってきた。
「そうなんですね。私も初めてです。みんな仮面を付けていて、おもしろいですね」
まあ、仮面舞踏会だし。
目を輝かせて会場内を見渡している彼女はかわいいが。
「そういえば噂で聞いたのですが……」
美少女が私の傍に寄ってくると、耳を貸してとジェスチャーで伝えてくる。
体を屈めて耳を近づけると、吐息が耳にあたってくすぐったかった。
「ここで知り合った人と、休憩室に入ることもあるのですか?」
「……ッ! あ、え、あ、ええ、その、意気投合した男女がぁ、一緒に入ったり入らなかったり、いや、そのですねっ」
「わあ、すごいですね。私も一度、休憩室に入ってみたいです」
「……いや、その、それはッ」
「お兄さん、一緒に入ってくれませんか?」
駄目だ。男女が休憩室に入ったら、そういう言うことになってしまう。
……いや、いいのか? 私女だし。女の子同士だったら、別に間違いもないような……。
「ダメ、ですか?」
潤んだ瞳でねだられると、とてもじゃないけれど断れなかった。
◇
まさか仮面舞踏会に参加して、そこで知り合った美少女と休憩室に入ることになるとは思わなかった。
仮面舞踏会の休憩室は、普段参加している夜会などと雰囲気からして違う。
室内は会場同様照明が暗く、奥の方にはカーテンに隠れているがベッドがあるのだろう。
緊張してきた。
女同士だから間違いなんてあるわけないはずなのに、向かい合わせのソファーに腰かけている美少女と視線が合う度に胸が高鳴る。彼女が着ているドレスも関係しているのかもしれない。見えている鎖骨が艶めかしくて、間違えて襲ってしまいそうだ。男装しているけど私、女なのに。
「雰囲気のあるところですねー」
周囲を見渡して、呟いたとき、ふと見せた笑顔になぜか婚約者の姿が重なった。
確かにあの婚約者なら、女性の格好をしたらよく似合うだろう。
「そうですねー」
とりあえず話を合わせてみる。
「ところでどうして仮面舞踏会に参加したのですか?」
「えっと、友人の付き添いで……なんだ」
すっかりいつもの言葉遣いに戻っていたので慌てて男性っぽい口調を心掛ける。
「ああ、そうなんですねー。それにしてもお兄さんってとても綺麗だから、他の女の人も放っておかなかったんじゃないですか?」
「……うん、まあ」
エマといるときも、たまに女性から話しかけられたりしたけれど、私は女なのでお誘いはほとんど断っていた。だって私女だし。女性を抱く趣味はない……はず。
いまいち断言できないのは、目の前にいる美少女の存在があるからだろう。
「……誰かいい相手でもいましたか?」
「いえ、いないですね」
あなただよ、と言いたくなったのをぐっと堪える。相手は私を男だと思っているのかもしれないけれど、私は女だ。
それに婚約者もいる。いくら相手が美少女でも、不貞を働きたいと思っているわけではない。
私の返答になぜか美少女が笑みを浮かべる。その笑顔がやはりなぜか婚約者に重なった。
「それならよかった。……僕以外の男と一緒だったらどうしようかと」
「……僕?」
作ったようなハスキーボイスだとは思っていたけれど、「僕」と声に出した瞬間、私は不穏なものを感じ取っていた。
いや、まさかね。ないない。
なぜか立ち上がった美少女が、私の隣に腰を下ろす。
上目づかいで私のことを見上げた彼女は、仮面を取ると悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ああ、もしかして、まだ気づいていないの? 僕は、すぐに気づいたのに」
近くで聞こえる声で、耳がくすぐったい。しかも、さっきまでのハスキーな女性ボイスから、年相応の青年の声音に変わっている。
その声には聞き覚えがあった。先ほど感じた違和感の正体に、私はついに気づいてしまった。
最初に姿を見かけた時から似ているとは思っていた。
だけど
私は震える声で、彼の名前を呼ぶ。
「アレクサンドル、殿下」
アレクサンドル・ハルジオン。
このハルジオン王国の王太子で、その美貌は王国の秘宝とも言われていて、あまりに美しい見た目と、ほとんど社交界に顔を出すことのない人物としても有名だ。
そして、私――アモネ・スカーレットの婚約者でもある。
「サーシャでいいって、いつも言ってるよね」
「……サーシャって、愛称じゃないですか」
「だからだよ。恋人から愛称で呼ばれたいんだ」
「私はただの婚約者ですし」
スカーレット公爵家は、代々王家に使える筆頭貴族でもある。珍しい赤い髪色と切れ長の瞳、それから愛想のない鉄面皮が特徴的で、多くの貴族から畏怖されている。
私もそんな血を受け継いでいて、女性にしては高い身長をしているものだから、幼い頃から同世代の貴族令嬢や令息からは遠巻きにされていた。
だけど婚約者であるサーシャは違った。
彼とは定期的な顔合わせのお茶会でしか顔を合わせることはなかったけれど、彼はいつも私に怖れることなく接してくれた。
それは王族として、婚約者に誠実に接してくれているからだと思っていたのだけれど――。
「やっぱり、アモネは勘違いしているよね」
サーシャの手が、私の頭に伸びる。彼の手が私のカツラを取ると、隠れていた赤い髪が目の前を舞う。
その間もサーシャは、私の目をじっと見つめて微笑んでいた。
「やっぱり綺麗だ。君は自分の髪を血のようだというけれど、僕からしたら赤い薔薇のように目を惹かれるほどの美しさを持っているんだよ」
赤い髪を掴むと、その先に口づけをした。
「君の瞳も僕は好きなんだ。僕を見つめるときの赤くなる頬も、震える唇も。すべてが、大切で愛おしいんだよ」
「……殿下、近いです」
美少女の顔で近づいてくると対応に困ってしまう。
彼はクスっと微笑むと、今度は私の仮面を取ってしまった。
「君が仮面舞踏会に参加すると聞いたから慌てて準備をしたのだけれど、まさか男装しているなんて思わなかったよ。本来ならもっと早くに見つけて、連れて帰っていたのに」
サーシャの手が私の頬に伸びてくる。
身長差があるのに抗えなかった。
「ねえ、せっかく休憩室に入ったのだから、一線超えちゃおっか」
「駄目です」
「どうして? ここは仮面舞踏会だし、それ以前に僕たちは恋人同士だから問題はないはずだよ」
「……それでも、駄目です。殿下を穢してしまう」
サーシャは王国の秘宝だ。その秘宝を穢すことは、婚約者である私にもできない。
彼には、ずっと綺麗なままでいてほしい。
「……君になら、穢されるは本望なんだけどなぁ」
「それでも、駄目なんです」
「というか僕が美しい薔薇を手折る方だと思うのだけれど」
「殿下には美しいままでいてほしいんです。穢れのないままで」
「……それは、無理な話だよ」
サーシャがホワイトブロンドの長い髪を掴み、思いっきり引っ張る。
彼を女の姿にしていたホワイトブロンドがゆっくりと床に落ちて行った。
「僕は男だからね。これでも、理性を保っている方なんだ。愛する人が目の前にいるのに、いつもは周囲の目があるからずっと手を出せないでいたんだよ。……でも、いまは二人っきりだ。仮面舞踏会はこういう
突然の口づけだった。
塞がれた口のせいでうまく息ができなくて、息が漏れる。
「……殿下、おやめください」
「嫌だね。だってこうでもしないと、君は僕の好意に気づいてくれないんだ」
「わかりましたから」
「本当に? だったら、君からキスをして」
なんてことを言うんだ。
でもここで引き下がったら、彼を誤解させてしまう。それだけは嫌だった。
恐るおそる口を近づけて行くと、サーシャは受け入れるように目を閉じた。
私は彼の頬に、軽く触れる口づけをした。
「それだけ?」
明らかに不満そうな目で見られてしまったけれど、私にとっての精いっぱいだ。
サーシャは自分の頬を触っている。感触を思い出そうとしているのかもしれないけれど、それは恥ずかしいからやめてほしい。
「……じゃあ、続けようか」
「何をですか?」
「仮面舞踏会の休憩室に入った男女がすることなんて決まっているだろう?」
「駄目です」
さすがに体の関係はやばい。たしかに女装していたサーシャを襲いたいと思考してしまったりしたが、行動に移すつもりはなかった。
立ち上がったサーシャが私の膝の上に乗る。ソファーの背もたれに押し倒すように。
そのまま唇が近づいてきそうになった時――。
休憩室の扉が、大きな音を立てて開いた。
「アモネええええ。もう帰ろう、こんなところおおお」
エマが入ってきた。彼女はソファーに座っていまにもキスしそうになっている私たちを見つけると、大きく目を見開いた。
「げ、殿下! なんでいるんですか!?」
「……噂で聞いたんだよ、君が僕の愛しの婚約者をこんな不埒なところに連れ込もうとしているって」
「アイツか……。やっぱりさっきの仮面野郎、あいつだったのか」
仮面野郎って……。
「アモネぇええ。聞いてよおお」
サーシャの体を突き飛ばすように私の上からどけると、今度はエマが抱き着いてきた。
「さっき、あいつがいて。ホントなんでこんなところにいるんだか」
「あいつって?」
「ヒューゴよぉ」
「ああ」
ヒューゴは彼女の婚約者だ。
「しかも仮面をしているあたしの手に口づけしようとしてきたから、気持ち悪くって股間蹴って逃げてきたの!」
「あっ、そうなのね」
ご愁傷様。
それにしてもエマの婚約者は遊ぶような人じゃないと思ったけれど、人は見かけによらないのね。ヒューゴは真面目だから、ついエマの行動を窘めてしまうと前に嘆いていたことがあった。
「もう帰ろう」
「そうね、帰りましょう」
カツラも仮面も取られてしまったし、もう会場には戻れない。
それにここにいるのも危険だ。サーシャが私を誘惑してくるから、そろそろ限界だったのだ。
「帰りの馬車も一緒に乗ろうね?」
「ええ、いいわよ」
「……僕も一緒に乗る」
「えー、殿下は早く宮殿に戻ったほうがいいんじゃないですか? どうせ黙って抜け出してきたんでしょう? アモネは、あたしが責任をもって家に帰しますから」
「…………せっかく、うじうじと項垂れていたあいつをけしかけて一緒に来たのに」
なにやらブツブツ文句を言っているが、よく聞き取れなかった。
エマも、「やっぱり殿下が……」とか言っている。
だけどとりあえずこのままここにいるといろいろな意味で危険なので、サーシャに別れを告げると私たちは家に戻ることになった。
◇◆◇
これは後日知ったことなのだけれど、ヒューゴが仮面舞踏会に参加していた理由は、エマが変な男に手を出されないか阻止するためだったそうだ。もともとエマ自身がヒューゴに「アモネと仮面舞踏会に行ってやるんだから!」と伝えていたらしく、相談されたサーシャとともにやってきたとか。私も参加すると知った瞬間ものすごい形相をしていたらしいけれど、どんな顔だったんだろう。
それから私とサーシャの関係は、公の元でも進展していた。
あまり社交界に顔を見せなかったサーシャは、私に逢うためによく社交界に顔を出すようになった。それも女装をした姿で。
謎の美少女の出現に、社交界は騒然とした。
あの美少女は誰だ!
しかもスカーレット家の令嬢にあんなことを!?
ハルジオン王国の秘宝に似た美少女が現れたこともあり、貴族たちはとても驚いたのだろう。
サーシャは美少女の姿で、人前で私の指先に口づけをしたり、私よりも頭一つ分低い身長なのにつま先立ちをして私の頬に顔を寄せてきたり――人前で恥ずかしげもなくスキンシップをしてくることが増えた。
私の婚約者がハルジオン王国の秘宝だということを知っている貴族たちは大いに困惑しただろうけれど、相手が女装をした当人だと知ればその場に倒れ込んだかもしれない。
そして私は、サーシャに口づけをされるたびに、あの休憩室でのことを思いだしてしまい、自分の理性を保つのに必死になっていた。
あの日以来、自分の中にある、サーシャへの気持ちがどんどん強くなっていることに気づいてしまっていた。
この気持ちを鎮めたいのに、サーシャのスキンシップは留まることを知らない。もし周りに人がいなかったら押し倒してしま――駄目だ。秘宝を穢すのだけは。
「ねえ、アモネ。何を考えているの?」
「…………なにも」
「ふーん。あの日のことを思い出しているのかと思った」
「ッ。そんなこと、ないですよ」
「嘘だー」
二人っきりのお茶会で、なぜか隣に座っているサーシャが私の頬に手を添えながら言う。
彼の金色の瞳が私の本心を射抜いているようだった。
「僕はあの日のこと、よく思い出すんだよ。だから、はやく結婚しない?」
「……結婚は来年の予定では?」
「それぐらい前倒しにすればいいよ。早く王太子妃になって」
「……」
女装をしているのに、意識してしまうサーシャがずっと傍にいるのだ。
あの日のことが忘れられないのは私も同じだった。
だから、自然と本音が口から出ていた。
「はい。サーシャ。結婚しましょう」
「ありがとう、アモネ」
少し背伸びをするようにサーシャがその口で私の口を塞ぐ。
全身が熱っぽくなるような気がした。
【完】
男装して仮面舞踏会に参加したら、好みの美少女が女装した婚約者だった 槙村まき @maki-shimotuki
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