生まれる。

@DojoKota

第1話

見つめ合いましょうとタタタタタが言った

タタタタタは女の子で僕の彼女だ

でもこれは小説だから

「見つめ合いましょう」とタタタタタが言った。タタタタタは女の子で僕の彼女だ。タタタタタは僕の恋愛対象で、タタタタタはそれを受諾している、と表現した方が正しいのかもしれない。でもどっちでもいいや。タタタタタはタタタタタが苗字でタタが名前だ。だから、フルネームだとタタタタタタタという。でも実はミドルネームもあってそれはタタタだから、彼女の本当の最初から最後までの名前を最初から最後まで言う時には、僕の両手の十本の指を総動員することになる。

タタタタタ

タタタ

タタ

ねえタタタタタ

おいタタタ

あのタタ

実は彼女は小説家で女優で18歳と称して未成年買春などをしている

彼女のペンネームはタタタタタタタタで

彼女の芸名はタタタタタタタタタタタタタタタタタタタで

彼女が街の風俗店で使用している源氏名はタだ

僕はペンネームは八文字、女優名は十九文字だねって覚えている。女優名に関しては、呼ぶに際し、手に余る。でも、魅力的な彼女には魅力的なさまざまな顔があるのだ。

ちなみに彼女はオンラインゲームの世界では透子と称している。じゃあ、いっそ透子と呼べばいいじゃないか、と思わなくもないけれども、やっぱり、彼女のことは彼女生来の名前で呼ぼう。

その割にさっきから、彼女、彼女と三人称単数形で呼んじゃっている。ちなみに彼女は高校生で、僕の年齢はタタの全ての名前の文字数を足して合わせたくらいだ。

やっぱり、最初はそこそこの距離感で始まった関係なので、タタタタタさんと苗字で呼ぶことが多く、やがてタタと名前で呼ぶようになって、それに際して僕は、やった三文字減ったと思ったものだ。

そんなタタと僕なのだけれども、そんなタタタタタ・タタタ・タタが見つめ合いましょう、と僕に、言った。

うん、と僕は思った。

「例えば漢字をじっと見つめているとなんだか変な気分になるじゃないですか。あれ、この文字こんな文字だったっけって。線がうにょうにょ動き出して、別の文字の別の意味になるような気がして、そういうのをゲシュタルト崩壊とか言うのだと思うのだけども、あたしはあなたの顔でそれをするのがすき」

などと言って、タタは僕を見つめるのだった。うれしいな、と思った。


子供が僕の目の前まで走ってきて僕の目の前で立ち止まった。最近はちんちんだけ露出させるファッションが流行っており、そのこもそうしたファッションの最前線も同時に走っている。全身真っ黒でぴっしりした黒いタイツみたいなゴム質の素材で、目と鼻と口と耳とちんちんだけが露出しているという究極の防寒着みたいな服装であり、ぶるんぶるんとちんちんを自由に振り回しながら走ってくる様は圧巻だ。僕は、もう一回見たいからとお願いをして子供に割と大きめの硬貨を渡すと子供は、妙ににこにこと笑顔で、僕から小銭を受け取って僕から見て一番近い電信柱までぶるんぶるんと自由を振り回しながらとことこ走っていくと、その電信柱に括り付けられている募金箱に僕からもらった小銭を入れて、じゃあ、いくよー、などと元気よく叫んで、僕めがけてたたたたたたた、と全力疾走というわけではないんだけどとても大きな速さで、軽快に走ってくるのだった。すごい。

子供は僕の目の前まで走ってきて僕の目の前で立ち止まった。ちんちんはすぐに止まることはできず、余震で震えて、すぐ目の前にいる僕の額にぴたりぴたりと当たった。ちんちんででこぴんをされると言うのは、生まれて初めてであたたかかった。

本当は僕はもう一回くらい子供に僕と電信柱の間を勢いよく走ってもらいたかった。けれども、僕のポケットにはもう小銭はなくって、お札しかなかった。なんだかそれはちょっと勿体無い感じがした。仕方ないから僕はちょっとそこまで一緒に歩こうかと誘った。

いやいいよ。と子供は頑なに首を横に振って、にっこりと笑って、おじさんありがとう、それじゃあまたね、などと言って、また走って電信柱まで戻って行って、ちょうどたまたまそこに買い物袋を提げたおばさんが歩いてやってきたのでというのもスーパーマーケットがすぐ目の前にあったそのおばさんめがけてにこにこしながらその子供は勢いよくかけて行った。おばさんはちょっと驚いた風ではあったけれども、あらまあ、かわいいわねえなどと言っていそいそと空間から財布を引っ張り出して小銭をその子供に与えて、せっかくだからもう一回お願いしようかしらなどと言って追加で小銭を与えて、すると子供はにこにこと、うれしいなあ、などと言いながら走って電信柱まで行って募金箱に小銭を入れて、またおばさんのところまで、にこにことぶるんぶるんと自由に振り回しながら走っていくのだった。僕はなんだかちょっと悔しい気持ちも感じながらその場で頬杖をついて、自由を振り回す様は圧巻だなあと呟きながら、その様をじっと見つめていた。

「懐かしいな」

僕の足元から僕の影が話し始めた。

「うん」と僕は返事をした。

影の声は僕の踵の声となんだか似ていた。だから、僕はほんとうは影ではなく僕の踵がしゃべっているんだって知っている。でも影ってことにしておこう。

「子供の頃のお前にそっくりだ。子供の頃のお前が募金活動の最中にちんちんを振り回して道ゆく人に駆け寄ってお金をもらうという活動を初めて始めてそしたらそれですごくお金が集まってそれ以来この地域じゃ募金活動といえばこのスタイルだ単独でちんちんを振り回しながら道ゆくひとに手当たり次第に走り寄ってお金をもらいまくるほとんど誰もが断るということをせず数百円から数千円子供に無償で与えてしまうまるで通過儀礼のようにこの活動を通して子供のちんちんは大きくなる最初はひよこ豆くらいだったし震えると言ってもぷるぷるぷるんだったちんちんちんが最終的にはぶるるるんぶるるるんとハーレーダビッドソンのエンジンの唸りのようにすごく地響きを立てて子供のちんちちちんは大人のちんちちんちんに変貌するんだ。すごいなあ」

「ああ」と僕は返事をした。

その会話の間にもちんちん子供は行ったり来たりを続けている。

僕の影はずっとしゃべっていたいみたいに僕の返事を押し退けてしゃべる。

「子供のちちちちんんんんがすごく揺れている。募金活動中は何をしても許されるのか、走りながら放尿する子もいるくらいだ。以前いて、俺に向かってすごい勢いでそれでも走ってきて英語のRUN!には液体が流れるって意味もあるんです!ってまるで中学生みたいに覚えたての知識を俺に教えてくれた。おしっこをしている最中のちんちんんんはそんなには揺れなくてだから概ねリーゼントのように前方を向き続けていて、リーゼントの先端から迸る闘気のように概ね俺に向かっておしっこが迸っていてでも時折、びたんびたんと子供の臍の下にちちちちんが張り付くように勢い余ってぎりぎり鉄棒の逆上がりができない子の逆上がりの練習のようにびたんと臍の下あたりにちちちちちちちがぶち当たって、ぶしゃあとそのままの勢いでおしっこも噴上し、噴上なんて言葉はないんだけど、そんな感じに上方へ噴き上がって、アッパーみたいに子供の顎を垂直におしっこがんんんんんんから噴き出して、思わず息ができなくなった子供がわっぷわっぷと言いながら走ってきたのもいい思い出だ。思わずお前はポケットの中にたまたま入っていたこの国では一番高価な紙幣をその子に渡した。その子はわあすごいと言い。お前は格好でもつけるかのようにこれで君の濡れたその顔を拭きなさいと言った。子供のなりふり構わない樣は凄いよな思わずお金を渡してしまう」

「ああ」と僕は返事をした。「でも、募金活動というのはそういうものだろう。子供も含め多種多様な人々のただし子供が主体となる集団のなりふり構わない樣に思わず大人がお金を渡してしまうから募金活動なんてものが成り立つのだ。じゃなかったらみんなネットや振込で各自の寄付行為に満足する。僕は子供の頃、初めて募金活動に駆り出された日に、ああ、これは何も善意ではなく、子供のなりふり構わない樣に思わずお金を払うという反応を返しているだけなのだなって悟って、じゃあなにが一番なりふり構わない行動でそれってどんなだろうって思っていろいろ試した末こんなになってしまったんだが、でも、おかげでその時はすごくお金が集まって、すごかった」

「すごかったなあ」と僕の影が言った。一通り話したいことを話したからか、僕の影はそれっきり大人しくなった。

「それにしても」と僕は言った。「僕も随分と歳をとった。あの募金活動に明け暮れていた子供時代からもう何年も経つ。僕もすっかりおじさんだ。今じゃこのスタイルの募金活動に最適化するための眼と口と鼻と耳とちちちちちちちちちん以外を全て覆い尽くすような究極の防寒具みたいな子供服まで作られ募金活動もしない至って内申点の低そうなそこらへんの近所の子供たちまでこの格好だ。この格好をしている募金活動に勤しむ内申点がいかにも高そうな子供がこの格好をしているけど募金活動など全然しない子供に向かってちんちんを振り回して走り寄ってお金をもらうなんてこともあるくらいだ。お互いのちんちんが共振して触れ合わないか見ているこっちが冷や冷やする。凄い世の中になったものだなあ凄いなあ」

そんな風に僕が話していると、一通りおばさんから小銭をむしり取って満足したのかちんちんをむき出しにした子供が今度はゆっくりと募金をせびるわけでもないのだろうにゆっくりと僕のいる方角に向かって歩いてきて、僕のそばまで来て座り込んだ。

「はあ」とその子は言った。

「お疲れ様」と僕はとりあえず労った。なんて話したらいいかわからないからどぎまぎした。

子供と話すなんて僕は十年ぶりだ。

「こんな簡単に騙されるなんてみんなばかだよでもおかげでいい商売になる」

その子は僕の目の前で眼と鼻と口と耳とちんちんだけが露出している究極の服を脱ぎ始めて脱ぎ終わるとそこには全裸の女の子が立っていた。彼女が振り回していたちんちんは偽造ちんちんだったようですごく精妙な作りではあったけれど、所詮バネじかけで、彼女自身にではなく彼女が着衣していた究極の服から生えているだけのハリボテだった。そしてよく見ると電信柱に括り付けられているように見えた募金箱は、貯金箱だった。やられた。

「おじさんがこんなことを始めたんですね。すごいなあ。おかげさまで、あたしは今日もただへんな服を着て走り回ってるだけでガンダムのプラモデルが買えるくらいの稼ぎになったよ。ありがと。おじさんの子供時代の蛮勇に感謝。そしてこのへんな服を作った会社の蛮勇に感謝。あとちんちんをぶらんぶらんさせてくれる万有引力に感謝。だね」

それがタタとの出会いだった。

凄い出会いだなあと思う。

運命を感じる。

でも、考えてみたら向こうが一方的に駆け寄ってきたり、歩み寄ってきたり、話しかけてくれただけであって、偶然なのか必然なのかといえば、タタの気まぐれに一存している出会いだった。凄いなあと思う。僕はそんな活動的なタタのそばで自分の影とぶつぶつ会話していただけだ。僕も僕ですごい気がした。

当時小学生だったタタが全裸のままいう。

「もう今日はかなり稼げたし、何か美味しいもの奢ってあげようか」とタタが言った。僕はふっと思ったけれど、僕は当初タタのことをタタタタタさんと苗字にさん付けで呼んでいたと述べたはずで、じゃあ、小学生の時の全裸のタタと出会った当初の僕は小学生女児を苗字にさん付けで呼んでいたわけですごく丁寧な成人男性で好感が湧くなと思う。

「それは俺の金だろ」

「それもそうですね」タタは謙虚に言った。

「でもあげた以上好きに使っていいよ」と僕は言った。

「うん。ありがとう」タタは僕の手を引っ張ってその辺の鰻屋さんに入って行って、入っていく際にささっとその鰻屋さんの暖簾を引きちぎると、それをとても可愛く着こなしてしまい、もはや全裸ではなくなってしまった。うなぎ柄のワンピースみたいだった。全裸の女児と全裸のまま鰻屋に入店しなくて済んでほっとしている僕に向かって、タタは得意げに「えへへ」と笑った。

タタってあの時から可愛かったんだなあ、と僕は思い出しながら思った。

鰻の味はちんちんとはまるで違う。でも、僕たちはまだちんちんの味は知らない。

十の注文に対して一の割合でうなぎではなくちんちんの蒲焼を出すそんなロシアンルーレットみたいな鰻屋ではなかったから、店内の客たちはみんな誰一人としてちんちんは頬張っておらず、どちらかといえば鰻を堪能していた。僕はさすがは鰻屋さんだなあと思った。

「こんな高い店来るの初めてだからびっくりするよ」

「ガンダムのプラモデルの値段の半分くらいの値段の鰻重二つ」とタタは注文をした。

タタは料理が届くまでの間いろいろなことを話した。

僕はそれを聞いた。

「タタタタタ」

「タタタ」

「タタ」

「タタタタタタタタ」

「タタタタタタタタタタタタタタタタタタタ」

「タ」

みたいな感じで僕たちは話した。

話しているうちに親しい気分になり、年下だったということもあり僕はタタのことを「タタタタタさんではなくタタと呼ぶようになってもいいですか?」と了承をとった上で「タタ」と呼んでみた。

そして鰻重が届き、僕たちはお腹が減っていたこともあって凄く食べた。凄かった。

食べていると栄養が豊富だったのか、小学生くらいだったタタがみるみる高校生になった。凄かった。

そして、冒頭に戻る。

そうなのである。

僕とタタとは出会ったばかりなのだ。

裸見たことあるしタタが全裸の小学生だった時からの付き合いだけれども、ほとんど初対面と言ってもよかった。

なんなんだそれは。

わからない。

わからないなあ、と思った。

僕は改めてタタを見つめる。

タタがすごい勢いで僕を見つめているからうおおと思う。

タタみたいな女の子にはこれまで出会ったことがないと思った。運命かもしれない。タタみたいな女の子にはこれまで出会ったことがないと思う。エイリアンなのかなと思う。

タタミみたいな女の子でもタタみたい女の子でもなく、タタみたいな女の子は凄いなあと思った。八月だった。暑い。蝉を全て打ち落とすための散弾銃の開発のための募金活動でも始めようかなあと思うくらい暑い。子供時代の僕はほんと馬鹿みたいな趣旨の慈善活動のためによくもまあちんちんを振り回していたっけなあと感慨に耽る。ちんちん、八月、募金活動。子供がボッキしないと思っている奴は人生経験が浅い。僕がちんちんを振り回して募金活動で荒稼ぎしていることに嫉妬した同級生は募金活動中の僕を勃起させて恥をかかせてやろうと目論む陰険な同級生もいて大変だったなあ、と思い返す。でも、急激な勃起を抑止する筋弛緩剤みたいな感じの弛緩剤が開発されてからというもの、みんな今日も究極の服で募金活動に子供たちは勤しんでいる。勃起できないちんちんに意味なんてあるのか。でも、それを言い出したら、小学生男児のちんちんに意味などない。まるでカチューシャのようなただの飾りだ。それにしても、この善意の活動を逆手にとって偽造ちんちんでお小遣いを荒稼ぐタタみたいな子もいるとは凄いなあ、僕はタタが好きになった。好きである。

タタはしばらく僕のことをじっと見つめつづけた後、「うん」と言った。「堪能しました」

「それはよかった」

「もしも」とタタが言った。

「なんでしょうか」と僕は言った。

「もしも、今度また一緒に鰻屋さんに行ってうなぎを食べたら、また栄養過多で、今度は小学生→高校生どころか、高校生→40歳くらいのおばさんになってしまったとしても、あたしのこと好きなままですか?」

「40歳はおばさんじゃないよ」

「そっか。それはよかった」

「まあ、53歳くらいからかな」

「あーあ、困ったなあ。これからどうしよう。これまでみたいに、ちんちんを振り回してお金を稼ごうにも、あたし、大人になってしまった」


この物語ももう少しだけ書きたいと思っている。この物語は、この続きの文章を書いている時点より二、三週間前に書いたのではないか、と思う。その後、僕はなんやかんやあって鬱状態になっている。小説の中身に関して言えば、鬱状態の人間が書きそうな文章かもしれない。上記の文章は、昨日細かい手直しをしたものの、二、三週間前に一気に書いたものだ。自分の文章をあらためて読み返し、細かく修正することはよいことだ、と思う。以前は、面倒臭さが優っていたが、1)当時のアイディアが蘇ってくる。2)しかし、そのアイディアは今すぐに発揮できるものではない。3)つまり、自分の中ですぐには使えないアイディアが蓄積されていく。という効能がある。それは、文章で何かを試みる人間にとって、当初は歯がゆいかもしれないけれど、大切な、何かだと思う。体力づくり、と言ってしまうとあまりに効果に特化した表現になるし、自分づくり、自分磨きなどと表現してしまうと、本当にそこまでのことなのかな、って思ってしまう。
アイディアが、蓄積されていく感じ。蓄積というよりも、見えない構築ということなのだろうか。言葉遊びかもしれない。
ここ二週間あるいは15日間だろうか、ずっと憂鬱だった。今も、うっかりすると文章が止まってしまう。右大腿の付け根、右足首が痛い。なんて表現すれば良いのかわからないけれど、塞いでいた。人を殺して死のうかなって思ったし、死のうかなって思ったし、苦しい感じがした。今もその余韻がある。苦しいという表現だと違和感がある。というのも、一人塞ぎ込んでいるのは自分の判断であり、客観的に考えれば、自分でどうにでもできる事柄だと思うからだ。だから、自作自演の苦しさという感じがあり、よくわからない。肉体的な苦痛が、目に見える形で残っていくけれども、精神的に本当に苦しいのかは、よくわからない。なんで苦しいと思うのか、とか。なんでこの世の中を住みにくい地獄のような場所に思うのか、とか。
昨日週刊少年ジャンプを読んだ。図書館で、読んだ。読み切り連載があった。それは、性的なヒロインと性格の悪い主人公の話だった。僕はその作品を読んで、作者が空想の世界を選んでいるのだと思った。仮に、作者が現実の世界でモテモテで恋愛経験も豊富で恋人が複数人いたとしても、その作品の中のような性的な何かを求めての恋愛だろうと推定し、ならばその作者は、現実ではない自分の好きな世界として漫画を描き、作品を発表しているのだと思った。そして、これまでの長期連載作を思い返してみると、多少なりとも、自分の好きな世界ではないものを書いているような気がした。だから、その作者は今のままでは連載は成功しないだろう、と思った。公共性と言って仕舞えば、なんだか話を道徳的に処理してしまっている気がするけれど、公共性がない、作品だと思った。ところで、僕の作品も、自分の好きな世界に逃げ出したいという一心で作ってきたものだった。そこには、公共心がない。そう思うと、なんとかしたいと思った。
公共心がある作品を書きたいという表現だと、誤解を招くだろう。なら、公共心を持って作品を書きたいなら、どうなのだろう。どっちみち誤解の余地がある。公共心というよりも、何か、わかんない、広がりのある作品というのだろうか。わからない。
話が変わるけれども、僕は鬱を治したいと思った。いろいろな理由があるけれども、ほなみさんについて思い返してた。ほなみさんを殺してしまうしかないんじゃないか、と思っていた。でも、ほなみさんの立場に立って考えてみた。そしたら、ほなみさんは他にどうしようもなかっただろうなっと思った。そんなふうに考えていると、鬱を治そうと思った。僕はこれまで自分の才能で鬱に対処してきた。つまり、鬱屈し、苦しみ、その苦しみに耐えかねて、爆発し、それで元気だった。そのことをひとに指摘されるのはいやである。というのも、大半の人間はこうして鬱を爆発させるだけの活力や才能がないからだ。また、人任せだからだ。僕は、そういう人間のことを嫌いだった。ところで、僕は、ほなみさんの立場に立って考える、というのと、作品が自分の好きな世界ってだけじゃないっていうのとはなんか似ているなって思う。
そもそも、好きな世界なんて変わってしまう。

ここまで書いてみたけれども、じゃあ、どうしたら、この物語の続きを書けるのかっていうとよくわからない。アイディアが、ないな。
タタのことはかわいいと感じていた。語部の僕に対してはあまり特に思うところがない。物語性は、あると思う。これも良い作品なのだろう。
構想は特になかった。
ノリで楽しいものを書いてみる、というのが、大きな狙いだった。
楽しいってどういうことなんだろう。時間ってどういうことなんだろう。ちっぽけな世界である。タタと僕はきっとこの後楽しい冒険を繰り広げるのだろう。いろんな人と出会うのだろう。じゃあ、僕は、この世界は、この世界じゃない気がする。でも、この世界がこの世界じゃないということと、この世界を否定し好きな世界に逃げようとすることは実はつながらない。この世界はただ、この世界じゃないだけだ。でもどうしてそんな世界に人々はいるんだろう。
ともかく、タタは元気だ。タタは小さな女の子だ。タタは元気で、僕も元気だ。そういう物語なのだ。この物語りは。
物語は伝えたいことじゃなくって、世界なんじゃないか。もっと欲望と疑問とこの世界が関わっているんじゃないか。
タタのことは今は好きでも嫌いでもない。ただ、タタはタタなのだ。

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