第三話 少しずつ、時には大胆に

3-1

 あれから一週間後、日曜日。

 ほぼ毎日のように他愛のないチャットのやり取りを経て、逢う約束を取り付けることに成功。所謂、デートって奴。


「あ、智也くん! ごめんね、待たせちゃったよね」

「いえ、大丈夫です。俺も今来たところなので」


 キリッ。

 何かのフィクション作品で見た、胡散臭い台詞。当時の俺はそんなことを放つ人はいないと内心バカにしていた節があったけど……まさか、自身が堂々と口にすることになるとは。


 さて、本当のところ、本来の集合時間よりも三十分ほど早く来ていたけれど、一人だけ気合が入ってると思われるのは格好悪い。あと引かれたくないし。

 ここはあくまでもスマートに、大人の対応を優先で。


「ところで、行きたいところがあるって言ってましたけど……場所は?」

「ふふっ、まだちょっと内緒! わたしも実は初めて行くの」


 初めて、だって?

 それはつまり、ヒロ兄とも行ったことない場所ということか。これは、期待に胸が膨らむ。


 県内有数の最寄り駅、かつ一般的に休日の昼間とあり人がごった返しているが無邪気にはしゃぐ彼女の姿は誰よりも輝いていた。


「あ、あのバスに乗るみたい」


 地図アプリを起動させているようで、次の行き先を軽く告げられる。今日はヒールではないから覗こうと思えば覗けるが、さすがにやめておいた。


「……温泉、のある方角のバスに乗るんですね」

「うん、有名なのかはわからないけど、その近くらしいよ」

「へ、へぇ」


 まさか温泉に、ちゆりさんと二人で?



 ……いやいやいや、それは絶対にないって。本人も近くって言ってるだけだし。


 第一、俺は健全な付き合いを目指しているわけで。下心があるわけではない、断じて!


 ……そりゃまあ、そうだったらいいな程度はあるけれど。あくまでも可能性がゼロではないって話だけで。念のため、身構えるだけなら許されてもいいはず。


「智也くーん、バス来たよ」

「はっ、はい!」


 おっと、落ち着け。心の中で言い訳をしたところで意味はない。


 これはれっきとした男女のデート。進展を発展へと変化させるための大事な逢引。とにかく、目的地に着いたら体調を気遣うこと。女性扱いをすること。そして、何より全力で楽しむこと。


 そう、どんな場所だったとしても。




「――滝、ですか」


 上から下へ、勢いよく流れる水の自然現象に素朴な疑問を抱いた。


 なぜ、滝を見に来たのか。答えは単純明快、ちゆりさんが子供のように瞳を輝かせているから。


「智也くん、凄いよ、凄い! こんな間近で見る滝、本当に初めて!」


 感動ものだよー、と付け加えて写真を要求する。


 とても可愛い、じゃなくて!


「えっと、別にいいんですよ? 不満とか嫌いではなくて……どうして、滝?」


 そりゃ、まあ。ヒロ兄と一緒に行ったことない場所なんて限られているだろうけどさ。それでもたくさんあるはずの中でなぜ滝なのか。


「どうしてって、うーん……難しいけど敢えて言うなら智也くんと見たかった、からかな?」

「っう」


 長谷川智也、クリーンヒット。

 笑顔でそれは、反則。ズルい。


「ほ、ほう。俺と、どうしても一緒に、行きたかったってことですか」


 どうしても一緒に、の部分を大きく誇張する。

 頬が火照っている気がしても、恋する中学男児には大事なことなので。


「うん! 一人で行ってもつまらないからね」

「あはは、ですよねー」


 知ってた。まず、ちゆりさんに個人として興味を持ってもらうところから。


 ……うん、改めて気が遠くなりそうだ。



「それに智也くんのことを……ううん、ごめんね、なんでもない」

「えっ?」


 俺が、何?


「それじゃあ、行こうか。ちょっと足場が悪いみたいだけど、この奥にもね、大きめの滝があるらしくて」

「え、ちょっ……! ちゆりさん、一人で行かないでください‼」


 まったく、唐突な自己勝手な行動力はどこの兄に似たんだか。早々と去る女性を追い掛けるように、俺は彼女に付いていく。



 深く、深い、森の奥へ。

 緑豊かな木々と、滝から落下を終えた水面は緩やかな流れだった。


「凄い……市内なのに、こんな空気のいい場所があるなんて!」


 すーはー、すーはーと大袈裟にちゆりさんは呼吸を繰り返す。それを密かに俺は真似た。


「本当に、空気が綺麗だ」


 呼吸を整える度、普段とは違う大気に包まれている、とでも言うべきか。とにかく普段とは違うとわかる。


 五月も半ば。

 少し暑さが蔓延る中、この空間だけは妙に涼しい。真横には段差がほぼない、川が流れており足を滑らせたら水遊びが成功してしまう。


 ……なんて、そんな漫画のようなベタ展開があるわけないか。


「ちゆりさん、足場が悪いので本当に気を付けてくださ――」



 ジャリ、という不穏な効果音が前方から鳴った。


 それは、一瞬の些細な出来事。

 ちゆりさんが足を滑らせたことにより右方向に、つまり川の方に転倒する勢いで小さな悲鳴を上げた。


 見事なフラグ回収。そう脳裏で過った矢先、俺の身体は勝手に動く。……彼女を守るように。


「っ、智也くん……⁉」



 ばしゃん。身体が沈むと同時に水飛沫が上へと向かって盛大に跳ねた。

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