第8話・新しい日常

side:天橋翔


 授業が終わった。ずっとおなじ姿勢で授業を受けたせいか、体を伸ばすとスッキリする。


「なあ、部活の見学行かねえか?」


 帰り支度をしていると北村が声を掛けてきた。どうやら、少し心配されているらしい。


「悪い、今日はちょっと用事があるんだ。また今度な」


 部活かぁ。運動部は無理だな。身体能力をセーブしてやるのは難しいし、真面目に取り組む奴らに申し訳ない。


 ウチの学校は私立ではあるが、スポーツ推薦などにそこまで力を入れていないことで強豪校と言えるほどではない。ただ、個人種目で全国に行けるような人はいると聞いたが。


 それなりに楽しみにしていたんだけどなぁ。部活も。


 学校を出て少し歩く。学校の近くにはスーパーマーケットやらドラッグストアが並ぶ幹線道路がある。そこで夕食の買い物をするつもりだ。


 一人暮らしを始めてまだ半月ほど。その前はもっと田舎でじいちゃんとばあちゃんと三人で暮らしていた。


 じいちゃんが生きていた頃は、車で買い出しに行っていたなと思い出す。まあ、地元から離れているので、ここにじいちゃんとばあちゃんとの思い出があるわけではないが。


「いらっしゃいませ~。またお弁当?」


 スーパーマーケットは地域では大型店舗に部類されるだろう。多くの店員とお客さんがいるのだが、大学生くらいのアルバイトらしき女性に声を掛けられた。


「いや、今日は食材かな。少し自炊しようと思って」


 確か……、夕方に割引になる弁当を狙って来ていると顔を覚えられて、少し世間話をしていた相手だ。


 世話焼きの年上のお姉さんといった女性で、会話が楽しかったのはちょっと恥ずかしい思い出だ。


「ちゃんと野菜も食べないとダメだよ~」


「はい、そうします」


 弁当を人数分でもいいかなと思ったんだけど。いつも一人分なのに変かもしれないと思うと買うとは言えず、食材売り場に行く。


 五人分の食事だからなぁ。買い出しだけでも大変だ。実はオレ、じいちゃんとばあちゃんと暮らしていたから洋食系はあまり得意じゃない。ハンバーグとかカレーならばあちゃんも作れたから教わったけど。


 なるべく好みのものを食べさせてやりたいんだけどなぁ。今日はハンバーグにでもするか。お刺身も安いが、あっちだと基本生で魚を食べることはなかったし。口に合うか心配だ。


 外に出ると西の空がオレンジ色に染まっていた。


「うわぁ」


 なぜだろう。理由もなく涙が込み上げてきそうになる。


 じいちゃんとばあちゃんが亡くなった時も、あっちにいた時も泣いたことなんてなかったのに。


 なにかを思い出したわけじゃないし、感傷に浸ったわけでもない。


 ……疲れているのかな。魔王討伐に気を張った日々を送っていたから。


 気持ちを切り替えて帰路を急ぐ。




「ただいま~」


 仲間たちと魔王は特に争った様子もなく家にいた。


 雰囲気はまあ、こんなものだろう。楽しんでいるともリラックスしているとも言えないが、縁もゆかりもない世界に来て落ち着いてリラックス出来るほうがおかしい。


「カケルさん、お帰りなさい」


「サンクティーナ? どうしたんだ? 名前で呼ぶなんて……」


 キッチンで食材を冷蔵庫に入れていると、サンクティーナが手伝いに来てくれたが、唐突に名前を呼ばれたことで驚いてしまった。


「ああ、勇者と魔王と姫と呼ぶのを止めようってことになったんですよ」


 なるほど、確かにそうだ。みんなもここでしばらく暮らすために、いろいろと考えているのか。オレがもっとしっかりしないとな。


「カケル、もどったのね。これあなたの分よ」


 夕食の支度にとりかかろうとした時、唐突に魔王から渡されたのは地味で細い腕輪だった。例のマジックアイテムだ。


「オレは要らないけど?」


「フィーリアとも話して、変身魔法と翻訳、それと疑いをもたれない魔法、これ精神魔法なんだけどね。その効果があるわ。あと魔法とスキル封じ、身体能力抑制も加えてあるわ」


 淡々と語る魔王に唖然とする。マジックアイテムはオレもいくつか知っているし、勇者となった際に貰った品があるが、こんなに多機能なものじゃない。


「魔法とスキル封じに身体能力抑制か。罪人にでも使うやつか?」


「ええ、本来はね。念じることで解除と作動出来るようにしたわ。魔力濃度から計算したから、貴方がこちらで暮らしていた時と同じくらいになるはずよ」


 さすがは魔王というところか。材料だって限られているだろうに。


「助かる。ありがとう」


 人の先を読んで動く。何故、この魔王が魔王城まで追い詰められたのだろう? それともあの場は魔王が望んで用意したものなのだろうか?


「そういえば、昼間、小さな地震で危機感知スキルが発動したみたいなんだけど。危機感知スキルって自然地震でも発動するのか?」


 思い出したように昼間のことを口にすると、魔王、いやノクティアか。彼女とリビングでテレビを見ていたフィーリアが驚いた顔をした。


「カケル、本当なの?」


 フィーリアは少し深刻な顔でこちらに来た。魔物もいないし、敵意ある者がいるわけでもない学校で危機感知スキルが発動したことを言うと、考え込んでいる。


「危機感知スキルは純粋な自然現象だと発動しないわ。勘違いの可能性は?」


 ノクティアの言葉を聞くと自信がなくなる。


「分からない。微かなものだったからな。勘違いと言われるとそうかもしれない」


「サンクティーナに見てもらったほうがいいわ。若くして戦場に出た者は故郷に帰ってからトラウマで悩まされる事例が結構あるのよ。危機でもないのに危機感知スキルが発動したと騒いだ事例はあったはず。貴方は少し気を張り過ぎているわ」


 ただの勘違いならいいかとホッとしたのだが、フィーリアにはむしろ心配をされてしまった。サンクティーナも同じようにこちらを見ている。


 そんな中、プリーチァ姫もこちらにやって来た。


「カケル、帰ってきたら言おうと思っていたんだけど。私たちにあまり気を使わなくていいわ。私も王女という立場は忘れることにしたから。いつまで世話になるか分からないけど、こっちにいるうちは勇者も王女も……魔王も忘れましょう」


「姫様……」


 今日一日でプリーチァ姫も落ち着いたらしい。その精神力はさすがというところか。


「オレは大丈夫だって。それより夕食の支度をするよ」


 気のせいならいい。ただ、人をPTSDの患者みたいに言うのは止めて欲しい。いろいろあって疲れているのは事実だけど。


「今日はハンバーグにしようと思うんだ。オレの国の代表的な料理だ」


 疲れや戸惑いはお互い様だろう。


 生活環境も料理もこの世界は劣っているわけじゃない。むしろ普通に手に入る食材の種類や質は優っているはずだ。


 食事さえ口に合えば、ストレスや不安も減ると思う。


 あとは外出に向けた話をしないとなぁ。お金の使い方とか、スマホも必要かな。こうしてみるとこちらの世界はいろいろと複雑だなと思う。


 ご近所さんとは引っ越しの挨拶以来、顔を合わせることもほとんどない。彼女たちのことは長期滞在のホームステイということにしておくか。


 まずはそこから、きちんと話を合わせておこう。



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