第30話 崩天

「豊穣タネ殿と仁道断十郎殿ですね。どうぞお通り下さい」


 翌朝、分厚くそびえる御殿正門にやって来た私と断十郎。鳴岳は「お、俺様は行かねえからな!」と言って来なかった。大きな門の前で5人も並ぶ門番達は、みな長槍を持って甲冑を着込み、兜に面まで着けている。まるでこれから戦でもするかのような物々しさだ。


「気に入らねえな」


 門を通りながら断十郎は舌打ちした。


「何が?」

「どう見ても厳戒体制だってのに、すんなり通しやがった。掌の上ってことだ、皇太子の」


 断十郎はイラつきながら歩幅を広げ、前庭をザッザッと早足で抜けて本殿へ向かう。私は断十郎に置いてかれまいと、小走りに背中を追った――。


 ◆


「待っていたよ、二人とも」


 廊下を抜けると、回廊に四方を囲まれた広い中庭に着き、庭中央に立つ咲良が私達に声をかけた。咲良の前に残花が縛られたまま座らされており、二人からやや離れて囲むように大勢の兵士達が槍を構えている。皆門番と同じように甲冑に面を着け、物々しい雰囲気に場が包まれていた。残花の腰に二振りの刀は無く、俯いたままこちらを見ない。……どうして? ねえ、私、来たよ……!


「投獄したって聞いたが、御殿の牢は随分開放的らしい」


 断十郎が背に負う斬灰刀に右手をかけながら、中庭に足を踏み出す。兵達は断十郎の圧に道を開け、私も断十郎の後について中央へ歩いた。廊下から中庭に足を降ろして気付いたけど、この庭だけ真砂土に灰が積もっている。咲良が断十郎の皮肉に返す。


「尋問は済んだのでね。後は、餌になってもらうだけだ」

「餌って何」


 咲良の嫌な言い方に怒りが湧き、断十郎の前に出て咲良を睨んだ。もう咲良と残花は目の前――周りに兵が何人いようと、私の樹法と断十郎の剣で何とでも出来る間合いだ。


「噂をすれば、だ」


 咲良が私達と反対側を見やると、兵達の足元から灰が盛り上がり、兵達が避けた。灰が集まり、形取るは鎧武者――轟炎! まだ完全に形作る前に、断十郎が咲良と残花の間を抜けて駆ける!


「おらあああッ!!」


 ――ザンッ!


 気合いを吐きながら思いっきり振り下ろした斬灰刀は、空を斬り地に刺さった。轟炎は半歩横にかわし、巻き上げられた灰煙の中から、即座に抜いた獄炎刀を凪ぐ。断十郎は剣先が地に刺さる斬灰刀を力尽くで斬り上げ、横に凪ぐ獄炎刀を下から弾きあげた。


 ――ガギィィンッ!


 激しい交刃の後、轟炎と断十郎が跳び下がり、互いに間合いを取る。


「そこまでだ!」


 獄炎刀と斬灰刀の剣先の間に、咲良が立ち二人を制止した。断十郎がぶちギレた形相で叫ぶ。


「どきゃあがれッ!! てめえも側か!」

「私は黄泉側でも、残花側でもない! 真に人の上に立つ者だ!」


 咲良は覇気に満ちた声で断十郎の圧を打ち返す。


「殿下……」


 轟炎が、ゆっくりと剣を降ろす。その様子を見て、断十郎が再び剣を強く握り、叫ぶ。


「てめえも何剣を降ろしてやがるッ! 来いッ! ぶった斬ってやるッ!!」

「よせ、断十郎」


 縛られたまま中庭の中央に座す残花が、断十郎の後ろから静かに言った。断十郎は振り返りながらブンと斬灰刀を振り、剣先を残花に突き付ける。


「……いい加減にしろよてめえ」

「ああ、わかっている」


 断十郎の怒りを受け止め、残花は頷いた。二人のやり取りに、私がぽつりと言葉を落とす。


「わかんないよ。残花、ちゃんと言って」

「……」

「僕から話そう。轟炎――いや、豪円。皇族に仕え、武家を率いた者として、君も聞いてくれ」


 咲良が、中庭の中央で皆を見回して言った。その言葉に轟炎は刀を納める。兵達は轟炎をぐるりと囲み、槍を構えた。その様子を見て、断十郎も舌打ちしながら渋々剣を背に納める。私は残花の横に座って、縛られている冷たい手を握った。咲良がこれから何を話すのか分からない。でも、私は――。


 残花の目を見る。残花はいつもの力強い目で、真っ直ぐ私を見つめ返した。……うん、残花だ。残花を縛る縄に気を込め、解く。鉄鎖じゃなくて良かった。縄だろうが木枷だろうが、樹法が効くなら無いも同じだ。


 縄を解いたことに咲良はすぐ気付いたが、何も言わなかった。兵達も特に気にしている様子は無い。尋問は済んだって言ってたし、餌っていうのはきっと轟炎を呼ぶことだろう。だから、もう捕まえておく気はないってことかな。


 残花と私がスッと立ち上がると、咲良があらためて口を開く。


「残花、豪円。それにタネ、断十郎よ。聞くがいい。君達の目指す二つの道――黄泉を斬る道と、黄泉に力を譲る道は、いずれも不達の道。斬るはあたわず、譲るは幸なし」

「……ならばどうなさる」


 轟炎が低い声で問うと、咲良が頷いた。


「第三の道――黄泉と分かつ道を行く。黄泉に力を譲るが、この世は渡さない」

「……」


 轟炎が黙って首を横に振る。そんなこと出来はしない、とでも言うように。


「豪円、僕がなぜこの中庭だけ灰を残していると思う?」

「……灰人の出現場所を限るため」

「その通り」


 咲良はザンと灰を踏み締める。


「残花を餌に、君がここに現れたのも他に場が無いからだ。出てくる場所が限定出来れば、手も打てる」


 咲良が話しながら右手をさっと挙げると、兵達が一斉に槍を掲げた。


「加えて、灰人に負けぬも完成した」

「無限の兵だと!? まさか――」


 驚く断十郎に、咲良が頷く。


「そう、これらは皆機巧からくりだよ。無限に湧き、復活する灰人にはこちらも無限の兵が要る。命無き兵がね。ところで――僕が機巧兵を造っている所を、轟炎と話しているものと誰かが見間違えたらしい。断十郎、疑いは晴れたかい」

「……チッ」


 咲良は断十郎の舌打ちを満足そうに見、続ける。


「都はもう灰人を恐れない。ならば、黄泉とも渡り合えよう。黄泉を斬れずとも、この世の統治は僕が守る。それこそが目指すべき第三の道だ!」


 覇気を持って宣言する咲良。しかし、轟炎と残花は共に首を振った。残花がはっきりと言う。


「無理だ」

「同意」


 轟炎も首肯し、天を仰ぐ。


「殿下は分かっておりませぬ。いかに樹帝が地を治めようと、天は灰に覆われていることを」

「何だと?」


 咲良が、残花が、断十郎が、私が。皆、天を見上げた。いかに私が地の御神木を治そうと、いかに咲良が都の灰を排除しようと、天は分厚い灰雲に覆われている。


 ……何? 空高くてよく見えないけど、灰雲から何かがたくさん降ってくるような――。突如、咲良が狼狽える。


「まさか……まさか……! この三百年、そんな記録は一度も――!」

「今までしなかっただけのこと。黄泉様は、ヒト相手に何の本気も出しておりませぬ」


 轟炎はゆっくりと獄炎刀を構え、断十郎も再び斬灰刀を構えた。残花は、何かを探すように辺りを見回す。私は天から降る何かをようやく目に捉え、呆然と立ち尽くしていた。


 ……! そんな、そんな、そんな! 見えた、見えてしまった――降ってくる! 翼の生えた灰人が!!


 見渡す限りの灰雲から、世界中に無数の灰人が降り注ぐ――……!


 ◆


 ◆


 ◆


 この日、天が崩れた。


 ただの灰色の雲だと思っていたそれは、全てが絶望の塊で。私達の世界は、灰を浄化など出来ていなかった。芽ノ村も、獣ノ山も、武ノ里も、沖ノ島も――あらゆる地に灰人が降り注ぎ、命を散らしていく。母上が、根助が、猟が、武士達が、江良や海の民が――皆が絶望の戦禍に叩き落とされた。


 私達に、最早一刻の猶予も無かった。

 いや、初めから猶予など無かったのだ。

 ずっと、全部、黄泉の手の内だったんだ――。

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