第22話 心折れぬ限り

 ◆


 あれから、半月が経った。


 波立つ私の気持ちも、時間がなだめてくれて。残花が言うには、が来たら自分でわかるらしい。今はその時じゃないから、心を止めないように、って。私は、時間をかけて少しずつ飲み込んだ。もう泣かない、前に進むんだ、って。そんな時なんて来させないぞって。残花が散る前に黄泉を斬れるように、私が強くなるんだ。


 船旅にも慣れ、酔うこともなくなり。灰王烏賊に壊された九艘の手漕ぎ船を全部私の樹法で造り直し、海の民の皆ともすっかり仲良くなった。賑やかな皆のおかげで、私は今、笑えている。


 江良は、いっそう気合いを入れて操舵するようになった。灰魚を見つける度に積極的に鎖銛砲で攻め、決して残花に剣を振るわせない。江良もまた、覚悟を決めているようだった。


 全方位どこまでも広がる灰雲と灰海。もうじき沖ノ島――大亀が見える頃合いらしい。私は大きな籠に林檎と苺と蜜柑を山盛り積んで、甲板の船員達に配っていた。


「みんな、果物いっぱい食べてねーっ!」


「うおー、タネちゃんありがと!」

「うま、うま!」

「船旅で新鮮な果物が食べれるなんざサイコーだわ、タネちゃん!」


 屈強な船乗り達が十人くらいで私を囲み、皆笑顔で次々と頬張っていく。籠があっという間に空っぽになり、ひとりの船員が私に話しかける。


「なあタネちゃん、知っちょるかい。この辺の海にゃ、ある噂があってな」

「噂?」


 私が首を傾げると、船員が林檎を齧りながらにやりとして続きを語る。


「灰の霧に包まれた謎の船の噂さ。何百年も前からこの辺りをうろついちょるらしい。何より不思議なのは、なんとその船……誰も乗っちょらんのよ!」

「ええっ、何それ!」


 怖がる私を見て、がっはっはと笑う船員。周りの船員達も笑い出す。


「タネちゃん、冗談だよ冗談! 船乗りにゃあ定番の幽霊船の怪談! 俺たちゃ数えきれぬ程航海しちょるのに、んなもん一回も見たことないんだけん!」

「なーんだ、おどかさないでよ」


 あっはっは、と私も笑って船員をバシバシ叩いたその時――


 急に強い潮風が吹いたかと思うと、海から灰が舞い上がり、辺り一帯が灰の霧に包まれる。


「な、何!?」

「おい、あれ見ろ!」


 ひとりの船員が指差す方を見れば、灰霧に遠くゆらゆら浮かぶ船影が見えた。


「ひっ、まさか……」

「んなわけねえだろ……」


 船員達がざわつく中、操舵輪を握る江良が物見台の見張りに指示を出す。


「前方の影は何者だ!」

「そ、それが、お頭……」


 帆柱の物見台から遠眼鏡を覗く見張りが、震える声で報告をためらう。


「何だ、はっきり言いな!」

「は、はい! 灰霧の中、前方一海里先に本船と同型の帆船あり!」

「誰が乗ってる! 旗は!」


 見張りは再びうろたえ、意を決して叫ぶ。


「旗印は【海の民】! 乗員は……いませんっ! 誰も、人っ子一人見えませんッ!!!」

「何いっ!」


 ええっ! どうして海の民の旗!? しかも大型の帆船が航海してるのに、誰も見えないってどういうこと!? まさか、まさか本当に――


「「ゆ、ゆ、幽霊船だあっ!」」


 船員達が一斉に叫び、慌てふためく。江良がすぐさま喝を入れる。


「そんなわけない! 落ち着け!」

「……いや、あながち外れてないかもしれんな」


 いつの間にか私の隣に立ち、遠眼鏡を覗いている残花が言った。


「うわ、残花、いつの間に!?」

「ただの霧ならともかく、辺りを包むのは煉獄の灰だ。休んではおれん」

「外れてないって、どういうこと?」


 残花は私の問いには応えず遠眼鏡を下ろし、私に顎でくいと合図して江良のもとへ歩く。私もたっとついていった。残花が私と江良に説明する。


「いいか二人とも、あれは灰人だ。沖ノ島への上陸を阻むため、黄泉が近辺を漂わせていたに違いない」

「ええっ!? 船が灰人ってどういうこと!?」


 思わず叫ぶ私。江良も疑問の目で残花を見つめた。残花が応える。


「生者の形が体に従うように、灰人の形は心に従う。多くは心が壊れ異形を為すが、中には強く想う形を為す者もいる。灰人とは詰まる所、心ある灰の塊だ。如何様な形にもなる」


 残花はちらりと私を見た。……そっか、【轟炎】はいびつな灰岩の熊みたいじゃなくて、はっきりと鎧武者の姿をしてた。それってそういうことなんだ。でも、船の形にもなるなんて!


 江良がハッと何かに気付いた顔をして、怒りに声を震わせる。


「――! ……! 残花、手出しは無用。海の民がカタをつける」

「……わかった」


 残花が頷く。船の形をした灰人ってことは、あの船はかつて死んだ海の民ってことか! しかも、噂通りなら何百年もの間、ずっと海を漂って……。だから江良は自分達でカタをつけるって言ってるんだ……黄泉、ホンット最低……! 江良が船員達に叫ぶ。


「総員戦闘準備ッ! 前方の敵船を沈めるぞッ!」

「「おおッ!!」」


 幽霊船にびびってた船員達が、江良の檄で即座に奮い起ち、駆け足で配置に着く。さっすがお頭! 続けて物見台から見張りが叫ぶ。


「お頭あ! 前方の敵船が直進! こっちに向かっちょります! 風向きは正面――相手は追い風、こっちは逆風、このままじゃ――」

「風向きくらいわあかってるッ! 狼狽えんじゃあないよッ!!」


 慌てる見張りを一喝し、江良は操舵輪を思いっきり右に回す!


「総帆展帆、左舷開き、面舵一杯ッ! 上手回しで全速で切り上がる!!」

「「おおッ!!」」


 船員はきびきびと動き、皆で帆柱の縄を引いて江良の指示どおり帆を張った。帆船は逆風を受けながら右前方に進む!


「たとえ時化でも嵐でも! どんな風でも進むのが私ら海の民だッ! 逆風なんざに負けるかあッ!」


 互いの船は速度を上げ、接近する。全てが灰色の同型帆船は、ゴツゴツした灰岩の船首をこちらに向け、追い風を受けて真っ直ぐ迫って来る! こっちは逆風のせいで右斜めに切り上げたから、相手に向けるは横っ腹――! このまま突っ込まれたら船体がぶっ壊される!


「江良どうすんの! このままじゃ――」

「黙ってなタネ! これで良い!」


 江良は左舷に迫る敵船を憐れむように見つめ、呟く。


「……追い風受けて真っ直ぐ走るだけなんざ、技も誇りも無いじゃあないか……」


 江良の目に、涙が浮かんでいたような気がした。江良は哀しみを振り切るように叫ぶ。


「――左舷、鎖銛砲準備! 全門斉射ッ!!」

「「おおッ!!」」


 江良の指示に船員が応え、左舷側の六門の射出口から一斉に鎖付きの銛が放たれた! 六つもの大きな銛は見事灰船を打ち砕き、灰船はガラガラと崩れ、海に散っていく。


「……やりきれないね。あんな操船、もう、海の民じゃない」


 操舵輪からふっと手を離し、江良が海に呟いた。さあっと風が吹いて灰霧が散り、眼前にどこまでも続く灰雲と灰海が広がる。江良の長い髪が潮風になびいて。その頬には、一筋の涙の跡があった。江良は誰に語るでもなく、真っ直ぐ前を向き、声を震わせて言う。


「……何なの? 何がしたい? 負けるわけ無いでしょ。技も誇りも壊されて……」


 膝から崩れ、顔を覆う手から嗚咽が漏れる。船員達が見守る中、残花が隣に屈み、肩を抱いた。


「黄泉の狙いは、俺達の【心を折る】ことだ。死は負けではない。お前達海の民が、何代も誇りを継いできたように。だが、もし海の民がこれまでにあの船と戦い、心が折れていたら……海の御神木を治すことは不可能になっていただろう」


 残花の言葉、私にはわかる。残花が譲らない限り、黄泉の野望は叶わない。だから黄泉は世を脅かし、人々の心を攻める……皆の心が折れ、葉桜家が黄泉討伐を諦めざるを得なくなるまで。でも、皆が戦う心を持っている限り、負けはしないんだ。……私も、心が折れちゃいけない。残花の隣で、ずっと一緒に頑張るんだから……!


 物見台の見張りが、遠眼鏡を覗きながら叫ぶ。


「お頭あ! やっと見えた! 大亀様だあ!」


 残花はぽんと優しく江良の背中を叩いた。


「胸を張れ。お前はタネをここまで連れてきた」


 江良は顔を覆う手をそっと開き、涙に潤む目で私を見上げた。私はにっと笑って言う。灰だらけの海なんか、いくら広くたって絶対綺麗にしてみせる!


「うん、後は任せて! すぱっとすっきり海の灰を消して、みーんな笑顔にしてあげるから!」

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