第25話 共に灯し合う光
唄祭の翌朝――残花は次の目的地【機ノ都】近くの海岸まで送るよう江良に頼み、私達は一部の海の民を島に残して再び出航した。
灰の無くなった海はとても綺麗で、灰魚の姿も無く。残花が船べりから海を臨むと、なぜかイルカや色彩やかな魚達が帆船に並行して跳ね、航海を賑やかす(私も海へ顔を出せば、ちっちゃな魚が一匹だけぴょんと跳ねてくれたもんねっ!)。残花は遠くを見るような目で、魚達に優しく微笑みかけていた。
◆
島までの長い航海が夢だったかのように、本土への半月の帰路はあっという間で。岸に着く前夜、私は何となく船べりに前身を預け、暗く静かな海を眺めていた。
「ねえ、タネ。ちょっといい?」
江良が華奢な手で長い黒髪を耳に掛けながら、横から歩み寄る。
「うん」
私が頷くと、江良は隣に来て船べりに頬杖をつき、海を臨む。
「私ね、振られちゃった」
「え!?」
思わず上げた大きな声が、静かな夜の凪に響いた。
「残花に」
「……うん」
それから、江良は海を眺めながらぽつぽつと語り出す。私は黙って耳を傾ける。
「……私のこと、大事に思ってるって言ってくれた。でも、私の望む形は、叶えてやれないって」
……残花らしい答え方だ。
「あーあ、ずっと好きだったのになあ。二年前ね、頭領を継いだの。海に出た父と母が帰って来なくてね。私が継いだ」
「あ……そうだったんだ」
江良は少し目を細めて、頬杖をついたまま遠くの海を見る。
「海が、嫌いでね。父と母を奪った海が、憎くてしょうがなかった。そんな時、残花が来たの。王花様が散ったって。これからは残花が葉桜家当主として継ぐって」
「うん」
相槌を打つと、江良が私にチラリと優しい目配せをして、また海を見た。
「同じだ、って思った。だから……甘えたの。残花なら、わかってくれるって。残花は、全部受け止めてくれた。その上で、私に問うたの。お前の父と母は、海が嫌いだったか?って。先祖や仲間を飲み込んだ海を、怒りの目で睨んでいたか?って」
「……」
江良は、いっそう遠い目で海を見る。
「思い出すのは、いつも船上でガハハと笑う父だった。父の隣で、アハハと笑う母だった」
ぱっと私を見て、江良が続ける。
「航海ってね、ちっとも安全じゃないのよ。この一月、よくわかったと思うけど。灰魚も危険だけど、むしろ海そのものの方が、よっぽどね」
「うん、わかる」
私が大きく頷くと、江良もウンと小さく頷いた。
「だから、父と母も、大事な人を海で失くしてた。それでも、笑っていたの。……残花に聞かれて、初めて考えた。どうして大事なものを失くしても、笑っていられたのか。どうして絶望に溺れなかったのか」
江良は、真っ直ぐ私の目を見て言う。
「きっと、心に光があったから。共に光を灯し合うひとがいたから。父には母がいて、母には父がいて。海の民には葉桜家がいて。葉桜家には海の民がいて。きっといつか、それぞれの誇りを持っていれば、海は綺麗になるって、そう思えたから、笑っていられたんじゃないかなって」
「うん、そうだね」
私の相槌に口許をほころばせ、江良が少し声を張る。
「だから私、頑張ることにしたの。海の民の頭領として。残花も、応えてくれた。一緒に船に乗って、戦ってくれた。必ず希望の種を連れて来るって、再び旅立つその日まで」
「それが……私……」
ぽつりと呟く私に、江良が頷いた。
「そう。私ね、頑張るって決めてからも、笑うことはできなかった。いつも、泣いてたわ。でも、船の上では泣いてる暇なんてないから。とにかく必死にやってきた」
江良は、ぱっと私の手を取り、両手で包むように握る。
「あなたが来てくれて。御神木を治してくれて。
やっと笑えたの、私。だから、残花に言えたのかも。ま、振られちゃったんだけどね」
江良は手を離し、にっと口角を上げたけど、目もとは寂しそうだった。潮風になびく黒髪をまた耳にかけ、言葉を続ける。
「ええと、何が言いたかったかっていうとね」
江良は深く頭を下げ、長い黒髪がさらりと降りる。
「ありがとう。あなたが私に、光をくれた」
顔を上げ、胸に手を当てて言う。
「だからね、もし、なにかあったら。私を頼って。必ずあなたの助けになるから。我ら海の民一同、全員全力であなたを助けるから」
私は、大きくうんと頷いた。
「ありがと。でも、なにかなんて起こさせないから。私が、絶対に」
「……そうね。あなたなら、きっと……」
江良は胸に当てた手をきゅっと握る。
「残花を、離さないでね」
「だいじょーぶ! 頼まれたって離してやんないから!」
私がどんと自分の胸を叩くと、江良は笑いこぼした。
「ふふ」
「あは」
互いに笑いこぼすと、堰を切ったように大声を上げて笑いあった。二人とも、目に少しだけ涙を浮かべて。静かな海に私達の笑い声が響き、潮風に乗って飛んでいく。どこまでも、どこまでも――。
◆
その後、二人で船内に降り、江良はじゃあねと小さく手を振って、船長室に入っていった。私も部屋に戻ると、船行灯に照らされた寝台で、残花が静かな寝息を立てている。
「……えへ」
私は灯りを消し、するりと残花の布団に潜り込んだ。横向きに寝て、残花の腕を抱く。
「……離すもんか」
そっと目を閉じ、穏やかな波音に身も心も任せて。
ねえ、残花。私、残花と対等な相棒になってみせる。あまりに強力な桜花の剣……代償があるなんて思いもしなかった。でも今は違う。知らずにただ守られる私じゃない。残花の覚悟も知った上で、私も一緒に背負うよ。
この先、どんな辛いことがあっても。
私、笑顔で頑張るよ。
だって残花が大好きだから。
その想いが、私の心いっぱいに輝いているから。
私も、あなたの光になりたいから。
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