第6話 来い来い兎、実のなる方へ

「皆、用意は良いな」


 翌朝、白兎ハクト座す神社の境内にて。残花が私と猟に声をかけた。


「うん、バッチリ!」


 私は両手いっぱいに持った【林檎の札】を扇のように広げ、見せる。昨日の作戦会議を受け、朝から林檎を生やして木札を増やしておいたのだ。


「わいもや!」


 猟は白兎に首輪と手綱をつけ、大きな背にひょいと飛び乗った。今日の作戦では弓を使わないので、身一つで身軽だ。


「よし。手筈どおり、俺は先に山頂の焼け落ちた御神木のもとへ行く。お前達は白兎を駆り、灰兎を俺のもとへ連れて来るのだ。後は俺が斬る」

「りょーかい!」

「合点承知や!」

「頼むぞ」


 言うと残花はすたすたと山頂へ向かって歩き出した。猟が白兎の背の上から私に手を差し出す。


「ほなタネ、わいの後ろに乗ってくんなはれ」

「うん、ありがと!」


 私は猟の手を取り、もっふもふの真白い毛並みを登って、大きなでっぷり白兎の背に股がった。


「どや、白兎様の乗り心地は」

「やば。ちょーもふもふで気持ち良い!」

「せやろ?」


 猟はにかっと笑ってから、ふっと寂しそうな顔をして語り出す。


「……わいは物心つく前から親父に抱かれ、ずーっとこの包むような優しい背に乗せてもろて育ってきた。七つで兎番を継いでからは、くしきを欠かした日は無い。……もちろん、黒兎様も。わいにとって白兎様と黒兎様はただのお仕え先やない。包み込んでくれる家族みたいなもんなんや。わいは……この背が大好きや」


 猟の目に気合いが宿る。


「よろしゅう頼む」

「……うん」


 私が頷くと、猟は手綱を引いた。


「ほな行くで!」

「うん!」


 猟の手綱に合わせ、白兎がゆっくりと歩き出す。私は振り落とされないよう猟の背にぴったりくっついて、ぎゅーっと抱き着いた。猟は顔を赤くして振り向く。


「そ、そない抱き着かんでも。ドキドキするやないか」

「何言ってんの、灰兎はとっても速いんでしょ?」

「そ、そうや。ごっつう速い。せやな、ほなわいにしっかと捕まっとってな!」

「うん!」


 猟が再び手綱を引くと、白兎は徐々に速度を上げ、山へ駆け出した。人を背に乗せるのに慣れているのか、驚くほど揺れが少ない。


 私達は白兎を駆り、灰積もる山肌にまばらに生えた木々を避けながら、山中のどこかにいる灰兎を探す。獣ノ山は芽ノ村の山よりずっと大きい山だ。小川の流れる岩場やほとんど崖のような斜面もある。歩いて探すのはしんどいけど、白兎の足はとても速く、どんな足場もびゅんびゅんと風を切って跳び駆ける。これなら早く見つかりそう!


「……ホンマなら、この山は獣や鳥の声で、うるさいくらい賑やかなんやが」


 普段なら猪鹿熊が跋扈しているはずの獣ノ山は、とても静かだった。白兎が駆ける風切りと足音だけが響いている。私が辺りを見回していると、猟が声をかけた。


「あんまりよく見るんやないで。黒兎様――いや、灰兎が食い散らかした獣がそこら中散らばっとるからな」

「……!」


 確かに、所々に獣だったモノが灰を被り、転がっている。私はつい目を背けた。白兎を駆り、山を縦横無尽に駆けながら猟が語る。


「本来、獣ちゅうのは自分が生きるために要る分だけ食うもんや。人も同じ。要る分だけ狩って、山から命をいただいとる。そうやって均衡を取りながら人も獣も命を繋ぎ、獣ノ山はずうっと続いてきたんや」

「……うん」


 私はぎゅうっと猟に捕まったまま、声に耳を傾ける。


「せやけど、灰兎はちゃう。要る要らんではない。ただ食い散らかす。それは……駄目や。もう、あってはならんものや」

「……そうだね」

 

 私が頷いた時、猟が慌てて手綱を引き、白兎の足を止めた。


「! おった! 灰兎やタネ! あそこ!」


 木々の陰の向こう、猟が指差した先に、大きな灰積岩の塊が見えた。白兎と同じくらいの大きさだろうか、毛並みは無くゴツゴツとした岩肌をしている。


「行くで。準備はええか?」

「もちろん」


 猟は白兎の速度を落とし、そろそろと灰兎の背後に近付いていく。私は左腕でしっかり猟に抱き着いたまま、右手で【林檎の札】を出した。灰兎は骨肉をむさぼるような咀嚼音を上げ、背を丸めている。こちらに気付く様子は無い。……血生臭い匂いが鼻を突く。


「……おいたわしや……」

「猟、大丈夫?」


 猟は頷き、答える。


「ああ、よろしゅう頼む」

「うん。じゃあ行くよ!」


 私は林檎の札に気を込め、径一尺の大林檎にすると、コロコロと灰兎の背に転がした。背にコツンと当たると、灰兎がのそりと振り向く。


「……!」


 思わず血の気が引いた。振り向いた灰兎は、恐ろしい前歯を生やした口から獣の血を滴らせ、そのゴツゴツとした灰色の前足もまた赤く染まっている。今まさに幾つもの命を奪った姿が、そこにあった。


 灰兎は足元の大林檎に気付くと、大きな口を開けむしゃむしゃとかぶりつく。あっという間に大林檎をゴクンと飲み込むと、つぶらであっただろう色無き瞳が、ぎろりと私達を睨んだ。猟が叫ぶ。


「さあ来い灰兎!! 獣よりうんまい林檎はこっちや! 行くでえ、タネ!」

「うん!」


 ――さあ、白灰兎の追い駆けっこの始まりだッ! 猟はぐんと手綱を引き、全速力で白兎を駆る――残花の待つ山頂へ向かって。私達に狙いを定めた灰兎は、その固く大きな体で木々を薙ぎ倒しながら、一直線に追ってくる!


 ――バギィッ! ドドォッ!


「こっちゃ木い避ける分追いつかれる! タネ、頼むで!」

「任せて! 【一尺林檎】ッ!」


 前を向いて逃げることに全力の猟に、私はしっかと左腕で捕まりながら、右手で後ろに径一尺の大林檎を投げつける! 


 灰兎は一瞬足を緩めてガバァッと大口を開け、鋭い灰岩前歯で大林檎をガツンと噛み砕き飲み込むと、再び私達を追う。


「ええぞ、その調子や!」

「どんどん行くよ!」


 猟は白兎を手綱で機敏に駆り、風を切り灰を巻き上げ、木々を左右に避けながら全力で逃げる! 私は次々と大林檎を後ろに投げ、灰兎は大林檎を食い散らし木々を薙ぎ倒しながら、怒涛の勢いで追ってくる――もうじき山頂が見える!


 山頂の焼け落ちた御神木の前で、残花がひとり、桜色の透き通る刀身をした美しい刀を、凛と構えていた。


「よくやった、後は任せろ!」

「ほいな! よろしゅう頼んますでえッ!」

「いっくよおーッ!」


 白兎が残花の前まで迫った時、私は残花の前に大林檎を投げ、猟は手綱を引き白兎を横に急転回させる! 後ろから追ってきた灰兎は、勢いそのままに残花の目前の宙に浮く大林檎にかぶりつかんとガバァッと大口を開ける――!


「――あわれな、刀も見えぬか。今楽にしてやる」



 ――サンッ……



 時が、止まったような気がした。


 残花が上段に振りかぶった刀を真っ直ぐ下ろすと、灰兎は一瞬にして桜の花と散った。ゴツゴツとした灰積岩の巨大な塊は、視野を覆う無数の花弁となって、静かな灰の山頂を包むように舞う。


 残花が音もなく納刀すると、時が動き出す。無数の桜の花弁は、風に乗ってざあっと散った。


「――あ、待ってくれ! 待ってやあッ!」


 猟が慌てて白兎の背を降り、舞い散る桜の花弁をかき集める。地に落ちた花弁を、膝をついて這いつくばって、泣きながら集める。


「……黒兎様……! 黒兎様……! 楽に、なってくれはりましたか……!」


 灰地に散る花弁をざっざっと音を立てかき集め、猟は啜り泣く。私も白兎の背を降り、残花の横へ寄った。どうしていいか分からず、残花の顔を見上げる。


「……残花……」

「そっとしておけ」


 でも、でも。とっても辛そうで、悲しそうで。私にも何かできたらって……。


「……そうだ、ねえ残花」

「何だ」


 私は、ある思い付きを残花に話す。


「あの花弁、私が桜の木にしてあげたらどうかな。せめて、墓標でもないけど、何か……」

「それはできん」


 残花は、静かに首を振った。


「え……?」

「桜は、世に一柱しか存在できない。あの花弁を木にすることは、お前の力でもできんのだ。これは世のことわり。無論、俺にもどうにもできんことだ」

「そんな……」


 落ち込む私の頭に、残花がポンと手を置く。


「さあ、悠長にはしてられん。今のうちに御神木を復活させるぞ。この地の灰を消し平和をもたらすことが、何よりの供養になる」

「……うん」


 私は残花に向かって頷くと、猟の横に歩み寄ってしゃがみ、花弁を抱きうずくまる背にそっと手を添えた。


「御神木、治すね」

「……ああ、よろしゅう頼むで……!」


 立ち上がり、御神木の前に立つ。林檎の御神木とは形が違う。何だか太いツルのようなものがいくつか枝分かれし、私の腰の高さで焼け落ち炭と化している。


「ふうー……」


 静かに息を吐き、気を整える。大丈夫、林檎の御神木と同じように治すんだ、大丈夫。自分に言い聞かすように心で呟き、両手の平を御神木に当てる。


「はああ……!」


 全身から湧き上がる気を手の平に集中し、御神木に込めていく。御神木は根元から徐々にうす緑に色付き、太いツルを伸ばしていく……!


「頑張れ、タネ!」

「はああああ……!」


 残花の激励に、さらに気合いを増す。気付けば周囲の灰がだんだんと芝や花に姿を変え、小木が生えていく……! 御神木の太いツルはいくつも枝分かれし、山肌に絡みつくように伸びていく!


「……! これが、タネの力……!」

「…………!」


 変わり行く御神木の姿と周囲の景色に、猟が泣き腫らした顔を上げ、驚くように見回している。私はとうとう息を吐く余裕も無く、全身から絞り出すように御神木に気を込めていく……! キッツイ……多分、林檎の御神木よりさらに対象範囲が広いんだ。考えてみれば、獣ノ山は芽ノ村の山よりずっと大きい……! 太いツルはどんどん枝分かれして伸び、いくつも大きな葉をつけていく!


「もう少しだ、気合いを入れろ!」

気張きばりや、タネ!」

「………………!!!」


 後ろに立つ残花と猟の激励に、私は頭から爪先まで一滴残らず気を絞り出す! 御神木のツル状の枝は山中に這うように分かれ伸び、枝の先々に巨大な白い花を咲かせ、散っていよいよ黄緑色の実をつけた。丸く先の尖った巨大な果実は、その先端から赤く色付き、やがて甘い香りを漂わせる! 山肌も周囲の平地も全てが花と緑に満ち、草の香がはるか地平までそよぐ――。


「上出来だ!」

「――ぶはあっ、はあッ、はあッ……!」


 残花の合図に、私は両手を離し思いっきり息を吐く。肩でぜえはあ息しながら、その場にぺたんと座り込む。


 ……――『お食べ』――……


 何? 桜の時と同じ、知らないけどどこか懐かしい女性の声が聞こえた、ような気がした。


「……どういう意味……?」

「お前にも聞こえたか」


 いつの間にか横に立っていた残花が私を見下ろす。


「お前もって、残花も聞こえたの?」

「……ああ。それは向日葵姫の声だ。限られた者にだけ届く。向日葵姫は、いつも俺達を見守っているからな」

「あ……。そっか、教えにあったね」

「そうだ」


 私は樹教典を思い出す。そう言えばそんなことが書いてあった気がする。こっちからの声は届かないけど、向日葵姫は天上界からいつも見守っていて、時々声を届けて下さるって。そっか、たまに頭に響く声は、向日葵姫の声だったんだ……。


 私は休憩がてら本草図譜をめくり、御神木の実を探す。……あった、イチゴ。苺って言うんだ。ちょっとだけ酸味もある、とっても甘くて美味しい果実らしい。


「あ、白兎様!?」


 猟が急に叫ぶ。見れば、白兎が山中をぴょんぴょん駆け回り御神木の巨大な苺をかじり回っている!


「え、あれ良いの!?」

「良い。苺はその眷属たる兎の神力のもとだ。これで白兎も本来の力を取り戻すだろう」


 残花が苺をむしゃむしゃかじる白兎を見ながら言った。へえー、そういうもんなんだ。あれ、もしかして――。


「あのさ、こないだ私が林檎食べて気が充実したのって――」

「そうだ。お前は御神木を復活させ、それに連なる果実を食べることで気が増していく。甘い果実ほど強い神力を宿し、特に新たな果実を口にすると飛躍的に気が充実する。そうして、より広範囲を司る御神木を復活させる力をつけていくのだ」

「へえ……そんじゃ遠慮無く」


 私はよいしょと腰を上げ、近くの径三尺くらいある巨大な苺にかじりつく。


「! あまーーーーい!」


 静かな緑の山に私の歓喜の声が響く。一口食べた瞬間、まるで渇ききった喉が潤うように、体中に気が満ち渡るのを感じた。


「苺おいしーっ! 林檎も良いけど、苺も良いなあ!」

「そ、そんなにうまいんか、それ」


 猟がじゅるりと舌なめずりし、近寄る。


「うん、とっても美味しいよ! こんなおっきいの私ひとりじゃ食べらんないし、一緒に食べようよ!」

「お、おう。そんじゃ……!」


 猟は懐から短刀を出し、私がかじった苺を半分に切って反対側にかじりつく。瞬間、びっくりして私の顔を見た。


「! ごっっつい甘いやんけ! うま、うま!」


 猟は続けてむしゃむしゃとかじりつく。私は今のうちに御神木の枝を少し削って木札を作り、筆でちょちょいと苺の絵を描いた。実を見てみれば、綺麗な紅色……うん、これから【苺色】って呼んじゃお。


「よし、【苺の札】いっちょあがり! へへ、いつか根助に持って帰ったら、すっごい喜ぶだろうなあ!」

「ああ、そうだな」


 残花が優しく微笑んだ。だから、ずるいんだってばその顔。思わずこっちがにやけちゃう。


「さあ、しばし苺を食べながら体を休めておけ。十分気が充実したら村へ下りるぞ」

「うん、わかった!」


 私は再び猟と一緒に巨大な苺にかぶりつく。猟は嬉しそうに苺を頬張っている。……良かった、元気出してくれて。心配したんだから。やっぱり、元気ない時は甘いもの食べるに限るよねっ。白兎も最初見た時は境内にずしっと座ってただけだったのに、今は元気にぴょんぴょん駆け回って苺食べてるし。


 だから、私も頑張ろう。みんながもっともっと笑顔になれるように。美味しい苺を食べながら、私はそんなことを考えていた――。

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