04 面白いもんが

 出歩いて、家族――家族だ!――と喋って、それから食事をし、眠るだけの一日というのは、物心ついたときから働き詰めの少年にとってちょっとやることがなさすぎた。

 床につくにはまだ早く、疲労も覚えていない。

 就寝までどうしようかとクレスがある種の贅沢な悩みを抱えていれば、まるでそれを見越したように訪問客がやってきた。

「よ」

「ホー=ダン」

 来客と聞いて玄関口に出向いたクレスは、見慣れた旅仲間の地図師に目をしばたたく。

「どうしたの」

「暇してんじゃないかと思って」

 ずばりと言われて、彼は苦笑した。

「まあね」

「ちょっと遊びに行かないか」

「どこに」

「場所はこの際、関係ない」

 地図師は地図師らしくないようなことを口にした。

「面白いもんが見られるぞ」

 そんなふうにほのめかされて、行かないと言えるクレスでもない。遅くなる前に帰ると使用人に告げて、アクラス邸を出た。

「何が見られるって?」

「そいつは、行ってのお楽しみ」

 ホー=ダンはにやにやした。

 夜のターキンは、繁華街の一部を除いて、静かに眠りにつこうとしている。

 大都市であればごく普通の食事処などもまだまだ賑やかな時間帯だが、どちらかと言えばそれが特殊だ。深夜営業をしている店など皆無という町も珍しくない。ターキンでも、明るいのはほんの一角だけという感じだった。

「あれだよ」

 地図師は一軒の酒場を指した。

「〈銀色の……燭台〉亭?」

 クレスは看板を読み上げる。

 以前にはろくに文字を読めなかったものだが、二年半の間にリンに習って、よほど難しい書物でなければどうにか理解できるようになってきていた。

「何だかずいぶんきれいな酒場だね」

 飲み屋というのは得てして小汚いものだ。清潔にしている店ももちろんあるが、酔っぱらいたちが酒やつまみをこぼす頻度は、食事を主に提供する場所の比ではない。自ずと限界があると言おうか、もとから、あまり繊細な造りにはなっていないと言おうか。

 だが〈銀色の燭台〉亭は、看板も洒落ているし外装もきれいだし、店内へ続く石段には鉢植えなど飾られている。

 普通の酒場であれば、足元の覚束なくなった酔っ払いに蹴飛ばされる結果にしかならなさそうな装飾など施さないものだ。性質たちの悪いのがいればわざと壊したり、持っていったりしてしまうことも十二分に考えられるからである。

「この町の住民はがよろしいんじゃないか」

 冗談か本気か、ホー=ダンは笑ってそう言った。

「さ、入ろうぜ」

「高そうじゃないか?」

 クレスは顔をしかめた。

「お互い、財布の中身は似たようなものだと思ってるけど」

「俺も別に、ひと山当てた訳じゃないがね。安酒場の数割増の料金を払うことになっても、それだけの価値はある」

 地図師は訳知り顔で言い、またもにやにやした。何だろうかとクレスは首をひねる。尋ねても素直な返答はやってきそうになく、ホー=ダンがクレスを乗せたいのは判りすぎるほどに判ったから、ここは黙って乗ってみることにした。

「いらっしゃいませ」

 ちゃりん、と入り口の戸の上につけられた鈴が鳴って、店の人間が丁重に声をかけてくる。クレスのよく知る、「らっしゃい!」と威勢のいい酒場とはやはり違う感じだ。

 内装もまた、外装から想像できるだけの清潔さと繊細さを見せていた。酒場と言うより、ちょっと高級な食事処という雰囲気。

「そんなに美味い酒とか、それとも、何か珍しい酒でも出すのか?」

 空いている席に着きながら、クレスはホー=ダンに尋ねる。

「さあ」

「『さあ』?」

 やってきたいい加減な返答に、彼は眉をひそめた。

「さあ、ってのは何だよ」

「この店の酒なんかどうでもいいんだよ。俺が見せたいのは、ほら、あれ」

 ホー=ダンは店の奥の方にある席にあごをしゃくった。クレスはそちらをちらりと見る。ふたりの男女が、逢い引きラウンでもしているのか、向かい合って酒を飲んでいた。

「……あれが何?」

 見知らぬふたりだ。男は、四十前後だろうか。形のよい流行りの服を着ているが、少し若作りという感じがした。同席する女がぐっと若いせいだろうか。こちらは、行っても二十代半ばだろう。身体の線が判るほどぴったりとした薄黄色のドレスは、この季節には少し寒そうに見えた。だが、店内は暖気が回るように作られている。クレスもすぐにローブを脱いだし、女も寒さをこらえている様子はなかった。

 金色の髪は結い上げられ、白いうなじが見えている。

 化粧は濃いと言うほどでもないが、全く化粧っ気のないリンを見慣れていると――。

 そこまで観察して、クレスはぶっと吹き出した。

「リリリリン!?」

「しっ」

 ホー=ダンが唇に指を当てる。

「ばれるだろ。……まあ、ばれてるみたいだけどな」

 文字通り「化けた」リンは一度だけちらりとこちらを見たのだ。だが何も見なかったという風情で、向かいの男に視線を戻していた。

「なっ、なに、あれは、何」

「指差すなって」

 クレスが呆然とするのに満足したのだろう、ホー=ダンはやはりにやにやとしていた。

「さすがにクレスも、あれは初見か。まあ、必要な小道具を売ってる店を紹介したのは俺の知人だし、髪を結ったり化粧をしたりしたのはオンキットだ。オンキットは以前にはよく着飾っていたらしいが、パルウォンはやり方をあまり知らないんだろう」

 リンが化粧道具を持っていなかったことや、オンキットが「パルウォンをなんて初めてだ」と楽しんでいたこともあって、ホー=ダンは「あれ」をクレスも見たことのない光景だろうと推測していたらしい。

「ホー=ダン! 答えになってないっ。だから、あれ、なに」

 人を化かす妖怪狐にあると言う二本目の尻尾を目の当たりにした人のように、クレスは口をあんぐりと開けながら、仲間に問うた。

「何でも、花瓶がな」

 そこで地図師は、夜に花を活けると枯れる花瓶の話を説明した。リンは、「競争相手」よりも早くそれを手にする、或いは最低でも目にするために、ああして――と言ったのはリン自身だとか――をしている、と。

「で、でもやばくないか、そんなの。伯爵が助平親父だったらどうすんだよ」

「『だったら』? どっからどう見ても助平親父じゃないか」

 あまり笑える話ではないとクレスは思うのだが、ホー=ダンは笑っていた。

「パルウォンも、本気で権力者を敵に回したらまずいってことくらいは、判ってるはず。向こうに恥をかかせるような真似はしないだろうな」

「……って。それって、まさか、そういうつもりだってこと?」

 明らかに男女の関係を望んでいる男を前に、飾り立てた格好で出かけて行ってなおかつ恥をかかせないということは、誘われれば応じるという意味合いにしか聞こえない。

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