02 隊商主
現実逃避だ、と女は言った。
逃避の何が悪い、と男は居直った。
「俺ぁね、隊商主。自分が立派な戦士だとかは思ってない訳よ。だが、自分より弱っちそうな若造に打ち負かされりゃ、ちっとは落ち込む。それを酒で紛らわす訳よ」
昼間から酒瓶を片手に、三十ほどの戦士は言った。
「より力をつけるべく訓練に励む、という選択肢はないのか?」
説教をするという意味合いではなく、単純に疑問としてリンは尋ねた。ジャルディは肩をすくめる。
「そんな気概があったら、こんなちっぽけな隊商に雇われちゃいないね」
「成程」
リンは腹を立てることなく、ただ納得した。
「だが、お前に一緒にきてもらいたいと思ってるんだ。もうその辺りにして、酔いを覚ましてくれ」
「何だ? 護衛が必要な、やばい話なのか」
片眉を上げてジャルディは尋ねた。
「暴力沙汰にはならないと思う。ただ、箔付けが欲しい」
隊商主が言えば、戦士はうなずいた。
「了解」
いささか飲んだくれの気はあるが、ジャルディは職業戦士だ。仕事と言われれば自制できるくらいの精神力はある。
昨夜、久しぶりにクレスの助言なしに飯屋を選んだリンは、どうにも外れを掴んだ。
見映えよく整えられた店頭に騙された、と言うのだろう。不味くてどうしようもなかったと言うほどではないが、煮込み料理は肉が固すぎて味が濃すぎ、スープは味付けを忘れたのかと思うほど薄かった。
しかし、外したのは料理だけで、彼女はそこでしっかりと当たりを手に入れた。ひとりの男が給仕を相手に、変わった花瓶の話をしていたのだ。
曰く、それは一見したところ普通の花瓶なのだが、夜に花を活けると、切ったばかりの花でもひと晩で枯れてしまうのだとか。
日のある内であれば何でもないし、高価なものであるからと捨てるには至らず、ただ夜にだけ気をつけているというような話だった。彼女は興味を持って、その花瓶を見せてもらえないかと男に話しかけた。男は驚いた顔をして、それは無理だと言った。彼はこの町の領主であるターキン伯爵の使用人であり、その花瓶は伯爵の所有物であるからと。
だがそこで引っ込まないのがリンドン・パルウォンである。
彼女はその場で、ならば伯爵に会いたいと言い、使用人をますます驚かせた。彼は、自分にはそんな権限はないと答え、おかしな花瓶のことを吹聴していたと知られても困ると言った。
それでもリンはめげず、使用人から聞いたとは絶対に言わないからと誓って、伯爵の館の場所だけを教わった。その足で彼女は館に向かい、旅の商人と名乗って領主に面会を申し入れた。
さすがにすぐには無理だったが、教えた連絡先に、使用人がやってきた。どうやら話の判る、或いは好奇心の旺盛な伯爵閣下のようだ。
もっとも、万が一ということもある。リンが若い女だと知って――それくらいは一応、自覚している――食指を動かした色呆け伯爵では困るのだ。
ジャンディについてきてもらうのには、そうした理由もあった。商売の話を口実にして権力者に取り入ろうとしているのではない、との主張だ。
「でもさあ、パルウォン」
オンキットが、気温によって色の変わる布をくるくると巻きながら言った。
「そんなことより、クレスどうすんのよクレス」
「どう、とは」
「まじで置いてっちゃうの?」
「クレスの決めることじゃないか」
「ほんとにそう考えてるワケ?」
隊商主と同じく二十歳過ぎの女であるオンキットは、隊商主と同じように紅のひとつも引いていない唇を尖らせた。
彼女がこの隊商に便乗しているのは、しつこい男から逃げるためだった。偏執的な男に愛情を抱かれ、犯されるか殺されるかというようなところをリンたちに救われたのだ。
はじめの内はびくついていたが、いまでは陽気に笑う、隊商の花である。
「あたし、パルウォンとクレスはお似合いだと思ってるのに」
「私はあまり、年下に興味がないんだ」
リンはそう返した。オンキットは笑う。
「年上にだって、興味を持っているようには見えないけど?」
「私の好みなんて、どうでもいいだろう」
「そうでもないよ。あたしは気になる。クレスが駄目なら、どんな男にパルウォンが惹かれるのか」
目をきらきらさせて、オンキットはリンを見た。リンは肩をすくめる。
「決めている訳ではないから、判らないな」
その答えはオンキットの気には召さなかったようだった。彼女は頬を膨らませて、つまんない、などと言った。
リンはなるべく雇い人の要望に応じるが、こればかりはそうもいかない。苦笑を浮かべてオンキットをあとにし、ターキン伯爵と花瓶のことを考えた。
花瓶そのものは、大して問題にならないだろう。
使用人は高価だと言っていたが、花が枯れるのは呪いだとでも言ってやれば、積極的に持ち続けたがる人間も稀だ。つまり、格安でも金になるならましだと、そう思って簡単に手放すのではないかと。
何も詐欺を働くつもりはない。金を払う意思はあるのだし、花が枯れるというのが事実なら少なくとも祝福ではないだろう。
脅すつもりでもない。実際、考えられることだからだ。伯爵が、手放したくはないが呪いは解きたいと考えるなら、彼は花瓶を神殿にでも持っていけばいい。もしも神殿で呪いが解けてしまえば――リンとしては残念だと思うが――彼女はもう、それに用などない。
だが呪いであろうとそうでなかろうと、一度は「夜に活けると花が枯れる」という事実を目にしてみたい。最低線がそこだと考えていた。
そうして約束した昼過ぎ、リンはジャルディを伴ってターキン伯爵の館に赴いた。大まかな話をすれば、伯爵は「大した花瓶ではないから、欲しいのであればやってもいい」というようなことを言った。
しかし、いますぐこの場でやる訳にはいかない、と続いた。
通常、町の領主たる人物には、会いたいと言って簡単に会えるものでもない。どうやら伯爵はやはり、面会を望んだのが若い娘の商人だということで興味を持って、わざわざ彼女を呼び出したようだった。
だが、最初に考えていたのと違い、これは有利な点である、とリンは考えた。
「有利って、何が」
「競争相手に対してだ」
面会を終えて隊商に戻ったリンは、概要を話してそう告げた。
「競争相手だって?」
二十代半ばほどの地図師ホー=ダンは首をかしげた。長い茶色の髪はリンと同じように編まれていて、後ろからふたりを見ると双子か何かのようだった。
「何の
両手を組んで、リンは鼻を鳴らした。
「女性の喜ぶ顔を見る方が心楽しいと言ってきた。だがもうひとりの人物に無断で渡してしまうのは公正さに欠けると言って、その場で渡してくることはもとより、見せることもしなかった」
「商売的倫理観で見りゃ確かに公正でもっともなようだが」
ホー=ダンは顔をしかめた。
「実際のところは『喜ぶ顔を見る』だけじゃない、それ以上を要求してるってことじゃないのか?」
「しかし私はあまり、男性に受ける身体つきではないから」
真顔でリンは言った。彼女の身体は細く、一般的に女性らしいとされる体格ではない。クレスなど、最初はリンを女だと思わなかったほどだ。
もっとも、それはクレスがあまりにも常識に欠けていただけで、普通は男と間違われることはない。ただ、盛り場で誘われることもないという程度だ。
そんな隊商主の台詞に、ホー=ダンは苦笑する。
「判らんだろうが。趣味なんざそれぞれだし。何でもいいから機会さえあればヤっちまいたい、女の数を自慢したい、なんて男も少なくないんだぞ。……なんてのは、旅して長いパルウォンには言うまでもないだろうが」
ホー=ダンは念のためだと言った。
「ま、パルウォンが判った上で乗るなら、俺が何か言うことじゃない。たとえ何と引き換えにするんだろうと、パルウォンの好きにすればいいと思うが」
そこで地図師はにやっと笑う。
「せめて、クレスにはばれないようにするんだな」
その言いようにリンは肩をすくめた。
誰も彼も、どうしてリンとクレスを恋人、ないしはそれに近い間柄と考えたり、そういうことにしようとしたりするものか。
判らないと言うのではない。二年半の間、彼女と続いているのはクレスだけであるし、クレスは言うなれば彼女に懐いている。彼女の方が年上だが、有り得ない年齢差というほどでもなく、ふたりで歩いていれば仲のよい恋人同士にも見えるだろう。
だがそうではない。そうなることもないだろうと思う。
嫌だと言うのではないが、くっつけばいいのにとばかりに言い立てられることに少々閉口するという辺りだ。
「それで? 次はいつ伯爵と会うんだ?」
「今夜」
「へえ?」
ホー=ダンは面白がるように片眉を上げた。
「今夜」
「お食事にご招待してくださるそうだ。何を考えているのだか」
「何って、判りきってるじゃないか」
地図師は笑った。
「あんたが、その花瓶にそこまでの価値はないと考えるか、それとも、金貨を要求されたら払えないが身体でなら払えると考えるか、それはあんた次第だと思うけど」
「こんな身体でも使えるなら、それは駆け引きの一環だ。まあ、簡単に払うつもりもないが」
若い娘らしくないのか、らしいのか、リンはそう返した。
「ジャルディには、きてもらうつもりでいる。ただ、その気はありませんとばかりに隣に控えてもらうのでは、駆け引きにならない。しかしいちばん馬鹿らしいのは、どんな形であろうと支払った上で『やっぱり渡せない』などと言われることだ」
ここは商人らしくと言おうか、リンはそれを警戒した。
「準備が必要だな。地図師、この町にお前たちの事務所はあるか」
「いや、ないな。ウェレスまで出れば別だが。何でだ?」
「ターキンに詳しい人間がほしいんだ」
「それなら、知人がひとりいる。紹介するか」
「頼む。それから、オンキットを呼んでくれないか」
「判った。……何する気だ?」
「ちょっとばかり、細工を」
それが隊商主の返事だった。何だか知らんが、とホー=ダンは呟いて、にやりとする。
「面白いことなら、俺も参加したいね」
「どうかな」
リンは肩をすくめ、計画を考え進めた。
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