07 要するに

 エランタは手際よく支度をしながら、クレスにだいたいの事情を説明してくれた。

 曰く、アクラス家はもともと名家であり、ウォルカス・アクラスは先祖の遺産を食いつぶすことなく、近隣の街町と貿易をして、そこそこ成功をしていた。

 しかし、妻と幼子を連れて一世一代の大仕事に出た西方で、彼を順風満帆な人生から追い落とす事件があった。

(――幼子)

 もちろん、それはクレスのことであった。

 一行は道中で山賊に襲われた。護衛戦士の機転で彼ら夫妻こそ難を逃れたものの、金品は全て奪われ、連れ立った使用人の多くは殺され、若い女は攫われた。それから、幼子も。

 ウォルカスは賊を捕らえ、子供を取り返してくれるよう、必死で街道警備隊に嘆願したが、叶わなかった。警備隊が仕事を怠けた訳ではない。彼らは賊と戦ったが、奴らは生き延び、どこかへと行ってしまった。

 彼とてすぐに諦めたのではないが、彼はターキンへ戻らなければならなかった。不幸な事故と割り切らねばならなかったのは、自分が冷静になって半狂乱の妻をなだめねばならないと考えたことと、奪われた財に代わるものを用意しなければならなかったからだ。

 だが容易に金を作ることはできず、彼は自らの家を商売敵に売り払い、一使用人として部屋を借り受けるという屈辱を味わった。

 長年に渡る大借金をようやく返し終え、この邸宅の主として返り咲いたのがつい最近のこと――であるらしい。

「と言ってもね」

 エランタは「これでよし」と、下味を付けた肉を丸い器に放り込んだ。クレスも、大きく切った根菜を軽く煮て下味をつける作業に一段落をつけた。

「商売敵のアリンティア氏は好敵手というやつで、ウォルカスさんを苛めた訳じゃなかった。邸宅を高値で買ったのは彼への助力だし、ウォルカスさんは私らのような使用人と言うより、偉い人の執務官みたいな仕事をやっていた。そのおかげだろうね、生まれた娘たちに教育も施せたのは」

 マイサリエ、ミーエリエ姉妹は、王城都市ウェレスにある立派な寄宿学校に通って、優秀な成績で卒業してきたのだと言う。

「あの子が?」

 クレスは驚いた。

「いやその、あまり、友だちができそうな感じがしないから」

「友だちの数は、成績に数えないだろうよ」

 エランタは苦笑した。

「マイサリエお嬢さんは外向的だけど、見た通り、ミーエリエお嬢さんは内気もいいところ。あんたと一緒にきたのを見て驚いたくらいだ」

「俺が待ってた部屋にきたんだけど、こっちが何回も名前を訊いて、ようやく答えてくれただけ。台所に案内してほしいと言ったら、何も答えずに歩き出して、案内してくれるのかどうか判らなかった」

 クレスが言えば、彼女らしいねとエランタは言った。

「姉妹ではよく話をするし、アルンとも何か話しているようだけど」

「アルンって、ぬいぐるみ?」

その通りアレイス

「まさかと思うけど」

 彼は頭をかいた。

「あれは何か魔法のぬいぐるみで、話しかけると返事をするとか」

 その言葉にエランタはぷっと吹き出した。

「面白いことを言うね、クレス」

「いや、その」

 リンのせいでこうした発想が出てくるのだと言うか、そんなぬいぐるみだったらリンが興味を示すだろうなと思ったと言うか。

「じゃあ次はリーリを焼く型を物置から取り出しに行こう」

「俺が火を見ていればいい?」

「ほんのちょっとの間だし、だいたい、弱い火を使ってるだろ。大丈夫だよ」

 エランタは言い、クレスは目をしばたたいた。どの店でも、火の扱いには慎重だったものだが。

「見ていたいならそうしていてもいいけれど。私の仕事は調理だけじゃない、数々のことを同時進行でこなさないとならないからね」

 火の番にじっとしている訳にはいかないのだ、とエランタ。ところ変われば決まりごとも変わるという辺りだが、クレスは火をかけっぱなしにするというのがどうしても落ち着かなくて、見張らせてもらうことにした。

 広い館ではあるが、物置まで何十分カイもかかるようなこともないだろう。待っている間、クレスは改めて台所を見回した。

 彼がこれまで働いてきたいちばん小さな店の厨房よりも小さい。夫妻と娘ふたり、それから数人の使用人の食事を作るだけだから、これくらいで充分と見えた。

 大雑把なことを言っていたエランタだが、掃除は行き届いていた。油汚れなどは油断するとすぐどうしようもなくなってしまうものだが、調理のたびに拭き取っているようだ。

 こういうところに料理人の質、引いては料理の質、店ならば店の質が出るもので、きれいな店は飯も美味ければ居心地もよかったし、汚い店はやっぱりそれなりだった。

 偉そうに批評をするつもりなどはないのだけれど、この台所がきちんとしていることが、クレスは何だか嬉しかった。

「ねえ、ちょっと」

 エランタが戻ってきたのだろうか、とクレスは振り返った。

 だがそこにいるのは、中年女ではない。

 彼より少し年下の、これまたきれいな少女だ。

 きれいに巻かれた茶色い巻き毛、大きな瞳。ミーエリエとよく似ている。マイサリエであることは、簡単に想像がついた。

「あんたが、クレスね」

「あ、うん」

 こくりとクレスはうなずいた。

「君がマイサリエだね? はじめまし」

「気安く呼ばないでちょうだい」

 ぴしゃりと言われ、クレスは差し出そうとした手を中途半端な位置でとめた。

「何なの? いまさら。お父様とお母様に苦労をさせた原因が、こうして無事にお父様が館の主に戻った途端、劇的に登場? ふざけないでほしいのよね」

 隠すことのない棘に、クレスは慌てた。

「違うよ。俺は彼らがどこにいるのか判らなかったんだし、ついさっきまで使用人だと思って……原因、だって?」

「そうでしょう。あんたが攫われたりしなければ、お父様は苦労しなかったんだわ。そうしたら、私たちだって」

 何とも理不尽な苦情がきた。

「ちょ、ちょっと待てよ! 攫われたのが悪いのかよ!」

「男のくせに」

「ガキの頃だったんだぞ。三歳か四歳か五歳か、覚えてないくらいの」

「そんなの、関係ないじゃない」

 関係あるだろう。どう考えても。だがクレスはその言葉を飲み込んだ。

 いまのクレスが攫われたら、それは「男のくせに」と言われるかもしれない。男であろうと自分より屈強な相手が武器を持っているようなことがあれば逆らえないものだが、そうしたことを言われがちなのは理解できる。だがそもそも、両親が苦労をしたのは「子供が攫われたから」ではなく「山賊に襲われたから」だ。

 彼女の言うことは、てんで的を外している。しかしそこを冷静に指摘することは意味がなさそうだと予測できた。

 マイサリエの態度からこれでもかとばかりに伝わってくるのは、「要するにお前が気に入らない」。

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