03 俺の名前は
「何、とは」
リンは肩をすくめる。
「当然だろう。お前は新しい場所を手に入れる。私は、これからも旅を続ける」
「ま、待てよ」
「まさか、考えたことがなかった訳じゃないだろう?」
慌てた様子のクレスに、リンは呆れた顔をした。
「お前が両親を見つけるということは、腰を落ち着けるということじゃないか」
「いや、俺も成人してるんだけど」
正確な年齢ははっきりしないクレスだが、十五の成人を超えていることは確実だ。たとえ親元にいたところで、自分の仕事を自分で見つけて独り立ちをする年齢になっている。
「何も『親元に庇護してもらえる』と言っているんじゃない。つまりは縁だ。
「そんなつもりでやってきた訳じゃないよ。……いるなら、ただ会いたいなと、そう思ってるだけじゃないか」
困惑しながらクレスは言った。
「ただ、会うだけか?」
リンは片眉を上げた。
「一緒に暮らすために、探していたんじゃないのか」
「違うよ」
クレスは首を振った。
「俺はさ」
彼が思うところを口にしようとしたときだった。部屋の扉が開かれ、彼らははっとなってそちらを見やる。
そこには、四十を越す程度に見える、ひとりの男がいた。クレスはどきりとする。
(もしかしたら)
(――父さん?)
顔かたちが似ているか、と言うと、本人にはいまひとつ判らない。鏡を毎日のぞき込む習慣などはないし、自分がどんな顔をしているものか、あまり考えたことはない。
だが何だか、不思議な感じがした。初めて見ると思うのに、何だか知っている人ような。
「どこから、聞きつけた?」
その第一声はそれであった。
「……え?」
「確かに、ひた隠しにしている訳でもない。知る者も多い。以前には、私も妻ももしやと思って話を聞いたが……いまさら、劇的に現れるはずもない」
「え、いや、その」
クレスは言葉を探した。
目前の男が、クレスが「攫われた赤子である」と名乗り出たことを容易にそのまま信じたのではないことは、瞬時に理解できた。
だが、本当だ。目前の男との関わりはともかくとして、クレスの生い立ちは本当だ。
「証拠でもあるのか」
「そ、そんなもの」
あるはずがない。クレスは目を白黒させた。
「ならば、富を取り戻した私から搾取しようという
温度のない台詞は、いくつものことをクレスに教えた。
まず、この男が「アクラス」であるということ。
それから、彼はクレスが息子だなどとはかけらも思っていないこと。
そして、この屋敷の使用人などではないこと――だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
クレスは額に手をやった。
「お、俺は、あなたがここの使用人だと聞いてたんだけど」
どうにかそう言うと、男は片眉を上げた。
「知らないとでも?」
「何をだよっ」
「推察するに」
リンが口を開いた。
「
「やはり知っているのではないか」
男は鼻を鳴らした。
「息子のふりなど、片腹痛い。私も妻も、あの子はとうに死んだものと思っているんだ。仮に生きていたとしても、賊連中の間で育ったのであれば、そうした気質を受け継いで、いまごろはとんでもない
「なってないよ!」
クレスはうなるように叫んだ。
「俺はさ、よくも悪くも常識外れだったかもしれない。ダタクたちは俺に教育なんかもちろん施さなかったから。でも奴らは、俺をこき使うばかりで、特に悪事も働かせなかった。奴らといたときは何が犯罪かなんてよく判らなかったけどさ、悪い連中だってことは判ってたし、奴らがやってたようなことをやろうなんて、ちっとも思わないよ!」
思わず、クレスはまくし立てていた。
疑われても仕方がない。いきなり、二十年前に賊に攫われた息子ですと名乗り出て、すぐに信じてもらえなくても仕方がないどころか当然と言えるだろう。
だから、それはかまわない。クレスだって確信している訳ではないのだし、証明する術もない。
しかし「疑念」という段階を超えて強く拒絶されたことと、それからクレスが――いや、仮にクレスではなかったとしても彼らの息子が、「生きていてもろくな人間であるはずがない」と決めつけられたことが、すごく悔しかった。
哀しかった。
「落ち着け、クレス」
リンが冷静に言う。
「貶められたのはお前じゃなくてダタクだ。お前は間違いなく奴らの被害者だが、アクラス夫妻だってそうなんだから」
落ち着け、とリンは繰り返した。
「それに、金脈を掘り当てた者には親戚が急増すると言う、
諭すようにリンは続ける。
「せっかくここまで、はるばるとやってきたんだ。こんなくだらない誤解で終わったら残念じゃないか」
リンは、クレスが「もう帰る」と言い出さないように話を運んでいると、彼にも判った。短気を起こさず話をしろと、彼女はそう言っている。
「どうです、セル」
あまり女性らしくない口調で、リンはアクラスに話しかけた。
「もう少しだけでも――」
「ダタクと、言ったか?」
男は小さな声で尋ねた。
「あのとき……賊の首領は、確かにそう呼ばれていた。当時は近くの街道警備隊に訴え出たが、こちらへ戻ってからは遠すぎてどうしようもないと、誰にも、言ったことはないのに」
男の瞳に、希望のようなものが宿った。
「本当に、お前は……クレスなのか?」
呼ばれて、クレスははっとした。こくこくとうなずき、それから感慨深げに呟く。
「俺、それじゃ、本当に『クレス』なんだな。ダタクたちが適当に名前つけたんじゃなくて……俺の名前は、本当に」
ふっと力が脱けた。
証拠は、ない。
でも、間違いはないようだ。
彼の名は、クレス・アクラス。
かあっと頭が熱くなった。いや、熱くなったのは頭ではない。目頭だった。知らず、彼の瞳から涙がこぼれる。
「俺……」
「――クレス」
父は息子のもとに歩み寄ると、躊躇いがちに、再会の抱擁をした。
リンはそれをじっと見て、それから呟く。
「ダタクなんて気に入らない名前で確信を得るより、ふたりで鏡の前に並んでみればいいんだ」
それだけで充分、証拠になると女は肩をすくめた。
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