02 まだ判らない

 果てのなき広大なる世界、フォアライア。

 世界には三つの大陸が存在した。

 北東にラスカルト、北西にリル・ウェン、南にファランシア。

 ファランシア大陸は大きく東西に二分され、その西方をビナレスと言う。

 東方には大砂漠ロン・ディバルンが拡がり、人は住まわないとされている。西のビナレス地方が、言うなれば文明地域だ。

 そのビナレスも東西南北に充分広く、端と端では気候や文化に大きな差がある。

 クレスがリンと出会ったのは、西端のアーレイドという街だった。温暖な気候の街で、王の行政は公正、治安も――それはそれは素晴らしい町憲兵隊がいて――守られている、よい街だった。

 彼にはその街で暮らす選択肢もあったのだが、思いがけずできたリンとの縁をなくしたくなくて、一緒に旅に出た。

 西と言える地域を離れ、中心部クェンナルと大雑把にくくられる場所をうろつき、彼らはおよそ二年半の年月をかけて、ここまできた。

「あ、あのっ」

 クレスは開いている戸口に向かって声をかけた。

「す、すみませんっ」

 数トーアと経たぬ内に、紺色のお仕着せを着た年嵩の女が怪訝そうな顔つきで現れる。

「あの」

「気の毒だけど、うちは施しをやらないよ。人手も足りているし、余計なものに支払う金もない。お帰りよ」

「俺は物乞いドーガルじゃないし、雇われにきたんでもなければ、押し売りグズオンでもないです」

 彼は慌てて手を振った。

「ここに、アクラスという人がいると聞いて」

 遠い西の街でその姓を耳にしたときは、半信半疑だった。

 それでも、彼はそれをきっかけと考え、リンとの旅に飛び出したのだ。

 クレスはまだ幼子の内に山イネファの一味に攫われ、酷い扱いを受けて育った。

 その賊連中はやがて正しき裁きを受け、幼子は成人した少年となって自由を得た。

 両親は死んだと聞かされており、クレスはずっとそれを信じてきたが、同じ頃に似た場所で子供を攫われた夫婦がいるという話をヴァンタンという名のお節介男が掴んできた。ヴァンタンは、出会ったリンと旅に出たがっていたクレスを後押ししてくれた、ということになる。

 つまり、親探しなどというのは口実だ。偽りの気持ちではなく本心から探したいと思ったが、あのときのクレスに必要だった「旅に出るきっかけ」でもあったのだ。

 ヴァンタンが言った「アクラス」という姓がクレスのものであるのか、それは判らない。いや、それを言ったら「クレス」を誰が名付けたのかも判らない。

 賊連中が子供の名前を考えるとも思えなかったが、出入りしていた春女などが気まぐれで名付けたという可能性はある。両親は彼に違う名前をつけていたのかもしれず、そうなると、少なくとも彼は「クレス・アクラス」ではないということになる。

 そう気づいたときは困惑したが、リンは簡単に「『クレス』が嫌ならほかの名前を名乗ればいいじゃないか」などと言ってきた。そういう問題ではないような気がしたが、リンの言わんとしたことは判った。

 彼はこの名がとても大好き――と言うほどでもないが、好いていて、馴染んでいる。

 いまさらほかの名前が自分のものだと言われても困るし、自分はクレスだと思うだろう。

 呼び名なんて呼び名にすぎない、嫌いで変えたいのであれば好きにすればいいし、名前のひとつも違ったところで人間そのものが変わってしまう訳でもないと、リンはそう言ったのだ。

 そんなリンであれば、親なんて自分がこの世に生まれた媒介にすぎない、くらい言いそうだった。彼女は父親と仲が悪かった――傍目には〈喧嘩は親愛の裏返し〉のようにも見えるのだが――からだ。

 しかし意外にも、彼女はクレスの両親を探すという目的を何かと優先した。

 リンがいなければ、クレスはとっくに諦めていただろう。リンがいなければ旅にも出ていないのだから、これは意味のない仮定だが。

 西の街から中心部クェンナルを経て、南へ。

 ヴァンタンの言っていた夫妻は半年ほどで見つかった。彼らは確かに子供を失っていたが、生憎とと言うのか、性別も苗字も合わなかった。

 彼ら夫妻はカンドという姓であった。アクラスという姓がどこから出たかと言えば、カンド夫妻もまた同じような境遇の夫妻と出会っていたのだ、ということだった。

 それが、アクラス夫妻。彼らは南方と呼ばれる地域で使用人をしていて、数年に一度しか中心部クェンナルを訪れないのだとか。

 その「南方」という広い情報からひとつの町を見つけ出すまで、二年。どこの屋敷にいるものかを突き止めるまで、半年。ざっとそんなところだった。

 もっとも彼ら〈パルウォンの隊商〉は、クレスの親ばかり探していたのでもない。

 リンは「けったいな」としか言いようのない品に興味を持ってはそれを追いかけた。

 公正に比較したとすれば、二年半の内、七割はリンの商売絡みだ。

 だがクレスには文句などなく、三割を彼の時間に当ててくれる彼女に感謝していた。

「よかったな」

 とリンが淡々として言ったのは、確かにアクラスという夫妻がいることと、幼い子供を攫われた話が事実らしいと判り、使用人の休憩室のような場所で待つようにと案内を受けたあとだった。

「まだ判らないじゃないか」

 クレスは正直なところを言った。

 取り次いでくれている使用人は、言われてみればよく似ているようだなどと言ったが、判らない。

「可能性はかなり高いと思うが」

 どちらかと言えばいつもクレスの楽天性に釘をさすリンであるが、このときは期待を持たせるようなことを言った。

 リンがそんなふうに言うのならば期待してもいいのだろうか、とクレスは考える。

 いくらか意見がぶつかる場合もあるものの、最終的にはたいていにおいて、リンの判断が正しいのだ。言うなればクレスは連戦連敗、ちょっと情けない気分にもなるが、仕方あるまい。

「確定したら、ここでお分かれだな」

「――え?」

 クレスはぎょっとしてリンを見た。

「何だって?」

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