婚約記念日当日──。


 と、いっても何をすればいいのだろうか。

 朝早く年中無休の桜屋にお仕事をしに向かう最中に考える。


 美味しいものはネロくんが作ってくれるし、仮に私が作っても美味しいと言ってもらえることには自信がある。なにせ、これでも個人経営の喫茶店の副店長みたいな立場なので。

 ──じゃあ、お花をあげるとか?

 そしたら桜屋のどこかにに飾りたくなっちゃうよねお互い職業病じみているから。

 ──いっそ、ぎゅーしてあげるとか?

「それだ……!」

 徒歩の通勤中なので叫ぶことなく小さな声で呟いた。


・・・・・


 営業は滞りなく。そして閉店時間へ。

 いつも通りネロくんがまかないを用意している最中、私はどのタイミングで『ぎゅー』をするか。

 流石に運んできた時はダメだ。お皿が危ない。

 かといって運ばれたら食べなきゃね。

「……よし」

 食べ終わった後に『ぎゅー』をしようと決意した。


 今日のまかないは、なんといつもより豪勢で豪奢なフルーツがふんだんに乗っているケーキで気合いが入っていた。

「ネロくん、これは最早まかないじゃなくって……」

 照れくさそうにネロくんは「まあ……記念日なので」と呟いた。

 それもそのはずネロくんも覚えてたんだ。


「た、食べよっか!」

「そうだね」


 食べている間は昨日や一昨日とかと変わらないような他愛のないような話をした。その時間がたまらなく大切で愛おしい。

 婚約記念日だからって何かがとても大きく変わるわけではないと、思っていたから。

 やがて「ごちそうさま」と手を合わせて、ネロくんはお皿を下げる。

 私がお皿を下げると言ったら「いつも通りに」と却下されたので素直に受け入れることに。

 でもネロくんが戻ってきたら『ぎゅー』してあげられるかな。


 ──そろそろかな。

 待っていたらネロくんがこころなしか、いつもより早めに戻ってくる。

「ネ、ネロくん!」

 目的を果たそうとしたその時。

「……へ?」

 ネロくんは、私の左手をそっと握ってから、その手の薬指に触れる。

「あの……ネロ……くん……?」

 そして手を離しておもむろに告げる。


「貴方の指輪のサイズが知りたい」


 その言葉の意味することを理解するのに、時間がかかったのかはわからない。

 ただただ私はポカンとしていたのかもしれない。

 でもその空気が少しだけ恥ずかしくなってしまったのかネロくんの方から空気を壊す。

「ええと、本当は指輪を持ってきたかったけど、もしもサイズが合わなかったことを考えてやめといて、だからこのような告白になってしまって、兎にも角にも伝えたいことは、結婚してください、ユメ……!!」


「し、調べてきます……!!」

 調べるということが意味することをきちんと理解して返答する。

「その時は一緒でいいかな……!?」

 頷いた。多分すごく赤面しながら頷いた。


 とりあえず。そんなこんなな形で今日は解散となった。


 ──あ。

 私は帰り道にはたと気がつく。

 ──『ぎゅー』するの忘れてた。

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