血のない家族
夜桜紅葉
第一章 七人家族
いたずら大作戦
家に帰ると姉が化物のコスプレをしていた。
「どうしたの
天姉は僕の言葉を聞いて少しの間硬直し、
「? どういうこと?」
と聞いてきた。
「その顔と恰好はクリーチャーのコスプレでしょ?」
「……ごめん、私の中のクリーチャーの意味と恭介の中でのクリーチャーの意味に違いがあるかもしれない。どういう意味でクリーチャーって言葉を使ってる?」
「クリーチャーに他にどんな意味があるのかは知らないけどクリーチャーは化物って意味じゃないの?」
ペキっと音がした。
姉は持っていた水筒を握り潰し鬼のような形相で
「これは可愛くなろうと思って初めてメイクしてみたんだよ! この恰好はお洒落だと思って着たんだよ!」
と叫んだ。
その後、天姉は部屋に閉じ込もってしまった。
ドアには鍵がかけられている。
部屋の中からは般若心経が聞こえてくる。
奴は怒ると般若心経を聞きながら昼寝をする習性がある。
無害だから別に良いのかもしれないが意味が分からないし普通に怖いのでやめてほしい。
僕は最近これに対抗策を見つけた。
ドアの前に立ち、部屋から聞こえる般若心経を打ち消すように僕は音読を始めた。
「一期一会、急転直下、言語道断、七転八倒、死中求活、明鏡止水、武骨一辺、富国強兵、正真正銘」
「グアァ!!」
部屋の中から奴の苦しむ声が聞こえてきた。
奴は四字熟語が弱点なのだ。
これまた意味分からんが本人曰く
「私は理系だからね、フフン」
ということらしい。
どうも漢字が苦手なようだ。
じゃあ般若心経とか一番だめだろと思うが般若心経は別なのだそうだ。
「別」とはどういうことなのか聞いたら
「フフッ。それが乙女ってもんなのさ」
と言われた。
とにかく奴を攻撃しようと思ったら四字熟語を音読したらいいのだ。
「くっ。こんなところでっ!」
部屋からなんか聞こえてくる。
もう少しだ。
「感慨無量、温厚篤実、一念発起、四面楚歌、四面楚歌、四面楚歌」
「グアア!」
奴は特に四面楚歌という言葉が弱点なのだ。
鍵が開けられておもむろにドアが開く。
ドアが開けられたことにより、さっきよりも般若心経がよく聞こえるようになった。
奴は不服そうな顔をして
「致し方あるまい。良かろう。前言撤回の機会を与えてやろうグアア!」
自分で四字熟話を口にしてダメージを受けた。
「とりあえず般若心経を止めてもらえるかい?」
「はいはい。んで? 前言を撤回するかい? それともご機嫌取りの品を用意したのかい?」
「後者。お餅を用意した」
「グヘヘ」
「笑い方どうにかならん?」
「ゲへへ。……ブツは受け取るし、それで今回の件を水に流してやろうとも思う。けど私そんなに酷かったの?」
「先制攻撃しても正当防衛が認められそうなほどだった」
「オェ。四字の熟語はやめてくれ? わざとだろこの野郎」
「ごめん」
「やっぱ慣れないことするもんじゃないねー。まぁいいや。お餅いっしょに食べる?」
「いらん。これからけいと走ってくる」
「あーそっか。いってらっしゃい」
それから僕はけいの部屋の前に来てドアをノックしている。
かれこれ二分くらい。
返事もなく音もしない。
だが確実に相手は部屋にいる。
気配が確かにある。
三十回目のノックをした時、ついにドアが開いた。
「もう! なんだよ、居留守だよ! 分かれよ!」
部屋からけいが出てきた。
寝癖がすごいことになっている。
「なんで自分の部屋で居留守してるんだよ」
「確かに。それもそうだな。どうした? なんか用?」
「切り替えが早いな。いいことだ」
「そうだな。切り替えが早いことはいいことだ。それで一体何の用なんだね?」
「あ、そうだった。今から走りに行こう?」
「いいよ」
「ところでさ。本当になんで居留守してたの? なんかしてた? 物音はしてなかったけど」
「宇宙人に絡まれた時どうするか真剣に考えてた」
「……なんかさ。この家、電波系の人多くない?」
「そうだね。天姉は変わってる」
「お前のこと言ってるんだけど。まぁ天姉も変わってるけど」
「うるさいな! ハゲ散らかすぞ!」
「どゆこと!? それ僕に攻撃してんの?」
「そうだよ! ハゲ散らかすぞ!」
「ん? 待ってよ。それ僕にハゲろって言ってるってこと?」
「いや、ハゲ散らかすのは僕だね」
「じゃあ自分が今からハゲるってことを宣言してるってこと?」
「そう」
「んー聞けば聞くほど分からん。ならお前がハゲるだけじゃん。僕に対する攻撃にはなってないし。っていうか急にキレるな。情緒どうなってるんだよ」
「ごめん。思春期だからさ。情緒不安定な時期なのさ」
「あーそっか。言われてみれば僕たち思春期だね。でも僕はそんなに心乱れることないけどなー」
「恭介落ちついてるよな。僕なんかもうホルモンバランスがヒャッハーでフォー! って感じだもん」
「全然分からん」
「話変わるけど、さっきまた般若心経聞こえてきたんだけど。また天姉拗ねちゃったの?」
「かくかくしかじか」
「……いや、かくかくしかじかって口に出されても。何も分からん。説明してくれ」
「初めてメイクに挑戦してみたらしいんだけど、完全に化け物にしか見えなくて。そう言ったら怒られた」
「うわー。見てみたかったなー。もう落としちゃってるよね?」
「うん。……そういや先生たちは? 見かけなかったけど」
「さあね。今日日曜だしどっか行ってんじゃないの?」
「そっか。じゃあ日向は?」
「部屋でお絵かきでもしてるんでしょ」
「そうだね。……あー今十三時か。走り行く前に軽く食べる?」
「さっき食った。てか恭介さっきまでランニング行ってたんじゃなかったっけ?」
「そうだよ」
「また走りに行くの? 別にいいけどさ、走るの好きすぎない? 体力オバケじゃん。そのうち先生より強くなるんじゃないの?」
「そうなれたらいいけどねー。まぁまだ逆立ちしたって勝てないけど。でもけいの方こそ結構良いとこいくんじゃない?」
「いや~、オレっちなんて足元にも及ばないでやんの」
「やんの? やんすじゃなくて? えーでも足元にも及ばないってことはないでしょ。先生だって人間なんだし」
「いや。あれはもう同じ生き物じゃないよ。怪獣センセイドンとかだよ。火ぃ吹いてても驚かない」
「怪獣センセイドン? なんだそれ。相変わらずのネーミングセンスだな。怪獣要素がドンしかないじゃん。てゆうかなんか薩摩の人みたいになってるし」
「ところで恭介どん。今からどんくらい走るんです?」
「どんどんうるさい。う〜ん。普通にいつもくらいじゃない?」
「オッケイ。あ、そういえば知ってるか? OKってドドンドンドドンなんだよ」
「いやだからどんどんうるさいってば。え? どういうこと?」
「指で書いてみ?」
「……本当だ。えーすご」
「なんだそのリアクション。薄いなおい。ハゲ散らかすぞ」
「……なにそれマイブームなの?」
「おう。人を傷つけないように、されども自分の怒りを表現したい時に使う言葉」
「よく分からんけどお前なりの優しさだと解釈しておくよ。そういや今日これからの天気は?」
「よしきた! 任せろ! えーっとねー。んー。あー。多分晴れ!」
けいは六十%くらいの精度の天気予報が出来るという特技がある。
「間違いなく多分晴れる。きっと絶対。おそらく確実に」
「不安が見え隠れしてるぞ」
「保険をかけながら生きていく。あ、そうだ。走り行く前にハンバーグに水やっていい?」
ハンバーグというのはけいが育てているひまわりのことだ。
ひまわりの真ん中のとこがハンバーグに見えたからとかで、そう名付けたらしい。
「よしよしハンバーグ。いっぱいお食べー。……あーにしても暑いなー。ハンバーグは週末なんかした? ……バク転の練習!? マジで?」
「なんでお前ひまわりと喋れるんだよ。んでハンバーグはバク転の練習してたの!?」
「これは……世界獲るかもな」
「なんでシリアス顔できるの? もう水やりはいいだろ。走り行こうよ」
「レツゴー」
それから二時間くらい二人で走った。
走り慣れている道なのでたいしてきつくはないが暑い。
もうすっかり季節は夏になったようだ。
家に帰ったころには滝のように汗をかいていた。
「ただいまー。あぢー。しゃわー」
「おかえりー」
天姉が玄関に立ちはだかっていた。
「あれ天姉化粧してるじゃん」
けいが天姉の異変に気づく。
「リベンジだぜ。さー恭介、どうだ?」
「……すご。なんで? さっきのから何がどうしてこうなるの?」
「さっきは良く考えたら鏡を見てなかった」
「馬鹿なの?」
「そうかもしれない」
汗を体中から噴出しながら天姉と話していると、もう一人来た。
「あれ。帰ってきてたん? おかえりー」
この子は日向。
エセ関西弁みたいなのを話す七歳の女の子。
「ただいま日向。天姉の見た?」
けいが日向に訊く。
「うん。てか私に相談してきたんや。どうやら自分はお化粧が下手らしいから教えてって。で、話聞いたら鏡見てなかったみたいやから鏡見てやったら? ってアドバイスしたんやけど、天姉なんだかんだ器用やからな。鏡見ながらやったら普通に上手に出来てたわ」
「改めて聞いても鏡見てやらなかったのがアホすぎる」
呆れる僕に天姉は
「まー、でもノールックメイクなんてのもあるかもよ?」
「いや知らんけど。それにしたってさっき眉に口紅塗ってたよ?」
「それはミスったんだよ」
「ミスりすぎだろ」
「まぁ私のこの美顔については後で話そうじゃないか。二人ともシャワー沿びてきな。玄関に水たまりができちまう」
「「はーい」」
シャワーから上がると日向が麦茶を用意してくれていた。
「おーありがとう日向。気が利くねー」
僕がそう言うと、日向は自分のコップを両手で持った。
「別に。私も飲みたかったし。暑いからな。本当この暑さの中ご苦労なことやなー」
「走るの楽しいからね」
「それにしたってこんな暑いんやからあんまり無理すると倒れるんやないの?」
「大丈夫だよ。恭介は早寝早起きだから」
「そうなん? よー分からんけど。あ、そうや。新作できたで。今回のは自信作なんやで~?」
そう言って日向が見せてきた紙に描かれていたのは、キセルを咥えたカピバラだった。
背景には美しい海と大爆発。
逃げ惑う人々にUFO。
これは……
「渋いなー」
「いや、渋いのか? 渋いのかすら分からん何だこれ」
「カピバラやで?」
「そうだけど、そうだけど! 背景何これ!?」
「芸術……かな」
「しゃらくせえよー!」
「ええやん別に。んで? 何点?」
「ん〜今までの作品と比較してもどのあたりが自信作なのかよく分からん。どれも独創的すぎるしなー。今までの何点つけてきたっけ?」
「カボチャと大根のキメラは六十点。オリジナルキャラ膝蹴り親方は五十三点と結構辛口評価頂いてます」
「そうだなー。んー。……六十八点!」
「やったー! 六十八点満点やろ?」
「そんなわけあるか。なんだそのキリの悪い満点」
「えーじゃあ七十点満点か。惜しかったなー」
「いや百点が満点に決まってるじゃん」
「またまた~」
日向はニコニコしながら手をひらひらと振った。
「あれ、そういや天姉は?」
シャワー浴びた後、どこに行ってしまったのだろう。
「寝たで」
「シャワー浴びてる間に? 本当昼寝好きだよなー」
けいが麦茶を飲みながら言った。
「ちなみにこのテーブルの下やで」
「え? うわびっくりした! どこで寝てるんだよ……」
テーブルの下を覗き込むと本当に天姉がいた。
天姉は猫のように伸びをした。
「んー。寝床」
「天姉にとっての寝床はどこにでもあるな。この前もなんか玄関で」
「や、止めてくれ! それは黒歴史!」
けいの話を天姉が慌てて遮った。
「そうなんだ。恥ずかしがるポイントが良く分からんけど弱点なのか。へへ。弱味を握ってやったぜ」
「いい性格してんな」
「光栄でやんす」
「へっ。でも私だってけいの弱点知ってるもんねー」
「僕に弱点などない。なぜなら早寝早起きだから」
「なんなのさっきからその早寝早起きに対する厚い信頼。あとけいは別に早寝でも早起きでもない」
「けいの弱点。それはホラー!」
「ハッ。何を言い出すかと思えば。ホラーだって? 僕に怖いものなんてあるわけないだろ」
「この前、夜トイレに起きたときに見たんだけどね? 白い服を着た髪の長い女がけいの部屋のドアの前に立ってたの」
「ちょ、やめてよ。意味分かんないし」
けいはあからさまに動揺している。
「それでじっと部屋の前から中の様子を窺ってたかと思ったらすーっとドアをすり抜けて部屋に」
「ちょ、マジで止めろし。ハゲ散らかすぞ!」
「え、なにそれどういうこと?」
「怒りの表現だよ! 怒ってます! 今僕怒ってます!」
「ふーん。まぁいいや。てかやっぱりホラー苦手じゃん。やーいビビリ、はりぼて、いそぎんちゃくー」
「それ悪口なの?」
「そういう見方もある。見方による」
「なんだそれ」
「いや僕別にビビリじゃないし。違うし。誤った情報だし。フェイクニュースだし」
「はいはいそういうことにしておいてあげるよ」
「やかましいわハゲ散らかすぞ」
「そういえば最近どうなの? 桜澄さんには勝てそう?」
天姉が話題を変えるように僕とけいに訊いてきた。
「んにゃ。先生強すぎ。でも天姉なら勝負になるかもよ? さっき恭介と話してたんだけど水筒握り潰したんでしょ?」
「あ、ヤバいそうだった! 怒られる! マズいマズいマズい」
「どうやったら水筒を潰せるんだよ。ゴリゴリしてんなうちのねーちゃんは」
「隠したらバレたときエラいことになるやろなー。ウサギ跳びで登山とかさせられるかも」
「考えたくねぇ……素直に謝るか」
そんな話をしているところに更にもう一人やってきた。
「お? みんなで揃って作戦会議か? どうじゃ? 桜澄には勝てそうか?」
この人はげんじー。
先生の先生というか、先生の師匠だ。
「あ、げんじーおはよう。はやくないけど」
日向が自分の描いたカピバラの絵を眺めながら朝の挨拶をした。
もうとっくに昼も過ぎてるけど。
「先生に勝てる気はしないね。まぁいつか超えたいとは思ってるけど」
僕が答えるとげんじーは楽しげに笑った。
「はっはっは。あいつに対しては生半可に鍛えておらんからの。育てた側も引くくらい無茶な指示なのに平然とこなすような奴じゃった。中々超えることはできんじゃろうな」
げんじーは先生に対する愚痴のようなものを続けた。
「そもそもできない前提で出した指示をなんでもない顔して淡々とこなしていくあいつは鍛えがいがなかった。わしが鍛えんでも別に良くね? と何度思ったか分からん。それに比べてお前たちは鍛えがいがある。こっちの出した指示にちゃんと嫌そうな顔するからの」
「ちくしょう楽しそうだ」
けいが悪態をつくと、げんじーはまた楽しそうに笑った。
「というか桜澄さんは昔からそんな感じなんだね。変わってないんだなー」
天姉が言った。
それに対してげんじーは少し考えてから答えた。
「どうじゃろな。あいつはあいつで成長したり悩みを抱えたりしているとは思うんじゃが。如何せん顔に出さんからの」
「とにかく、先生に勝つにはまだまだ鍛えないといけないのか」
遠すぎる目標にため息をつきたくなる僕を励ますようにげんじーは
「まぁ勝ちたい相手から教えを乞うておるんじゃからそのうち勝負になるようになるかもしれんの」
と言った。
「マジで? げんじーから見て可能性あると思う?」
「絶対無理、とは言えんの。これからの努力によっては、って感じじゃの」
けいはそれを聞いて
「うーん。でもやっぱり今は正攻法は厳しいからなー。よし。外道な手を使おう」
「なんでだよ。いっしょに正攻法で頑張ろうよ」
「いや外道でいく。具体的にはいたずらを仕掛ける」
「あーなんだそういうことか。勝てなくても今、一泡吹かせたいと」
「イエス」
「うっ」
天姉が唐突に苦しみ始めた。
「ん? 天姉どうした?」
「さっきげんじーが言った作戦の会議が今ごろになってっ!」
「は?……あー四字の熟語か」
「くっお餅さえあればっ。お餅さえ、くっ!」
「さっき食ったじゃん。また食うの? 太るよ?」
僕が言うと天姉はかっこいい感じのポーズをとりながら
「おーっとそいつは言っちゃいけねーぜ? 年齢、体重、握力に関することは乙女に言及してはいけないって決まりだ」
「最後の一つは個人的なものだろ」
「まあまあそれはおいておいて。お餅はないのかい?」
「ないよ。さっきので最後」
「おいおい嘘だろ。嘘だと言ってくれよ。頼む。言えよっ。嘘って言えよほらっ! おい!」
「怖いよ。餅好きすぎだろ」
「ったりめーよ。乙女たるものお餅が好きでねーと」
「天姉の乙女像よく分からん」
けいが逸れてしまった話を再開した。
「餅の話はいいよ。今はいたずらの策を練るぞ」
「つってもねー。不意を突こうにも隙がないんだよなー」
「油断しないからねー。どうにかして油断させよう」
けいは油断油断と繰り返し口ずさんでから
「油断、油断ねぇ……あ、そうだ! 先生の好物ってきゅうりの漬物だよな?」
「えーなんか仕込むの? それはさすがに無しだよ」
天姉が否定的な姿勢を見せる。
「違うよ! どんだけ信用ないんだよ。好物が目の前に現れたら喜ぶじゃん?」
「いや急に目の前に現れたら警戒するでしょ」
「さっき餅に狂ってた天姉がそれを言うのかよ」
「いやだってきゅうりの漬物でアガんないし」
「アガんないならしょうがない。もーいいや他の案を考えよう」
こうして僕たちは先生たちが帰ってくるまでに作戦を立てることにした。
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