妻が死んだ、キノコが生えた。
ゼン
1
仕事を終え自宅に帰ると、妻が死んでいた。
他殺でも事故でもないだろう。外傷はなく、自宅の和室でひっそりと横たわっているのを発見した。
死因は恐らく寿命だと思う。妻は体が弱かった。病気がちで年を取るまえから寝込む事が多く、最近はほとんど動けないでいた。きっと眠りながら静かに死んだのだろう。
苦労の多い人生だった。せめて最後ぐらいは安らかに逝けて良かったと思う。
残り少ない人生私も頑張って生きなければ。
生きなければ……?
かちかちと時計が時間を刻む音だけが和室に響いている。明かりがついていないため部屋には月明りだけが差し込んでおり、静寂と暗闇が空間を覆っている。
妻を発見してから既に一日がたっていた。私は畳の上に横たわり、キノコが生え始めている妻の顔を見つめていた。
何を考えているわけでもない。何も考えられないのだ。病院に連絡しなければ、会社にも何も伝えていていない、救急車を呼ぶべきだったのか?なんでキノコが生えているんだ。そんな思考が浮かんでは消え、浮かんでは消え。私は結局何もできないでいた。
過去にも身内が亡くなった事はある。しかしそんな時には妻や他の家族が動いてくれていた。だから自分が今何をすべきかわからない。調べる事も何故かできない。そんな漠然とした虚無が私を支配している。
妻は幸せだったろうか。ふとそんな思考がよぎった。
不便はさせていなかったと思う。私は同世代と比べて稼ぎがあった方だ。定年後の今でも働いているし、お金で不自由はさせていなかったと思う。
私生活では基本的に家事をしているイメージが強い。何度か趣味を持ったらどうだと勧めてみたが結局何かを始める事はなかった。
他にもぐるぐると考えが回る。過去を思い出し、あの時はどうだったかこの時はと考えるが確証を得る事はできない。
そうしている内に気が付くとかなりの時間が過ぎていた。
唐突にぎゅるぎゅるという音が部屋に響く。腹の虫だ。妻を発見してから丸一日何も食べていないので、むしろ遅すぎるぐらいの虫の声だった。
腹が減った。しかしわざわざ料理する気にもなれない。そもそも冷蔵庫の中身があったかどうか……。
キノコに目が行く。いやいや、流石にありえない。キノコに目が行く。いやいや……。
台所に立ったのは随分と久しぶりだった。20代か30代ぶりか。ちゃんとできるか心配だがまぁなんとかなるだろう。
冷蔵庫の食材を適当に取り出し、キノコと合わせられる食材を選別する。キャベツともやし、ニラを取り出した。野菜炒めを作ろうと思う。キノコの形状からして、しめじかそれに近い種類だろう。野菜炒めならば合うはずだ。
まずキャベツとニラを適当な形に刻み、もやしと一緒に洗う。キノコも一応洗っておいた。そして油をひいて温めておいたフライパンにそれらを投入。塩コショウを振りかけ後は時々混ぜ合わせる。簡単だ。流石に野菜炒めならば失敗しないだろう。
我ながら上手くやっている。そう考えていると米の事を思い出した。白米。あれがなければ話にならない。炊飯器を開けると水に浸された米が入っていた。しまった。急いで炊飯ボタンを押すと、62分と表示される。長い。
どうしようか……。野菜炒めを軽く混ぜながらそう考えていると今度は味噌汁の事を思い出した。味噌汁も食卓には無くてはならない存在だ。
急いで台所にある鍋の蓋を開けると、中身は何も無かった。しまった。今回は食材もない。レトルトを買いに行くしかないだろう。
……何もかもうまくいかない。一人じゃこんな事も出来ないのかと自分に呆れる。ため息をつき、今後の行動を考える。炊飯の残り時間も考え、最寄りのコンビニへ行くのが良いだろう。重い足取りで玄関へ向かった。
レトルトの味噌汁も買い終え数十分経った頃、炊飯器から馴染みのあるメロディが流れ出した。白米のよい香りが立ち上っている。調理し終えた野菜炒め等を皿によそい、ようやく食事の準備が終わった。
ほんとうにようやくだ。白米の準備を忘れ、味噌汁は確認せず、それらに気を取られ野菜炒めは明らかに火を通し過ぎている。簡単な料理でこれだ。自分の不出来さに笑みがこぼれる。
まぁ得体の知れないキノコだ。火は通し過ぎるぐらいが良いだろう。時計を見ると時刻は6時を指している。予定よりもずっと遅い時間だ。朝日がカーテンの隙間から差し込み、外からは鳥の声が聞こえる。
「いただきます」
幾分かのキノコを箸でつまみ、口に運ぶ。不思議と恐怖心は湧いてこなかった。
……味が濃すぎる。調味料の入れすぎだ。妻が作った野菜炒めはこれよりずっと美味しかった。
もう一度、今度は他の食材と共に箸でつまみ、口に運んだ。久々に口にした食事はやっぱり塩辛くて、でも中々に美味しかった。
妻が死んだ、キノコが生えた。 ゼン @e_zen
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