第10話

「……俺は性を介してる友達はいないし、性を介していない友達にも好きって言うんだ」

「そういうもんなんだ」

「そういうもんだ。つうかもし恋人がいたら、俺は意地でも俺はお前の脅しに乗ってない」

「義理堅いんだね」

「お前は違うのかよ」


 城戸には、フリーの期間であれば誰からの告白も断らないという噂がある。あくまで噂ではあるが、てっきり二股などはしない義理堅さは持っているのだと思っていた。


「感情と欲求はまた別物だからね。同じ相手とばかりやってると、飽きちゃうし。あ、でも、一応付き合う前にはちゃんと言ってるよ? セックスは他の人ともするって」

「……クズだな」

「ストレートだなぁ。まぁ、言われたことないわけじゃないけど。先輩は俺みたいなのは嫌い?」

「別に。なにを好みどんなふうに生きるかは人それぞれだし」


 そう答えると、城戸の薄色の瞳がぱちりと瞬かれる。

「先輩って寛容だな」

「寛容ってわけじゃないだろ。だって、お前がどう生きようが俺には関係ないし」


 ふいに、城戸が黙り込むと、なんともいえない表情を浮かべた。困っているような、迷っているような、妙な顔。やけにあどけない、年相応かそれ以下の子どものような顔だった。


「……先輩って、俺のことどう思ってる?」

「どうって」

「ほら、好きとか、嫌いとかさ」

「別に好きでも嫌いでもない」


 そう答えた真紘に、城戸はわずかに目を見開いた。


「好きじゃないはさておいても、嫌いでもないんだ」

「この間会ったばかりで、大して交流もしていないのに好悪なんか決まるわけないだろ」

「じゃあ、俺も先輩に好きになってもらえる可能性、あるんだ」

「え? まぁ……いや、俺に好かれたところで、嬉しいか?」

「嬉しいんじゃないかな」

 推量のわりにはやけにはっきりとした声で、城戸は言う。


「先輩、教室で話してた人に好きって言ってたでしょ。あのとき、いいなって思ったから。俺も先輩から、好きって言われてみたい。それで、どうしたら先輩は俺のこと、好きになってくれる?」


 城戸は真紘を見据えたまま、こてんと首を傾げる。


「知らねぇよ」

「ええ、ケチだなぁ」

「いや、だって……特定のことしてくれたから、相手のこと好きになるわけじゃないだろ。波長が合うとか、一緒にいてなんとなく心地いいとか。好きってそういうのから生まれるもんじゃねぇの」


 ぱちりと瞬いた城戸は、わずかに目を逸らしてから「ふぅん」と零した。顎に指を添えてすりと擦ったかと思うと、城戸は真紘の方に向き直る。


「ね、先輩。プレイしよ」


 急な話題転換を怪訝に思った。だが、そういえば、このために城戸の部屋を訪れたことを思い出す。


「いいけど。お前、今はもう、Subなのか」

「本当に分からないんだね。外ではDomにしてたけど、部屋に入ってから、Subになってるよ」

「じゃあ、まずは、セーフワードを決めるところからか」


 昨日図書館で本を借り、ネットでも調べたプレイの手順を脳裏でなぞるが。


「なくていいよ」


 ベッドから立ち上がった城戸がしれっと言う。

 真紘は、は、と眉を顰める。


「いや、駄目だろ。教本にも書いてあったし」

「本当に勉強してきたんだ。先輩真面目だね」

「……お前まさか、日頃のプレイからセーフワード決めてないとか言わないよな」

「さすがに決めてるよ」


 それにちょっぴりほっとした。

 SubはDomのコマンドには逆らえない。逆らえたとしても、確実に澱が生じて精神が乱れる。出されたコマンドがどれだけ酷い者だったとしても、SubにとってDomが出すコマンドは線路で、それを破ることは進むべき軌道から外れてしまったと本能は判断する。下手をすれば、Subdrop、精神が極度に崩壊したパニック状態に陥りかねない。

 そのリスクヘッジとして、セーフワードは存在する。セーフワードはSubが唯一持つDomへの抵抗手段だ。パートナー間で定めたその言葉をSubが使えば、Domの精神に負荷掛かり、その行動を制限することができる。

 中にはあえてそのリスクを楽しむ奇特な者いるらしいが、互いの精神を快く保つためにセーフワードを事前に定めつつNG行為や好悪をしっかりと共有することがプレイの基本である。

 城戸が性に奔放なのは勝手だが、その点を守っていない、リスクのある行為を楽しんでいると知ったら、ちょっと嫌な気分になってしまいそうだった。

 ……さっきは城戸のことをどう思っているか尋ねられ、好きでも嫌いでもないと答えたけれど。

 そんなことを考えたり、ほっとしたりしている時点で、もしかして自分は結構、城戸のことを気に入っているのだろうか。

 少し考えてみるけれど、やっぱり、好きや嫌いの枠組みに振ることは難しかった。

 けれど、底の見えない笑顔はさておいても、たまに見せる驚いたり困ったりするあのあどけない顔は、悪くない。


「先輩、今日プレイはじめてでしょ。変なコマンドを出すとは思えないし。そもそも、俺、先輩になら何も命じられても構わないよ」


 なるほどそういう信頼かと思った直後に、この男はなんてことを言ってくる。本心からなのか。

 彼がもし、今本当にSubに切り替えているのならば、ただの冗談にはならないことだ。ここで真紘がコマンドを出してしまえば、プレイははじまる。城戸は抗う術を失う。もしかしたら、コマンドに支配されきらない自信が、いざというときには肉体で抵抗する自信があるのかもしれないけれど。

 もしそうだとしても。なんか。なんというか。


「城戸」


 名前を呼ぶと、城戸はベッドのそばで腰を屈めた。微笑みを浮かべたまま、じっと真紘を見据える。まるで、主人の言葉を待ち侘びる忠犬のように。

 もしかしたら、彼の中ではプレイがはじまっているのかもしれない。だとすれば、ここでコマンドを使わない方が、精神に響いたりするだろうか。

 たしかに城戸の言うとおり、真紘はプレイがはじめてだ。変なコマンドを出すつもりなんて毛頭ない——それでも。

 真紘はベッドのふちに這い寄る。


「それは、お前をぞんざいに扱っていい理由にはならない。お前を消費しかねないことをしていい理由にはならない」


 城戸の両頬に手を添える。なるたけやわらかな声で、けれどしっかりと伝える。

 さっきも抱いた感情だった。

 城戸は綺麗な笑顔を浮かべて、その底を見せないけれど、見せないからこそ。好悪はさておき、そういうところは気に食わないと思っていたのに、それ故にか。

 城戸が無理していないか、なにかが減ったりはしていないかが心配になってしまうのだ。誰にも見えないところで。ともすれば、本人も気づかずに。

 まぁ、真紘がどれだけ考えたところで、城戸の本心を当てることなんてのは不可能だ。所詮、他人なのだから。

 だから、杞憂かもしれないし、余計なお世話かもしれない。本人に真っ向から確認したところで、はぐらかされるだろう。

 だから、真紘の視界にいる間だけは、勝手に心配する。その間だけは、彼のどこか破滅的な部分を窘めるというと傲慢だけれど、もう少し自分を大切にした方がいいんじゃないのという真紘なりの意見をぶつけてみようと思う。言うだけなら、タダなのだから。


「だから、セーフワード決めるぞ——」


 言って、ふと、違和感に気づく。

 真紘を見つめ返す城戸の瞳はまんまるに見開かれていた。その薄色は水をたっぷりに含んだ絵の具が滲んだみたいに輪郭があわく蕩けていた。


「城戸?」


 異常に感じて真紘が呼ぶと、城戸は今まで呼吸を忘れていたかのように、は、と短い息を吐き出した。

 それから城戸は真紘の脚にくったりと身を寄せ委ねてきた。


「え、どうした、具合悪くなったか」


 もしかして、プレイを意識していた城戸を前にして出さなかったせいか。ケアはどうやるんだったか。慌てて昨夜仕入れたばかりの知恵を脳裏で捲る——。


「あつい」

「ね、熱か」

「頭とか、指、痺れて」

「まじか、救急車呼んだ方がいいやつか」

「すごい、きもちいい」

「きもちいい……きもちいい?」


 どういうことだと瞬く間に、城戸は、たぶん、と口を動かした。


「spaceだ」

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