第2話
たまにトイレに行った客が帰ってこないことがあり、その原因は大体三つのパターンに分けられる。
単純に腹具合が悪いか、酒の飲みすぎで吐いているか、トイレで事に及んでいるか。
二人組が帰ってこない場合は高確率で一番最後のパターンが当てはまる。我慢しきれなかったとか、プレイルーム代をけちってだとか、プレイルームには犯罪防止のための監視カメラがあるからそれを避けるためだとか……理由は様々だがなんにせよ、プレイルーム以外でのプレイは店が掲げている禁止事項のひとつだ。
働きはじめた日に先輩からその説明を受け、実際二週間のうちに真紘いずれのパターンにも遭遇した。そして、真紘がいるときに三パターン目の可能性が発生したら確認担当を請け負うのが定着しつつあった。
万が一トイレでプレイが行われていた場合、それを邪魔したらDomからGlareを浴びせられる可能性がある。
GlareはDomが怒りや支配欲が高じると自然に出てきたり、意図的に発することもできる、凄まじい威圧感を持つオーラのようなもの。Subがそれを浴びれば、強い恐怖を抱き、下手をすれば精神が崩壊してしまうこともある。
今日のホールスタッフは半分はSub。残りは真紘以外全員Neutralで、先にインカムに連絡を入れてきた先輩もNeutralだ。マニュアル通りなら先輩が行っても問題はないのだが……少々特殊な事情がある。
Domが放つGlareは同性、それからNeutralも感じ取ることができる。そしてGlareのプレッシャーが強ければ強いほど、Subほどではなくとも恐怖を抱いたり、気分を悪くしたりしてしまうことがある。
だが、真紘はどういうわけか、Glareを一切感知しない体質を持っていた。
友人にDomとSubの男女カップルがいる。あるとき、彼女の方と真紘が不慮の事故でうっかり触れ合ったら、彼氏が牽制のGlareを出してきた。その後、仕方のない事態だったのに申し訳なかったと彼氏に謝られたが、真紘にはちっともぴんときていなかった。
それ以外にもちょっぴりトラブル吸引体質なところがある真紘はDomにGlareを浴びせられる機会が何度もあったのだが、どれも無傷どこか無感。なにかのついでに医者に話したら興味を持たれて、第二性研究の協力者として定期通院する羽目になったくらいには世の中的に珍しい体質らしい。
真紘が第二性欲を持たないのもそれと関係があるかもしれないしないかもしれない……と未だに原因究明はできていないが、なんにせよ、そんな体質の人間が居るのならそいつが率先してGlareを浴びせられるかもしれない現場突っ込んだほうが被害が最小で済んでいいだろう、と真紘自身も思う。それに頼まれると断れないし、頼られるのは嫌いではない。
男子トイレに入ると、閉ざされているドアは最奥のひとつだけだった。足音を消しながら近づきドアの向こうに耳を澄ませると、ボソボソとした話し声と啜り泣くような声が混じって聞こえた。これは当たりかもしれない。
(いや、どっちかっていうとはずれか)
しょうもないことを考えつつ、ドアをノックする。と、声は唐突に止む。
「すみません、お客様。しばらくこちら使用されているようですが、体調など崩されましたでしょうか」
「……いいえ、大丈夫です」
無愛想な声が返ってくる。
「必要であれば、お薬をご用意いたしますよ」
「本当に大丈夫ですから」
「お連れ様も、本当に大丈夫ですか」
「……」
ごまかしもなくだんまり。どんどん黒に染まっていく。
「上の者を呼んできますね」
そう告げると同時、トイレのドアが勢いよく開いた。すんでのところで躱すと、やつれた男が出てきた。無精髭にくたびれたスーツを纏う彼のその背に目を向ければ、霰もない姿にされた青年が力なく泣きながら謝罪の言葉を零している。これはだいぶよろしくない状況かもしれない。
「お客様、トイレでのプレイ、合意でないプレイ、どちらも当店の禁止事項でございますが」
「そのSubから唆してきたんですよ」
どうしたってそんなふうに見えないが……とにかく、あの状態の青年に矛先が向いては最悪Subdropに陥る可能性がある——精神が極度に崩壊し、肉体にも支障が出て、生死に関わる事態になってしまうかもしれない。真紘は密かにひとつ呼吸をして、まっすぐに男を見据え、微笑んだ。
「私にはお客様の方が性欲旺盛に見えますよ。拒否できなさそうなSubを見繕っては無理やり連れ出しては悪いことしてそうな雰囲気だなって」
「なんだと」
男の表情が一気に赤く厳しくなる。煽りにしてもあからさますぎるかと思ったが、ちゃんと効いてくれたらしい。
インカムはオンにしてあるから、警備の手配はすでにしてくれているだろう。ならば、今はとにかく時間が稼げればいい。
「もう一度言います。トイレでのプレイ、合意でないプレイ、どちらも当店の禁止事項でございます。こちらもできる限り手荒な真似はしたくありませんので、大人しくスタッフルームに来ていただくことはできませんか」
「くそ、邪魔しやがって! プレイクラブでプレイして何が悪いってんだよ!」
男がこぶしを振り上げる。大ぶりな予備動作は、あまり喧嘩慣れしていなさそうだ。男の動きを目で追い、その拳を躱そうとしたとき。ぱしゃっと音がした。
「罪状が増えますよ、お兄さん」
そこにはスマホを構えた金髪の美丈夫——城戸がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。