まだ、剣を振るう力はある―――
「はっ、はっ、はっ……」
戦闘開始から早二時間。未だ多くが入り乱れる戦場で、激しいつばぜり合いと幾度も交差する剣撃。右手にサーベルを握るカリアは大きく息を上げている。だというのに、だ――
「何だコイツは…!」
相対する槍使いの男は言いようのないプレッシャーを感じていた。
この女剣士、弱くはない。しかし戦士としては明らかに素人で、初陣であろうことはすぐにわかった。常に全力―――周りの状況が見えていない、緊張で見る余裕がない。戦場は命のやり取りの場であるが、それゆえに常に余力を残すものである。戦闘には全力が必要になるタイミングがあって、その好機を制するかどうかが勝利の鍵となる。それまでは弱者から削り、数を減らして有利な状況にもっていくのがセオリーである―――少数対少数がメインのエレステルよりも大部隊による決戦の経験が圧倒的に多いジャファルス、その中でも熟練の域にあるこの男は、それをよく理解していた。案の定、エレステル兵は個々の力を上手く発揮できていないように見える。今相手をしているこの女もその一人だと見抜いた。
だが、疲労が垣間見えるというのに、槍は女剣士に届かない。それどころか防御一辺倒の剣がますます冴えわたっているように感じられ、いよいよ「勝てないかもしれない」と考え始めてしまったのだ。こうなると取るべき選択肢は二つ……捨て置いて他へ行くか、後のことを考えて今潰しておくか。しかしこの女、まるで視線を外す気配がない。まるで獣の目だ……隙がない。
…構えを変える。槍使いは後者を選択した。多対一の状況になれば苦もなく勝てるだろう。だが、この手の輩は一対一なら大将でも殺す。そういう機会があれば必ず貴重な駒を狩ってしまうだろう。敵の切り札となりうる存在を生かしておくわけにはいかない。
姿勢を低くし、一撃必殺の突撃体勢をとる。しかしこれはフェイクだ。初撃は急所を狙うと見せかけて敵の武器を弾き、空いた所にとどめを刺す。高速の二段突きは槍の基本ながら、極めれば必殺技に昇華する。女は最警戒……それがすでにドツボに嵌まっているのだ。
息を吐ききり……仕掛ける! 高速の槍は剣の間合いの外から真っ直ぐ女の左脇腹へ―――右利きの剣士には最も防ぎ辛い箇所の一つだ。仮に剣を構えたとて―――
ギャリィンッ…!
――手首を捻り、スピンを掛けた突きを相手の武器の芯から少し外した位置に捻じ込むことで弾き飛ばす。針を通すような精密攻撃さえ間違えなければ片手剣程度、ましてやサーベルのような軽量武器を弾くなど造作もない。ここから腕は大きく引かず、自ら大きく踏み込むことで、至近距離から反動を付けての二撃目―――渾身の突撃から超クイックの連続片手突きが襲うのである。初見でこれを防いだものはいない。今回も理想通りの形で仕留めた……かに思えた。
ぎいぃん…。
「なっ…!?」
再びの鈍い金属音……右手首が痺れるほどの重い衝撃で弾かれたのは自分の槍の穂先だった。そして穂先の延長線上には―――鞘だ。腰に佩いていた鞘が女の左手に逆手に握られている。この衝撃は……鉄製か!? 利き腕でないほうの腕でこれほど振れるという事は、まさかこの女は……!
女の瞳がこちらを捉えた。本能的に危機を察知した男が間合いを離そうとするが、すでに女が詰めていた。
「しまっ…」
後は言葉にならず、男は剣と鞘の三連撃を食らい、倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
女―――カリアは息を整えながら男を見下ろす。まだ死んではいないが、もう立ち上がることはできないだろう。
「強かった…」
自然と感想が口からこぼれた瞬間、背後に気配を感じる。剣を振るよりも肩を掴まれたのが先だった。カリアは一瞬身体を強張らせるが、
「あっ……お前か…」
アケミだった。
「………どこかやられたのか?」
カリアがそう訊ねたのは、アケミが余りに血まみれで返り血なのかどうか判別できなかったのと、表情が酷く暗かったからだ。
「いや………」
アケミはそこから中々話さず、言葉を選んでいるようだった。そうして立ち止っている間に敵が剣を振りかざして向かってきたが、「邪魔だ」とアケミの振り向きざまの一刀で事切れた。
「…おい、なんだ、早く言え! こんなところでじっとできないだろ!」
「……そうだな」
カリアに向き直ったアケミは鼻から大きく息を出し、ようやく口を開いた。
「イオンハブスの陣が襲撃されて、アルタナが連れ去られた。一緒に来るか?」
カリアはすぐに理解できなかった。正確には、理解はしたが思考停止し、飲みこめなかったのだ。ただ、アケミの最後の言葉だけが引っかかった。
「…当たり前だろ! 私は近衛兵だぞ!」
カリアがどん、と肩を押すと、ようやくいつものアケミの表情に戻った。
「フ、そうだったな。ついてこい!」
アケミを追って走り出してカリアは気付く。身体が重い。不安と焦燥で脚が動かなくなって、このまま立ち止ってしまいそうだ。
(アルタナディア様……!)
ただ胸の内で想い、叫び、右手のサーベルを強く握った。
アケミたちがアルタナディアを追って戦場を離脱して、さらに三時間。時刻は午後三時を回る。エレステル正規軍からしてみれば、思わぬ長期戦となっていた。理由は一つ。戦闘の中盤において形勢が不利と判断した反乱軍側が柵を設置し、弓による遠距離戦に切り替えたからである。正規軍はなかなか接近できず、かといって相手が撤退しないかぎりは無視することもできない。この作戦はあらかじめ組んだ柵と大量の矢を用意しておかなければならない。おそらくジャファルス主導によるものだろう。
「あちらのことはシロモリに伝えずともよかったのですか?」
馬上で副長のブリッシュが訊ねるが、轡を並べるバラリウスは特に大きな反応を示さなかった。バラリウス達第一大隊の一部は現在戦線から離脱し、本陣へと向かっている。
「フム…伝えぬ方がよかろう。あやつは今回の事に責任を感じておる。アルタナディア女王に対して、外交の手段以上に個人的な情が湧いておるのであろう。バレーナ陛下と幼馴染みのあやつならばその方がよいが、なればこそ知れば裏目に出かねんからな。あやつは生来本能で動くタイプであろう? 目標を一つにしてやれば十分な成果を持って帰る」
丘の上の本陣に到着する。本陣はベルマン以下直属の三百名以外は入れ替わりで一時撤退した者ばかりで、負傷者も多い。
バラリウスは騎乗したままベルマンに頭を下げる。
「御大、申し訳ありませぬ。ここはお任せいたす」
「うむ。予想通り……というか、このタイミングしかないからのう」
「ところで前線の指揮はどちらに引き継げばよろしいか?」
「ワシが出る」
「なんと!? 御大自らが!?」
さすがにバラリウスも驚いた。鼻息荒いベルマンの隣でナムドは小さく肩を竦めている。
「しかし御大はしばらく最前線から離れていた身……復帰戦にはいささか厳しいのでは?」
「お主までそんなことを申すのか! このベルマン=ゴルドロン、未だ現役よ。その証拠に、今日はそれを使う」
ベルマンが指したのは荷台に乗っていた超大剣―――アケミが使った斬馬刀だ。
「ベルマン様、それを使うのですか!?」
「む……ナムド、ワシには扱えぬと思っておるな」
「いえ、そうではなく……シロモリ殿は自分の武器に他人が触れることを極端に嫌うので…」
「これだけあるんじゃから一つくらいよかろう……どうしてこんなに持ってきておるんじゃ?」
アケミ(に連れられたカリア)が引いてきた荷台には斬馬刀、長刀四本、刀十本の他に、槍二本、弓矢、短刀、手斧……一部隊分くらいの武器が入っている。
「ブロッケン盗賊団と戦った時は五十人程度斬ったところで長刀を折ってしまっておりますからな。その対策でありましょう」
「とすると、今回アケミは五百人以上の首を落とすつもりじゃったか」
「いやいや、千人かもしれませんぞ」
「「ワハハハハ!!」」
ベルマンとバラリウスが声を揃えて笑う。この辺り、ナムドは波長が合わない。
「そう聞いたからには俄然やる気になるのう」
ベルマンは斬馬刀を握り、片手で持ち上げる。巨大な鉄塊が、まるで重量を感じさせないほど軽々と振り上げられる。
「どうじゃ?」
「…………」
ナムドは驚き半分、困惑半分。
「もうご自由になされませ、御大。誰も年寄りの冷や水などと陰口を叩きませぬ」
「一番悪口を言うておるのはお主じゃぞ、バラリウス。よし見ておれ、ワシがこの戦で一番の武功をあげるぞ! そしたらバラリウス、お主は第二大隊全員に酒を振る舞えよ」
「冗談を申されるな!? 破産して、嫁を迎えることもできませぬ」
「「ワハハハハ!!」」
また笑う。一体どこが笑いのポイントなのかナムドにはわからない…。
「さて、行くかのう…バラリウス、くれぐれもな」
「お任せあれ。シロモリの方もお頼み申す」
「うむ。ナムドよ、全体の指揮はお主に任せる。こういう機会も滅多にあるまい、ワシを上手く使ってみせよ」
「…わかりました」
「ではいくぞい!」
直属の部下から精鋭百名、そして休息していた五百名を連れ、白き大熊が出陣する。勢いよく飛び出した六百名の先頭を行くベルマンの馬が斬馬刀を持つ右側に傾いて走っているのを見て、バラリウスは苦笑した。
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