アルタナディア姫が十七歳になり、その四日後――。(1)

 第十二代イオンハブス王―――アルタナの父であるガルノス王が崩御したのは、アルタナディアが十七歳になった次の日だった。病床の父王の身を案じ、誕生日の式典やパーティを行わなかったのだが、父王は苦しむ身を起こして娘を祝い、その翌日に息を引き取ったのだった。

 それから三日後。今は追悼式典の最中だ。覚悟をしていたはずが、いざこのような事態になると、悲しみを超えて虚しさすら覚える。すでに母も兄弟も亡くしたアルタナディアには父親の死を悲しむ暇などない。あらかじめ予定されていた段取り通りに式典が進められる。アルタナディアの役目は父に代わる王族の顔として関係各位に挨拶することだが、自身の目的はそれとは別にあった。

 王の死とは、すなわち権力の移行を意味する。しかしガルノス王の遺児はアルタナディアのみ。他に継承権を持つ者はいない……。

 十七歳になったばかりの姫君に政治の善し悪しなどわかるはずもない―――世間の見解は当然そうなる。アルタナディアが選択する道は二つしかない。すぐに適当な人物と結婚して王を立てるか。または後見人を立て、王を迎えるまでの一時的な代理として玉座に着くか……その流れはすでに周知の事である。その中でアルタナディアは、擦り寄ってくる有象無象からこれからのイオンハブスに役立つ人材を選別し、権力の座を欲する輩から己の身を守らねばならない。王の死は、陰謀の始まりなのだ。

 そんな様々な思惑がひしめき合う追悼式典の合間、アルタナディアは近衛兵のカリアを呼ぶ。

「お呼びでしょうか、姫様」

「水を一杯持ってきてください」

「かしこまりました」

 カリアはすぐさま準備に走った。飲み物を持ち運びするのは給仕の役割であり、しかも式典会場には飲み物が山ほど用意されている。誰にでも一声かければ済むものをわざわざカリアに言うのは、万が一の毒物を警戒してのことだ。カリアもそれを承知している。

 カリア=ミートは下層貴族出身の騎士見習いだった。アルタナディアが自分の護衛にと、二年前に唯一の専属近衛兵として採用した。年齢は十八とまだ若輩だが、女だてらに剣の腕はなかなかのものだ。加えて実直であり、アルタナディアの数少ない味方である。

 会場を去るカリアを一瞥した後、アルタナディアは改めて式典会場を見回した。プログラムは王への献花へと進んでいる。これが最後の別れになるのだが、席に着いている臣下の半分は王に目を向けていない。残り半分の内、三分の二は自分を注意深く観察している。その視線にどのような意味があるのかはわからないが、全ての様子をアルタナディアは静観する。

 と、会場の空気が変わった。衆目が入り口に現れた人物に集約していく。アルタナディアもその動きを追い、息を止めた。

 バレーナ=エレステル王女。イオンハブスの分国であり、兄弟国でもあるエレステルの統治者であり、アルタナディアにとっては姉のような存在だった。

 バレーナは今のアルタナディアと同様に二年前に先王を亡くし、一人娘であるバレーナが国を治めている。エレステルは武力に特化した軍事国家としての側面が強く、当時十七歳で武国の頂点に君臨したバレーナの噂は諸国に広まっていた。

 文武に秀でて聡明でもあるのだが、それよりもバレーナが君主たりえた要素は、その絶対的なカリスマ性と美貌だった。鮮烈な気迫と美しくも鋭い眼差しが、何人も逆らうことを許さないのである。その上、諸国で猛威を振るった大盗賊団をも平伏させており、「黒百合の戦姫」と呼ばれるほどだ。

 今とてそのオーラを存分に放っている。供も連れていないバレーナが一歩踏み出すごとに、人々が道を開けていく。バレーナは喪服姿すら洒落たドレスを着ているように感じさせる魅力を持ち、場違いなファッションショーのようですらある。

 献花台へと近づくバレーナを見守る内に、アルタナディアは不可解なことに気付いた。バレーナの手には赤いバラが二輪ある。

「ガルノス王……もう一人の我が父よ。貴方から受けたご恩と教えは片時も忘れることはありません。貴方の残されたイオンハブスとエレステル両国の繁栄にこの身を奉げることをここに誓います。ガルノス王よ、我が父・ヴァルメアと共に安らかであらせられますよう、心よりご冥福をお祈りいたします……」

 跪いたバレーナは、一輪のバラをガルノス王の遺体にそっと添える。誰もがその様子を瞠る中、アルタナディアはバレーナに歩み寄っていった。

「バレーナ王女。亡き父へのお心遣い、感謝いたします」

「お悔やみ申し上げる、アルタナディア殿下」

「殿下などと、お止めください姉上。私は…」

「アルタナディア様!」

 場もわきまえずカリアが駆け込んでくる。カリアは直情的過ぎる傾向があるが、頼んだグラスを忘れるほど粗忽者でもない。何か急な事態だということは知れた。

「何事ですか」

「しばしお耳を拝借したいのですが……」

 カリアがバレーナにチラリと目を向ける。

「構いません。バレーナと私は姉妹同然の間柄。隠すようなことなどありません」

「……でしたら申し上げます。会場の傍に不穏な気配がございます。見慣れぬ者どもが組織立って動いているようなのです」

「ほう……そのようなことに気付くのか」

 あざ笑うようなバレーナの物言いにカリアは眉根を寄せる。

「そのようなこと、などと……あの、アルタナディア様、こちらのご婦人は……」

「バレーナ=エレステル王女。現在エレステルを治めておられる方です」

「え!? こ、これは、失礼いたしました…!」

「気にするな。続けろ」

 カリアがバレーナ王女の顔を知らないのも無理はない。まだアルタナディアの外遊に付き従ったことがない。対し、バレーナは一笑に付すことで許す。

「で、では……先ほど申し上げた気配ですが、クーデターの予兆なのかもしれません。しかしそれにしては妙なんです。表立ってはいませんが隠れてもいません。堂々としすぎています」

「…それは違うな。革命を起こす人間は信念に満ちている。己の正義を疑わぬゆえ、何者をも恐れぬのだ」

「何を……あっ!?」

 アルタナディアがカリアを押し退けるのとバレーナがアルタナディアを引き寄せたのは、ほぼ同時だった。

「者共、聞くがいい!」

 壇上で高らかに声を上げるバレーナに会場が静まり返る。

「我がエレステルはイオンハブスに対し、宣戦を布告する!」

「なっ…!」

 カリアはもちろんのこと、その場に居合わせた誰もが耳を疑った。動揺が支配する中、どこからとも無く忍び込んできた小柄な少女がバレーナの足元に跪く。

「ミオ、首尾はどうか」

「会場周辺と城の中枢の制圧は完了しました。騎士団の一部が立て篭もって抵抗を続けています」

「ならば―――これをもって終わりとしよう」

 アルタナディアの胸元に真紅のバラが叩きつけられる。そして散った花弁が床に落ちる前に、白い首にナイフが突きつけられていた。

「姫様っ……貴様っ!」

 カリアが剣を抜き、切っ先を真っ直ぐバレーナに向ける。しかしバレーナは意に介さない。

「状況が見えんのか? 姫の命は私の手の内なのだぞ」

「同じことを私も言わせてもらう……姫様に少しでも傷をつけてみろ、貴様の命はないぞ!」

「クッ……フッフフ…! 威勢が良いな。ミオ、相手をしてやれ」

「御意」

 アルタナディアより小柄な少女が短剣を抜き放ち、鋭い動きでカリアに切りかかる。途端に会場は騒然となった。

「バレーナ、貴女の目的は何なのです」

 刃を当てられてもアルタナディアは気丈だった。即座に命を奪われかねないこの状況で、まるで傍観者のように落ち着き払っている。対するバレーナもまた、悠然とアルタナディアを見下ろしていた。

「目的というほどのものはない。ただ、我が国とこの国がこれまでの関係を続けるのに値するかという話だ。見ろ」

 バレーナの視線の先ではカリアとミオが切り結んでいる。両手の短剣を自在に操るミオに、カリアは劣勢だった。起死回生を狙った一撃もかわされて、右腕を切られてしまう。剣を落としたカリアをすばやく組み伏せ、ミオの刃がカリアの首筋に落ちる―――

「止めなさい!」

 ミオの手がピタリと止まる。アルタナディアの声だった。バレーナからも無言の合図を受け、ミオはカリアの鳩尾に一撃加えて開放した。

「姫のガードにしては脆弱だな。しかも短絡的だ」

 もんどりうって立てないカリアにバレーナは冷たく吐き捨てる。

「私を討てば全面戦争は避けられんぞ。姫君と重臣を抑えられた状態で開戦するつもりか?」

「くっ…!」

「愚か者が。そんな有様だからアルタナは貴様を突き放したのだ」

「そ、そんな…!」

 カリアは痛みに呻きながらアルタナディアを見上げるが、主は何も答えない。そんな二人を見てバレーナは失笑する。

「しかし……この娘が未熟なのはまだしも、誰も加勢しないのはどういうわけだ? 会場を囲んでいるとはいえ、今この場には私とミオの二人しかいないのだぞ? 上手くすれば私を人質に取り、事を運ぶこともできよう。それとも女子供に剣を向けることはできんのか? この国の臣民は実に紳士的だな」

 挑発する瞳が会場を見回すが、反論も反抗もない。皆、状況に呑まれている…。

「この通りだアルタナ。イオンハブスとエレステルは五百年以上もの長きにわたり盟約を結び、兄弟国として名高い歴史を築き上げてきた。しかし兄弟といいながらその実、対等の立場だったのか? イオンハブスを囲むエレステルは常に外敵からの脅威を一身に受けてきた。戦場に立ち、身体を張るのは常に我らだった! だというのに、この国には我が国を属国とする偏見も根強いようだな」

 衆目のいくらかが顔を背けるのを見て、バレーナは冷たい眼差しのまま哂う。

「フン……属国だと言うのならば、上に立つだけの証を見せよというのだ。しかし貴様らは権力の行方に夢中で、堂々と侵入した我が軍に気付かないばかりか、抗うこともせん! それで対等のつもりか? 笑わせる……。さあどうするアルタナ? 残念ながらお前の臣下は腑抜けばかりのようだ。大人しく降伏しろ」

 アルタナディアの顎が剣先で上げられる。足元には赤いバラが落ちている。王に奉げたのと同じバラは、手向けの花ということ―――すなわちアルタナディアに残された選択は死か、降伏か。誰もが王女の返答を固唾を呑んで見守っている。

 アルタナディアの答えは―――

「敗北は認めます。しかし、降伏はしません」

「ん…?」

 皆が内心首を傾げた。

「何を言っているアルタナ……降伏しないということは敗北を認めないということだ。徹底抗戦ということか…!?」

「戦うのは無意味です。今の私にはエレステルと争うだけの戦力もなく、即座に国を纏められる力もない……それは認めざるを得ません。しかし私はこの国を預かる身です。玉座を敵に明け渡すことはできません」

「そうか……ならば、死を選ぶということだな…」

 バレーナの手にぐっと力が込められる。刃は喉元を少しずつ押し込み、プツリと破れた肌から赤い血が……!

「止めろぉっ―――!!」

 カリアが絶叫する。

「……フン。かばい合うのが精一杯か」

 バレーナはゆっくりとナイフを引いた。

「それで国を背負ったつもりかアルタナ。しかしどれほどの者がお前に期待しているのかな」

「…………」

「…まあよかろう。そちらにとってみれば騙まし討ちも同然、突然降伏勧告をされても戸惑うよな。貴様らイオンハブスに一日だけ猶予をやろう。自らの道を選び、なんなりと準備するがいい。……ああ、しかし無償というわけにはいかん。今回の戦利品は頂かねばな」

 バレーナはそう言ってアルタナディアの桜色の後髪を乱暴に掴み――――ナイフで切り取った。

 その光景は首を刎ねられたのに似て、それ以上の屈辱であり、完膚なきまでの敗北の印だったのだ。



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