第9話 死交

 誰かと笑っていた。

 あれは、誰。


 誰かはわからない。

 わからないけれど。

 でも。


 でも、リナは笑っていた。

 あの眩しい笑顔で、誰かに。


 その笑顔は私に向けられたものではなくて。

 私ではない誰かに向けられていたもので。


 私じゃ。

 私じゃなかったのだろうか。

 

 数日前まで、そこに私がいたはずなのに。

 

 今すぐ彼女に問いたい。

 リナは、私が好きなんじゃないのと。


 私が好きだって言ってくれたのにどうして知らない誰かにそんなに笑いかけているの?

 私とはしゃべらなくなったのに別の誰かとはそんなに楽しそうにできるの?

 私の事はもう嫌いになったの?

 そんなに私はダメだったの?


 疑問はたくさん出てきてけど、何も言葉にはならなくて。

 私はただ1人、部屋の中で座り込むだけ。


 本当に昔からそうだ。

 この時間は1人で部屋で座り込むのが私の通例である。


 だから、同じに戻っただけなのだろう。

 別にそんなに特別なことではない。


 リナが別の人を好きになったって。

 私のことを嫌いになったって。


 結局のところ、私が独りであることには変わりがない。

 私はまた独り。

 いつまでも、ただ独りだ。


 だから、これが普通のことなんだ。

 悲しむ必要なんてない。いつも通りの日常に戻っただけ。私は何も思う必要はないんだ。悲しむことなんてない。私は今まで通りなんだ。普通で普通であるべきなんだけれど、でも。


 どうしてだろう。

 どうしてこんなにも心が沈みゆくのだろうか。

 私はこんなにも孤独に耐性がなかったのか。


 いや、そんなことは、初めからわかっていた。

 私はずっと誰かと共にいたかったのに。


 でも、誰もいない。

 もう私の周りには誰もいない。


 いや、誰かはいるのかもしれない。

 私の魔法を求める。誰かはいる。何も知らぬ、顔も知らぬ、私の魔法だけを求める誰かはいるのかもしれない。

 でも、そんなの私と共にいるわけではない。


 それに、私はもう知っている。

 私は気づいてしまった。

 

 私はもう誰かを求めているわけではない。

 私がそばにいて欲しいのは誰かではない。


 誰かじゃなくて、リナに傍にいて欲しいのだろう。

 でもそれは叶わない。


 彼女は私を拒絶した。

 そして、別の誰かへと笑いかける。


 もう彼女が私を見る事は無いのだろうか。

 いや、それならまだ良いのかもしれない。


 次に彼女が私を見たとき、その目は嫌悪で満ちているのかもしれない。そうして彼女から悪感情を向けられたときに、私は私を保てるのだろうか。


 やはりどうしたかわからない。

 ねぇ、どうして?

 リナ。

 どうしてなの?


 どうして私を拒絶したの?

 私の何がダメだったのだろう?

 私の何がいけなかったのだろう?


 もっと早く言ってくれれば、私はそれを直したのに。

 もっと早く超絶してくれれば、私だってリナを好きにはならなかったのに。

 もっと早くリナが誰かを好きになっていれば、私だって諦められたのに。


 でも、もう遅い。

 私はもう知ってしまった。


 互いに好きだと囁いた、あの瞬間を。

 私たちは、お互いにわかり合っていたはずなのに。共にいることができていたはずなのに。彼女は私を見ていてくれたはずなのに。私も彼女を見ていたはずなのに。


 どうして崩れてしまったのだろう。

 あの瞬間は、どうして消えてしまったのだろう。

 あの瞬間に閉じ込まれたら、どれだけいいだろうか。


 けれども、私にあの瞬間はもう二度とこない。

 だからは、私はもう慣れるしかないのだろう。


 前までのようにこの孤独になれるふりをするしかない。

 それはわかっているけど、それがとても難しいことも同時に知っている。


 私はずっと孤独であったはずなのに、どうしてこんなにも孤独が苦しいのだろう。

 孤独に慣れていたはずなのに、どうして人を求めてしまったのだろう。

 皆が私から離れていくとわかっていたはずなのに、どうしてリナだけが特別だと思ってしまったのだろう。


 みんな私から離れていくか、私を見なくなるか、その2択でしかない事は、数少ない過去の教訓から学んでいたはずだったのに。私はどうしたらいいのだろうか。

 分からないけれど、とにかく私は1人でいるべきなのだ。そう思ったけれど。


「今日も時間ある?」


 でも、アオイは私のそばに来た。

 けれど、それを断るのも、私には難しくて、私はただ頷く。


 彼女は今私のそばにいるけれど、いつか彼女もどこかへ行ってしまうのだろう。そんなに予感かなんとなくある。

 ただの不安なのかもしれないけれど、そんなふうに思わずにはいられないのが私なのだろうだろう。こんな私だから1人になってしまうのかもしれないけれど。


「午後の授業はさぼろうと思う。どう?」


 アオイは真面目そうな顔で、そういった。

 別にそれ自体は問題は無いけど、彼女がそういうことを言う人だとは思えなかったから、私は少し驚いた。


「まぁ、別に良いと思うけれど」


 でも、別にそれを私が否定する理由はない。

 別に誰が授業をサボろうが私には関係のないことではある。それに、昨日のを見る限り、アオイは別に試験も簡単に突破できるだろうし。


「一緒にさぼろう。その辺で話でもしない?」


 アオイは真面目そうな無表情でそう言う。

 それも別に私に断る理由は無いのだけれど、なんとなく今まで通りの警戒が私の中に出てくることを感じる。それにこの不安や警戒に従っていたほうが良いのではないかと思う。


 もしも本当に私れるのなら、アオイとも仲良くしていたいのだけれど、素直になった結果がリナとの関係の決別だと言うのであれば私はこの警戒に乗っ取るべきなのではないだろうか。


 それなら関係の構築はうまくいかずとも、関係の破壊を免れることができるだろう。


 そう思えば、断ることが最善だったのだろうけれど。

 でも、私はなぜかアオイと共に図書館に来ていた。


「好きな物語はある?」


 彼女はそう私に問う。

 私は少し悩んで答える。


「王道だけれど、凝血と流血とか……」

「それは私も好き。なら解錠破裂論争は知ってる? それも面白いと思う」


 第二学校時代の5年間のほとんどを1人で過ごした私は、それなりに本には明るいつもりだったけれど、アオイは私以上に小説に詳しかった。


 それから私たちは次の日も、その次の日も午後は図書室で過ごした。

 それはとても穏やかな時間で、その時間は少しだけリナのことから目を背けることができた。


 互いにお勧めの本を教え合い、次の日にその感想を交換する。

 ただそれだけのことだったけれど、こういうことすら孤独な私には経験がなくてとても新鮮な行為だった。


 それにアオイの教えてくれる本はとても面白くて夢中になってしまう。

 小説の中で夢中になっていれば、少しは沈黙のはびこる部屋で一人きりであることを気にしないようにできる気がした。


 それでも私が独りであることには変わりない。それはページをめくる瞬間に、本を閉じた瞬間に、飲み物を取りに行く瞬間に感じる。感じてしまう。


 でも、もう忘れるべきなのだ。

 リナの事はもう忘れなくちゃいけない。

 いや、完全に忘れるのは無理だろう。

 リナは今でも深夜になれば、この部屋に帰ってくるのだから。


 私が真に独りであることを忘れてはいけない。そうしないと私はきっとまた同じ失敗をしてしまうだろう。もうこの気持ちがあったって苦しいだけなのだから。


 そんな日々を過ごして。

 長いようで、短い1カ月が経過する。


 その間、私は一度も午後の演習には参加しなかった。

 リナとまた鉢合わせになるのが怖かったから。


「今日は少し別のところに行きたいんだけれど、いい?」


 ある日、アオイはそう言って、私を誘った。

 私には、もう断ると言う選択肢はなくて、少しだけ悩んで、首を縦に振る。

 

 そうすると、軽い沈黙が流れる。

 返答を間違えたかと思ったけれど、すぐにアオイは言葉を出す。


「それじゃ、ついてきて」


 アオイは無表情のまま歩き出す。

 それはいつものことだけれど、なんだか違う風に見えた。

 それが何かはわからない。

 

 でも、歩き出した彼女に、私はただついていく。疑問はあれど、それぐらいしかできることもやることもない。

 午後の授業が始まったのだろう。遠くでは、生徒同士の喧騒が聞こえる。


 気づけば、見慣れぬ風景のところへと来ていた。

 今はもうほとんど使われていない旧校舎の1つに来ていた。


 アオイは、この学校に来て1ヶ月程度であるというのに、私も知らない道をすいすいと進む。同室の者に教えてもらったのだろうか。


「ここ?」

「うん。静かでしょ?」


 そこは屋上だった。

 そこは誰もいなくて、本当に静かだった。

 私も知らない場所で、人の気配すらない。


「少し道がわかりにくい。私も教えてもらった」


 それにしてもこんな場所まで来て何なのだろう。

 何か人がいるところでは話しにくいことだろうか。

 相談とかなら、助けたいのは山々だけれど、私では力に成れそうにない。私にできることは何もないのだから。


「どうして私はこの学校に来たと思う?」

「え、ど、どうして? えっと」


 そう言われてもわからない。

 編入してきた理由ということになるのだろうけれど、たしかにそれは疑問ではある。既にアオイの魔法技術は、学生の域ではないことは、初日の時点でわかっている。


 それなら確かにこの学校に来ても学ぶことは少ないかもしれない。

 辛うじて考えられるのは、人間関係だろうか? 国軍に入りたいのなら、この学校を経由するのが良い選択らしいし。でも、それもあれだけの魔法技術があるなら不要なことな気がするけれど……


「えっと、わからない、けれど……」 


 不思議に思いながら、アオイを見ると。

 彼女はいつもの無表情なの中に何か恐ろしいものがある。


 普段は真面目そうな顔をずっとしている彼女が、今は……いや、今も同じなのだけれど、何か私の知らない感情が見える。普段は見せないその感情の発露が何故か。

 何故かとても恐ろしい。


「目的がある。だから、もう終わりにしないと」

「も、目的……?」


 私は怯え、思わず一歩下がろうとしてしまうけれど。

 彼女は私の手を掴む。そして言う。

 

「私はあなたを殺しにきた。蘇生魔法の使い手を」


 そして鈍い音と共に、私の首に彼女の指が刺さる。

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