3-5

 縁佳は忙しい。クラスの催しにはあまり顔を出してないけど、その裏で色々頑張ってる。だから隙間時間は好きにしたらいいと思う。うん。自然と受付の椅子に収まっていた。


 ウサギカフェは良かった、ウサギが良かった。でもウサギは私に触れられてストレスになってないだろうか。私はウサギに何を求め、何を見出しているのだろうか。縁かな?そうじゃないよな、そんな大役を押し付けたら迷惑だよね。こんな風に受付中も、思い出に耽るというか、自問自答を継続しようとした。


 だが入口に近い立地なのもあって、まあ回転率があまり良くないのもあって、おかげ様で盛況している。そして行列が一番の宣伝になって、お客さんの列が途切れることはない。お客さんのそわそわした会話を山ほど聞いていると、自分の苦労が報われた気がしてくるけど、一息つく暇がない。ずっと次のお客さんが扉の前で待機している。


 心を鎮めたいという自分本位な理由以外にも、単純に私が接客に向いてないので、さっさと退散したい。人を見上げることはなるように出来るけど、どうぞいってらっしゃいみたいな声をかけるべきか否かとかとか、私には欠落している知識が多すぎる。


 それでも、誰かに代わってほしいって言い出せないので、無理して受付を続けている。目の前の行列も含め、他では賑やかな祭りの風が吹いているのに、私の周り半径30 cmだけは地球人の祭りを知らない宇宙人の風が溜まっている。うーん、宇宙には空気がないか。


「ちゅんちゅん、しまちゅーん」


 肩を叩かれ振り返るまでもなく、甘い香りが嗅細胞を痺れさせ、仕事中なのに酔いしれそうになる。私も祭りに呑まれそうになった。絶対ほっぺたが落ちるほどおいしい。食べれば夢心地。砂糖は裏切らない。


「あの、せめて受付をするか、たい焼きを食べるか、どちらかにしようよ」


 正義と食欲がぶつかった結果、中途半端に振り返ろうと腰をねじったまま、お客さんを前に固まっていた。よっよだれは垂らしてないよっ。……よし、口を手の甲で拭ってみたけど、何もないっ。明世に揺すられて、私は欲望に忠実になることを決断した。


 しゃかしゃか音を立てて、紙袋の中を漁り、たい焼きを一つ手に取る。うおー、尻尾まで粒あんいっぱい、幸せいっぱい。私にはしゃぼん玉のフレームが見える。ここは桃源郷だー。


 でも食べ終わって、口の中で甘みが幽霊のように姿を隠してから、お客さんを待たせっぱなしなことに焦燥を覚える。うわわわわ、何名様ですか、初めてですか、あと3分待っててください、はわわわ。


 空回りしていると、明世が別の人を連れてきて、受付を代わってくれた。それで私は、明世に休憩をおすすめされて、自販機エリアにあるベンチに腰掛け、残りのたい焼きを平らげることになった。この間よりも人通りは多く、たい焼きを売る屋台があったり、ここも祭りの喧噪に染まっている。


「朝からずっと受付してたけど、見たいもの無いの?」

「んー、カスタードんまんま。あっじゃなくて、どうかなぁ……ウサギぐらいしか興味ないかも……」


 もはや飲めるほど口当たりのいいカスタードを目の当たりにして、目を細めていると、明世が含み笑いを垣間見せる。


「食べるの?」

「たたた食べないよっ!」


 スーパーの特売を思い出したかのように、飛び上がりそうになった。


「じゃっ、食べ終わったらウサギ見に行こうか。実は私も気になってたんだよねぇ」

「でも……」


 自分のクラスの出し物を蔑ろにして、自由気ままに遊びに繰り出していいのだろうか。


「せっかくの文化祭なのに、楽しまなきゃ損だよ。こういうのは、満喫しておいたほうが正義なのだ」

「んー、でもさっき行ったし……」

「お化け屋敷にも周回要素を追加したわけだし、二度目は違う世界が待ってる……かも?」


 まあ、口ではなんと言おうとも、かわいいともふもふには抗えないので、再び楽園を訪れることにした。……明世の言う通り、もう一度来て正解だった。メンバーが入れ変わっている。君はさっきいなかったな?君もなぁー、かわいいかわいいよー。黒あめのような縞を纏う、よく逃げる道化師を中腰でてってこ追いかけながら、目移りが止まらない。


 もふもふが心の隙間を埋めてくれる。無論、別に毛玉が挟まっているわけではない。比喩である。でも、私にも学校行事を素直に楽しむ余地があったんだなぁ。と、アルルカンの黒い瞳に映る自分に確認を取る。そうでもなくない?と、向こうが反論してくる。


 パンフレットは一通り読んだけど、ここ以外に特段惹かれた覚えがない。そりゃあ食べ物はおいしそうだけど、だからと言って一人で回る気概もないのである。縁佳がいれば別……とも小さな私は主張なさる。


 いいや、形を持たない不満とか憤りとか文化祭さえも忘れて、ここでウサギと思う存分戯れよう、それは紛れもなく幸せなのだから。


 仰向けになって腕を伸ばし、ハレクインを支えて瞳と幸福を見つめていると、お腹の上にビターな毛色のウサギが鎮座してくる。その光沢のある毛並みには、思わず浮気してしまう。腕が二本しかないのが、本当に惜しい。ハレクインを下ろして、ゆっくり上体を起こし、シルクのように滑らかなハバナの黒い毛を撫でる撫でるなでるなでなで……。


 私はウサギには好かれるようで、ありがたいことに自分から追いかけなくても、無警戒に寄ってたかってくる。一人でウサギカフェのウサギを独占しているみたいで後ろめたさもあるけど、でもこの子たちは自分の意志で集ってるんだからねぇ?そうして、何十分何時間かが経過して、明世が喫食スペースからこちらにやって来る。


「しまちゃん、楽しい?癒されてる?」

「うん」

「そっか。それはいいことだー」


 私は力の限り大げさに頷いた。でも子供の成長に向けるような微笑みから、何だか訝しまれている感じがした。


「良かったね、ウサギカフェとか、しまちゃんの為みたいな感じだ」

「んー、私のためだよ。たっ多分」

「そうなの?」


 明世は目を丸くする。私は表情筋が緩んでいることに危機感を覚え、自分の手で頬を揉み上げて元に戻す。


「平島さんが私のために、色々……」

「あぁなるほど。確かにがすよなら、こういう事に手を尽くすよな」

「私がウサギ好きだから……」


 でもなんで、私がウサギ好きだって知ってるのだろうか。実のところ、縁佳と雑な談というものをあまりしてない。自分の言葉に疑問符を翻して、言葉が詰まる。


「アピってラビってるからかそうかそうか」


 明世はそう言って何度か頷く。こいつらはちょろ……人懐っこいので、アピらなくても構ってほしそうに集まってくる。この人は何を言ってるんだ?


「あっあぁ、うーらやましぃーぜぇー。私にも何かサプライズがあってもいいのに」

「うっうん、うん」

「どうかした?」

「えっと、えーっと、どうしよっかなーって」

「何がどうしてそうなった?」

「お礼と言いますかなんと言いますか……。私、平島さんに有益なことを何もしてないのに、よく分かんないけどサプライズしてもらっちゃって。すごく嬉しいんだけど、だけども、どう感謝を伝えたらいいのかなーって、思っちゃったり……」


 ウサギを抱えていると、ウサギに話しかけてしまう。そんな堅苦しい話を道化師にするのはかわいそう、というかそっぽを向かれたので、そっとカーペットに下ろした。自由の身になっても、ぴったり太ももの横に引っ付いてくるので、いい奴である、縁佳みたい。


「んまーそれなら、感謝するよりは、笑えばいいんじゃない?」


 明世は私の顔を端から端まで観察する。


「いや、言葉でもいいよ。りぴーとあふたーみー?うわーい。たのしー。かわいいー。さいこー。さんはいっ」

「宇和ー井田野市ー河合ー再興ー産廃」

「硬い……」


 そういう言葉は自然と湧き出てくるものじゃないのか。


「まあ、美辞麗句より素朴な感想を言ったほうが、一般に人は喜ぶと思うよ。がすよは……どうかな、まあ妖怪ではないだろ、多分」

「感想」

「どの種類が好きとか、そういうの」


 首を回して、周囲の放縦を極めるウサギたちそれぞれに思いを馳せる。言葉にできるものは少ないけど、大して興味を持ってもらえないかもしれないけど、それでも長い自問自答で編み出した歪な答えを、吐き出してみようと思った。思っちゃったら止められない性だった。


 仰々しいお返しとか憧れとか仕事とかとは、関係ない話をしてみたい。そんな目的、ないしは階段を一段上る言い訳が、私の中で渦巻いている。



 そのはずだったんだけど、私はいつものようにぐずってしまった。目的はあるにはあるけど、呼び止めるほどでも無いなーって、二の足を踏んでしまう。


 文化祭二日目、口実を積み重ねるために、出刃包丁をお客さんに振りかざす、野蛮な少女役を買って出ていた。暗がりの中でも、自分が恐れられているのを感じる。それが私の気質なのかもしれないけど、心地良いものではない。そりゃあ私だって、それこそ縁佳みたいに皆から好かれたい。でも、もし私にたくさん友達がいたら、縁佳に憧れられなくなるのかなぁ。んむむ?目的と手段が逆転しているような。


 龕灯以外に見えるものが無くて、思索が捗っていると、まあまあな力で突然手を引かれる。ちょっとぬめっとした。そうだった、この人たちは二周目だった。このお化け屋敷では、二週目は私を引っ張り出して、一緒に脱出することができる。つまりトゥルーエンドである。


 ずっとお化けとなっていた私にとって、外の光は眩しすぎる。半目より瞼を開けない。それに、視覚だけでなく聴覚も敏感になっていて、何気ない細やかな会話が集まって織りなすシンフォニーに、ウサギのように耳を畳みたくなる。


「やったぁーっ!やったよ鑓水!」

「お前うるさい。公衆の面前で、その脳みそちっちゃそうな声出すの辞めろ」

「逆になんで喜ばねーんだ、鑓水さんはよぉー……」


 私は自分が日陰者だと再認識したので、中に戻ろうと思ったのだけど、はらわたに響くのほほんとした声と共に、非破壊検査並みに凝視されたので固まってしまう。


「それにしても、凄いな」

「凄かったね。ぞくっとしたし、わくわくもしたー!」

「それもそうなんだけど、憑坐として出来すぎている、この子が」


 それは果たして褒められているのだろうか。よく分からないので、片手を自分の下顎骨に当てて、人差し指で頬を弾く。


「どこかで見覚えが?」

「よっすーと二人三脚してた人か。あたふたしてて面白かった……頑張ってたね!」

「おー、なっつかし!よっすーとは仲いいの?」


 声のでかいほうがそう問いかける。一方、私は答えにくい質問にたじろぐばかり。早くこの場を離れて仕事に戻りてー。そう心の中で嘆くも、そんなに返答に困る質問か?という疑念を含む視線が、私を釘留めする。


 根負けして、廊下の先で着ぐるみを着て宣伝している人にでも目線を合わせながら、首を縦に振る。二人を慎重に瞥見すると、ほっとしたような表情が映った。


「だと思ったぜー。息ぴったりだったもん!」

「何言ってんだ、よわよわおつむっちかよ」

「まあそんな事はさておいてね。この後さー、よっすーがダーツ大会の決勝で優勝するらしいんだよ。せっかくだし、一緒に観戦に行きません?」


 この人たちは私が業務中だと知ってて、そんな誘惑をしているのだろうか。私が縁佳に話しておかなきゃいけない事を抱えているのを見抜いて……買い被りすぎかなぁ。


「おー、可能な限りそやつに圧を掛けてきてくれよー」


 振り返ると、同じくメインお化け少女役を務める永田が、手をメガホンのように丸めて、私にそう呼びかけていた。私はそれに、間を置かずに同意していた。


「なんたって、焼肉10万円分商品券が懸かってるからね。打ち上げで焼肉行きたいだろー?」

「ん、わかった。優勝してくる……」

「いや、投げるのはよっすーだよ?」


 後から考えてみれば、私が会場に赴いたからと言って、運命を覆す奇跡が起こるわけではないんだけど、大義名分になり得るので、私は二人に付いていくことにした。でもやっぱり、人前で発表する時のように、体育祭のように、自分事のように緊張している。心臓がどぎまぎするのを抑制するために、手のひらの膨らんでる部分を胸に擦り付けたら、ワイシャツの布地がぐしゃぐしゃってなった。


 体育館は、黒いカーテンで閉め切られているのもあって、ライブでも始まるんじゃないかという熱気に満ちていた。いやまあ、実際この後、著名なバンドがライブするらしいけど、その前哨戦として校内で最もダーツの上手い人を決めるらしい。とにかく一息吸うだけで、熱量が体中を駆け巡って、アルコールが気化しているかのように酔いそうになる。


 舞台にはスポットライトが当てられ、そしてダーツの的があった。1から20までの数字が書いてある普通のやつである。黄色の某チャリティー番組みたいなTシャツを着ていて目立つ縁佳が、ちょうど意気込みを語っている。縁佳が観客に向かって手を振ると、世界中に散らばる縁佳の友達がここで一堂に会し、徒党を組んで声援を送った。特にこの、誘ってくれた人の声が、際立って反響してあらゆる方向から聞こえてくる。


 その一方で私の声は、雀の鳴き声にもならない。それでも、縁佳を応援しているという自己認識になるからって満足できればいいけど、私の胸中には虚しさしか生まれなかった。一方的に愛嬌を振り撒かれるだけじゃなくて、私も何かを伝えたい。それは友達として、当然の営みだろう。だから…………どうしよう?


 私が自分本位な友達像をこねている間に、真剣勝負が始まった。体育館は競技者の集中を象徴するように、張り詰めた空気に包まれる。それから、まあまあ地味な光景が続いた。粛々と代わりばんこに三本ずつ、躊躇いなく矢を投げていく。常に均一に腕を動かし、大体同じ場所に刺さる。大体同じだけど、上から吊るされているスコアの減り具合が、なんか違う。


 で、試合には声のでかい人の言う通り、縁佳が勝利した。縁佳が再び手を振ると、よく教育された観客たちも一斉に手を振る。本人は冷静に勝利を噛み締めているのに対し、こちらでは物凄く容赦なく盛り上がっている。


「うわぁーっ、よっすーならやってくれると思ったぁー!信じてたよー!ちゅっちゅー」

「耳栓が欲しいー。安栗にはおしゃぶりを」


 世間的に見ても身長が高い方は、口が悪い方の肩に手を乗せて、ぴょんぴょん飛び跳ねている。……舞台上では、言うこと言い終わった縁佳が、舞台袖に消えていくところだった。仕掛けるなら…………私はすでに動き出していた。特等席で観覧してやろうと邪悪になって匍匐前進も辞さない、あのバンドの大ファンよりも傲慢に、雑踏を掻き分ける。


 そこまで体力は使ってないけど、舞台裏に到着する頃には額に汗が滲んでいた。それを腕で拭いながら、非常口の明かりが頼りになるぐらい薄暗い中、縁佳の姿を探す。


「島袋さん?……こんな所にどうしたの?」

「ん……、うん」

「あーうん、そうだねぇ」


 縁佳が一歩こちらに近付く。その斜め後ろで、刑部が私を注視していることを察知する。刑部、ちゃっかり名前を覚えておいた。縁佳は首を少し動かし刑部を牽制する。


「もうすぐライブ始まるよ」

「えっ、そうだね。どっか行くの?」

「お呼び出しのようですしー」


 まだ来ただけなのに、ただ頷いただけなのに、縁佳はそそくさと非常口のドアノブに手を掛けた。昨日とは真逆。だけど同じく雲煙過眼としている。


「はいはい。……露崎でも来てないかなー」


 そう言いながら、刑部は体育館へ出ていく。一方、縁佳は扉を開けて外に出た。私も、閉まりゆく扉を肩で受け止めながら、置いて行かれないように慌てて外に出る。


「風が気持ちいいねー。……ふぅ」


 縁佳は立ち止まり、両腕を軽く広げて、体育館の日陰で微風を集める。そして深呼吸と共に、溜まり切った澱みを吐き出す。私は一歩引いて、胡乱な目線をその背中に向けていた。素直じゃないのは良くないと、親に頻々と躾けられたのに、私の望む形になったことに対して、微妙な態度を取ってしまった。それもあって、縁佳のようにリラクゼーションできない。


 縁佳は視界に映ってなくても、そんな私の本心を読み解けるようで、すぐ振り返って必要な答えを与えてくれる。


「この間はごめんね。まあその、私にも色々ありまして……」

「ん、分かってる」

「そっか。じゃあ今から回ろうか。祭りも佳境だけど」


 私が頷くと、縁佳は前を向いて校舎に向かって歩き始める。意志疎通にばかり集中して、体が追い付いていない。不自然に距離が開いたので、小走りで縁佳の横に並んだ。


「どこに……何が食べたい?」

「あっ、ライブはいいの?」


 質問に質問を返すな、島袋鏡花。


「うーん、実は音楽に疎いというか、興味がないんだよね。もちろん、島袋さんが興味あるなら、熱狂の渦に大歓迎で呑み込まれよう」

「どちらかと言えば、ご飯を食べるほうが好きかな……」

「そうだよねー。らしくて安心した」


 正直な所感を述べただけなのに、縁佳は口元を手で押さえながら、上品に縮こまるように無警戒に笑った。


 でも、縁佳がライブを抜け出して、私とがらんどうな校舎を巡回するほうを選んだのは、何を以ってなのか分からないけど、何よりも意外ではあった。その御託も、あながち本当なのかもしれないと思った。


 その後私たちは、というよりは主に私が、食べ物の出展を見つけ次第買い込んだ。プラスチックの透明な容器がどんどん積み上がっていく。その温もりが消える前に食べたいので、校内を二人で駆け回った。


 いい感じに運動もしたところで、今日は誰もいない校庭が望める、植え込みの狭間にあるベンチで、それらを食べることにした。こうして少し遅めの昼食が始まる。体育館から、胃の中身を揺さぶるような振動がここまで伝わり、関心のない私たちにとってはそれで十分だった。


「はぁー。やーこれは、文化祭を楽しんだってことでいいのかな」


 縁佳が深く息を吐いている間にも、私は焼きそばを吸い込んでいる。


「んーっ、どうぞどうぞ。構わず食べてください」

「あら珍しい。いいの?」

「食べたそうに、してたから……」


 お弁当の時間と違って、一方的に腹を満たしていることになるし、縁佳にも楽しんでほしいし。やっぱりお返ししたくなってしまう性みたいだ。


「じゃあお言葉に甘えて」


 縁佳は、マスタードとケチャップがたっぷり掛かったアメリカンドッグを手に取り、口を大きく開けて皮をかじり取る。一瞬だけ私の表情をうかがうと、すぐに視線を戻して二口目を頂く。美味しそうに食べるなーと、プレーンなクレープを食みながら、その端正な横顔を鑑賞してしまう。


 ほげーとしていると二本とも食べられた。ダーツってただ矢を投げるだけに見えて、体力を使うんだなぁ。まあ食べていいって勧めたのは私だしっ、別にいいしっ。


 文化祭のフードロス撲滅に協力するべく、もちろん全部食べ切った。でもさすがの私も、満腹感を味わっている。それは何よりの幸せである。ライブもいい感じに盛り上がっているのか、さっきよりも振動が激しくなっているような気がする。私は音漏れに合わせて肩を揺らしながら、消化器が落ち着くのを、空を見上げて待った。


 ふと横を瞥見すると縁佳も同じ空を見上げていた。それは当たり前なんだけど、私は言うべきことがあるのを思い出して、密かに歯がゆくなる。何のために縁佳の前に立ちはだかったのか、明世に言われたこともあるし、きちんとしないと……。


「島袋さん?どうかなさいまして?」

「んへっ、へいへい、はいはい、うんうん」


 縁佳は油断も隙もくれない。いっぱい頷きながら、とりあえず横を向いた。


「どうぞ?」

「…………どんなウサギが好きですか?」


 縁佳に伝わるように大きく息を吸う予備動作をしたのに、ぽっと口から出てきた言葉はそれだった。そりゃあ縁佳も困惑しますって。唇に人差し指を当てて、熟考を開始してしまった。


「うーん。真っ白で赤目な、ステレオタイプのウサギはちょっと怖さがあるかな。耳は垂れてるほうが好きかも」

「そっそうですか。私も好きです。大好きです」

「ウサギには見境なく愛を囁くでしょ。見てたよー」


 縁佳が目を細める。私は視線を一周させて、そんなこと無いことをアピールしたかった。


「んむむむ、どの子が一番なんて決められない……」


 神様がかわいく造形したのだから、それに一介の人間が序列をつけるなど、神への叛逆でさえあるのではないか。と、自分に言い聞かせて、重大な決断から目を背けた。


「まあ、お気に召してくれたようで何より」


 今度は余計な諸事情を挟まずに頷けた。その後は酷かったけど。視線をあっちこっちに飛ばして、言いたいことも右往左往して……。


「うん。すごく良かった。何が良かったって、珍しいウサギがいっぱい居たこと……でも希少なだけが良かったわけじゃないけど……。何だろうぅー、もっと簡潔に言うなら……っ」

「簡潔に言うなら?」

「おっおかげさまで、文化祭を満喫できました。ありがとうっ」


 うーむ、そして結局、感謝に行き着いていた。でも今に関しても、縁佳が一緒に回ってくれなかったら、こうやって腹が膨れることもなかった……、腹をくくって一人でやってみても、淋しさが勝っていただろう。


 まあ私は、明世に容喙されたから、感謝の言葉の鎖から逃げようと体をよじっているけど、そんなことを知り得ない縁佳は、しっとりとした音楽を聴きこんでいる時の頭-ヘッドフォンで、私の感謝を受け止めてくれる。全身の機微で、どういたしましてと返している。


 しばし、無言の探り合いが始まる。再びプロの演奏の欠片に耳を澄ませてみたりしてしまう。そうでもしてないときまりが悪い。縁佳の虹彩を塗り潰す私も、困り果てている。


「おーめでとぉー!がすよぉー!」


 背もたれに寄りかかって、もう少し休憩しようかと思っていた矢先、横から快活な声が飛来してきて、背中を背もたれから浮き上がらせてしまう。明世はそのまま私たちの目の前に着地して、縁佳の両手を持ち上げ上下に揺り動かす。


「偉業だyo。がすyo」

「あっ、あぁー、どうも?」

「二等当たったんだってね!」

「あ、そっち?なんて今さらな。くじ引きをやったのは昨日なんだけど」

「いつ聞いても甘美な響きだからなぁ」

「二等の上には一等がありまして」

「一等のからんからんって音、最高だよ」


 そう言って明世はベルを鳴らす手を真似する。


「当たったの?」

「のを見た」

「それだけで喜べるなんて、生きるのが楽そうでいいねぇ」

「がすよは皮肉が下手だねぇ」


 二人で会話してると思って油断してたら、明世がこっちを向いた。ひぃっ、食われるっ。


「二人はこの後どうするの?」

「どうしよっかなー。ライブの熱にあてられてみる?」


 二人の視線が一挙に集まる。そんなの、縁佳の仰せのままにとしか……。


「じゃあ、お化け屋敷に戻って、みんなの手伝いでもするかー。まだ結構お客さん残ってるんでしょ?」

「さすがすよ、はつがつお」

「中七は何処へ」

「でもがすよ、ほんとに大丈夫?自分のクラスのお化け屋敷で、わぁーきゃー死線を彷徨ってたけど」


 明世の発言で思い出した。一応、探索とか謎解きの要素があって、墓を争うとしたら幽霊が出てくるみたいな仕掛けにしたのに、縁佳は私から逃げ回るばっかりで、全然ギミックを食らってない。


「島袋さん?今度は一体?」

「ん、もう一回入って」


 縁佳は千年に一度の大儀そうな表情を隠さない。対する明世はこっちの援護をしてくれた。


「終わってからならいいんじゃない。私も一緒に入るから、安心しろって」

「わっ私も、お供させて……」

「ぐぬぬぬ、一人、一人で挑むからっ。それで許してっ」


 背筋と腕を伸ばして、拳を太ももに押し付けながら、縁佳は強い口調でそう懇願した。あんなに心慌意乱なさってたのに、やっぱり縁佳は強いなぁ。また一段先を越された。


 プラスチック容器とか紙コップとか、ゴミをまとめながら立ち上がる。明世も手伝ってくれた。うーむ、祭りに託けて食べ過ぎたかもしれない。夕飯は控えめにしよう……できるかな。


 活気は体育館に分捕られて、校舎の中も普段の休み時間みたいな賑わいしか残っていなかった。まあ、それくらいの方が、日陰者の私としては気が休まる。ゆっくりと、祭りが終着しようとしている。そこに寂寥感はあるけど、思い残すことは多分ない。


「お疲れ様、しまちゃん」


 お化け屋敷に戻る途中、明世は私だけに届くように、小声でそんなことをささめく。……私はあっちにある、校庭を向いた時計を指さした


「でもまだ二時間あるから。気を抜かないでっ」

「いーや、そういう意味じゃなかったのにぃーっ」


 お疲れ様って、文化祭のクラスリーダーのことじゃないのだろうか。私でも、あれは成功したと思う。この経験は確実に、今ここに立っている私を形作るのに、一役買っている……はずだ。


「なになに?私を陥れようとしてる?」

「さあね」

「あっそ」

「ごめんって。ひまわりの種は売り切れなんだ。しまちゃんが冬眠の備えにしちゃったから」

「いらねえ……」

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