転職

@Ganonnn

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「俺、そろそろこの仕事辞めようかと思っているんです」


 隣の熊の姿から聞こえてくる声はどこか哀愁を帯びていた。


「どうしてだよ」


 いささか不思議だった。彼がこの仕事を始めた頃は「よく怖がられるんですけど、だからこそ、こういう人を喜ばせる仕事がしたかったんです」と真っすぐな瞳で言っていたから。


「こうして俺ら着ぐるみの仕事してるけど、もう人が来ないじゃないですか」


 そう彼が言うと同時に、午後三時を告げる音色が鳴り始めた。その鮮やかな音色に笑いかける人は、彼の言った通りもう一人もいない。


 この遊園地がこんな有様になったのは、二駅隣の町に新たな遊園地が作られたことが理由だった。優れたアトラクションの数々やSNSで人気の食べ物に古い遊園地が勝てるはずもなく徐々にお客さんは減っていった。

 その結果がこれだ。数か月前までは人が溢れていたのに、今や清掃員のおばちゃんが一時間に一回辺りを歩いているだけ。掃除するゴミすらないような状況だ。


「でも言ってたじゃん『俺が輝けるのはこの仕事だけだ』って」


「そうですね。でも猫山さん、もっといい就職先見つけたんです」


 するとどこからか一枚のチラシを取り出した。


「動物園?」


 虹色の文字で募集中と書かれたダサめなチラシ。

 確かに、動物には怖がられることも少ないだろうし、間接的に人を喜ばせる職業ではあるから彼の要望には合っていた。


「そう動物園。ここで俺は楽に暮らします」


「ここよりも羽振りがいいのか?」


 情けない話だが、彼が居なくなったら、私は一人でここに立ち続けることになる。お客さんがやってくるかもわからず一人で立っているなんて苦痛には耐えられない。そんな思いもあったから引き留めようとしてしまった。


「羽振りというか……衣食住揃っているからいいなって」


 衣食住? と発言の意図を考えていると、彼は先ほどのチラシの下部を指差した。


「熊募集?」


「そう、熊募集」


 そうだ、彼は熊だった。たまたま日本語が喋れる園長に可愛がられている熊だ。確かにわざわざ遊園地で”リアルな着ぐるみ”のていで遊園地で働かなくても、動物園で養われる側になれば衣食住が保証されるんだ。

 にしても、ここでしか会わないからか熊だということを忘れていた。


 ようやく彼がこの仕事を辞めたい理由がわかったことに安堵するとともに、やはり馬が合う友達を失いたくないとも思ってしまう。何か彼を引き留められる要素は…………。




「……いや、お前、衣食住の”衣”は元からいらないだろ」

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