握力で願いが叶うなら

冬壁ふゆかべ? いえ、そんな看護師の記録はありませんけど……」


 火曜日、学校で下手に行動を起こせなくなったおれは、じりじりと全ての授業と帰りのホームルームが終わるのを待った。

放課後。病院に着いて、受付であの黒白ナースのことを聞き込んだが、まったく収穫なしだった。

 やっぱりか……冬壁が本当の看護師じゃないことはうすうすそうじゃないかとは思っていたが、これでわずかな望みが本当に断たれてしまった。

 黒白と白黒の彼女たちとは電話番号もラインも交換しないままだった。


「お手上げだ……」

 

 フジモトの退院は明日、復学は金曜日。

 なにも成果がないまま、貴重な一日が終わってしまった。

フジモトの顔を見に行く気にもなれず、とぼとぼと引き返す。

 外来の患者や職員でごった返している一階ホール。いつもなら人とぶつからないよう気をつけるんだが、目線がどうしても下に向いてしまう。

 淡いベージュの床をぼんやり見ながら足を動かしていると、くい、と制服の袖がひっぱられた。


「え?」


 見ると、待合い席の列から乗り出した誰かの細く指先が摘んでいる。

 その指と、手と、腕をたどって目を動かすと――


「ね、ね、きみ、フユちに会いたいのっ?」


 鼻息を荒くしながらそう言って目をヤバい感じに輝かせる女性がいて、おれは思わずのけぞった。

 淡いピンク色のぱっつんカットのショートボブと、淡い緑にところどころ濃い緑のカエデの葉の模様をした振り袖。なんだか浮世離れした感じだ。傾げた頭の両サイドで、着物の柄と同じ形のイヤリングが揺れている。

 おれよりは少し年上……大学生くらいだろうか。濃いめに塗ったチークのせいか、やや童顔に見える。

 

「フユっち、かっわいいよねー、うんうん、わかるよっ。みんな大好きだもん」

「あの……フユって、もしかして冬壁のこと……?」

 

 ハイテンションに一人納得している様子だけど、おれはなにがなにやらだ。『ふゆ』という響きを頼りに恐る恐る聞く。


「そうっ!! フユたんは妹みたいな、天使みたいな……バストが控えめなとこも、脚がすらっとキレイなところも本当にイイよねっ!! なに着せてもカワイイからいっつも選ぶの楽しいんだ~!!」

 

 バサバサと袖を振り回すように腕を上下させる和服女性。


「ちょ、ちょっと、声抑えて!! めっちゃ見られてるって」


 病院の待合で推しに狂う限界ファンのようなテンションと爆音で騒ぐ謎の年上女性。当然、周囲から視線が突き刺さる。

 おれは慌てて彼女を立たせて玄関ドアまで連れて行った。


「む、ムダに疲れた……なんなんですかあんた……」

 

 なんとか病院に併設されている公園のベンチまで移動出来た。


「ん~もっと語りたかったのに。まあいっか。あたしは春咲紅葉(はるさきもみじ)! フユピのおねーさん担当やってます!」

 

 ばちーん、と星が飛んできそうなウインクとVサイン。ほんとになんなんだこの人。頭のネジが何本か飛んでそうだ。

 さっきから冬壁の呼び方も安定しないし。


「それで、キミはフユぽんに会いたいんだよね? どうして?」

 

 ベンチに座り、嬉しそうに両手を顔に当てながら尋ねてくる。ホント自由だなこの人。


「それは……前に助けられたことがあって。それで、今もちょっとアイツに頼らないとなんとも出来ないっていうか……ホントはおれがどうにかしたいんですけど……」

 

 声は尻すぼみになってしまう。力が抜けてきて、うつむいてしまう。

 そう、本当は悔しい。

 おれの力でフジモトを守ってやりたいのに、おれではどうにもあの盗撮犯に勝てないから冬壁や夏樫に頼るしかない。そんな無力感が、悔しい。

 草の間に転がった空き缶をぼんやり見つめているとーー


「そっかー、オトコノコだねえ」


 白い足袋と鼻緒の爪先がおれの下げた顔の前に飛び出してきた。

 顔をあげると、やや高いところから明るいベージュがかった色の瞳が生温かくこちらをのぞき込んでいる。


「じゃー、もみじがおまじないしてあげる!! 手、出して?」


 とことん貫かれるハイテンションに呑まれて、思わず右手を差し出す。

 おまじないが何なのか分からないけど、彼女は大型犬がお手をするように自分の手を重ねてきた。伝わってくる体温がずいぶん高い。

 

「キミの力でなんとかしたいって気持ちをぎゅーって思いっきり込めてもみじの手を握ってみて! このおまじないが上手くいけばきみの思いでそれを成し遂げたと言ってもネバー過言!!」

「えっ……こう?」


 ネバー過言……?

 とまどいながら、ポケットカイロかと思うほど温かい、びっくりするほど柔らかい手を恐る恐る握り返す。


「もっと力込めて! そんなんじゃ気持ち伝わないよ!」

「こ、こう……?」

「もっと、もっとだよ」


 言われるまま、握っているのが女の人の手だということも忘れてほとんどつぶすような力で握っていた。

 おれは……おれの手でフジモトを守りたい!!

 たとえ冬壁たちの力に頼らないと盗撮犯に勝てないとしても……。

 握力で願いが叶うなら、いくらでも……!


「ああ~オトコノコの手だあ、イイなあ~この感触」


 ヨダレを垂らしてそうな顔でうっとり、という感じで呟くお姉さん。

 ドン引きして手を放すと、白い手には赤い跡が出来ている。

 痛くしたことを謝ろうかと思ったが、手形のついた手を嬉しそうにさするので気圧されて黙り込んだ。


「うん、キミの気持ち、よーく伝わったよ! これなら全部のもみじに伝わる! ありがとね!」

 

 また目を輝かせて笑うと、彼女は振り袖をばたばたはためかせて駆けていった。あっという間に見えなくなる。


「なんだったんだ、今の……」


 握りしめた手の痺れを感じながら、呆然と呟いた。

 おまじないってなんだったんだ。これで本当に冬壁に会えるかも分からず、一度フジモトの病室のある階の窓を見上げてからとぼとぼ歩いていった。

 ヤバい人に絡まれて疲れただけの日だった。

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