「春」と「雪」

化物の体が灰のようにボロボロと崩れていく。

これまで祓ってきた奴らと同じだ。

まるで何も無かったかのように跡形も無く消えていく。


消えていく化物の姿に何も感じなかったわけじゃない。

今でも人の姿をしている‥人だった者だと思うと言いようも無いものがあった。


それは後悔とか罪悪感とも少し違う気がした。


この化物は許せる奴じゃない。

救いようの無い残虐な奴で、ここで見逃したら、他の被害者だって出ていたかもしれない。

それに今までだってこうやって祓ってきた。

何を今更。


冷めた自分がそう囁く。

なのに、この感覚は何なのだろう。

もしかしたら、これがあの人の言っていた苦しみの1つなのかもしれない。

ならこの感覚だけは忘れてはいけない気がする。


狭い部屋の中で消えていく夜半の煙をただ見つめていた。




「あーなんだ、大丈夫か?」


そう何とも返事のしづらい言葉をかけられたのは、家を出てすぐのことだった。


声をかけてきた人物は場所にそぐわない派手な見た目をした男。

そして、そのすぐそばには同い年くらいの女の子がいた。


見るからに怪しい。

ここがいつもの町だったらどうも思わないが‥いや、町で見ても職質されそうそうな2人組だけど‥。


ここは窓の向こうで、連れ去られたあの子達以外は居ないはずだ。


警戒心からバットケースへと手が伸びる。

それを見た女の子はスッと目を細め、こちらに何かを言うのかと思ったら隣にいる男のお尻に向けて鋭い蹴りを放った。


「痛った!?何すんだよ」


「お前が警戒させてしまってるだろうが。他にもっと言い方とか無いのか」



「いやぁ‥まぁ確かに‥でも、今更出てきて感あるじゃん」


「良いから、早く手帳出せ」


顎を軽くしゃくって命令する女の子に男は渋々といった様子で、

ポケットから1つのパスケースをとり出した。


「俺は皆月っていう、でそっちのが由良。で一応、俺らこういう者でさ」


そう言って中を見せられると、そこには警察官の紋章と目の前の男の名前と写真があった。


皆月景 巡査部長‥この人、警察官だったのか。

2、3度写真と目の前の人物を見比べて見るが服装から言ってとてもそうとは思えなかった。


「だから、そんなに警戒しないで欲しい」


「あなたが警察官‥?なのは分かりました。でも、すみませんが、話は後にしてくれませんか。俺も色々気になるし、そっちも俺に聞きたいことがあるんでしょうけど、ここに俺以外にも2人女の子がいるんです。早くその子達探して帰してあげないと」


「それって、蜂屋って子と綾瀬って子か?」


「そうです!あの2人に会ったんですか!今どこにいるんですか!?」


詰め寄る俺に、皆月さんは落ち着く様に促してくる。


「あの2人なら親御さんのもとに帰したよ。近くに救急車を待機させといたから今頃は病院にいるだろうな。だから少し落ち着け」


「帰した‥そうか‥帰れたのか良かった」


2人が帰れたと聞いて、張り詰めていた糸が切れたように地面に座り込んだ。


「君も無茶するよな、窓憑とは言っても死なないわけじゃ無いだぞ」


皆月さんは呆れ半分感心半分といった表情を浮かべた。


てか何で俺が窓憑だって知っているんだ?


「俺が窓憑だって分かるんですか?」


「そりゃあ、まぁ俺も窓憑だしな。それで俺に憑いてるのが由良ね」


皆月さんが窓憑?

隣にいる子が憑いてるって‥雪みたいな存在ってことか?

というか初めて自分以外の窓憑に会った。俺には何も分からなかったけど、普通窓憑同士なら分かるものなのだろうか?


安心した途端、色々と聞きたい事が頭の中をグルグルと回り始めた。

あれもこれも聞いてみたいと今にも溢れ出しそうになるが、目の前に差し伸べられた手によって口にする事なく堰き止められてしまった。


「君、窓憑なんでしょ。こんな所でへばって無いで、まだやる事があるんじゃない?」


由良と呼ばれた女の子がそう言って手を伸ばす。


彼女が憑神だと考えれば何を言いたいのかはすぐに分かった。

でも、正直もう少しだけ心の準備が欲しい。

そう思った俺は、助けを求め皆月さんを見るが困ったように頬掻いて頼りになりそうに無い。


やり取りから2人の関係性を何となく察していたが、

やはり尻に敷かれている様だった。


まごまごとしている俺に由良さんは唸って急かす。


この人せっかちだな。


促されるまま手を取り、立ち上がる。

体も重たいが、足取りも重い。


少し時間稼ぎをするつもりで気になっていた事を聞いた。

それは、あの青年が最後に言っていた言葉に関係した事だった。


それを話した瞬間の2人の顔も俺にとって忘れられないものの1つになった。

足取りはさらに重くなった。


◆◇ side:雪


梅雨は嫌いだ。

執拗な雨も肌に纏わりつく空気も、喧しい虫の音も全てが煩わしい。

地下室暮らしの引き篭もりの私もこの時期ばかりは好きになれなかった。


でも、この朝は不思議と心地が良い。

登りかけた朝日は優しく空気は澄んでいる。

少しずつ町が起き始めていた。


そういえばこうして外に出るのはいつぶりだろうか‥。

目に映るものの1つ1つが真新しい様に感じる。


自身が籠っていた蔵。

小娘が住んでいた頃の名残を残す母屋。

そして‥あの人が好きだった桜の木。


そのどれもがあの頃とは少し違っていて、時の流れを否応なく感じさせる。

そのことにホッとしている自分と寂しさを感じる自分がいる。


歩くたび玉砂利に音を弾ませながら桜の木へと近づいた。


見上げる枝に花の姿は既にない。

代わりにあるのは夏の訪れを感じさせる瑞々しい葉桜。


指先で枝を摘みながらふと思い出す。

そういえば、あの人は桜の花が好きだったが、春は葉桜や橘の方が好きだと言っていた。

生まれ変わりといえど、そういった好みは違うものなのかもしれない。


そこに何かを感じてはいけないとは分かっている。

あの人はあの人、春は春だ。

春が言ったように重ねるられる方は良い気持ちなどしないだろう。


分かってる。

ただ‥不安でたまらなかった。

重ねなければ、あの人が私に向けてくれたものが未だそこにあると、

春も持ってくれているのだと分からなかった。

でも、それで春が苦しむのならもう考えない。


それがあの時送り出した私の結論だった。


また初めましてをしよう。

今度は私から春に向けて、言葉にしてこの想いを伝える。

そこから始めよう。


だから、早く帰ってこい。

少しでも早くお前に会いたいんだ。


◆◇ side:春


帰ってきた時には空が白み始めていた。

そんなに何時間も向こうにいた感覚はないから変な感じだ。

やっぱり、あっちとは時間の流れが違うのだろう。


幸か不幸か戻ってきた場所は家の近くだった。

皆月が余計な気を利かせてくれたのだろう。

これじゃあ色々と考える時間もない。


自然と進む足取りは牛歩に、それでいて頭の中はフル回転でアレやこれやとこれからの事をシミュレーションしていた。

そうやって何とか気持ちの整理がついたのは門の前についた頃だった。


着いた瞬間、息を呑んだ。


見慣れた前庭にある1本の桜木の下に雪が立っていた。

朝日が照らすその姿は今まで見た誰よりも綺麗だと思った。


この気持ちには覚えがある。

そうだ、どうして忘れていたんだろう。

初めて会ったあの時も、こんなに綺麗な人がこの世界にいるんだと思ったんだ。

自分の中にポッカリと空いていた穴を埋めても余りあるような幸せな瞬間。

この気持ちを手放そう何てどうかしていた。


いつまでもそうやって見ていたかったが、雪が俺の視線に気づいたように

こちらへと顔を向けていた。


そして気づけば2人して走り出していた。

歩いたってそう変わらないような距離をがむしゃらに。

外で走るのが久しぶりなのか雪の走り方は辿々しく、俺も体の痛みでぎこちない。


それでも走った。

1秒でも早く雪に会いたかった。

それまで考えていた言葉はどこかへと飛び、ただ溢れてしまった心に追いつこうと体が動いていた。


「‥おかえり‥春」


大きな瞳に涙を溜め、雪が口を震わせる。

精一杯、出迎えるための笑顔を作ってくれているが今にも決壊しそうだった。


「ただいま‥雪」


あんなに色々と考えていたのに出てきたのはこれだった。

でも、それで十分で伝わった。


「いま‥ゆきって‥私の名前」


「呼んだよ雪って‥今更だからちょっと気恥ずかしいな‥あのさ、完全に今思いついたんだけど‥母屋で一緒に‥」


母屋で一緒に暮らそう。


外の世界に出ている雪を見て自然と浮かんだ。

今じゃないかもしれないが、俺にはこんな時にしか言えない。

好きだとかずっと一緒にいて欲しいとか‥そんな言葉はやっぱり難しい。


これが今の俺の精一杯。

だけどそれも言い切る前に雪に抱き締められた。


「お前は本当に馬鹿だ‥馬鹿で、意地悪で優しい‥私の窓憑。言ったのは春だからな、春が呼んだのだからな、もう離してやらないぞ‥何度だってお前に憑いてやる」


「俺も何度生まれ変わっても雪に憑かれに行くよ」


一度死んでこうして巡り会ったんだ。

もう何度だって俺達は巡り会う。


多分その度に思い出す。

名前を呼び合うだけで満たされるこの気持ちを。




これは少年と雪女が結ばれる物語。

窓憑と憑神が結ばれる物語。


その始まり。



「春」と「雪」 1章 完

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